涙と
本日3話目
アリエルが死んでしまった。
龍は慟哭した。
どれだけ泣き嘆いたか分からない。
龍はふと約束を思い出した。
「私が死んだら、ルイくんとクラウディーヌに、私の亡骸を見せてね。それから、ルイくんが、私の亡骸に触れることを許してね。長生きできるようにって、ルイくんに頼んでおいたことがあるの。それを外してもらわないといけないから」
詳しい事は、教えてくれなかったけれど。
あなたの頼みならば。
龍はノロノロと動き、冷たく硬いアリエルの身体を運ぶことにした。
***
シュデイールの、ルイたちの住む家に亡骸を運んだ。
店は営業中だったが、クラウディーヌは叫び声をあげたように泣き崩れた。
奥からルイが飛び出てきて、龍がアリエルを抱いて立つ姿に茫然とした。ルイたちの娘が、家族が現れる。
客も驚いたが次第に察したらしく、オロオロとしている。
ルイは涙を流しながら、クラウディーヌに構わず、龍のところに歩いてきた。
泣き崩れているクラウディーヌを、娘が抱くようにして慰め始めた。
ルイはじっとアリエルを見つめ、それからグランドルをじっと見つめた。
「アリエルさんと」
と言い始めた言葉は初めはかすれていたが、すぐにしっかりとした声に戻った。
「約束をしていたことがあるんだ。アリエルさんを、部屋に運んで欲しい」
アリエルも同じ事を言っていた。だからここに連れてきた。
ルイはそれから店内を振り返り、客たちに一礼した。
「家族が亡くなりました。申し訳ないが、数日間、お店を休みます。今日のお代は、いただかなくて大丈夫です。ごめんなさい、店を閉めます」
客たちは頷いて、それでもテーブルの上に代金を置いて帰っていった。
ルイたちに慰めの言葉をかけながら。
あまりにクラウディーヌは嘆いていて、彼女に声はかけられない。
ルイだけがきちんと応答していた。
***
3階の、アリエルの部屋に通された。
大きな宝箱が目に入った。
ここに、アリエルの身体を入れたらどうだろう、と龍は思った。
ずっと永く保ってくれるのだろう?
それは相応しい使い方に思えた。
「グランドル。それは棺桶じゃない。正しく埋葬した方が良い。今までも正しく埋葬して、生まれ変わっていたんだろう?」
ルイに静かに諭された。
龍は、無言で、開いた宝箱の中をじっと見つめた。
アリエルのドレスが入っている。他には、アリエルが、ルイたちの一番下に生まれた娘からもらった絵と、一番上の娘の結婚式の時の複写映像が入っている。アリエルが、宝物だといれたのだ。
「約束を守りたい。アリエルさんを、少し私に預けて欲しい」
とルイが言った。
龍は尋ねた。
「約束とは何だ」
「グランドルのためにとアリエルさんが考えたが、うまくいくか分からないので秘密だと約束させられた。だから言えない」
「どうして」
「私は、守るだけだよ。アリエルさんとの約束だ」
こう言われては、抗えなかった。
龍は新しい涙を落としながら、ルイが示すベッドにアリエルの身体を横たえた。
ルイは、話そうとしてから、身体をブルリと細かく震わせた。
落ち着かせてから、ルイはグランドルを見て言った。
「・・・ごめんなさい。傷をつけることになる。でもこれが約束なんだ。お願いだ、私に約束を守らせてほしい。傷をつけることを許してください」
許せないと思ったが、それが約束なのだとも理解した。
龍は耐える方を選んだ。
ルイの事は、信頼している。親友なのだから。
「終わるまで、部屋の外に。1階、家族がいる。そこに居て」
「・・・アリエルを頼んだぞ」
「・・・うん。約束を守るだけだ」
***
どのぐらい待てばいいのだろう。
ルイはなかなか現れない。
やっと現れたと思ったら、ルイは上の娘の名を呼んだ。
「お父さん! どうしたの、それ!」
デイジアが驚く。涙が止まったらしい。
ルイの顔色は悪く、それでもじっと強い目をしていた。そして、衣服が汚れていた。血だ。
