おっさん、飛竜の谷へ行く
――――飛竜の谷。
そこでは広大な台地が無数にひび割れ、幾多もの谷を作り出していた。
谷の形状は複雑に入り組んでおり、不気味な風音が常に奇妙な音色を奏でていた。
谷の間には人を乗せた飛竜が何頭か飛んでいた。
「へぇ、ここが飛竜の谷か。お疲れエメリア」
「クルーゥ」
飛竜の谷に辿り着いたドルトはエメリアから降りると、その労をねぎらうべく竜の実を食べさせる。
エメリアはそれを嬉しそうに口に入れ、長い間楽しんでいた。
「さてとエメリア、ミレーナ様も頑張ってるだろうし、俺たちも始めるか」
「クルル!」
「いい返事だ。……その前にちょっと身体を触らせてもらうぞ」
そう言ってドルトは、エメリアの顔を両の手で触り始めた。
首から始まって肩、胴体、腕、脚、翼……真剣な表情で全身をくまなく、である。
時折くすぐったそうに、エメリアは身体をよじる。
ドルトはそれを終えると、難しい顔で唸る。
「……うーん、やはり筋肉が衰えその分脂肪がついてるな」
「クルルルル! ルルルルルル!」
「わかってるわかってる。責めてるわけじゃない。子育てしてたから最近飛んでなかったんだろ? さっきの飛行、ちょっとぎこちなかったもんな。カンを取り戻せばすぐに元の身体になるさ」
「クルゥ!」
元気よく鳴くエメリアの頭を、ドルトは撫でる。
そうしてしばらく休ませた後、その背中に乗った。
「じゃあ少し休んだし、そろそろ飛んでみるか?」
「クルゥ!」
エメリアはやる気満々といった具合に翼を広げると、谷に飛び立つ。
風に乗って悠々とエメリアは空を舞う。
「……へぇ、いい風じゃないか」
ゆっくりと風に流されながら、反り立つ岩をすいすいと避けながらの気ままな飛行。
谷の風は心地よく、ライダーたちが集まるのも理解できた。
「まずは一回りしてみようか」
「クルゥ」
ドルトはエメリアには特に指示を出さず、ただのんびりと飛ばせる。
「ヘイヘイ兄ちゃん、見ない顔だな? 初めてかい?」
と、そんなドルトに飛竜に乗った青年がいきなり声をかけてくる。
青年は飛竜をエメリアの近くに寄せ、横に並ばせるとニッと笑った。
騎竜兜を被っており目元はよく見えないが陽気そうな青年だった。
横を飛ぶ青年からは、相応の技量の高さが窺えた。
「あぁそうだ。あんたはそれなりに常連みたいだな」
「まぁね。それとここでは顔は晒さないのがルールだ。あんたもどこの国のモンか知らねーが、顔は隠した方がいい。他にも色々教えてやるぜ」
「それは助かる。俺の名は……」
「おっと、名前も聞かねーのがここのルールだ。だから俺も名は名乗らない。まぁしいて言うなら……青兜とでも呼んでくんな。あんたの事はおっさんとでも呼ばせてもらうぜ」
「お、おっさん……まぁ別に構わんが……」
全く悪気のない青兜の言葉に、ドルトは呆れながらも頷くしかなかった。
「てなわけでおっさん。新入りには色々教えるのがここのルールだ。まずは学んでいけ」
「ルール、ルールと随分煩いが、それはあんたが教えることになってるのか? 青兜」
「最初に声をかけた人間が、そいつに名を付け色々教えてやるルールだ。まずは初心者コースを教えてやるよ。ついてきな、おっさん!」
青兜はそう言うと、ドルトに先行し谷へと突っ込んで行く。
谷に入った青兜は手前の崖を右に折れ、ぐんぐんスピードを上げていく。
右へ、左へ、岸壁の隙間を、気流に乗って、ドルトはその後ろをぴったりと追従する。
「……丁度いい。この谷のライダーの技というモノを見せて貰おうか」
「おお! やるじゃねぇかおっさん! 中々ライダーの才能があるぜ!」
「そりゃどーも。もっと難易度の高いコースでも構わないが?」
「……生意気なヤローだ。ならこっちに来な!」
そう言うと青兜は飛竜を羽ばたかせ、高度を上げていく。
ドルトも同じように高度を上げる。
その時――――ぐん! と引っ張られるような感覚と共にドルトは一気に風に流された。
「お……ッ!?」
「ヒャッフー! いい風だぁ! どうだぁおっさん! 飛竜の谷に吹き荒れる風の味はよぉ! 先刻までのぬるい風とはワケが違うだろぉ!?」
轟々と吹き荒ぶ風に揺らされながらも、ドルトは姿勢を立て直す。
向かい来る風を前傾姿勢にて構え、受ける。
更にエメリアには翼を折り畳ませて、出来有る限り風の抵抗を殺すように。
ドルトの、エメリアの速度が一気に上がり、青兜を抜き去った。
驚愕の表情を浮かべる青兜だったが、すぐに前を向きドルトの尻を睨み付ける。
「……ナマやってくれんじゃねぇか……!」
そして手綱を打ち付け、飛竜に追わせる。
だが、追いつけない。それどころか離されるばかりだ。
「ば、ばかな……俺は谷で5年は飛んでるんだぞ!? その俺が追い付けないなんて……! あのおっさん、何者だよ!? ……くそ!もっと頑張れ!」
「ク……ァァ……!」
加速を試みる青兜だったが、飛竜が限界なのは明らかだった。
その時、ドルトがチラリと後ろを振り返る。
「野郎……!」
青兜はそれを馬鹿にされたと思い、更に速度を上げる。
上げようとして、頭に衝撃を受けた。
それは崖の上から落ちてきた小石。
続いて巨大な岩石も、青兜へと直撃するコースだった。
「うおおおおおおおおっ!?」
――――死、を覚悟した青兜だったが、その瞬間はいくら待っても訪れない。
恐る恐る目を開けると、頭上にいたのはドルトの駆るエメリアの姿だった。
先刻、落石に気付いたドルトはエメリアを引き返させ、岩石を蹴り飛ばさせたのだ。
「ふぅ、危ないところだったな」
「クルルゥ」
呆然とする青兜を見下ろすドルトとエメリア。
だがすぐに状況に気付いた。
自分が助けられたことに気付いた青兜は目を伏せ、頭を下げた。
「おっさん……くっ、すまねぇ……!」
「いいさ。俺も調子に乗ってスピードを出しすぎたしな。それより引き続き、色々教えてくれよな」
「……おう」
青兜はそう呟くと、改めて飛竜を飛ばす。
その後ろを今度はゆっくりと、ドルトはついて行くのだった。