世界の終わりの過ごし方。
「さぁ、今日も一日張り切っていきますよー……っと」
朝、薄緑のカーテンの隙間から差し込んでくる優しい日差しを浴びることが僕の日課になっている。
目覚ましはスマートフォンのアプリで七時きっかりに。好きなアニメのOPを設定しているのだが、元気いっぱいな歌詞とメロディーが僕の一日の始まりを後押ししてくれているみたいでなんだか気分がいい。
1日の始まりはその日の中で1番大切だとバラエティ番組で見たことがある。
なんだか胡散臭い番組だったけれどその言葉だけは今も心に留めて生活している。
だいぶ都合のいい解釈と思われるかもしれないが、人生自分に優しく生きたほうが絶対いいと僕は思う。世間はこんなにも厳しいのだから。
ベッドを出て、まず着替え。特にファッションにこだわる訳では無いので回して着ている5着から1着をなんとなく選びとる。ズボンも同様に。
まるでカジノのルーレットを回すかのような服選びは僕の中でここ3年ほどブームになっている。その熱は燃え盛る炎のようではないが、細々とたいまつのように燃え続けている。
身支度を済ませたならついにやってきました朝食の時間。一軒家の2階に位置する自室から飛び出し階段を駆け下りる。とっとっとっとリズムよくステップでステップを踏めば自然と身体は踊り出す。
ずんちゃたったとととっと。頭の中ででたらめなメロディを奏で足を動かす。最後の一段でくるりとターンを決めればはい完璧。
扉を開ければそこは居間。目指す食卓はもう目の前。一歩一歩と歩み寄る。
今日の朝食はなんだろう。この香りは……トーストだろうか? それなら冷蔵庫からイチゴジャムをとってこないと。何もつけないそのままの姿もいいけれど、ちょいとひとたしすればさらにいい。
めいいっぱいに開かれた窓から差しこむ日光を体全体で浴び体内時計をリセット。
さぁ今日も素敵な1日になりますように。
僕は1人食卓で世界の終わりを迎えようとしていた。
始まりは半年前。よくは知らないが宇宙関係の国際的な機関が重大な発表をした。
「この地球は半年後に消滅します」
頭の良くない僕には細かい原因も仕組みも分からないが、とにかく1つ分かることがあった。もうこの世界は終わるのだと。
地殻変動? かなにかで地球が内部からドカンといくのでもう避けられない。大人しく滅びの時を待つしかない、と人類はすぐに諦めを選んだ。
フィクションで描かれるような感動的な終焉は存在せず、人々は淀んだ感情を吐露しながらも、今まで歩いてきたレールの上をそのまま何事も無かったかのように進み続けた。
それでも、1人、また1人とレールから次第に外れていった。その先に待つ終着駅は同じとわかっていながらもただただ進み続けることを拒んだ。
結局僕はそれが正解なのか不正解なのかわからなかった。そもそも正解も不正解も存在するのかすら怪しい。
僕は回答を先延ばしにし続けた。
解答欄も語群もリード文も注釈もない問にどう答えろというのだろうか。
そうこうしているうちに試験時間は残り1日に迫っていた。
「じゃあ行ってくるね 」
僕は「普段通り」祖父母に挨拶をして家を出た。両親が僕が中学生の頃に他界してから、2人は一生懸命僕を育ててくれた。多感な時期に両親を亡くし1人になった僕が今こうして生きているのは間違いなく2人のおかげだろう。僕は育っていない。2人に育てられただけだ。
3人で過ごした赤い屋根の一軒家に小さく手を振り後にする。
少し歩けば駅がある。が、何ヶ月も前から動いていない。仕方ないので錆び付いた自転車にまたがり勢いよく右足を踏み出した。銀色の汚れた年季もの。もう5年くらい乗り回しているが特に問題もなく動いてくれる良き相棒だ。
もう明日の朝には地球なんて存在しないのに、そんなことはお構い無しに太陽は輝いているし、身体を通り抜けていく風は気持ちいい。やっぱり明日世界が終わるなんて嘘なんじゃなないだろうか? あるいは……夢オチ?
