王女様、籠る
それから数日、飛竜の調子はどんどん良くなっていった。
まだ寝ている時間の方が多いが、時折首だけを動かしたり、大きく翼を伸ばしたりしていた。
「おーいお前ら、飯もってきたぞー」
ドルトが荷車に乗せた乾草を見て、飛竜たちはギャイギャイと騒ぎ立てる。
乾草が餌箱に放り込まれるたびに一際大きく鳴いた。
それを順々に続けていき、エメリアの前に辿り着く。
「お前のは特別だ」
エメリアの餌箱に入れられたのは、栄養剤を塗布した牧草である。
しかも細かく刻み、消化しやすくしているものだ。
エメリアは与えられた食事をもそもそと食べ始める。
食欲も十分、顔色もいい。
どうやら大分回復してきているようだ。
「よーしよし、しっかり食べろよー」
飛竜たちの食事の様子を、ドルトは眺めていた。
食事の様子からは竜たちの体調や気分、その他諸々、様々な情報を得ることが出来る。
(6号はいまいち食欲がないな、胃腸が悪そうだ。乾草やめて果物でも与えるか。12号は風邪気味かな。隔離した方がいいかも)
飛竜たちにはケイトが名を付けているが、ドルトは覚えきれないので結局番号で呼んでいた。
ケイトの前でそう呼んだら怒られるので、あくまで心の中で、である。
「ドルト殿、おはようございます」
声をかけて来たのはミレーナだ。
飛竜の様子が気になるのか、最近は毎日のように訪れている。
「おはようございます、ミレーナ様」
「エメリアの調子はどうですか?」
「もうすっかり良くなりましたよ。ミレーナ様が毎日見舞いに来てくれているおかげかもしれません」
「いえ、ドルト殿の適切な処置があったらばこそですよ。本当にありがとうございます。ドルト殿にはなんと御礼申し上げればよいか」
「いえいえ! 私の方こそ、とても良くして下さってますので。このくらいは当然ですよ」
「そう言って頂けると幸いです。……ではまた。じゃあね、エメリア」
「ギャウ」
手を振るミレーナに、尻尾を振って応えるエメリア。
その時、コンコンと何かを叩くような音が聞こえて来た。
音の方を見ると、エメリアの腹の下、卵には細いヒビが入っていた。
「おお、どうやらもうすぐ産まれそうですね!」
竜の卵は非常に分厚い。
十分に成長した中の稚竜は、分厚い殻を何度も、何度も叩き、数日かけてようやく出てくるのだ。
ノック音が聞こえて来たら、もうすぐ産まれる合図である。
しかし喜ばしい出来事のはずが、ミレーナは慌てた様子を見せた。
「ど、ドルト殿。この音はいつ頃から……?」
「三日ほど前からですかね。いつ産まれてもおかしくないですよ」
「こ、こうしてはおれません!」
慌てて走り去るミレーナをドルトは不思議そうに見送るのだった。
そしてミレーナはすぐに帰って来た。
何人かの神官姿の男たちを連れてである。
ミレーナ自身も、式典に使うような正装に着替えていた。
何の事かさっぱり分からぬドルトは、彼らに尋ねる。
「えーと……一体何が始まるのですか?」
「お主が竜師か。これより迎竜の儀式を執り行う。すまぬが出て行ってもらえるか」
「げい、りゅう……?」
聞きなれぬ単語に首を傾げるドルトに、神官たちは続ける。
「そう言えばドルト殿はこの国に来てまだ浅いのだったか。では説明しよう。迎竜の儀式とは竜の卵が孵る間際からずっと付き切りで世話をし、卵が孵る時を共に迎える儀式だ。これにより、新たに産まれた竜は主に懐き、よき相棒として育つ」
「なるほど、刷り込みですね」
鳥類など、卵性の生物は卵から孵った時初めて見たものを親と認識する性質がある。
それが刷り込み。
即ち迎竜の儀式とは、それをスムーズに行うためのものなのだと、ドルトは理解した。
「然り。特に今回はミレーナ王女の飛竜だ。産まれる時、他の人間に刷り込みが行われると困るからのう」
「そういう事でしたら……」
「ち、ちょっと待って下さい!」
立ち去ろうとするドルトを、ミレーナが止める。
「ミレーナ王女、如何なされましたかな?」
「エメリアはまだ万全ではありません。何か起こる可能性もあります。ドルト殿に離れられると万が一のことが起きた時、困ります!」
