おっさんと王女様、親になる
小さな翼にくりくりとした大きな瞳。
頭に乗せた卵の殻。
まだ全く汚れていない白銀の鱗が、美しく輝く。
大きさは人間の赤子くらいだろうか、普通に抱きかかえられそうなサイズである。
生まれたばかりの子竜はドルトをじっと見ていた。
しばし、時間が止まったかのような静寂が流れる。
「い、いかん! ミレーナ様、私の前へ!」
「は、はいっ!」
このままでは自分に刷り込みが行われてしまう。
そう思ったドルトは慌ててミレーナを抱き寄せ、子竜の前に座らせる。
子竜は目の前のミレーナと、その隣のドルトを交互に見やる。
緊張の瞬間、子竜は首を傾げる。
「ぴぃー?」
そして、とても愛らしく鳴いた
なんと可愛いらしい仕草であろうか! ドルトもミレーナも、思わず心臓が高鳴る。
二人の目は潤み、口はだらしなく開いていた。
「どうしましょうドルト殿、この子、すっっっごく可愛いです……!」
「えぇ、実は私も生まれたばかりの飛竜の子を見るのは初めてでして。ちょっと感動しています」
基本的にガルンモッサでは竜は産まれない。
陸竜は数が多いのでたまに生まれる事もあるが、飛竜は交配させるほど有していないのだ。
もう少し育ったのは見た事があるが、ドルトは生まれたての飛竜を見るのは初めてだった。
「……可愛い、ですね」
ほう、とため息を漏らすドルトの横顔を、ミレーナはなんだか可愛いと思った。
初めて見せる、ドルトの表情だった。
「あ! しまった早く出て行かないと……」
立ち上がり出て行こうとするドルトの足を、子竜が掴む。
「ぴぃ」
「う……」
ドルトのはその小さな手を振り払うことは出来なかった。
そもそも既に、刷り込みは終わっているようだった。
子竜の向ける視線は、子が親に向けるそれであった。
ドルトは観念したように座り込む。
「あはは……やっちゃいましたね。ドルト殿」
「えぇ、本当に申し訳ない……ったく、お前のせいだぞ!」
飛竜を軽く殴ると、知らぬと言った顔で目を閉じた。
完全なる確信犯であった。
「ぴぅ」
「きゃっ! も、もうやめなさいってば……」
子竜はミレーナの顔を舐める。
親愛の証、ミレーナの事も親だと思っているようだ。
ギリギリ、ミレーナへの刷り込みは間に合ったかと、ドルトは胸を撫で下ろす。
飛竜のせいとはいえ、ミレーナに懐かなければ儀式は失敗。
ドルトも何を言われるかわかったものではない。
「びぃーっ!」
子竜は一際大きく鳴くと、ドルトとミレーナの腕を掴まえる。
その様子はまさに親子のようだった。
「……で、結局儀式は失敗しちゃったわけ?」
「面目無い」
竜舎から戻ったドルトは、ケイトたちにこれまでの話をした。
セーラもローラも、呆れ顔でドルトを見ていた。
「あーあ。おっさんたら、神聖な儀式をぶち壊しにしちゃったわねぇ。ローラ?」
「これは市中引き回しの上、磔獄門ね。セーラ」
セーラとローラの言葉にドルトはゾッとする。
実際飛竜は貴重だし、王族専用のものとなればそんな対応もありうる。
青ざめるドルトの背中を、ケイトがバシバシと叩いた。
「あはははは、まぁドンマイドンマイ。そんな日もあるよ」
「いや、笑えねーよ……」
実際、ドルトは落ち込んでいた。
不用意に顔を出しさえしなければ、飛竜に咥えられても無理やり振り切っていれば、子竜の可愛さに目を奪われていなければ、こうはならなかったはずである。
ドルトは今日何度目かの、深いため息を吐いた。
「……ぷっ」
セーラが吹き出す。
釣られて他の皆もだ。
あたりは笑いの渦に包まれた。
それをドルトが睨む。
「おい、俺が死ぬのがそんなに楽しいのか」
「あははは、いやいやゴメンゴメン! ったくからかい過ぎよ! セーラ、ローラ!」
「はーい」
「反省してまーす」
何事かと訝しむドルトに、三人は頭を下げる。
ケイトがその理由を説明する。
「実は、今回の迎竜の儀式は久しぶりに行われたのよ。昔からある儀式だけど、今はもう形骸化してるわ。私だって孵化の瞬間に立ち会った事ないし、セーラたちだって殆どはそう。まぁたまに偶然立ち合うこともあるけどね。そんな事しなくてもアルトレオの竜は頭いいからすぐに飼い主を覚えるのよね。だけど、今回はミレーナ様がどうしてもって言うから行われたのよ」