いやいや、そんなド三流なオチはゴメンだ。
予想通り道には車も自転車ももちろん人もいない。誰もいない交差点の真ん中を胸を張って通り抜けていく。寂しい、とか感じるのが普通なのかもしれない。けれどなんだか僕はその時、なんだか楽しかった。
誰もいない町がまるで僕一人のものであるかのような気がしてならなかった。
そんな優越感のようなものにしっとりと浸っていた。
「今日も……まぁ誰もいないよな 」
自転車を走らせること数十分。小さな商店街の一角にある書店へと僕は足を運んでいた。
ここ、カササギ書店は1人の年老いた男性が切り盛りしていた。
僕は世界の終わりが決定し、学校も無くなり、することがなくなってからよくここに通っていた。店主のおじいさんは温厚な方で、僕にとても優しくしてくれた。
もう何年も前に奥さんを亡くし、1人寂しくしていたのでとても嬉しいと言ってくれた。
僕はからかい混じりに「こんな地味な男子大学生でも大丈夫でしたか? 」なんてことを言ったら、「べっぴんさんだったら緊張しちゃうがな」といたずらに微笑みながら返してくれた。
そんなおじいさんも半月前に娘夫婦の元へ行ってしまった。その時「この店は自由に使ってくれて構わない」と僕にこの場所を与えてくれた。赤の他人なのにここまで僕を信用してくれる、思いを抱いてくれることにとても驚いた。
おじいさんにもらった鍵を鍵穴に差し込みぐるりと回すと、カチャリと音を立て引き戸が開いた。
そこまで広くない店内は入口からあらかた見通すことが出来る。政治・経済の本からライトノベルまで。田舎町の本屋と言うにはあまりにもジャンルの幅が広い。まぁそこがカササギ書店の売りなのだが。
無人の商店街の無人の本屋で1人本を読みふける。これがここ最近の僕の日々だ。
最初は好きなジャンルばかり読んでいたが、どんなに好きでもほぼ毎日通っていれば流石に飽きてくる。そこでカササギ書店の強みが生きた。普段なら絶対読まないようなジャンルの本にも手を伸ばしてみた。暇つぶしに。
するとこれが案外面白い。食わず嫌いならず読まず嫌い。自分の中のイメージだけで表紙も見ずに避けていたことに気づいた。
最近のマイブームはライトノベル。それも異世界モノ。ライトノベル自体は読むこともあったが異世界モノはどうも手が出なかった。
知らない言葉がたくさん出てくるからだろうか。設定が難しいことが多いからだろうか。すぐハーレムを作るからだろうか。あるいはこれらすべてなのか。どうしても読もうを一歩踏み出すことは無かった。
でも僕の読まず嫌いキャンペーンは随分前に終了している。今日で異世界モノシリーズは15作目。そろそろパターンも掴めてきて先の展開を予想しながら読めばピタリと当てられることも多くなってきた。いっそ僕もかけるんじゃないか……? いやそれは流石に浅はかな考えだった。
読むと書くは全然違うもの。そんなことは自明の理だ。
そんなことをぼんやり考えながら棚に目を向け今日読む本を手に取る。ついに最終巻を迎えたライトノベルシリーズ「サーバントオブゼロ」 僕が読み始めた頃にはもう完結していた超人気ライトノベル。
店主のおじいさんも「最終巻が発売された時なんかこんな寂れた本屋ですら人でいっぱいになったよ」と嬉しそうに語っていた。
このシリーズの作者さんは、物語の完結前に亡くなってしまったらしい。けれども周りの人たちがプロットやらなんやらをかき集め、「存在したであろう最終巻」を作り上げ無事に完結した。
自らがいなくなったあともそこに自分がいた証を残す。その証を頼りに人々は導かれていく。死してもなお人を動かす力を持つなんてどんなに素晴らしいことだろうか。
俺の屍を越えてゆけと言わんばかりに僕も何か残していけたらいいな、なんて有りもしない未来に思いを馳せてみる。
僕の屍は超えられない。屍に屍は超えられない。
「ん……? 」
さぁ後は世界も小説もラストへ突っ走るだけだと意気込んだ矢先、視界にあるはずの無い、いや、いるはずのない人が見えた。
狭い通路に1人座り込む女の子。
女性と言うにはまだ幼すぎる少女がいた。
細く白い四肢は小さく折りたたまれている。俗にいう女の子座り? というやつだろうか。
大人しく黙々と本を読んでいるから全然気づかなかった。いつからいたのだろうか……
「……! 」
僕の視線に気がついたのかすっと少女は目線を本からこちらに向ける。
