少年、笑う
アルトレオで生まれた新たな飛竜、そのお披露目祭の知らせは、周辺各国に届けられた。
それを受け取ったレイフの王はじっくりと書状を読んでいた。
「アルトレオ、ね。正直大したことのない国だと思っていたが……案外侮れぬのかもな」
先の交竜戦、レイフ王はアルトレオが勝利するとは微塵も思っていなかった。
それは恐らく他国の王も同じであろう。
故に、いつもであれば無視するこの招待状にも、いささかの価値があるように思っていた。
「ガルンモッサの竜は以前に比べかなりマシになっていたのだがな……」
レイフとの交竜戦の時に比べれば、その強さは格段に上に思えた。
だがアルトレオはそれを上回ったのだ。
あの弱国に何が起こったのか、レイフ王が興味を持つには十分だった。
独り言じみたその言葉に、傍らにいた少年が答える。
「僕も意外ですよ。あの交竜戦にはヴォルフ団長も出ていたんですがねぇ。まさか負けてしまうとは。いやはや」
銀色の髪の少年、年の頃は15、6であろうか。
生意気そうな吊り目に、どこか人を食ったような顔をしていた。
レイフ王は少年を見て、可笑しそうに笑う。
「君がよくそんな事を言えたものだな?」
「はは、僕自身もそう思います」
「だが、うむ。そうだな。君の言う通りだ。君がアルトレオに注目すべきだと言った時は何を寝ぼけた事を……と思っていたが、本当に侮れぬ国になった。大した慧眼だよ」
「いえいえ、まぐれかもしれませんよ?」
少年はくすくすと笑いながら、目を細める。
そんな少年を見てレイフ王は苦笑する。
「全く、食えん男だよ君は」
「誉め言葉として受け取っておきましょう。……それよりそのお披露目祭、僕も行ってみようかと思いまして。恐く他国の偉い方もあなたと同様、アルトレオへの印象を変えたと思いますし、祭りにも来られると思います。機会があれば例の話をその時にでも……」
「ふむ、そうだな。頼めるだろうか」
「構いませんとも。……行くぞ、アイシス」
「はいはーい、主殿、りょーかいでございまーす♪」
銀髪の少年に呼ばれ、出てきたのは緑色の髪を左右で括ったメイド姿の少女。
糸のような細い目でニコニコしながらスキップでついていく。
レイフ王はそんな二人を見送ると、ニヤリと笑う。
「さて……ついにあの巨星が墜つる時が来たかな……」
誰に言うでもなくレイフ王はそう呟くのだった。
どん、どん、ぱん、と祝砲が打ち上がり、空に色とりどりの花が咲いた。
空には城の飛竜が舞い、紙吹雪が舞い散る。
多くの国民が新たに生まれた飛竜を一目見ようと、城に押し寄せていた。
階下の民の視線はバルコニーに釘付けで、主役が出てくるのを今か今かと待ち構えていた。
飛竜がもう一度城の上を飛び、紙吹雪を散らしたところでわっ、と声が上がる。
バルコニーに進み出る人影。
金色の髪の女性は青を基調としたドレスを纏っていた。
その手に小さな竜を抱えた女性が髪をかき上げると、美しい金色がさらりと風に靡いた。
「おおっ! ミレーナ様だ!」
「あれが新たに生まれた子竜か!?」
「ミレーナ様! ミレーナ様!」
盛大に巻き起こるコール。
割れんばかりの歓声の中、民衆に揉みくちゃにされながら見上げているのは、黒髪の男性である。
「さて、上手くやるかな?」
男性は子竜をじっと見守る。
固唾を飲んで見守る中、バルコニーの上で女性はぐるりと辺りを見渡した。
「皆様、本日はお越し頂きありがとうございます! 新しく生まれたこの子竜の名はレノと言います」
その言葉に、またどっと歓声が湧く。
「レノ!」「レノ!」「レノ!」
レノを呼ぶ声が辺りに響いた。
今度は女性の手の中で、民衆に向かってレノが手を振った。
男性はそれを見て、ぷっと吹き出す。
「あいつ、結構ノリノリだな」
バルコニーの女性は、更に続ける。
「今日でレノも生まれて一月、その成長を見てもらいたいと思い、こんなものを用意いたしました」
女性の言葉で従者が用意したのは、大きな鳥の模型である。
それを見た民衆たちがざわめく。
女性がレノに何やら囁き、今度は従者の方を向いて頷いた。
バルコニーの縁側に進み出た従者は、鳥の模型を振りかぶり、投げた。
風に乗ってゆっくりと、鳥の模型は空を泳ぐ。
民衆はやや戸惑いながらも、歓声をあげていた。
鳥の模型が民衆の真上にきた辺りで、女性はレノを空へ放った。
「ぴぃーっ!」
一声高く鳴いて、レノは鳥の模型目がけて、飛んだ。
真っ直ぐに飛んでいくと、レノは鳥の模型の首に噛み付いた。
穴が空いた部分から噴き出す色とりどり、無数の紙吹雪。
湧き上がる民衆の頭上に紙吹雪が舞う。
破壊された鳥の模型も一緒になって落ちた。
「……やったな。ちゃんと成功させやがった」
その光景を見終えて、男が呟く。
すぐ横にいた、大きな帽子と黒眼鏡を付けた小柄な人物が答えた。
「えぇ、本当に。見事なものです」
安堵した声は、女性のものだった。
