わがまま王女、泣く
「うそ……リリアンが……?」
崩れ落ちるアーシェ。
その横で、ミレーナは安堵していた。
危ないところは何度もあったが、何とか勝つことが出来たと。
すなわち、子竜をアーシェに差し出さずに済んだ、と。
(よかったわ。レノ)
抱きしめた子竜を、ミレーナは優しく撫でた。
「うう……うーーーっ……」
アーシェは涙を堪えようと耐えている。
何度もしゃっくりをしながら、しかしその目からは涙が溢れていた。
その頭に、ふいにミレーナの手が乗せられる。
(我ながら甘いな……)
そう思いながらも、ミレーナはアーシェの頭をよしよしと撫でる。
しばしされるがままになっていたアーシェだったが、身体の震えは大きくなり、そしてミレーナに抱きついた。
「ミレーナお姉さまぁぁぁぁぁっ! うぇぇぇぇん!」
「……もう、仕方のない子ね。よしよし」
ミレーナは泣きじゃくるアーシェを慰める。
その様子は姉が妹をあやすようだった。
「……私は、負けたのか」
場内では気がついたリリアンが、空を見上げながらそう呟いた。
起き上がろうとするが、身体が動かない。
どうやら全身を地面にしこたま打ち付けられたようだ。
(無様だな)
女だと舐めれぬよう、日々筋肉を鍛え上げてきた。
男に混じっても見劣りせぬほどの、肉。
ここまで育てるのに数年はかかっただろうか。
リリアンはそれを誇りに思っていた。
周りの評価も当然高く、女だからと舐められるような事もなかった。
むしろ自分が見下すほどだった。
(そんな私がまさか、同じ女相手に力負けするとはな……しかも駄肉と罵った相手に)
悔しさを噛みしめるリリアンの眼前が、暗く陰る。
逆光を浴び、正体不明の人影は、手を差し伸べていた。
「ん」
「……?」
影の主はセーラだった。
セーラはリリアンの手を半ば無理やりに取ると、引き上げ立ち上がらせる。
呆けるリリアンに、セーラは照れ臭そうに頬をかきながら、言う。
「あんたさ、確かに強かったわ。すごいよ」
セーラの言葉に目を丸くしたリリアンだったが、すぐに苦い笑みを浮かべた。
「ふん、勝者に言われても嫌味にしか聞こえんな」
「そ、そんなわけないじゃない! 本当に凄いと思ったからよっ! 捻くれ者かっ!」
「……そうかもしれんな」
リリアンはそれだけ返した。
調子を崩され、セーラは不機嫌そうに続ける。
「今回はちょっとその、調子が良かったのよ。おっさんに鍛えてもらったしね。私。だから本当の実力じゃあないわ」
「何を言っている。勝負にまぐれはない。何であれ、結果が全てだ」
「あーもう! そういうのが言いたいんじゃなくて……その……だから、えーと……」
口ごもるセーラだったが、びしりとリリアンを指差した。
「また今度、もっかいやりましょう! 次はきっと、もっといい勝負になるわ!」
セーラの言葉にきょとんとするリリアン。
しばらくして、ふっと笑う。
「次、か。……まぁ仮にそうなれば、確かに私が勝つだろうな」
「なにーっ!? 可愛くないわねっ! あんた! 何なら今、もう一回やりましょうか!? 私が勝つけどねっ!」
挑戦的なリリアンにセーラは噛みついた。
だがそれを受けたリリアンは、自嘲気味に笑うのみだ。
「ふ……次、ね」
「な、何よ……」
訝しむセーラに背を向け、リリアンは王女たちの席へと歩み寄る。
そして目を伏せ、跪いた。
「申し訳ありません。アーシェ様。無様を晒してしまいました」
「……ぐすっ、リリアン……?」
アーシェはミレーナから身体を離し、ごしごしと目元を擦る。
何とか第四王女の体裁を保つべく背筋を伸ばした。
「……何かしら?」
まだその顔は、涙で濡れてはいたが。
リリアンは目を伏せたまま、はっきりと言う。
「試合前、言った通りにこの敗北、命で詫びたいと思います」
リリアンはそう続けると、腰の剣を抜いた。
「へ……?」
「――――御免!」
素っ頓狂な声を上げるアーシェにかまわず、リリアンは手首を返して刃を自身の腹へと向ける。
全員が声すら出せずただ驚く中、リリアンの剣が振り下ろされた。
ざくりと、鮮血が飛び散る。
――――あぁ、やっと死ねる。
そうだ。どうせなら腹をきれいに六つに割って死のう。
筋肉しか能のない自分にふさわしい死だ。
そう思い、縦に大きく動かそうとしたリリアンだったが――――
(……痛く、ない……?)
