王女様、ムキムキになる
「おお、随分痩せましたねミレーナ様」
メイドAが驚いたように言った。
ミレーナの体型は以前の、いや以前よりもすらりとした身体に戻っていた。
その横でリリアンが得意げに腕を組んでいる。
「見た目だけではないぞ。日々の筋トレや走り込みにより、ミレーナ様の身体には以前とは比べ物にならないほどみっちりと筋肉が詰まっているのだ」
「確かに……身体は軽いし、力が満ちてくるようです……!」
確認するようにミレーナは両手を軽く握る。
ゆったりと、だが力強い動作だった。
「ミレーナ様。その力、試してみたくはありませんか?」
「試す……?」
「えぇ、少々お待ち下さい」
そう言ってメイドAは二人を残し、その場を立ち去る。
そしてすぐ戻って来た。
連れて来こられたのは、何もわかってない様子のケイトだった。
「おおー? なんだなんだー?」
「突然連れて来てすみませんケイト様。実はミレーナ様の筋トレ実証するため、かませ的な役割をお願いしたいと思いまして」
「なにそれひどくない!?」
「えぇまぁ……ですがやはりこういう役目はケイト様が一番ふさわしいかなと」
「かませとして!? ……まぁやるけどさ。やりますよ。確かにミレーナ様、見違えましたものねー」
ケイトは渋々といった様子でミレーナに向き直る。
「ありがとうケイト」
「いんですいんです。……んで、何をどうすればいいですかー?」
「では、これで」
ミレーナはテーブルの上に右腕を置き、立てた。
それを見たケイトはすぐに意図に気づく。
「なるほど、腕相撲、ですかー」
「えぇ」
「構いませんが、私はそこそこ強いと思いますよー。ドルトくんに女子の力じゃねーとか言われましたのでー」
ケイトの言葉に、ミレーナは不敵な笑みを浮かべて返す。
「それは楽しみです」
「ミレーナ様って結構負けず嫌いなんですよねー……いいですよ、やりましょー」
ケイトはそう言うと、椅子に座りミレーナと手を重ねた。
体格も手の大きさもはケイトが一回り上……だがミレーナの目は闘志に燃えていた。
がっちり組んだ二人の手の上に、メイドAが手を載せる。
「ではレディ……ゴッ!」
合図と共に全力を込めら二人、時折みし、みしと肉の軋む音が鳴る。
「ぎぎ……ぎぎぎ……!」
「ぐ……にににに……!」
ミレーナとケイト、二人は苦悶の声を上げながら全力を振り絞る。
額には汗を浮かべ、腕には血管が浮き出ていた。
しばらく拮抗していたが、僅かに傾き始める。
ミレーナが優勢だった。その勢いのまま、ケイトを押し倒す。
ケイトの手がこてん、と机の上に倒された。
「あー……負けちゃった……やりますねーミレーナ様」
「勝った……?」
「えぇ、負けました」
手をぷらぷらさせながら、ケイトは敗北を宣言する。
その手は充血し真っ赤になっており、全力を出したのは間違いなかった。
信じられないと言った顔のミレーナだったが、勝利を実感し始めたのか徐々に笑顔を浮かべる。
「やった! やりました! ケイトに勝ちました!」
喜び飛び跳ねるミレーナに、三人は拍手を送る。
「おめでとうございます、ミレーナ様」
「すごいですねー完敗です」
「素晴らしいです。ゴリラ系王女の誕生ですね」
「誰がゴリラですかっ!?」
褒めると見せかけおちょくるメイドAに、ミレーナは全力で突っ込んだ。
「全く、まぁいいです。とにかく飛竜の谷へ行きますね。ドルト殿が待っていますから」
「そういえばそろそろ、レース大会なのですね」
「えぇ、最終調整は谷で行います。仕事は貯めておいてがいませんが……どうしても代役が必要な時はお願いしますね。〝A〟」
「お安い御用でございます」
ぺこりと頭を下げるメイドA。
「それにリリアン、ケイト、二人ともありがとうございました。皆のおかげです」
「いえいえー」
「ミレーナ様の努力あればこそ、ですよ。ご武運を」
三人に親指を立ててにっこり笑うと、ミレーナは竜舎へと走る。
しばらくして、一頭の飛竜が飛んでいくのを三人は見送るのだった。
■■■
「行きましたね」
「だねー、勝てればいいけどー」
呑気に呟くケイトに、メイドAが尋ねる。
「そういえばケイト様、何故利き腕でやらなかったのですか?」
「ん……あー、やっぱりわかっちゃう? てか勝つ流れではなかったしねぇ。右手を出されたわけですし、そりゃ利かない方の腕でやりますよ」
「なるほど、やはりそうだったか。……ところでケイト、実は私は偶然にも左利きなのだが」
