クラウ、トリアナに行く
クラウには不安しかなかった。
グランドルの背に乗せられて、姉アリエル、旦那のルイと共に、ルイの国トリアナに向かい、ルイの実家に。
グランドルが、恐ろしく大きな屋敷の傍に慣れたように降りた。夜だが、建物の巨大さは分かる。
顔が引きつりそうだ。
ルイは間違いなく貴族。知っていたが。これが貴族。
姉アリエルが慣れた様子で、通信具に向けて、
「お庭に到着しました!」
と報告している。相手はルイの父のヒルクだ。
ルイと、人型に戻ったグランドルにそれぞれ手を繋がれて屋敷へと歩く途中で、大勢の足音が聞こえてあっという間に灯りを連れて姿が見える。
「ルイ! グランドル!」
誰だろう。ヒルクではない。ルイの2番目の兄カルーグでもないとクラウは思う。
「セナお兄様!」
ルイが声を上げた。たしか1番目のお兄さんだったか。
「突然に申し訳ありません。ご助力に心から感謝します」
「家族の大事だ。何でも力になる」
ルイと、義兄セナの会話を頼もしく思いつつ、一方でクラウは違和感を覚えていた。
こんな会話する兄弟、初めて見た。これがこの家の普通なのか。貴族ってこうなの?
自らの口の悪さと庶民産まれを自覚するだけに急に自分に自信が無くなる。
ルイが手を引っ張った。
「紹介します。妻のクラウディーヌです。クラウ、私の一番上の兄、セナ=ヴェンディクスだ」
「初めまして。勇者様」
「・・・はじめまして」
呼びかけに戸惑いながらクラウが返す。
ルイが確認してくれた。
「どうして『勇者』などと。セナお兄様、失礼です」
「落ち着いて聞け、ルイ。それからクラウディーヌさん。お気を悪くしないで欲しい。良いか、お前たちはこれから王宮にいき、直訴の機会を得るだろう。クラウディーヌさんを、勇者として扱う。その勇者が、ルイの妻だ。いいか。この考えで訴えるのだ」
「・・・分かりました」
ルイが頷いて、クラウを見た。
「クラウ。貴族は、格の違いがものを言う。その中で『勇者』は、生まれに関わらず尊敬される存在だ。きみが聖剣を抜いたのは事実だから、称号を利用しよう。お願いだ。きみを守るためだ」
「・・・ルイじゃなくて、私を守る?」
ルイが真顔で言った。
「・・・きみは、トリアナの由緒正しい貴族の令嬢の手を掴んだ。こちらでは、酷く無礼な暴挙になるんだ。罰が下されないようにしなければ」
義兄セナも、家へと案内して歩を進めながら説明した。
「勝手な振る舞いで夫婦を裂こうとしたと情に訴えるべきだ。理解を求めなければ」
まさかそれほどの罪に?
言葉を失くしたクラウの手を、ルイが強く握ってきた。
「お願いだ。一緒にいよう」
強く励ますような口調は、一方で懇願を含んでいた。
「うん」
とクラウは頷いた。
***
どうやらグランドルは、トリアナという国で非常に一目置かれているらしい。
深夜を超えている時間に関わらず王が急な訪問を許したのは、グランドルの強い希望だったから。
トリアナという国は、グランドルを味方につけていると周囲に知らしめ優位を保っているから、グランドルの要望なら対応されると教えてもらった。
というわけで、ルイと義母たちが選んだドレスをクラウとアリエルは身に付け、王宮でのマナーも軽く教えられ、今は王宮内を歩いている。
ルイの家族に受け入れられるか緊張していたのに、それどころではなく目まぐるしく、呼ばれ指示されるままに動くほかなかった。
ちなみに今、王のいる部屋に向かっているのは、クラウと、ルイ、グランドル、アリエル、そしてルイの義父ヒルクの一行だ。
深夜なので、トリアナの王宮の中はとても静かだ。
グランドルと義父ヒルクが進み出る。最後の扉が開かれた。
***
一言で言おう。
ただひたすら緊張した。
何を自分が言ったかよく覚えていない。
ただ、トリアナの王は力になると言ってくれたのは、クラウにも理解ができた。ルイとクラウの結婚を認めるとの発言もあった。
皆にならって、礼をとった。