「デイジア。お前なら、手伝えるだろうか」
真剣な問いに、ゴクリとデイジアは唾を飲み込んだ。
クラウディーヌが気づいて顔を上げるのに、ルイはクラウディーヌには目もくれない。
デイジアは緊張を走らせながら、頷いてルイの元に走った。
カタカタとクラウディーヌが震えている。
「っ、おねえちゃん、おねえ、ちゃん、」
泣いている。
まだ幼い娘レセリアが母であるクラウディーヌをなぐさめる。
「ママ、ママ」
「っふ、レセリア、レセリア、っう、」
デイジアの婿が、沈痛な顔で、店を閉じている。
それから無言で、皆にあたたかい飲み物を出してきた。
だが、到底飲む気になれない。
***
「デイジア」
と控えめに驚いた声がした。デイジアの婿だ。
見れば階段から、ルイと、デイジアが降りて来ていた。
ルイの表情は硬く、デイジアは明らかに涙を大量に流した後の表情だった。
ルイはじっとグランドルを見てから、目をつぶって何かを耐える様子になった。
「ルイ。アリエルは」
「終わった。・・・ごめんなさい。もっと、きれいなままで、返したかったけれど、難しかった」
デイジアは震えて婿に抱き付いていた。気丈な娘のはずだが、震えが収まりそうにない。
「娘は、大丈夫なのか」
龍は尋ねた。アリエルも気にかけていた娘だ。自然心配になったのだ。
「・・・デイジアは、とてもよく、手伝ってくれた。ごめん、グランドル」
ルイの表情が崩れた。
右手を差し出す。
「手を」
グランドルの手を掴み、広げ、右手の中のものを握らせた。
「これを。きみにと。ごめん、内部に、入り込んでいて、酷く、傷つけた」
後悔するようにルイが告白する。急に泣き出したので龍の方が驚いた。
「ルイ。アリエルは」
「3階に。ごめん、本当に、ごめんなさい」
「アリエルとの約束だろう」
確認すれば、泣いた顔で頷かれた。
「それを、持っていて。宝箱に入れておけばいい。失くさないで。大事なものに、なるかもしれないから」
ルイから渡されたものは、大粒の5つの、ルイたちが魔法石と呼ぶ石だった。
ゾワリと身体が湧きたつ感覚に襲われ、龍は急いで3階に登る。
ルイも涙を飲みこみながら後を追ってくる。
3階の、アリエルのところに戻って息を飲む。
身体が切り裂かれて、肉や骨が見えていた。
言葉が出ない。
震えてきた手、持たされた大粒の石を見る。
どうして。なぜ。
それでも、教えてくれないのだろう。秘密だとあなたは言ったのだ。
龍は両膝をついて、また泣いた。
アリエルの手の平は綺麗なままで、握る事が出来るのは良かったと思った。
***
正しく埋葬した。
アリエルは、埋葬場所には無頓着で、何の指定もしていなかった。
どこが良いかと尋ねられて、どこが良いだろうかと思うが思いつかない。
このシュデールは、彼女は喜ばないだろうという気がした。
だからと言って、他の場所で思い入れのある場所など。
グラオンにも特別に訪れていたが、ルイとクラウディーヌがいたからで、町には思い入れもないだろう。
結局、彼女の両親の墓の隣に埋葬した。とてつもなく、人間らしく。
墓をつくり、知る人たちが葬儀に訪れた。
グランドルは夫としてその場にいた。
皆が口々に慰めの言葉をかけてくれたが、もう龍には全て無駄な言葉だとしか思えなかった。
もう死んでしまったのだ。
世界はあっという間に色あせた。
例え、ルイたちが生き残っていようとも。
強烈な孤独の日々が続いていくだけだ。
***
どこに行こうとも、何の感慨も沸かない。
ただし、メリディアにルイとクラウディーヌたちが生きている。
トリアナの、レンの子孫たちとの交流も続いている。
それでも、また死んでいく事も知っている。あっという間に手の平から零れる。
***
ついに、ルイも死んでしまった。
残されたクラウディーヌはひどく泣きながらも、自分もすぐに逝くから待っていてと話しかけて、龍はそれが酷く羨ましかった。
