老竜、暴れる
「……ルト様、ドルト様」
夢うつつ、ぼんやりとした意識の中で、ドルトは自分を呼ぶ声に気づいた。
石床で眠ったからか、身体が痛い。
起き上がると牢の前にいたのは、メイドAだった。
「……えーさん」
「おはようございます。ドルト様。ご機嫌いかがでしょうか」
あまりにもいつも通りのメイドAに、ドルトは少しむっとなる。
「控えめに言ってあまりよろしくないな。俺を攫ったのはえーさんだろ?」
「ご明察です。流石はドルト様」
澄ました顔のメイドAは、相変わらず何を考えているかわからない。
「あんた、ガルンモッサの手の者だったのか?」
「えぇ、まぁ。ドルト様はAの一族というのを御存じでしょうか?」
「風の噂に……金次第でなんでもやる凄腕の集団だとか」
メイドAは頷く。
Aの一族とは、古くから存在する暗殺者たちの家柄だ。
暗殺だけでなく、国の間者から浮気調査まで、幅広く仕事を請け負っている。
その任務達成率は常に100%。
歴史の裏に〝A〟の一族ありと、半ば伝説として語られてきた一族である。
「……そりゃ、すごい奴に目を付けられたもんだ」
「すごくなんてありませんよ。金さえ出せばどんな仕事でも引き受ける、薄汚い者たちです」
そう悲しそうな顔で呟くメイドA。
「いやそこまで卑下せんでも……」
「いえいえ本当に。100パーセント任務は達成しますが、終わってしまえば赤の他人。以前の依頼主だろうが知ったことはない。そんな本当に薄汚い人間のですよ」
メイドAは、そう言いつつチラチラとドルトを見てくる。
その行為をドルトは不思議に思った。
「……えーと、えーさん?」
「あー本当に薄汚いなー。金次第で誰にでも雇われるなんて、さいてーですよねー。ところで今なら特別大特価、加えて半額セール開催中なんですけれどもー」
棒読みでそうひとりごちるメイドA。
チラチラとドルトの方を見ては、何度もウインクをしてくる。
「……あ!」
ようやくその企みに気づいたドルトは、牢に身を乗り出した。
「えーさん。あんたを雇いたい。俺をここから出してくれ」
「お安い御用でございます」
メイドAは、その言葉を待っていましたとばかりに、手元をきらりと光らせる。
と、牢の錠前がパキンと音を立て、割れた。
「全く、ドルト様は本当にニブいですね。お代は……そうですね、この間アルトレオの城下町で見かけたケーキ屋さんで奢っていただきます」
「そんなのでいいのか?」
「えぇ、好感度補正です」
そう言ったメイドAの表情は、どこか微笑んでいるように見えた。
ドルトはそんなメイドAに思わず苦笑する。
「……あんた、難儀な性格してるよな」
「風変わりですので。さ、ドルト様」
しれっと言い放つメイドAに手を引かれ、牢を出るドルト。
有り難いと一瞬思ったドルトだが、これは報酬の二重取りなわけで、有体に言って最悪なのでは? と考え直した。
「薄汚いでしょう? 私」
「……だな。途中でもう一回裏切るとかはやめてくれよ」
「気に入ってる相手は裏切りませんので、ご安心を」
薄く笑うメイドAの言葉を、ドルトは信用するしかなかった。
「いよぉ、脱獄かい?」
隣の牢にいた女が声をかけてきた。
初めて見た女は、手錠を幾重にもかけられていた。
ボロボロの囚人服からは豊満な胸が覗き見える。
顔には深い傷が走り、恐ろしく鋭い目は女性らしさを感じさせない。
痛々しい姿だが悲壮感は感じさせられず、快活に、不敵な笑みを浮かべていた。
「アンタも仲間がいたんだねぇ。よかったじゃあないか」
「この女性は?」
メイドAが尋ねる。
「海賊だってよ。牢に入れられて、少しだけ話した」