リリアンがそう言って、テーブルに左腕を乗せる。
戦意に満ちた目であった。
「えぇぇーまぁいいけれどもですけどー」
戸惑いながらも、ケイトも席に着いた。
二人とも手を合わせ、握り合う。
その様子を楽しげに見るメイドA。
「それではお二人とも、準備はよろしいでしょうか? いきますよ……レディ、ゴッ!」
轟、と吹き荒れる気迫の渦。
――――その勝負を見たメイドAは後にこう語る。
見事なまでに二人の実力は伯仲していました。
動かざることゴリラの如し。女子とは思えぬ圧倒的腕力、女同士の意地のぶつかり合い……それが混じり合い、衝撃波となって二人を包みました。
私は吹き飛ばされないようにするのが精一杯で、恥ずかしながら結果を見届けることが出来なかったのです。
――――決着は着きました。
でもその結果を、ケイト様もリリアン様も教えてくださりませんでした。
ですが、それでよかったのかもしれません。
だって戦いが終わった後、二人はとても楽しそうにしていたのですから。
まさに好敵手、まさに好敵手、えぇ、えぇ、素晴らしきかな友情。
そんなものを見せられてはこのメイド、これ以上語る言葉は持ち得ません。
そういうわけで、そういうわけなのでございます。――――と。
■■■
ガルンモッサ国立競技場では、市民たちが集まり作業に従事していた。
有志のはずだった参加者は人が集まらなかった為強制に変わり、最初はそこそこ高かった民衆のやる気も極端に低下。
良くも悪くも人は周りに影響されやすい生き物だ。
いかにやる気がある人間であっても周りがやる気のない者ばかりであれば、それを維持することなど出来るはずもない。
加えて、指導役として入ったガルンモッサ兵たちの横暴。
彼らもまた強制参加の為、やる気はない。
それだけならまだしも、日頃のストレスをぶつけるような人間も多くいたりした。
「おいっ! 何をしている! ぼさっとしてないで働け!」
兵たちが苛立つのも無理はない。
無茶なスケジュールに加え、繰り返される上司の叱咤で兵たちの精神負荷はとっくに限界を迎えていた。
彼らの上司は上司でレビルにしこたま言われており、それがそのまま部下へと降りてくるのだ。
部隊全体に負のオーラが満ちていた。
「そうは言ってもなぁ」
「こんな仕事、やった事もないしよぉ」
壁を新しく塗り替えていた民がぼやく。
命令は絶対順守の軍属と違い、彼らはただの民間人である。
慣れない仕事で段取りも悪く、加えて手伝い感覚でモチベーションも殆どない。
とてもではないが厳しいノルマをこなせるはずもなかった。
しかし兵たちに、それを慮る余裕などない。
「ふざけるな! やる気がねぇなら帰りやがれ!」
そして苛立ちのままに叫ぶ兵。
その言葉は、作業中の二人の怒りに火をつけるには十分だった。
二人は立ち上がると、手にしたハケをバケツの中に勢いよく突っ込んだ。
「うーい、じゃあ辞めさせてもらいまーす」
「俺もやーめた。どうしてもと言うから仕方なく働いてたのに、その言い方はないっしょー」
二人はそう言うと、言葉の通りに帰っていく。
まさか本当に帰るとは思わなかった兵は慌てた。
「お、おい待て! 何を勝手に帰ろうとしている!」
「アンタが帰れって言ったんだろうが!」
「そうだそうだ! 勝手な事を言ってるのはそっちだろう!」
「何ィ!? 国命に逆らうのか!」
慌てて国命を持ち出す兵だが、二人はそれを鼻で笑う。
「勝手に帰らせてるアンタの方が命令違反してるんじゃないっすかねー!」
「もう行こうぜ、こっちはこっちで仕事があるんだよ、バーカ」
兵は去っていく二人を、呆然と見送るしかなかった。
しばらく立ち尽くしていた兵だったが、くるりと他の者たちの方を向き直り、睨みつけた。
「……ふ、ふん! 全く仕方のない連中だ。おい! あんな馬鹿どもの事を気にかけている余裕はないぞ! 期日まで時間がないのだからな! キビキビ働け!」
「…………」
全員が顔を見合わせるのを見て、兵は手にした棒切れを地面に叩きつけた。
「何をボサッとしているッ!」
真っ赤な顔で声を荒げる兵を見て、皆散っていく。
それからは全員、あからさまに気が抜けた作業になり、その都度兵は一人憤慨していた。
白い目を向けられても、全く気にすることはなかった。
翌日には作業者は全員来ず、兵は責任を取らされクビとなった。
ボランティアは集まったようですね