おっさん、帰る
「な、なにぃ!? あの竜師に逃げられただと!?」
翌朝、暴れ竜騒動がようやく収まったガルンモッサで、王はドルト脱獄の報告を受けていた。
先日の騒ぎで王はすっかり怯えてしまい、病室でうずくまっていた。
毛布にくるまりながら、兵の話を聞く。
「はっ! 鍵は断ち切られ、泳竜にて……それと、こちらも」
「貸せっ!」
兵が差し出した手紙を、王は奪い取った。
血走らせた目で字を追う。
「……なになに? 一身上の都合により、契約を打ち切らせて頂きます。何卒ご容赦下さいませ〝A〟だとぉ!? あの女っ! 舐めた真似をしおってぇぇぇ!」
裏返った声を出しながら、王は手紙を何十にも破り、捨てる。
怒り心頭という様子の王に、その場にいる全員が口を閉ざしていた。
ただ一人、団長を除いて。
何かあってはということで、王は団長を傍に置いてたのだ。
「……まんまとしてやられましたな」
しかしここまでやられてなお、団長の顔は晴れやかだった。
王にはそれが不快だった。
「よくおめおめと顔が出せたものだな。言っておくが貴様にも、あの男を逃した容疑がかかっておるのだぞ」
「そのような事、あるはずがございません」
余裕の表情を見せる団長に、王は悪態をつく。
「……ふん、何か言いたいことがあるなら申してみよ」
「ドルトから色々と情報を仕入れておきました。これで竜に関する憂いごとは減るでしょう。あの男にもはや用はありません。十分に収穫はありました」
「はっ! 信用できるか! 嘘を吐いているかもしれんぞ」
「奴は竜に関しては、誰よりも真摯たる男です。その通りにすれば必ず、結果は出ます」
団長の真剣な目に、王はたじろいだ。
舌打ちをして目を逸らす。
「……いいだろう。ならば結果を出してみよ。出来ねばどうなるか、わかっておろうな」
「御意」
団長はそう言って、玉座を後にする。
これで結果を出せば、王もドルトに執着する事もあるまい。
城の外には青い空が広がり、鳥が空を飛んでいた。
「無事、帰れただろうか」
団長は遠くアルトレオを望む。
かつての盟友に想いを馳せ、無事を祈るのだった。
「ありがとな、エイミー」
「クルルゥ!」
ドルトを乗せた泳竜は無事ガルンモッサを離れ、近くの浜辺へと到着した。
空は白み始めており、遠くにはアルトレオ城が見えていた。
「それじゃあ達者でな」
「クルーーーゥゥゥゥゥーーー!」
海賊の女との約束通り、泳竜を放してやるとゆっくり遠くへ泳いでいった。
しばらく見送っていたドルトに、メイドAが声をかける。
「それでは城へ戻りましょうか?」
「うむ……って大丈夫なのか? 俺がアルトレオを離れて数日経つけど、大騒ぎになってるんじゃ」
「ご安心を。書き置きを残して行きましたので」
「お、おう……」
途中でガルンモッサから抜けてアルトレオにくるような時間はなかったはず。
という事は最初からこうするつもりだったのだろうか。
何処まで先回りしているのやらと、ドルトはメイドAな風変わりぶりに苦笑するのだった。
「あー! っと帰って来たわね!」
開口一番、声をかけて来たのはセーラである。
ローラとの訓練をほっぽり出して、ドルトの元へ駆けてきた。
「ったくもう。二人してどこほっつき歩いてたのよ、全く!」
ドルトを責めるセーラの前に、メイドAが割って入る。
ここは任せてください、とでも言わんばかりに。
「申し訳ありません。セーラ様。少々ドルト様をお借りしました」
「あぁいや、その。えーさんを責めてる訳じゃないのよ。竜が調子を崩しちゃったんだっけ? ならしょうがないわ」
「えぇお忙しい中、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるメイドAに、セーラは逆に縮こまった。
二人の話を聞くと、どうやらメイドAの故郷にいる竜の調子が悪くなったのでドルトを借りた『ということになっている』ようだった。