「ふむ……彼女を牢から出すことも可能ですが?」
メイドAの言葉を海賊は笑い飛ばす。
「よしとくれ。囮にしようったってそうはいかないよ」
「……バレてしまいましたか。意外と聡明な方ですね」
「アンタはずいぶん風変りだねぇ。メイドさん?」
「よく言われます」
しれっと言い放つメイドAの言葉をくっくっと笑う海賊女。
敢えて大きな声は出さずに、である。
看守に知らせようとしないのは、二人にとってはありがたかった。
「おっと、逃げるんならアタシの泳竜で逃げとくれ。この暗闇だ。一度海に出れば捕まりゃしないよ。名前はエイミーってんだ。呼べば返事するはずさ」
「わかった。俺はアルトレオの竜師だ。連れ帰ったら竜の面倒を見ておくよ」
「いらねぇよ。エイミーは野生でも生きていける強いコだ。むしろアルトレオまで取りに行くのが面倒だ。その辺に放しておけばいい。呼べば来るよう、躾けてあるからね」
「……そうか。わかった、ありがとうな。機会があれば、また会おう」
「おうともさ」
どちらともなく差し出した手を、互いに握る。
海賊に別れを告げたドルトはメイドAに続き、外へ出た。
外では出口では番人が二人、大きないびきをかいていた。
「こちらです」
まるで吹き抜ける風のように、するするとメイドAは城内を行く。
深夜とはいえ、人が全くいない。
ガルンモッサには夜勤の兵士が見回りをしているが、メイドAはその周期を完全に把握し、人のいないルートを通っていた。
脱出を想定していなければ、とても出来ない行動だった。
廊下を通り過ぎる時、ドルトはふと竜舎に目を奪われる。
――――そういえば、ツァルゲルの身体を洗ってやれなかったな。
唯一の心残りだったが、当然そんなことをしている暇はない。
「何をしているのですか? 行きますよ」
「……おう」
暗闇の中、ドルトは老竜と目が合った気がした。
そしてさらに進む。
泳竜がいるのは川沿いに面した竜舎である。
そこまでたどり着ければ真っ直ぐに海まで下れるはず……なのだが。
「少々困ったことになりましたね」
メイドAがポツリと漏らす。
竜舎のすぐ横には、兵士の詰め所があった。
あそこで泳竜を出そうとすれば、騒ぎを聞きつけて出てくるのは火を見るよりも明らかだった。
「……仕方がありません。私が兵を引きつけているうちに、ドルト様だけでも脱出を」
「有り難い提案だが、全員を引き付けられるのか?」
「正直言って難しいやもしれません。やれと言われればやりますが、ドルト様の給料三か月分は頂きたいかと」
「たっけぇなオイ」
「つまりそれほどの難易度です」
「……むぅ」
ドルトとメイドAはしばし、考え込む。
何かいい考えはないか……と、その時である。
『グゥゥオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
遠くの方で、咆哮が上がる。
ドルトには聞き覚えのあるもの――――老竜ツァルゲルのものである。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
咆哮は、まるで夜空を貫くように。
次いでどたばたと、暴れるような音が聞こえて来る。
それを聞いた兵士たちが慌てて飛び出してきた。
「なんだなんだ!?」
「竜舎の方だぞ!」
「全員起きろ! 竜が暴れている!」
老竜は扉を破壊し、他の竜の扉も同様に壊して回っていた。
そして老竜の咆哮に釣られた竜たちは、竜舎を飛び出し好き勝手暴れまわっていた。
兵士たちはそれを必死に止めようとしていた。
「何じゃ、一体……?」
騒ぎの大きさに王が目を覚ます。