「そ、そうなのか?」
「うん、だから特にお咎めはないと思うよー」
「あっても謹慎一ヶ月、給与七割引きとかかな」
「セーラ、調子乗りすぎ」
「はーい」
悪戯っぽく笑うセーラの頭を、ローラがぺしんと叩く。
「大体さ、おっさんは心配性なのよ。ミレーナ様がそんな事をさせると思う?」
「それは……させないと思うが、国の方針に逆らえないって事もあるだろうよ」
「いーや、ないわね。そもそもアルトレオは小さな国だし、ドルトくんみたいな優秀な人材を罰してる暇も、殺してる暇もないわ」
「なるほど、ね」
ドルトはそれを聞いて苦笑する。
かつていたガルンモッサは、人も金も竜も、有り余っていた。
上司の言う事には逆らえず、言う事を聞かぬ者、行動に移せぬ者は容赦無く捨てられた。
生き残るだけで消耗していく日々。
安い給与で休みなく働かされ、何人もの同僚が辞めたり、あるいは解雇されたりするのをドルトは見てきた。
だがここ、アルトレオでは人々はのびのび働いている。
王女様からして自由な国だ。
それがドルトには心地よく感じていた。
「そ、れ、にー。ミレーナ様、言ってたじゃない? 『あなたの事は一生涯を賭けて守ります』ってさ」
その言葉にケイトとローラがざわつく。
「おっと、プロポーズかな?」
「ミレーナ様、本当に王女だという自覚がないですね……はぁ」
「ねぇねぇドルトくん? その話、詳しく聞かせて貰いたいなー」
「本人に聞いて見てはどうですか? ケイトさん」
ローラの視線の先、ミレーナが子竜を抱いて来るのが見えた。
大きく手を振るミレーナの手から抜け出し、子竜がドルトの元へと飛んでくる。
「ぴぃーっ!」
「おわっ!?」
慌てて捕まえたドルトの顔を、子竜はべろんと舐めた。
「す、すみません。この子、ドルト殿に会いたがっていて……」
「いえ、構いませんよ。私も丁度会いたかったところです。……こら、くすぐったいぞ」
「ぴぃーぅいーっ!」
元気よく鳴く子竜に、ケイトも、セーラも、ローラも釘付けだ。
「「「可愛いーーっ!!」」」
三者同様の反応だった。
キラキラした目を子竜ヘと向ける。
「めちゃくちゃ可愛いじゃない! いいなぁー! こんないい子に懐かれてーっ!」
「うんうん、やっぱり何度見ても子供の竜は可愛いなぁ」
「……うん、いい」
「ところでさ、名前は決まったのかな?」
ケイトの言葉にドルトとミレーナは顔を見合わせる。
そういえばまだ、名をつけていなかった。
「ミレーナ様が決めて下さい」
「いえいえ、ドルト殿のお陰ですから! 是非ドルト殿が!」
「ダメですよミレーナ様、ドルトくんはアホだから18号とかつけますよ。それでもいいので?」
「そ、それはちょっと……」
番号呼びは流石にありえないと思ったのか、ミレーナは自分で考え始める。
そしてしばらく、思いついた名を口にする。
「では、レノというのはどうでしょうか?」
レノ、その響きに全員がほうと唸る。
「よい名前です。流石はミレーナ様」
「そうですね。格好良いですね」
「レノちゃん? レノくん? どっちでもいいねー!」
ドルトも頷いた。
「レノ……素晴らしい名です。そして何処か懐かしいような。とても私では思いつきません」
「ちなみにおっさん、なんて名前付けようとしてた?」
「……ゼロ」
「あはは、やっぱり番号じゃーん!」
「うるさいな……これでも少しは考えたんだよ」
セーラにからかわれ、言い返すドルト。
レノというのはミレーナが幼少時代、ドルトに名乗った名前だ。
不意に名を聞かれ、思わず名乗った名前 ではあるが、男とも女とも取れる、今思えば都合のいい名前だった。
ドルトは覚えていないようだが、懐かしむのも当然だった。
ミレーナは子竜――――レノを静かに、優しく抱きしめる。
「これから、よろしくね。……レノ!」
「ぴっ! ぴぃーーーーっ!」
嬉しそうに鳴くレノ。
どうやら名前も気に入ったようである。
アルトレオに生まれた新たな飛竜。
大きく翼を広げるその姿は、この国が羽ばたく様を表して見えた。
小さくも、力強い翼は蒼穹によく映えていた。
ここまでで第一部完となります。
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