おっさん、診察する
――――アルトレオ城屋上にある飛竜用の竜舎。
世話のために中へ入ったケイトは、今日はどこか静かだなと思った。
普段であれば入った途端に餌を求めてギャーギャー声をあげるのだが……不思議に思いながらも、ケイトは飛竜たちを見て回る。
「特におかしな所もない、かなー。いやぁ飛竜が逃げてたらどうしようかと思ったけどよかったよかった……ん?」
竜舎の一番奥、そこにいるのはミレーナ王女の飛竜である、エメリアだ。
ミレーナの母がかつて乗っていた竜で、その鱗は太陽を浴びると一際青く、白く、輝く。
瞳は深い知性を思わせる澄んだ蒼。
飛翔速度でも、その安定性でも他の飛竜に比べて大きく秀でており、なによりミレーナによく懐いている。
間違いなくアルトレオ国内で最高の飛竜である。
――――その様子がおかしい。
いつもは堂々として、竜師が飼育する様を落ち着いて眺めているのだが、今日は身体を丸め、ケイトを警戒するようにじっと見ている。
少しだけ、ケイトには心当たりがあった。
それを確かめるべく、ケイトがメガネを直し飛竜の腹もとを注視する――――と、白く丸いものが見えた。
まじまじと、よーく見定めたケイトは確信した。
「卵だ!」
ケイトの声が、竜舎に響き渡った。
「ドルトくんドルトくんドルトくん! あーっ! しかもミレーナ様まで! ナイス!」
「何だよ、慌ただしいな」
どたどたとあわただしく駆けてくるケイト。
陸竜がいる方の竜舎にて餌をやっていたドルトが振り返る。
そこにはミレーナも見学に来ていた。
ケイトは立ち止まると呼吸を整えるべく、何度も深呼吸を繰り返した。
「一体どうかしたのですか? ケイト」
「えーっとですね! あれあれあれ、なんだっけ! ねぇドルトくん! あの白い奴、ばさばさしてるのがさ、白くて丸いの! あれしたんだよ!」
焦りすぎて意味不明な言葉を口走るケイトを見て、ミレーナは頭を抱えた。
ケイトは慌てるとわけのわからないことを口走るのだが、この言語の崩壊具合は相当慌てている証である。
落ち着くまで様子を見ようとミレーナは思った。
「もしかして飛竜が卵を産んだのか?」
「そうそれ!」
そのケイトの言葉を即座に理解したドルトを見て、ミレーナは再度頭を抱えた。
なぜあれが理解るのだろうか。そこが理解不能である。
その洞察力を少しでいいから私に使って、とミレーナは思った。
それはそれとして、ドルトの言葉にミレーナは改めて驚いた。
「飛竜が卵を? 本当ですか、ケイト」
「えぇ、しかも卵を産んだのは、ミレーナ様の飛竜ですよ」
「な、なんと……」
そう言ってミレーナは顔を赤らめる。
竜も卵を産むためには、当然生殖行為を行う。
エメリアとつがいとなっている飛竜は、現在ミレーナの兄が乗って諸国を視察している。
となると旅立ちの一年ほど前……あの夜、エメリアの鳴き声がうるさかったのを思い出した。
(多分、あの時……)
ミレーナとてうら若き乙女である。それを想像すると口籠るのも無理はない。
そんなミレーナに、ドルトは遠慮なく尋ねる。
「ミレーナ様、何か思い当たる節はありますか?」
「えぇと……つがいがおりますので、まぁその、そういう事もあるでしょう。ただ父親の方は兄が乗っていますので、しばらくは帰ってこないはず、です」
どもりながらも答えるミレーナ。
ケイトは反対にすごく楽しそうだ。
「いやぁ、そういえばミレーナ様のお兄様が出て行って、結構立ちますよねー。そういえばあの時は、熱い夜だなぁー。ギシギシギャアギャアと一晩中鳴いていましたもん」