何やらがたん、ごとんと城が揺れていた。
不思議に思い身体を起こす王、そのすぐ後ろで壁に衝撃が走る。
どん! どん! と。
「ひいっ! な、なんじゃ!?」
驚いた王は、すぐさまベッドから跳び起きて部屋の隅に縮こまった。
がたがたと身体を震わせながら、手にした毛布にくるまる。
がしゃあああん!とひときわ大きな音が鳴り、窓ガラスが破壊された。
ばらばらと落ちるガラスの破片が月光に反射し煌めいている。
王の目の前にいたのは、一匹の竜だった。
大きな目玉が、鋭い牙が、生臭い鼻息が、王の顔にかかる。
「ギルルルル……」
「ぎゃああああああっ! 誰か! 誰か来い! 誰かっ! 早くーーーーっ!」
王はあまりの恐怖に、悲鳴を上げるのだった。
他にも城の各所で竜が暴れまわっていた。
あちらこちらからどかどかと、何かを破壊する音がドルトたちのいるところまで響く。
「ツァルゲル……それにみんなも……!」
恐らくドルトがうまく逃げられるよう、竜を暴れさせ注意を引き付けてくれているのだろう。
老竜の気遣いに、ドルトの目頭は熱くなっていた。
「今のうちです、ドルト様!」
「……あぁ!」
いつか必ず、礼をする。
そう老竜に誓い、ドルトは竜舎へと走る。
川のすぐそばに藁が敷かれ、その上で泳竜が寝そべっていた。
――――泳竜。
その両足はひれ状になっており、蛇のように長い首は海中の獲物を捕らえるのに適している。
背中の甲羅は非常に硬く、敵からの攻撃を防ぐことも可能である。
文字通り泳力に優れ、速度は小型船と同様かそれ以上。
潜水も得意で最大で三日ほど潜ることが出来る。
「クゥー……?」
「クルルル」
見れば、老竜の咆哮で起きているものが多数いた。
その中に一匹、見慣れぬ泳竜を見つけたドルトはまっすぐ走っていく。
「お前がエイミーか!」
「クルゥ」
エイミーと呼ばれた泳竜は、ドルトに名を呼ばれ返事をした。
どうやら女の言っていた泳竜で間違いなさそうだ。
「行くぞ、えーさん」
乗り込もうとしたその時、二人は背後からの気配に気づいた。
「やはり、ここだったか」
こつ、こつと石を踏む音が聞こえて来る。
鎧姿のシルエットが近づき、その顔が明らかになる。
――――団長だった。
「何となく、ここにいる気がしたのでね」
近づきながら、剣を抜く団長。
後ずさるドルトの前に、メイドAが立ちふさがる。
「なるほど、Aが裏切ったのだな」
「私は風変わりなだけでなく、気まぐれなので」
「……ふ、羨ましいな。自分に正直に生きられて」
団長は自嘲するように笑う。
そこへどたどたと、何かが走ってくる音が聞こえてきた。
「団長! 大変です! 竜師の男が逃げました! こちらへ来ませんでしたか!?」
竜舎の入り口の方から、兵士の声が響いた。
万事休す。覚悟を決める二人だが、団長の言葉はそれを覆すものだった。
「……いや、ここは何もいないな。お前たちは他を探せ!」
「はっ!」
兵士の走り去る音が、遠ざかっていく。
ドルトは信じられないといった顔で団長を見る。
「団長……」
「お前を逃がす、そう言ったろう?」
団長はメイドAの横を通り過ぎる。
そして泳竜を縛っていた太いロープへと、剣を振るった。
ざばん、と音を立て泳竜が解き放たれる。
「クゥゥー!」
「行け、ドルト」
「……ありがとうございます」
ドルトたちは泳竜の背に乗り、川へと入っていく。
無事、離れていくドルトに背を向け、団長は煙草に火を付けた。
大きく息を吸うと、煙草が燃え、白い燃えがらが風に飛ぶ。
半分まで吸った辺りで団長は吸殻を地面に落とし、踏み消した。
その頃には泳竜の姿は遥か遠くへ消えていた。