交竜戦、始まる。前編
「本当に強くなったな、セーラ」
「へへーまぁね! おっさんがいない間も特訓したから。百人抜きもやったわよ!」
照れ笑いするセーラ。
もはやアルトレオの竜騎士団では並ぶ者はいないようだ。
「うむ、特に腰のあたりの安定感がすさまじいな。女性は男性に比べ騎竜の際に安定感はある方なんだが、セーラは特に粘り強さが違う。落とせる気がしないよ」
「そーお? なんだろうね」
そう言って腰辺りに視線を落とすセーラ。
確かにセーラの太股は、成人男性ほどあった。
ローラがセーラの尻を後ろから揉んだ。
「ひゃわっ!? ちょ、なにすんのよローラ!」
「うんうん、セーラのお尻はすごくいい」
「こらーっ! はーなーせーっ!」
セーラが顔を赤くして暴れるが、ローラはそれを躱しながらセーラの尻を揉み続ける。
その身のこなしを見て、ドルトはローラが出るのも悪くないのでは? と思った。
「まぁあれかな。農業で鍛えたからかね? ほら、よく腰を入れるっぺさーって言ってただろ」
「なっ! ぺさーなんて言って……ないし……」
否定しかけてセーラはやめた。
完全に事実だったからである。
押し黙るセーラの頬は、赤く染まっていた。
その頃ローレライ。
山々に囲まれた城の外周にある兵舎の奥で、普段通り兵たちがトレーニングをしていた。
「……五十! 五十一! 五十二!」
上官の声が飛び交い、数十人の兵が掛け声とともに腕を立てては、伏せる。
男女共に、である。
へこたれる者など、いるはずがなかった。
そこへ白狼に乗り、現れたのはアーシェである。
気づいた兵たちはすぐに立ち上がり、敬礼の姿勢を取った。
「これはアーシェ王女! ご視察、お疲れ様ですッ!」
「気にしなくていいのだわ。皆、頑張るように」
「有難きお言葉! 感謝の極みですッッ!」
煩いほどの声量に、アーシェは少し眉を顰めながら、兵長に尋ねる。
「それよりリリアンはどこなのかしら?」
「リリアン隊長は、地下のトレーニング室でありますッ!」
「あらそうなの。ありがとう。続けていいのだわ」
「はッッ!」
アーシェは兵長に背を向けると、地下へ降りて行く。
しばらくして、遠くで数字の数える声が聞こえてきた。
階段を降り、アーシェは地下室への扉を開く。
むわっと汗臭いニオイが鼻をついた。
天井に開けられたガラス窓から射す光を浴び、一人の女性が懸垂を行なっていた。
短く切った白い髪を更に後ろで束ね、分厚いトレーニングウェアを身に纏っている。
腕を上げ下げするたびに、額の汗が反射しキラキラと光っていた。
「リリアン」
アーシェの呼ぶ声に、リリアンと呼ばれた女性が振り向く。
リリアンはアーシェの姿を認めると、両手を離し床へと降り立った。
跪き、畏まる。
「これはこれはアーシェ王女、ご機嫌麗しゅうございます」
「うむ、励んでいるようで感心なのだわ」
「大したことはありません。通常訓練の範疇です」
「ふふ、そんな重いものを背負って、かしら? 暑苦しい。脱いでしまうのだわ」
「……わかりました」
そう言ってリリアンは立ち上がると、分厚いトレーニングウェアを脱いだ。
持つ手を離すと、ウェアは重力に従い床に落ちる。
そして、――――ずしん、と音を立てて。床が軋んだ。
特製トレーニングウェアには大量の重りが入っており、それはリリアンの体重よりも重いほどだった。
タンクトップ一枚の薄着姿で、リリアンは傅く。
しなやかに、だが力強く鍛え抜かれた肉。
毎日のランニングで肌は小麦色に焼けており、短く切った髪は運動の邪魔にはならないよう後ろでまとめられている。
分厚い胸筋と六つに割れた腹筋が、厳しい修練を表していた。
「ふむ、惚れ惚れするような肉体美なのだわ。アルトレオの竜騎士とは比べ物にならないのだわ」
「恐れ入りますがアーシェ王女」
リリアンの目が鋭く光る。
「彼らと比較されるのは、やや心外にございます。ガルンモッサやレイフなど、列強国と隣り合わせに位置する我らローレライの竜騎士は、日々鍛錬に鍛錬を重ねております。アルトレオの平和ボケした竜騎士如きに負けるはずがありません。交竜戦という話ですが、私としては隣国に稽古をつけて差し上げる所存でございます」