老衰だったので、ルイは家族それぞれに言葉を残した。
龍には重ねての礼と、『大好きだ』と伝えられてまた泣けた。
墓は、ルイの希望で、クラウディーヌの両親とアリエルが眠る墓地に作られた。クラウディーヌと同じ場所になるようにとの希望からだ。
葬儀の後で、それぞれルイの形見を貰う事になった。
何を貰うべきか龍には見当もつかないし、ルイの代わりにならないのは明白なので気が乗らない。
そんな龍には、特別だと言って涙目のクラウディーヌが、笑いながら、つけヒゲをくれた。
グラオンで、ずっとつけていたものである。
シュディールに来てからは、不意に貴族として呼ばれる心配もなくなったと、念願の自前のヒゲで揃えて使わなくなったが、思い出のためにルイは捨てずに持っていたそうだ。
いつかの日を思い出して、龍は苦笑した。
ルイと変装の話をして、龍の口元にこれをあててきたことがあったのだ。楽し気なルイの声が蘇るようだった。
ありがたく受け取る事にする。
「宝箱にしまっておいてね」
とクラウディーヌが言うので頷いた。
宝箱を開ける時に、皆が興味を示してついてきた。
なぜなら、今やグランドルにしか開く事が出来ないからだ。
蓋を開けて見せてやる。
真っ先に目に入るのは、美しいアリエルのドレス。
その周りに、アリエルが入れた、レセリアの絵と、デイジアの結婚式の複写した映像。皆が知りたがるので一度ドレスを出してやれば、底から、デイジアの結婚式について招待してきたルイの自筆の手紙も入っていた。アリエルが記念に一緒にいれていたようだ。
取り出して、皆でもう一度読む。
結婚式よりも早い妊娠にルイが文句を書いているので、デイジアは苦笑いした。子は男で、自分の事かと気恥ずかしそうに頬をかいている。
皆がデイジアの結婚について思い出を語りだして、懐かしむ。
それから、ルイが失われたことを強く感じて、涙が込み上げた。
***
ルイが遺した店は、きちんと残っている。
クラウディーヌも、ルイの数年後に死んでしまった。
それでも子孫たちは残っている。料理屋を続けて暮らしている。
グラオンの店も、賑わっている。
ルイとクラウディーヌの残したものが、子孫たちの生計を支えている。
***
訪れたある時、メニューを一新するから、龍にも案は無いかと子孫に尋ねられた。
特には無いが、むしろルイたちが書き残したメニューはもう捨てるのだという話の方を惜しいと思った。
記念にと、捨てるはずのメニューをもらい受ける。
折角だから、こちらもどうぞ、と、グラオンの店の、過去のメニューも譲り渡してくれた。こちらはルイのものではないが、カルカとルイの子どもたちが作ったものだ。懐かしい。
***
ところでカルカもすでに過去の人間だが、グラオンでは一目置かれる成功者と言われている。
ルイの魔道具を継ぎ、多種多様な魔道具を生み出した。
ただし、根づいたのはその一部で、浸透しなかったものも多いそうだが。
グラオンの方に顔を出してみれば、子孫の一人が、絵本をグランドルに差し出して、
「先祖のルイはこんな人だったのですか」
と尋ねてきた。
パラリとめくって、内容に首を捻る。
「私は詳しい事を知らないのでな」
と答えると酷くがっかりとさせてしまったが、
「絵はとても似ている」
と教えてやった。
記録された映像を元に描かれたのかもしれない。
ルイとカルカ、それからヒルクやその妻、クラウディーヌさえ登場するので、記念に龍も1冊その絵本を購入した。なおコインの使い方は知っている。
シュディールに向かい、そちらの子孫に見せてやってから、宝箱に仕舞っておくことにした。
それから、己の行いに苦笑した。
これでは宝が増えていく一方だと気づいたからだ。だが多くを入れられるように作ってくれたと聞いてもいる。
時間を止めるという、宝箱。
大切な時間で、世界が止まってしまえば良いものを。