大きな黒眼鏡から、切れ長の目が男を見つめていた。
男は女性の耳元で囁く。
「それでは無事、見届けたところで……行きますか? ミレーナ様」
ミレーナと呼ばれた女性は、男の言葉に頬を膨らませる。
男の耳を掴んで、囁き返す。
「様、ではありません。ミレーナですよ。ドルト殿」
「は……いや、しかし……」
ドルトと呼ばれた男は口篭る。
「様なんて付けて読んだらバレバレでしょう? それとも、やはり真面目には付き合ってはくれないのですか?」
切なげにそう言うと、ミレーナは黒眼鏡の下を指で拭う仕草を見せた。
それを見て慌てたドルトはしばし考え込んだ後、大きなため息を吐く。
「はぁ……わかりました。行きましょう、ミレーナ」
「むぅ、本当なら敬語もやめて欲しいところですが」
「それは流石に……」
「もう、本当に仕方ありませんね。ドルトは! ……さ、行きましょうか?」
ミレーナはそう言うと、ドルトと共に歩き始めるのであった。
――――時は先日、ドルトとミレーナがバルコニーで話していた時まで遡る。
二人の間に突如現れたメイドAは、一つの提案をした。
「……こういうのはどうでしょう? 私がミレーナ様に成り替わるというのは」
「……はい?」
思わず聞き返すドルトとミレーナ。
だがメイドAは平然としたままだ。
「私がミレーナ様のフリをしている間に、お二人でお祭りを楽しんで下さいませ」
「いや、流石に無理があるだろう? いくらえーさんでも、出来ることと出来ないことが……」
言いかけたドルトの前で、メイドAはくるりと背を向けた。
そして何やら、ゴソゴソとし始める。
顔を見合わせるドルトとミレーナがしばし待つ中、メイドAはようやく振り返った。
「んなっ……!?」「……まぁ!」
それを見て二人は驚いた。
メイドAは、ミレーナの顔をしていたのである。
「いかがでしょう?」
しかも声まで同じだった。
メイド姿の〝ミレーナ〟は、丁寧な仕草でレノを呼んだ。
「レノ、おいで」
「び、ぴぃー……?」
レノは戸惑いながら、ドルトを見上げた。
ドルトが頷いて放すと、パタパタと飛んでいきメイド姿の〝ミレーナ〟の胸にすっぽりと収まった。
「ふふっ、一度抱いてみたかったのですよ。とても可愛らしいですね」
「ぴぃー……」
居心地が悪そうに、レノはドルトの方を見ている。
メイドAはミレーナとドルトを見て、微笑んだ。
「……驚いたな。ミレーナ様そっくりだ」
「え、えぇ……胸元のほくろまで……鏡でも見ているかのようです」
「メイドの嗜みです。こんな事もあろうかと、仕草も練習しましたので」
そう言って微笑むメイドAは、本当にミレーナにしか見えなかった。
どう考えてもメイド姿嗜みじゃないだろと、ドルトは思った。
「ともあれ、こんな感じです。本物が半日くらい居なくなっても気づく者はおりませんよ。たまにはハメを外しても、よいのでは?」
メイドAの言葉に、ミレーナは頷く。
かくして二人は入れ替わり、現状へと巻き戻る――――
二人は街へ行く為、城門へと向かっていた。
レノを一目見ようとする大量の入場客をすり抜け、外へ。
はぐれそうになるドルトの手を、ミレーナはつかんだ。
「ちょ……ミレーナ?」
「これだけの人混みです。迷子になってはいけないでしょう?」
後ろを向いたまま、ミレーナは言った。
声はどこか、上ずって聞こえた。
二人はそのまま人混みの庭園を抜け、門へと進む。
門番の一人が、ドルトを見た。
「おや、ドルト殿ではありませんか?」
「こ、こんにちは」
「はは、なんですかな慌てた様子ですが。……おや、今日は女性を連れなのですね」
二人の肩がびくんと跳ね上がる。
門番はじっと、二人を見た。
視線を逸らしたミレーナの頬から、冷や汗がたらたらと流れていた。
ドルトとミレーナの心臓が早鐘を打つようになる中、門番はにこやかに笑った。
「おやおや、また新しい女性ですか? あまり色々と手を出すと後が怖いですよ? 私も女房によく詰められたものです」
「い、いやそういうわけでは……」
「はっはっは、気にしないでください! 誰にも言いませんから! それでは!」
門番はドルトらに敬礼をして送り出す。
どうやらからかいたかっただけだったようで、ドルトは安堵の息を吐いた。
「ふぅ、気づかれたかと思って焦りましたね。ミレーナ……」
言いかけてドルトは、ミレーナの鋭い視線に気づいた。
ミレーナはドルトの腕に抱きつくと、満面の笑みを浮かべる。
「あらあら、ドルトったら色んな女性に手を出しているんですか?」
「ご、誤解です! 彼が言ってたのはセーラやケイトとかですよ!」
「ほほーう、やはり色んな女性に手を出してるんですねぇ?」
そう言うとミレーナは、更に強く抱きついた。
ドルトは手指を所在なく動かした。
「えー……その、すみません」
「まぁいいです。その代わり今日はたっぷりと楽しませてくださいね」
「……はい」
笑顔のミレーナに、ドルトはそう返すしかなかった。