「竜は妊娠期間が長いからな。孕みにくいし、腹もあまり出ない。ケイトが気付かなかったのも無理はない」
「ちなみに相手の竜は結構イケメンなんだよー顔もすらっとしてるし身体も大きいし、何より声がいいね! イケボだよイケボ。いやーん、抱かれたーい」
「相手は竜だけどな……」
「だからいいんだよー、わかってないなぁドルトくんは」
「一生わからんだろうなぁ」
「…………」
二人の、あまりに下品な竜トークにミレーナは赤面していた。
うら若き乙女には少々刺激が強かったようである。
「ふ、二人とも! それより卵を見に行きましょう!」
「おお、そうだな。早く行こうぜ」
「うむうむー」
何とか話を切り上げさせ、ミレーナは二人の背を押すように卵のある竜舎へと移動する。
出来るだけ刺激しないよう、静かに静かに奥へ進んでいく。
そして、ミレーナの飛竜を、やや遠くから覗き見る。
「本当ですね! 卵産んでますよ!卵!」
「でしょー! やったねミレーナ様! 飛竜が増えるね!」
喜び手を合わせるミレーナとケイトだが、ドルトはどこか浮かぬ顔をしていた。
口元に手を当て、飛竜をじっと見ている。
「……? どうかしたのですか? ドルト殿」
「あの飛竜、弱っているな。……ミレーナ様、私と来てください。今は警戒しているが、ミレーナ様と一緒なら私が近づいても問題ないと思います」
「は、はい!」
ミレーナと共に、ドルトは飛竜にゆっくり近づいていく。
檻に近づくと、飛竜は卵を守るようにして首を持ち上げた。
全身を震わせながら、細く長い息を吐いて、何とかという有様だった。
顔色は悪く、通常の状態でないのは明らかだった。
それを見てようやく、ミレーナはドルトの言葉の意味を理解した。
「え、エメリア……! 大丈夫……なの……?」
「グァォ……」
弱々しく鳴く竜を見て、ミレーナは崩れそうになる。
それをドルトの腕が支えた。
「大丈夫ですか? ミレーナ様」
「え、えぇ……しかし……エメリアが……!」
「とにかく、見てみるしかありません。恐らく卵を産む時に何か……」
ドルトはそう言うと、竜の産卵口に顔を近づける。
途端、竜の尾が振るわれ、ドルトの顔を思い切り叩いた。
ばしん、と重く鋭い音が響く。
「ドルト殿っ!」「ドルトくんっ!?」
二人の悲鳴にも似た声。
だがドルトは微動だにしなかった。
ドルトの唇から、赤い血が一筋、流れた。
竜の尾撃はケイトも何度か食らったことがあるが、背中に受けても吹っ飛ばされるくらいの威力である。
それを喰らってなお、平気な顔をしているのだ。
いや、平気ではないだろうが、竜を刺激しないよう、耐えているのだろう。
その集中力に、ケイトは思わず息を飲む。
産卵口に手を近づけると、透明な液体の中にどす黒く赤い液体が混じっていた。
それを確認したドルトは乱れた前髪を上げ、呟く。
「……やはり、出血を起こしているな。しかも傷はかなり深い」
飛竜が尻尾を振るった事で、傷口が開いたのか血が流れ出してきた。
ドルトの手が赤黒く濡れていく。
竜の妊娠期間は非常に長く、その分産む卵も大きい。
大きな卵は排卵の際、竜に大きなダメージを与える。
特に身体の小さな飛竜はその際のダメージで、命を落とす事もありうるのだ。
見たところ卵の通り道が大きく裂傷しており、そこから血が流れてきている。
ドルトに支えられながらも、ミレーナは取り乱していた。
「そ、んな……エメリアは、エメリアは大丈夫なのですか!?」
「手は、尽くします」
ドルトにはそれしか言葉が見つからなかった。
ミレーナを支え、竜舎を後にする。
飛竜は立ち上がったまま、その様子をずっと、見ていた。