おっさん、手術する
威嚇する飛竜から離れたドルトたち。
ケイトはドルトの耳元で囁く。
「どうするつもり? ドルトくん」
「出血がひどいな。手伝えるか? ケイト」
「やった事はないけど……でも手伝うよ!」
「そうか……助かる」
遠くで話すドルトたちを、飛竜はじっと見ている。
飛竜はドルトたちが立ち去ってなお、警戒しているようだ。
頸部から滴り落ちる血で、床に敷いてある藁は赤く染まっていた。
傷ついた飛竜を見て、ドルトは眉を顰める。
「正直言って気は進まないが……やるしかないか」
「ドルト殿……っ!」
祈るように、縋るように、ミレーナはドルトを見つめる。
大量の出血と共に飛竜の体力は落ちる。
時間が経てば経つほど、危険度は高くなる。
これ以上時間はかけられない。そう判断したドルトは一か八か、覚悟を決める事にした。
「ケイト、清潔な布とお湯を大量に、ミレーナ様は手の空いている者を二、三人連れて来てください」
「わ、わかりました!」
「はいよー!」
二人が竜舎から駆けだすのと同様に、ドルトも部屋へと戻り大きなカバンを引っ張り出した。
これはガルンモッサで使っていた道具箱。
中には竜の皮膚をも裂く緋々色金の短刀、消毒液、鱗を縫い止める鋼針と鉄糸、マスクに滅菌シートが入っている。
竜が怪我した時の為の治療用キットだ。
「……二度と使いたくはなかったけどな」
竜師の仕事をする以上、こんなことは日常茶飯事だ。
気は進まないからと言って、使わないわけにもいかない。
ドルトは中身を確認したのち、竜舎へと急いで帰ってきた。
そこにはセーラとローラ、そして息を切らせたミレーナがいた。
「来たわよおっさん。私たちは何すればいい?」
「手を貸します。なんでも言ってください」
ミレーナが連れてきたのは竜騎士である二人。
力もあり、竜にも血にも慣れている二人は助手としては悪くない人選だ。
「ありがとうございます。ミレーナ様。それにセーラ、ローラ、本当に助かる」
「まだ人は必要ですか? それ以外にも何か、入用があれば」
「とりあえずはこれだけいれば大丈夫です。また何かあったらお願いしますので、そこで見守っていてください。飛竜が落ち着きます」
「はいっ!」
いつも乗っていた主人がいれば、竜もだいぶ落ち着くものである。
そうこうしているうちに、ケイトも両手に大量の布と湯の入ったバケツを持って帰ってきた。
「お湯と布、お待たせ! これだけしかないけどいいかな!」
「十分。……ミレーナ様、竜にこれを打ってくださいますか?」
ドルトはそう言うと、麻酔薬入りの注射器をミレーナに手渡した。
ミレーナの細い指に支えられた注射器の中で、透明な液体が小刻みに揺れた。
「落ち着いてください。ミレーナ様」
「で、ですが……手が震えて……」
「私が支えますので、どうか」
そっと、ミレーナの手にドルトの手が添えられる。
暖かな手の温もりに触れ、ミレーナの震えが少しずつ治って来た。
ドルトのもう片方の手が飛竜の首筋に添えられる。
皮膚の下で太い血管がどくどくと脈打っていた。
「首筋の血管……ここです。ここを狙ってください」
「わかり、ました……!」
恐る恐るといった様子で針の先端を飛竜の皮膚へとあてがう。
主の不安な様子に気付き、飛竜がにわかに興奮しかけた瞬間である。
ドルトがミレーナの手を掴み、注射針を打ち込んだ。
中の液体がシリンダーに押し出され、飛竜の体内に入っていく。
「ガ……ァ……」
薬を打ち込まれた飛竜は、低い呻き声を上げて、目をゆっくりと閉じていく。
しばし身体を揺すったのち、飛竜は静かな寝息を立て始めた。
ミレーナは飛竜の頭に手を載せる。
「頑張るのよ、エメリア……」
飛竜は応えない。
それでもミレーナは、飛竜を愛おしげに撫でていた。
竜舎にカーテンが敷かれ、中にお湯と沢山の清潔な布が運び込まれた。
ドルトは手袋をした手に、短刀を握る。
「ドルト殿……よろしく、よろしくお願いします……!」
「やるだけやってみます。……ケイト、ついてきてくれるか?」
「はいよ!」
「セーラとローラは湯をどんどん沸かしてくれ。あと布を小さく切って欲しい」
「了解」「わかった」
「ミレーナ様は……飛竜の無事を祈っていてください」
「はい……!」
白衣に着替えたドルトとケイトのみが、中へと入る。
二人を見送ると、セーラとローラは足早に竜舎を出て行った。
ミレーナは目を瞑り、両手を握り、跪く。
――――どうか神様、エメリアをお助けください、と。
祈る事しかできない己の不甲斐なさを呪いながら、ミレーナは祈りを捧げるのだった。
白いカーテンの向こうでは、仄かな明かりがぼんやりと浮かんでいた。
「せーの……よっと」
ドルトとケイトはまず、患部がよく見えるように飛竜を仰向けに転がせる。
体勢を変えるとまた血が溢れた。
ケイトがそれを、お湯で消毒した布でふき取る。
湯でゆすぐと、すぐに桶の中が赤く汚れた。
それでも血は流れていた。
「どんどん拭いてくれ。傷口が見えるまで」
「う、うん……結構これ、苦手かも……」
「俺だってそうさ。得意なやつなんていねぇよ」
ケイトが血を拭いていくと、ようやく傷口が見えてきた。
目測通り、傷はかなり深い。
何度拭いても血が溢れてくる。
「ドルトくん! 血が止まらないよ!」
「セーラたちが戻ってくるはずだ。どんどん布を取り替えろ。止まるまでだ!」
ケイトの持ってきた布、数枚は瞬く間に赤く汚れてしまった。
お湯もである。ドロドロの状態が続く中、ようやく遠くから駆けてくる音が聞こえてきた。
「戻ったわよ! おっさん! 布いっぱい!」
「お湯も持ってきた。えーさんたちも協力してくれるって」
「ご助力致します」
ローラが連れてきたメイドたちは、大きな鍋や水に入った樽を転がしている。
ケイトは布と湯を交換し、また血を拭き始める。
「少しだけ……治まってきたかも!」
「このまま縫ってみる。消毒液を鞄から出してくれ」
「わ、わかったよ」
消毒液を傷口に塗り、針と糸で傷口を縫い始める。
ドルトの額から落ちる汗を、ケイトが拭う。
針が、糸が竜の腹をちくちくと交差していく。
夜が更けてなお、作業は続けられていた。