目と目が合って、時間が止まった。
元々僕と少女以外誰もいないし何も動いていない町は静寂に包まれている。
なのにその瞬間、静寂が流れた。静寂に静寂が重なるなんておかしい。そんなことは重々承知のうえで言っている。
でも確かにその時、その時世界は2人だけになった。
「あー……ごめんなさい。ここ入っちゃ行けなかった? 」
先に口を開いたのは少女だった。
すっと立ち上がっても背丈は僕の胸ほどしかない。僕もそこまで背は大きくないしこの子も多分小さい部類なのだろう。
腰まである長い黒髪と純白のシンプルなワンピースが対照的で互いを引き立てている。
「いいや。大丈夫。ここはもう僕以外来ないし、家主さんの許可ももらっているから気にしないで 」
「そう……ありがとう 」
そういうと、少女はまた座り込み本に視線を戻した。おじいさんが出ていってからカササギ書店に人が来るなんて初めてのことだ。
一体彼女はどうしてここを選んだのだろうか。僕は純粋に気になった。彼女が今何を思っているのか。
とはいえこんなに真剣に本を読んでいる子を邪魔するほど僕は無神経な人間ではない。歴は短いが一応読書家の端くれ、最低限のマナーは心得ている。
気になる気持ちをぐっと抑えて僕も彼女の隣に座り本を読み始めた。
それからというもの、僕らはただただ無言で本を読み続けた。昼ごはんも食べず黙々と。
もう電気も止まっていて薄暗い店内に差し込む陽の光は暖かくてついうとうとしてしまうこともあったが。
店内に響く音はページをめくる音と呼吸音だけ。それ以外は何も聞こえない。なんて素晴らしい昼下がりだろうか。何にも縛られない、真の自由を手に入れた。世界に人は2人だけ。2人はただただ本を読む。
時はゆっくり、ゆっくりと足を踏み出すように過ぎていった。
なぜだろう。もうすぐ死ぬんだっていうのに、今までの人生の中で1番生きている心地がした。どうしてだろう。誰か教えて欲しい。
僕の読書会は日没とともに終わる。
懐中電灯も一応用意しているがそれはもしものための予備でしかない。まぁこの後に及んでもしももクソもないのだが。
夕日が地平線とぶつかった時、僕は本を閉じると決めている。たとえそれが途中だったとしても絶対に。
今日もたくさん読めた。お目当ての最終巻はもちろん、なぜだかすいすい内容が入ってきて、気づけば新しいシリーズを1つ読了してしまっていた。さて、明日は何を読もうかな。そんな思いを胸にカササギ書店を後にしようと思い腰を持ち上げた時、不意に上着の裾を掴まれた。
「ねぇ、お兄さん。もう少しだけ残ってお話していかない? 」
「え? 」
「ほら、お菓子とお茶もあるよ 」
少女は横に置いてあった小さなリュックサックからクッキーの箱を3箱とペットボトルの飲み物を2本取り出して言った。
「だめ……かなぁ? 」
「いや、もちろんご一緒させてもらうよ。せっかくのお茶会もお誘いだしね 」
「……ありがと 」
少し照れくさそうに俯きながら少女は言った。少し予想外だったが、嬉しい誤算だ。
最後の最後までハプニングがあった方が楽しいに決まってる。刺激のない人生なんて死んでるのと何ら変わりない。そんな生きる屍にならないように僕は何かを求め続けてた。
家から持ってきた少し大きめの懐中電灯を縦にして置きしたから部屋を照らす。本当は上から釣るせればよかったがそこまで考えて用意してなかったのでこれで我慢だ。
ぼんやりと照らされるお菓子と紙コップと少女と僕。ふたりだけの秘密のお茶会。世界最後のお茶会かもしれない。普通はこんな時にこんな場所でこんなメンツでお茶会なんてしない。
「どう? 家に残ってたのかき集めただけだからお口に合うか不安だったんだけど……」
不安そうに上目遣いで少女が問いかけた。
「ううん。美味しいよ。僕は結構スナック菓子好きなんだ」
僕がそう返すと少女はコロッと表情を変えてニコニコし始めた。暗闇の中、暗い世界の中、少女の明るい笑顔はより明るく感じた。
もちろん顔が発光している訳では無い。いわゆる比喩というやつだ。しかし少女は本当に眩しかった。一瞬目が眩むほどに。
「お兄さんはどうしてこんなとこにいるの? 」
少女はそう問いかけた。僕は両親はもういなく祖父母に育てられていることから、この店のことまで色々話をした。もう二度と話すことはないだろうし思いっきり話した。引かれるだろうなと思いつつも頭の中が空っぽになるぐらいに「僕」の話をした。