なお、今度王宮のパーティに勇者も出席せよと王が言ったのは、ルイが感謝を示しつつ、やんわり辞退。
次に王宮騎士との試合を望まれたが、これまたルイがやんわりと辞退に持って行った。
『王相手に嘘はつくな、見抜く人だ』と教えられていたから、『国の優れた方々相手に試合など、妻が万一負傷してはと心配でならない』とルイが切々と訴える様に、つまり本心かと途中から赤面してしまった。
それを王に興味深そうに観察されて、居心地は非常に悪かったわけだが。
とにかく、謁見は終わった。
***
その夜と次の日、ルイの実家に泊まる事になった。姉アリエルとグランドルも一緒だ。
改めてルイの家族や親族に紹介された。血縁者だけでこんなにいるのかとクラウは驚いた。
名前が覚えられそうにない。むしろ初めから無理だ。
クラウは、自分が姉アリエルと違い、容姿も秀でず、女性らしさもない事を自覚している。
なのに、姉アリエルとは別の意味で褒め称えられた。
つまり、腕や足の筋肉のつきが良いとか、背が高いので有利だとか。主に戦闘面からの賛辞だ。
結構微妙だが受けが良かったのでこれで良いやとクラウは思った。
ついでに、皆が『勇者』という称号に目を輝かせて手合わせを頼んでくるのが大変だった。
正直なところ自分の場合、聖剣は抜けたが、金のために売ってしまった。その時点で勇者の称号も売り払っているようなものである。
なのにこの扱い。
謁見でさんざん『勇者』を利用させてもらったが、詐欺のようで居心地が悪い。悪者を倒した実績も無ければ、実力も無い。
ルイもそれは把握しているようで、「絶対本気を出さないで。大切な人だから」と真顔で皆に諭してくれる。ただ、家族たちは不満そうだ。
断るのも悪いな、と思ったので、実力がない事を断りながらも、手合わせを始めた。
軽く打ち合い、と言いながら隙を見て本気の一撃を出そうとしているのが分かって気が抜けない。しかも『軽い打ち込み』の時点でかなり重い。
これが国に仕える騎士の実力なのだとしたら、さすがとしか言いようが無い。
なんとか3人目まで対応して、まだ残っている希望者をどうしようかと内心本気で悩んだら、ルイが4人目以降にもう止めてと頼んでくれた。助かった。さすが旦那。
あとで礼を告げておかなきゃ。嬉しそうに笑ってくれそう。
こちらに来る前、言い合いになっていたことを思い出した。
今思い返しても、やっぱりあれはルイが悪いと思われる。
どれだけ心配したと思ってんだ、馬鹿ルイ。取り乱して号泣しちゃったんだからな。
また自分が不機嫌になったのでクラウは忘れることにした。王様の要求を辞退してくれたことと試合を止めてくれたことに免じて、許してあげるよ。
***
2泊目の夕方ごろから、クラウとアリエルをもてなすパーティがルイの家で開かれた。
実は、ルイとクラウ、グランドルとアリエルへのサプライズ結婚祝福パーティだった。
急な開催に関わらず、ルイの家に縁深いという他の家の貴族もいて驚きだ。
龍のグランドルとその妻になったアリエルはともかく、貴族のルイとその妻になったクラウは、様々な人に挨拶をしなくてはならないという事で大変だった。
あんた誰だ、と内心で思いながら挨拶した。次から次へと、顔と名前なんて覚えられるはずがない。
疲れる・・・・。
ルイはやはり慣れていて、クラウより体力がないくせに平然とよそ行きの笑顔を維持している。
一方自分はつい表情に疲れが出てしまうらしい。仕方ない、こちらは一般人だ。
チラリと姉アリエルを眺めると、姉はいつものように美しい笑顔で楽しそうに周囲と打ち解けていた。
良いなぁ・・・。
そそっと、義母が近づいてきた。
「ルイ。クラウディーヌさんのドレスチェンジをしたら? 主役ですもの」
「えっ」
「そうですね。行こう、クラウ」
「えっ、だっ」
「任せて。来て」
***
別室に連れていかれて判明したのは、ドレスチェンジという名の休憩時間だったらしい。