いつの間にそんな設定が出来ていたのか。
セーラもローラも、全く不思議には思っていないようで、根回しは完璧だとドルトは思えた。
「……まぁいいわ。それよりおっさん、私と勝負しなさいよ! 訓練の成果、見せてあげる!」
「む」
自信満々にドルトを指差すセーラ。
槍捌きは以前とは比べものにならぬ程で、竜と落ち着き、しっかりとした足取りである。
あれから数日、随分訓練を重ねたようだ。
ローラもドルトを見て、頷く。
「……いいぜ。どれくらい腕を上げたか。見せてもらおうじゃないか」
「うんうん、早くやりましょう!」
セーラに急かされながら、ドルトはローラと交代する。
木槍を渡す時、ローラはぽつりと呟いた。
「セーラ、すごく強くなってる。本気でやった方がいいよ」
「……おうさ」
ドルトは今まで、言い方は悪いが手を抜いて戦っていた。
だがローラの言葉通り、今のセーラを相手にするならば手を抜いている余裕はなさそうだ。
ドルトは両手で顔を叩くと、木槍をしっかと握り締める。
「さて、やろうかい」
「うんっ!」
掲げた木槍をかつんと鳴らし、二人は槍を引き構える。
さてどう動くか、とドルトが思考を巡らせた瞬間に、セーラは竜を走らせていた。
「せやぁっ!」
「うおっと!?」
鋭い突きを仰け反って躱し、反動でバランスが崩れた。
しかしドルトは無理な体勢になりながらも、手綱を引き絞り転倒を堪えさせる。
竜と人が一体となった見事な突き。
ガルンモッサ竜騎士団で何度も見たものと、遜色ないものだった。
たたらを踏みながらも体勢を立て直そうとするドルトに、セーラの槍が降り注ぐ。
何とか振り払うドルトだが、全てを防げるほど甘い攻撃ではなかった。
堪らず大きく距離を取るドルト。
だがそれは失敗だったと、直後に悟った。
「はあっ!」
セーラが手綱を竜に叩きつけ、行けと命じる。
それを受けた竜は、ドルト目掛け真っ直ぐに突進して来た。
一瞬がスローモーションにも思えるような感覚の後、ドルトは胸当てな上に強い衝撃を感じた。
そして吹き飛ばされる。
「あ、やば」
セーラの呟きが耳に残った。
宙に投げ出されたドルトはそのまま硬い地面に叩きつけられる……はずだったが、背中に受けたのは柔らかな感触だった。
ドルトを受け止めたのは、メイドAだった。
「危ないところでしたね」
「……さんきゅーえーさん」
「ところで、私いいレストランを知っているのですが……」
「え、有償なのか!?」
「薄汚いメイドですので。それに私の豊満な感触を楽しんだのですから、この程度ならお安いかと」
そう言って豊満とは程遠い、控えめな胸を張るメイドA。
「お、おう……」
そう言われてはドルトには返す言葉もなかった。
二人が小声で交渉を繰り広げている間に、セーラが駆け寄ってきた。
「おっさん、大丈夫!? ナイスキャッチ、えーさん」
「偶然です」
「その割にすごい速さで回り込んで見えたけど……」
「偶然です」
あくまでそう言い張るメイドAであった。
ともあれ、ドルトの無事を確認したセーラは安堵した。
「ま、まぁ別に心配って程じゃなかったけど!? 勘違いはしないでよね!」
照れ臭そうに腕を組み、セーラはそう言い繕った。
いつもの様子にドルトは呆れ顔で笑う。
「はいはい。それよりすごいじゃないか。強くなったな。セーラ」
ドルトの言葉を聞いてセーラは、ぱっと表情を明るくした。
「でしょう!? すごく頑張ったんだから!」
「おう、その手を見ればわかったよ」
そう言ってドルトはセーラの手を取る。
セーラの手はボロボロで、何度も血豆が出来ては潰れた痕が残っていた。
凡そ女性らしくない自分の手を見られ、セーラは恥ずかしさに思わず顔を背ける。
「あ……ぅ……」
「頑張ったな」
ドルトに手を重ねられ、セーラは言葉を失う。
そして、真っ赤になりながら頷くのだった。