「へぇ……なるほど。色々あったんだね……」
「そんな大したことは無いよ。至って普通 」
「いやいや、普通の人はこんな日にこんな所にないから 」
「それもそうだ 」
僕達は笑った。2人だけで笑った。
2人しかない筈なのに、なんだかとても賑やかで華やかに感じた。
「じゃあ今度は私の話、したげる! 」
少女はぐいっと紙コップに注がれた紅茶を飲み干しゆっくり口を開いた。
「私ね、家出少女なの。三日前ぐらいから。朝起きたらお父さんもお母さんもなんかいなくて。捨てられちゃったのかなぁって思ったけど、家はそのままだったしこの場合私が捨てた側なんじゃないかなって思ったらどうでもよくなっちゃって。ホントは泣いたり叫んだりするんだろうし私もそうなるだろうなって思って。けど冷静に考えてみたらよく打たれたりもしたしそんなに悲しむことでもないなって 」
少女は内容とは裏腹にたんたんと話して言った。まるで物語を読み聞かせているかのように落ち着いた声音で、ハキハキと聞き取りやすい口調で。
「それでしばらく家に一人でいたんだけどなんかもう飽きちゃって。人も全然いないし。だからどうせ死んじゃうなら思いっきりなにかしてやろうって旅に出たの。と言っても大した距離にならなかったけどね 」
「それで今日ここにたどり着いたと 」
「そゆこと! 」
ニコッと彼女は笑った。それが彼女の物語の終了の合図だった。
少女はさも日記を読み上げるかのように自分の近況を語ったが、よく考えてみればかなりぶっ飛んでいる。そこまでの事情はともかくある日突然両親がいなくなったのにこの落ち着きよう。一瞬彼女はおかしいのではと思ったが、そんな考えは杞憂だとすぐに気づいた。
おかしいのは世界、彼女以外のすべてだと気づくのに僕は時間を要することは無かった。
その後も僕らは2人語り合った。
今までのことを今度は事細かに。大半はくだらない話だったと思う。それでもくだらなければくだらないほど楽しかった。笑がこぼれた。初対面の相手にここまで心を開いたのは初めてだった。誰にも言ってない秘密もお互い息を吐くように話した。恥ずかしい思い出も、かなりプライベートな話も沢山話して沢山笑い飛ばした。
まだあって半日ぐらいなのにもう何十年も一緒に過ごしてきた幼馴染のような感じがした。もっとも、転勤族だった僕に幼馴染はいないのでこの感覚が幼馴染のそれかは怪しいのだが。
世界は終わるが僕らの関係は今始まった。
世界がどうなろうと実際どうでもいい節がある。死んだらそこまでしょうがない。
一応必死に生にしがみつこうとはするけど無理なものは無理だ。出なきゃこんな状況になってない。だったらもうこう開き直ってしまえばしい。世界の終わりはカチコチに凍りついてしまった人々の心を溶かしたのではないだろうか。少なくとも僕はそうだった。きっとこの少女もそうだったのだろう。
「ねぇお兄さん。外行こうよ外! 」
僕は彼女に手を引かれカササギ書店の外へと誘われた。見た目僕よりかなり背の低い彼女の背中はもちろん小さく見下ろすものだったが、刹那とても大きなモノに引っ張られている、そんな気がした。
「うわぁ……」
「きれー!! やっぱりピッカピカだ! 」
夜空にはこれでもかという程多くの星星が散りばめられていた。電気も人の営みも消えた今街を照らす明かりは星々しかない。この夜空にこんなにもたくさんの綺麗な星が存在しているなんて全然知らなかった。これも世界の終わりがもたらしたものだ。最後にいいものをとプレゼントしてくれたのだろうか。
まさに冥土の土産と言うわけだ。僕らは随分シャレの効いた惑星に僕らは住んでいたみたいだ。
「ねぇお兄さん」
「ん? なんだい? 」
少女はくるりと体をこちらに向け囁いた。
「来世でもまたこうやって星、見ようね! 」
白いワンピースと艶やかな黒髪が星星に照らされている姿はとても幻想的で、美しかった。これなら何時間でも見ていられる、そのくらい僕は彼女に見入ってしまった。
「う、うん……そうだね! 必ず、またどこかで 」
どきまぎする感情を抑えながら返したしどろもどろな言葉はちゃんと届いただろうか。
屈託のない笑顔が僕の瞳には映ったからきっと届いたのだろう。そういうことにしておこう。
荒廃し何もかも無くなった崖っぷちの方が綺麗な花は咲いているものなんだなぁと僕は消えゆく世界の中知ったのである。