異変
クラウとも目を交し合い、ルイは一応確認した。
「グランドル。アリエルさん。私たちは、グランドルが私たちの式の時に贈ってくれた言葉をここで言いたいと思っています。良いでしょうか」
「おや。発音が難しいだろうに。私は構わない。アリエルはどうだ」
「練習してくれてたんでしょう」
見抜いたようにアリエルが楽しそうに笑う。
「どうぞ。お願いするわ」
この返答に、ルイとクラウは再び目を交し合って、タイミングを合わせた。
2人で声を合わせる。
「イーディセルク・ハラ・シュリ・リルク・ウィツ・ユェ・ハ・ルベリ・ア・ミリス・リーン・キーン」
アリエルの持つ花束が、シュッと音を出す。
色鮮やかな粒に変わる。
そしてパッと空間に広がる。
天から、ハラリハラリと花びらの形をした色彩が降りてくる。
グランドルとアリエルに舞い降りて、色彩の光は2人に触れて跳ねたように消えていった。
「絆が深く結ばれるように。天からの祝福をあなたがたに」
美しい光景に、グランドルもアリエルも目を細めて時間と空間を楽しんでいるように見えた。
***
突然の事だった。
龍の姿のグランドルが、アリエルを右手に掴んだ。と思うと左手が伸びてきて、ルイとクラウがまとめて掴み上げられる。
咄嗟の事態に何が起こったか理解が追いつかない間に、気がつけばグランドルの胸の下にかかえこまれた。指の隙間から、隣に右手の中のアリエルも同じ状態なのが見えた。
グルルルル
響く唸り声が上がった。
グランドルだ。
何だ。何が起こった。
ルイも初めて聞くこの声は、何者かへの威嚇だ。
となると、グランドルはアリエルと自分たちを守る体勢になっているのか。
隣、右手に囲まれたアリエルが不安そうにグランドルの指に縋り付いている。
***
唸り声は少しの時間で止んだ。
グランドルが少し力を抜き、アリエルとルイとクラウを開放した。
それでも、グランドルは上空へ警戒の目を向けている。
「どうしたの?」
不安そうにアリエルが尋ねる。
「今は去った。仲間だが、油断ならない相手が来た」
いつもになく硬い声には、どこか焦りの色が混じっている。
「・・・誰?」
ルイの問いに、グランドルからの答えは無かった。
***
グランドルがピリピリとしながら、アリエルやルイたちにはそれを出すまいと努めている。
アリエルが家に戻ろうと言ったので、グランドルは躊躇った後に、人の姿になった。けれど妙な事に、時折人の姿の輪郭がぶれるようになる。
宝物を奪われまいと抱え込むようにされたアリエルはそれでも無言でグランドルをじっと見つめている。
ルイとクラウも心配になる。
ルイはグランドルがこんな風に姿をゆらめかせるのを見た事はない。きっと普段を一番知っているのは、この中ではルイだと思った。
「グランドル。人の姿がぐらついているけど、大丈夫?」
「・・・叶うなら龍のままでいたいのだ。仮の姿では本来の力が出せない」
「ごめんなさい、グランドル、落ち着いて」
口を挟んだのはアリエルだ。彼女はこの状態に冷静そうに見える。
「龍の姿だと、家まで戻れないの。お願い、人の姿でいて」
「分かった。分かっている」
クラウが顔をしかめて念のため尋ねた。
「グランドルがこんなになるって、何なの? 魔王とかヤバイやつ?」
「魔王ではない。あいつはいない」
ルイの聞き方では返答がなかったが、クラウの聞き方でヒントが与えられた。
ルイとクラウで顔を見合わせる。
魔王、ではない。でも魔王は知り合いなのか?
クラウが続けて尋ねた。
「勝算は? 強いんだろ。ひょっとして聖剣なら勝てる?」
聖剣?
驚いたのはルイだ。
「勝ち負けなどない。そもそもあの剣は、あの龍が人間に与えたものだ。勝負にならん」
「勝負にならないっていうのは、圧倒的にグランドルが負ける。そういう相手なの?」
不明瞭な答えを、硬い声でさらに確認するのはクラウだ。出稼ぎで、その感覚が備わったからなのだろうか、とルイはふと思う。
それにしても、龍?