痛みを通り越して、何も感じなくなってしまったのか。
いや、皮膚を破る感触すらなかった。
恐る恐る薄めを開けるリリアンの目に映ったのは、血に塗れた大きな手、であった。
「ってて……」
声の主はドルトである。
分厚い掌はざっくりと裂け、血がだらだらと流れていた。
「き、貴様何を……!」
「自己満足で死ぬのはやめとけって。アーシェ王女にトラウマ植え付けるつもりかよ」
ドルトは視線をアーシェにやる。
その意図に気づいたのか、アーシェはリリアンに駆け寄った。
「ば、馬鹿もの! 何をしようとしていたの! 死ぬなんて許さないのだわ!」
「は……しかし……」
「しかしじゃないのだわ! 馬鹿っ! この大馬鹿っ!」
アーシェはリリアンの頭をぽこぽこと叩く。
無論、痛みなどあるわけがないのであるが――――心はなぜか痛かった。
リリアンの目には、涙が浮かんでいた。
「……申し訳、ありません」
謝罪の言葉と共に、リリアンはアーシェの罰を受けるのだった。
どうやら大丈夫そうかと、ドルトは剣を奪い取り、二人に背を向ける。
と、目の前にはミレーナが駆け寄っていた。
「ドルト殿っ! 手は大丈夫ですか?」
心配そうに見上げるミレーナに、ドルトはパタパタと手を振る。
「あぁいえ、大したことはありませんよ。浅く切っただけですので」
確かに、日々の仕事でドルトの手の皮はとても分厚く、痛々しくめくれ上がってはいるものの傷自体は浅いものである。
竜の爪で引っ掻かれた時の事を思えば、本当に大したことはない。
それこそ唾でもつけておけば……というやつである。
「そんな事はありません! 大事です!」
だが、ミレーナにとっては違ったようだ。
自らの手が血に濡れるのも構わず。ドルトの手を取った。
「いいから見せて下さい!」
「は、はい……」
そんなミレーナの迫力に押され、ドルトは頷く。
ミレーナは自分の袖を破り、その手をぐるぐる巻きにした。
美しい純白の布がみるみる内に赤く染まっていく。
「……よいしょ! とりあえず応急処置です。ケイト、お医者さんを呼んできてください」
「わ、わかりました!」
ミレーナの命を受け、走るケイト。
それを見送りながらミレーナは一息ついた。
「ふぅ、とりあえずこれで……」
我に帰ったミレーナは、ふと周りの視線に気づく。
甲斐甲斐しくドルトの手当てを行ったのを、周囲のかなりの人間に見られていたのだ。
一国の王女たるものが、一介の竜師にここまでの事を……何とはしたない。
そういう類の視線だと思い込んでしまったミレーナの表情が、羞恥に赤く染まっていく。
「べべべべ、別にそういうアレではないですから! 勘違いはなさらないで下さいね! ドルト殿っっ!!」
「は、はぁ……」
ついつい不安定な口調になるミレーナを見て、微妙にセーラと喋り方が似ているなぁと、ドルトは思った。
「……ともあれ、負けましたわ。それでは約束通り、このリリアンを始めとする一個小隊をアルトレオに預けます。ミレーナお姉さま、彼女たちを頼みます」
ぺこりと頭を下げるアーシェの傍らには、リリアンを始めとする竜騎士たちが5人。
ミレーナはゆっくり頷いた。
「えぇ、お願いしますね。リリアン」
「御意にございます」
頭を下げたまま、リリアンは答える。
その目にはもはや死ぬ意思は見受けられず、ミレーナはホッとしていた。
「あのう……ところでミレーナお姉さま?」
おずおずと話しかけてくるアーシェ。
その視線はミレーナの手にいる、子竜へと注がれていた。
「もう一度その、レノを抱かせてもらってもいいですか?」
ミレーナは苦笑する。
本当に困った、そして可愛らしい娘だと。
仕方がないなとため息を吐き、子竜を持つ手を緩める。
「いいわよ。でも今度は優しくね」
「……はい」
ミレーナに手渡された子竜を、アーシェはゆっくり抱きしめる。
今度は言葉通り優しく、壊れ物を扱うように。
しばらくそうしていただろうか、アーシェは子竜で顔を隠したまま、呟く。
「お姉さま……本当にごめんなさい。私、もうわがままは言いません。いい子になります。……だから、また来ても、いいですか?」
上目遣いで、そして涙目で言うアーシェ。
一瞬、目を丸くしたミレーナだったが、すぐにやさしく目を細める。
「えぇ、もちろんよ」
「……お姉さまっ!」
ミレーナはアーシェをやさしく抱きしめる。
ドルトはそれを見て、やれやれとため息を吐くのだった。
本当に甘い王女様だなと。
ともあれこうして、リリアン率いる小隊がアルトレオ竜騎士団に加わったのである。