王女様、怒る
「ミレーナ様、ガルンモッサ王から書状が届いています」
セーラの言葉に、ミレーナはあからさまにげんなりした顔をした。
大きなため息を吐いて、答える。
「……まさかまた竜を売れと言う話じゃあないでしょうね」
「かもしれませんよ?」
「はぁ、こう度々ではさすがに断らなければ……ん?」
その書状を見て、ミレーナは気づいた。
いつもと書状の様式が違うと。
普段の書状には華美な装飾が施されているが、これは幾分か質素だ。
それに、持ってくる相手が違う。
いつもの小飛竜は城に直接飛んでくる為、メイドが届けてくれていたのだが、今回はセーラだ。
「セーラ、これをどこで?」
「ドルト殿と畑仕事をしている時に、小飛竜が来たのですよ」
「ふむ……?」
ドルト殿によく懐いた小飛竜だったから、そこへ行ったのだろうか?
そう考えられなくもなかったが、それも不自然に思われた。
考え込むミレーナだが、答えは出ない。
「では私はドルト殿の畑仕事を見ねばなりませんのでこれで!」
「えぇ、しっかりと」
「はーい」
元気よく走り去っていくセーラを見送ると、ミレーナは書状を開いた。
白無地の簡素な紙に、王が達筆、かつ雄大に文字を躍らせていた。
――――竜師、タルト=イェーガーよ。
勅命である! 今すぐに城へと戻り、竜師として働くのだ。
畑仕事などしている暇はないぞ。
本来は解雇した者に直接声をかける事などありえぬが、今回は特別だ。感謝するといい。
もう一つ、いい知らせがある。貴様の給金を以前の一割増しにしてやる。
我が寛大さに、光栄に思ったであろう! では身を粉にして働くが良い。
貴様の帰還を待っておる。
……と、書状にはそう書かれていた。
読み終えてミレーナは、目眩がしてフラリとよろめいた。
何とか机に手をついて身体を支える。
書状を持つミレーナの手は、ぷるぷると震えていた。
大きく息を吸い、吐いた。
「一度やめさせておいてなんですかこの上からの物言いは!? 身勝手にもほどがありましょう! 畑仕事などしている暇はない!? 何を好もうとドルト殿の勝手でしょうが! そんな言い方で感謝など! どのような者でもするはずがありません! しかも給金1割増し!? はっ! 私は3倍は出しています! 大体この文章のどこに寛大さがあるのですか!? 光栄になど思うはずがない! 身を粉にするはずがありません! 大体タルトって誰ですかッッッッ!!」
全力でツッコミを入れ終えたミレーナは、ぜぇはぁと息をする。
怒りで握りしめた書状は、くしゃくしゃになっていた。
胸に手を当て、呼吸を整える。
冷静さを取り戻したミレーナは、いけないいけないと、書状を手で伸ばした。
書状は少し、破れかけていた。
あまりに失礼な書状ではあるが、これはドルト宛のものだ。
彼に渡さねばならない。
(……でも、もし……)
ドルトが帰りたいと言ったらどうするのだろう。
自分には止める権利はない。
こんな無茶な言い方でも、長い間世話になった国である。
ドルトとて思うところはあるだろう。
もしかしたら、そんなこともあるかもしれない。
(いっそ燃やしてしまおうかしら……)
いや、流石にそんなことをすれば問題になるだろう。
仮にも王印の押された書状、それを無視したとなるとドルトの立場が危ういかもしれない。
ミレーナは迷いに迷った挙句、書状を持ち、部屋を出た。
そして、ドルトのいる畑へ足を運ぶ。
突然の来訪者にドルトもセーラも、手を止めて向き直った。
「ミレーナ様! どうかなさいましたか?」
「……」
が、当のミレーナは何とも言えぬ表情のまま、無言である。
何か言いたそうで、でも言えない……そんな感じの。
長い沈黙に耐え切れず、ドルトが問う。
「えーと、何か用ですか? ミレーナ様」
「あ……そ、そうですね! えーと、その……」
口ごもりながらも、覚悟を決めたミレーナは後ろ手に持っていた書状を差し出す。
「ど、ドルト殿、これを……!」
それは先刻、セーラが持って行ったものだった。
何故かところどころシワが出来ており、破れた跡もあった。
「これは……ミレーナ様宛てではないのですか?」
「ドルト殿にです。ガルンモッサ王直々に」
「王様が!? 俺なんかにですか!?」
「えぇ、あまり愉快な内容ではないかもしれませんが。少なくとも、私には」
「はぁ……よくわかりませんが、読んでみますね」
書状を渡され、ドルトはそれに目を通す。
その様子をミレーナは息を飲み、見守っていた。
何度か読み直した後、ドルトは額を押さえて首を振り、そして深いため息を吐いた。
「……えーと、ミレーナ様、一つ確認してよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「私はもうこの国の竜師となったのですよね」
「もちろんです!」
「でしたら他国の王の要請に従う必要もない」
「当然です! 当然ですとも!」
ドルトの言葉に、ミレーナはこくこくと頷く。
それを見てドルトは破顔した。
「よかった。それではこの誘い、断っても問題ないですね?」
「えぇ! はい!」
ドルトとて、二度と帰らぬと覚悟してガルンモッサを出た身である。
というかそもそも、別にいたくもなかった。
城にはいい人もいたが、嫌な人の方が多かった。
最初から頼まれても戻るつもりはなかったが、こんな文書を見せられてはドルトでなくともげんなりするものである。
ドルトのガルンモッサへの未練は完全になくなっていた。
「まぁでも、返事くらいは書いておきましょうか? 無視は流石に、ね?」
「そうですね。何度も書状を出されても迷惑ですし。あの子にも」
「くぁぁぁぁぁ……」
畑の傍の木で、108号が大きなあくびをした。
その後ドルトは返事を書いた後、108号の首に取り付けガルンモッサへと返した。
返事には「謹んでお断りします」と、一文だけ書き記していた。
飛び立つ108号を見送りながら、ドルトは呟く。
「面倒ごとが起こらなければいいですが」
「大丈夫です! ドルト殿は私が守りますから! 一生涯を賭けて、ですよ。えぇ!」
隣にいたミレーナが、誇らしく胸を叩いた。
あまりにも勇ましい言葉に、ドルトは思わず苦笑する。
「ありがとうございます。なんとも勇ましいお言葉、痛み入ります」
「べ、別に国民を守るのは王女としての責務ですので!? 何もおかしなことはありません! ……少々、はしたなかったですか?」
「いえ、頼もしい限りです」
ミレーナが赤くなるのを見て、ドルトはまた苦笑するのだった。
空を見上げると、抜けるような蒼穹が広がっていた。
青い山と白い雲に彩られた美しい景色に目を奪われていると、いつの間にか108号の姿は見えなくなっていた。