「ふむ……そうでしたか。しかし卵がひび割れてから、数日かかる時もあります。ミレーナ王女とドルト殿が二人一緒で夜を明かす……というのは流石に問題がございましょう」
「ぁ……」
それはそうだとミレーナは思った。
ドルト殿とて一人の男性。寝食共にしているうちに、そういう感情が芽生えないとは誰が言い切れるだろうか。
寒い夜、互いに身体を近づけて休んでいる時にふと手がふれ合う。
仄暗い竜舎の中、互いに見つめ合う二人、近づいていく唇。そして――――
「……レーナ様? ミレーナ様?」
「はっっっっ!?」
ドルトの声でようやくミレーナは意識を取り戻した。
全員の訝しむような目に晒され、コホンと大きく咳払いをする。
「え、えぇと……確かにそうですね。問題があります。えぇ、とても」
「でしたら……」
「それならば、扉の外で待機しましょう」
神官の言葉をドルトが遮る。
「夜は外で寝袋を使います。呼べばすぐにでも駆け付けられるように」
「しかしそれではドルト殿が……」
「飛竜が心配なのは私もです。回復傾向とはいえ、まだ何が起こるかはわかりません。どうか……!」
深々と頭を下げるドルトに、神官たちは顔を見合わせる。
ミレーナの視線も痛かった。
それに万が一、ドルトが席を外していたことが原因で飛竜が死んでしまったら……神官たちは諦めたように、頷いた。
「……わかりました。エメリアはミレーナ王女の愛竜です。何かあったら、償いきれませんからな」
「特例ですぞ! 全く」
「ありがとうございます!」
破顔するミレーナを、神官たちは仕方のない人だと言って呆れ、笑うのだった。
そうして迎竜の儀式は始まった。
この間、ミレーナは王女としての執務を完全休業。
どうしてもという仕事は、持ち込まれこの場で処理されていた。
竜舎は分厚いカーテンで仕切られ、その奥ではエメリアとミレーナだけ。
世話も基本的にミレーナが行い、時折ドルトも診察に訪れる。
この間二日。順調であった。
「……ミレーナ様、食事が届けられました」
「どうぞ、お入りください」
ミレーナの返答の後、ドルトがカーテンを開けてメイドが入ってくる。
通されたメイドはミレーナに食事を渡すと、すぐに出ていった。
トレイに乗せられているのはバター付きのパンにゆで卵、サラダにスープ。
隅にはコーヒーが置かれていた。
「私にも運んでくれました。食べましょう」
カーテンの向こうでドルトの声が聞こえる。
ミレーナは、はいと答えた。
「どうですかミレーナ様、飛竜の様子は」
「問題なさそうです。卵も時折動いていますし、もうすぐ孵るかも」
「それはよかった。竜舎で過ごすのも大変でしょう? 臭いし汚いし」
「いえ、そんなに嫌いではありません。本当ですよ?」
本心からの言葉だった。
幼少時分、何度もドルトに会いに来ていたこの竜舎の空気がミレーナは嫌いではなかった。
「とはいえ、食事時にはあまり好ましくないニオイですけれど」
「はは、同感ですな。しかしそれももう少し――――」
「グゥゥゥゥ……」
ドルトの声を遮るように、低いうなり声が響く。
飛竜のものだ。
何かを訴えかけるような声に、ドルトはカーテンを開けて中に入る。
「失礼します!」
「ドルト殿、エメリアは……?」
「とにかく、見て見ましょう」
ドルトは飛竜に駆け寄る。
だが、飛竜の様子に変わりはない。
恐らくただ、声を上げただけだろうと判断し、ドルトは胸を撫で下ろした。
「……大丈夫なようです。では私はこれで」
「はい、安心しました」
「グォウ!」
だが、飛竜は不満そうにもう一度鳴いた。
そしてドルトの身体に首を巻き付け、引き寄せる。
「おいおい、どうしたんだよ全く……もう俺は行かないと……」
言いかけたドルトの視線の先、卵に大きな亀裂が入った。
ぴし、ぴしと亀裂は徐々に大きくなっていく。
「やっべ……!」
このままでは自分まで刷り込みされてしまう。
慌てて出ていこうとするドルトの襟首を、飛竜が咥えあげた。
「おわぁっ!?」
どすん、と卵のすぐ傍に落とされたドルト。
その衝撃で卵は完全に割れた。
中から出てきた子竜とドルトの目が、合う。
「ぴぃー……?」
「お、おはよう」
可愛らしい鳴き声に、ドルトはそう返すのが精一杯だった。