「心強い言葉なのだわ。しかし油断は禁物よ。ミレーナお姉さまはあぁ見えて切れ者。何か手を打ってくるのは確実なのだわ」
「どのような手を使おうと、私が負けるはずがございません」
「うむ、油断なく、そして間違いなく勝ちなさい」
「は……では、訓練に戻ります」
自信たっぷりに頷くと、リリアンは訓練を再開する。
アーシェはその頼もしい背中に、勝利を確信するのだった。
――――そして迎えた交竜戦。
アルトレオ城中庭、修練場は一般にも開放され、ロープを張った外は市民でごった返していた。
「えー、ビールはいらんかねービール、ビールだよー!」
「にーちゃんこっちだ! ビール五つ!」
「まいどぉ!」
売り子がビールを売り歩き、早々と前列を手に入れた家族は弁当箱をつついている。
街の人々は今から始まる交竜戦を、楽しみに待ち望んでいる様子だ。
ロープで仕切られ、兵で囲まれた特別席から、その様子をドルトが珍しそうに見渡していた。
「アルトレオでは交竜戦を一般公開しているんですね」
「えぇ、今日は街全体が休業日なんですよ。たまにこういう日があるから、人は頑張れるのです。……まぁ目ざとく仕事している人もいますけど」
そう言ってミレーナは近くを横切ったビール売りに視線をやると、ケイトが一人でビールを三つ頼んでいた。
ケイトはすでに出来上がっているようで、頭をフラフラさせながら、顔を真っ赤にしていた。
手にしたビールをぐいと一飲みし、酒臭い息を吐く。
「ぷひー! おいしー!」
「……程々にしとけよ」
「らいじょうぶらいじょうぶ! 意識はある!」
「大丈夫そうには見えないが……」
完全に呂律は回っていないケイトに、ドルトは呆れていた。
頭を上下に、ぐらんぐらんと振る様子はどう見ても大丈夫ではなかった。
「それにしても、随分余裕なのですわね。流石、ミレーナお姉さま」
ミレーナの隣にいるアーシェが不敵に笑う。
「これだけの人を集めるなんて……観衆の前で自国の竜騎士が負ける姿を晒すなど、私には到底考えられないのですわ」
「さて、それはどうかしら。その考えられない事態になってしまうかもしれないわよ? アーシェ」
自信満々に返すミレーナ。
一瞬目を丸くするアーシェだが、すぐに楽しげな笑みを浮かべた。
バチバチと二人の間に火花が飛び交う。
熱くなる二人に、すぐ後ろにいたセバスが水を差す。
「紅茶でよろしいですか? アーシェ様」
「ありがとうなのだわ」
それに習うように、ミレーナの後ろにいたメイドAがコーヒーを差し出した。
「どうぞ、ミレーナ様」
「ありがとう」
受け取るとミレーナは、それを一息に飲み干す。
「……必ず勝つわ。ね、レノ」
「ぴゅい?」
その手に抱きかかえた子竜が、きょとんと首を傾げていた。
「……面白いのですわ」
アーシェはぺろりと上唇を舐めた。
「おおおおおおおおおおおっ!!」
鳴り響く歓声に、ドルトらは会場へ注目する。
竜を引きながらセーラが。その反対側からローレライの女竜騎士が同様に竜を引き、姿を現した。
二人の竜騎士は互いに視線を交わす。
(――――強い)
女竜騎士を見たドルトは思った。
鍛え上げたその身体。
身体こそ男性より小さいが、その密度は鎧の上からでも分かるほど、圧倒的であった。
セーラも同じこと思ったようで、ごくりと喉を鳴らした。
二人はミレーナとアーシェの前へと進み出て、跪く。
「頑張るのだわ。リリアン」
「は、命に変えましても」
ミレーナも同様に言った。
「精一杯やりなさい。セーラ」
「……尽力を持ちまして」
ミレーナはセーラを、アーシェはリリアンと呼ばれた女性に剣を授ける。
これは二人の代理決闘であるための行為だ。
剣を授かった二人は、各々それを腰に差した。
「では、ミレーナお姉さまはそちらの子竜を、私はこのリリアン率いる一部隊を、勝った方のものとすることで」
「いいでしょう。正々堂々立ち会いましょう」
じっと見つめ合うミレーナとアーシェ。
戦いの火ぶたが今、切って落とされようとしていた。