心遣いに感謝、優しいお義母様だと思った。
「貴族って、大変なんですね」
義母相手にクラウは思わずぼやいてしまったらクスクスと義母は笑った。
ルイがなぜか声を尖らせた。
「母上。クラウはシンプルで大人っぽいのが似合うのです」
「お言葉ですけれど、娘のドレスを選ぶのは母の楽しみなのです。母の喜びを奪わないで頂戴」
なんだろう。瞬いているうちに、ささっとドレスが3着並べられる。
どれもフワフワふりふりだった。
「クラウディーヌは滅多に装いません。私も選ばせてほしい」
「ルイは謁見用を選んだではありませんか」
「あれは謁見用です。今は別物です」
「ルイには必要でしたから女性の演出方法を教えましたが、本来は男性が口を出すものではありませんよ」
「教えておいて何を。・・・待ってください。母上が推せばクラウが嫌だと言えないではありませんか!」
「ちょっと離れている間に流行に取り残された息子の意見など聞けません。今、つけ毛が流行っているのですよ」
「つけ毛」
「このような装飾も流行っています。知らないでしょう?」
「存じ上げませんでした」
思いっきりピンク色のフワフワしたドレスを前に、義母が優勢のようだ。
でもあれ、私には合わないよなぁ、とクラウは思った。
「クラウディーヌさん。このドレスを着ましょうね?」
義母の邪気のない微笑みに、クラウは仕方なく笑む。遠慮が優って確かに断れない。ルイ相手なら「それ無理!」と言えるのだけど。
着て似合わなかったら、納得してくれるかな。
***
ピンクのフワフワに包まれて、ついでにつけ毛と化粧も装飾品も変えられて、クラウはまた会場に出る事になった。
絶対に似合っていないから恥ずかしさしかない。
思い切り照れているのが気に召したのか、ルイが嬉しそうに喜んでいた。この馬鹿。八つ当たりしたい。
「クラウ! 夢が叶ったわね!」
アリエルに手を取られて喜んでもらった時だけ、ホッとした。
「髪の毛くるくるなのね。ふふ。お姫様。可愛いわ。私のクラウ。可愛い」
こんなに喜んでくれるなら、着た甲斐はあった。
でもきっと姉の方が似合うのにな。
「クラウディーヌ。皆に大切にしてもらってね」
と、頭を撫でてくれながら、姉が言った。ちょっとホロリと来た。
***
ところで、だ。
こんな事をしている場合なのだろうか。
グラオンに早く戻った方が良いんじゃないか。本当に問題は解決したのか。
役所で出した嘆願書の署名は集まっただろうか。懇意にしている人たちにも署名の協力を求め、他の人たちにも話を伝えてもらえるよう頼んできた。
『アンティークショップ・リーリア』のジェシカ店長は、使える人脈を使って絶対力になる、と青ざめた顔で約束してくれた。奥からシーラとサリエも出てきて、話を聞いてくれた。
私たちがトリアナで過ごしている間に、あちらはどうなっているんだろう。
***
「クラウが、私の家の一員だと知らせることが必要なんだ。家族に受け入れられている事、それからグランドルとも懇意である事も。グランドルの奥さん、アリエルさんの妹だという事も。使えるものは全て使う」
パーティの後、夜に同じ部屋で休むルイが教えてくれた。
「あの貴族のお嬢さんはどうなるの?」
「あの人は、どうなっても私は知らない」
ルイの冷たい口調に、それ以上聞くのを躊躇う。
「きっと、彼女の名誉に傷がつく。でも彼女の行動が彼女に跳ね返るだけだ」
ポツリ、と教えられた。
それがどういう状態か、具体的にクラウには想像がつかない。
我儘なお姫様。
我儘だったと、気が付けばいい。それが傷なら傷ついてしまえ、とクラウは思った。
だって、酷く悔しくて迷惑で、あれほど泣かされたのはあのお姫様のせい。
今回はグランドルと勇者の称号を振りかざしたから収まっただけで、それが無ければ、相手の思うままになっていたらしいのだから。
嫌な世の中だと、クラウは思った。
トリアナの、嫌な貴族など、皆滅びてしまえ。なんて呪うように思った。