グランドル以外の龍。
龍は実在する。グランドルがいるぐらいだ、他にもいて当然だ。
だけど、グランドル以外に確認されたことはない。そんな話が出た事もない。
完全に神話の世界だ。宗教として、龍に祈りを捧げる宗教があるとは聞いたことはある。
「仲・・・あまり良くないの?」
まるで幼い日のように、ルイは尋ねていた。
グランドルがため息をついた。
それから片腕に囲うようにするアリエルを見やる。無言だ。
「家に、戻りましょ」
アリエルが微笑みをみせた。
***
「今日はねー、クラウとルイくんが来てくれるでしょ! 下ごしらえは済ませたの! あとはね、私とクラウで久しぶりに二人で厨房に立ちたいなって思って!」
家に戻った途端、アリエルが楽しそうに笑顔を見せる。
グランドルはまだ不安定な様子なのに、アリエルがニコリと笑むのに合わせて笑みを返している。どうやら反射的に笑みがこぼれてしまうらしい。彼も重症だな、とルイは思った。
クラウは、アリエルの元気さに乗る事にしたようだ。今日は結婚式で、祝いの日なのだ。
腕まくりをして、腕を突き上げた。男らしい。
「うん、よしきたー! 頑張ろうね、お姉ちゃん!」
「えいえいおー!! お客様をおもてなしよっ!」
「互いの旦那だけどね!」
「ぐちゃぐちゃ言わないっ!」
「はい、お姉ちゃんっ!」
勢いよく奥に進んでいく姿は、とても夫のための料理を作りに行くご婦人方には見えない。
野生動物を狩りに行くような力強さとたくましさ。兵士だ。
「・・・」
ルイは微妙な気持ちで二人の後ろ姿を見送った。
ひょっとしてこの店はあんな雰囲気で営まれていたのだろうか。そんな気はする。
それから、傍で身動きしないグランドルを振り返る。
アリエルの姿が消えた途端、グランドルの抑えていた殺気が放たれて思わずルイは身を引いた。
端正な顔に怒りによる皺が刻まれている。無音であるのに威嚇の唸り声が聞こえるようだ。視覚で確認できなくなったので、他で守ろうとしているのかもしれない、とルイは思う。
「・・・グランドル。まだ周囲にいるのか?」
「いない。だがあの者は急に現れる」
「今までにも襲撃されたことがあるのか?」
グランドルが、ルイをギロリと睨んだ。人の顔なのに爬虫類を思わせる眼球に一瞬戻り、ルイはまた身を引きかけたが落ち着けと言い聞かせる。
ここにいるのはグランドルなのだ。
きっと、何もできることはないとは知っている。それでも。
「何か私たちが役に立てることはあるか?」
この言葉に、グランドルは殺気を和らげた。深いため息をついて目を閉じる。
「ルイ」
珍しく腕を広げるようにして名を呼ぶので、幼い日のようにルイは傍に行く。
正面から抱きかかえられた。
「私は、お前たちを大切に思っている。・・・龍が、これほど他種族に入れ込むなど妙な話だ。我々は同族意識は強い。だがお互い干渉を好まない。それぞれが別に生きている。生きている事は知っている。だが触れ合う必要はない」
龍についての話だ、とルイは察した。
「私たちは、世界を構成する重要な要素だ。本来の性質どおりいるべきだ。ルイ、私は、人間と深く知り合う前は、ただ地底奥の洞窟で眠っているだけの性質。呼ばれて地上に出た。それ以来、人と関わるようになった。アリエルであった者が失われて、その喪失に耐えられなかったからだ」
守るように大切に抱きしめられていて、小柄なルイには、グランドルの胸元にさえとどかず、彼の表情など分かるはずもない。だけど切ない声だと思う。
「他の龍がどういるかなど知りはしない。だが、あの者は、私が間違っている時に姿を見せる」
え。
グランドルの言葉に、ルイは包まれながら冷えるようにギクリとした。
「私を元に戻そうとする。龍としてあるべき姿に。あの者はそうやって、私を以前矯正した」
続けられる言葉に、何を答えれば良いのか。
「アリエルには決して言うな」
「分かった。約束する」
「頼りにしている」
「グランドル。だけど」
ルイの呼びかけに、グランドルが腕の力をゆるめてルイの顔を見つめる。
人と親しくなることが、龍として間違っていると? 結婚式を挙げた事が?
だけど、グランドル。
ルイは何を言うべきか迷い、一番自分にとって伝えたい気持ちを選んだ。
「私は、グランドルがいてくれて、小さい時から味方になってくれて、本当に嬉しい。私はグランドルに、助けられている。心から感謝している。そんな状況にいるきみが、間違っているなど、私には決して、思えない」
そうだ、とルイは思った。
例え世界にとって間違ったところにグランドルがいるのだとしても。
ルイにとっては、彼は間違いなく感謝されるような貴重な場所にいてくれる。
「世界の均衡とは難しいものだな」
グランドルが普段と変わらない穏やかな声で、ルイの頭を柔らかく撫でた。
「・・・聞いてくれるか、ルイ」
「なんでも聞くよ」
「・・・ならば打ち明けよう。ルイ。私は、アリエルを思うあまり、気が狂いそうだ」
静かに、けれど奥に間違えようのない苦しさを込めて、グランドルが告白した。
ルイの目線に合わせてグランドルはかがむ。子どもの頃から変わらない。
対等の目線の高さで、グランドルが打ち明ける。
「今は良い。アリエルも、ルイも。戦乙女の剣を抜いた者さえも、今生きている。例えようもない幸福の一時だ。これ以上があるだろうか」
「・・・」
ルイはじっとグランドルの視線を受け止める。
グランドルは穏やかに笑んだ顔でいるのに、何かのきっかけでガラスのように砕けそうだと、なぜだか思った。
「この先、お前たちは死ぬ。いなくなる」
「けど、グランドル。また生まれ変わる。またアリエルさんをグランドルは見つけ出すことができる」
「できるだろうか。手がかりの剣は手元にない」
「代わりに宝箱を」
グランドルの笑みに、代わりにはならないのだとルイは察した。人の手で作ったものだ、所詮。そうだ、聖剣は人を勇者として『選ぶ』。人の意志を超えている。
「祝いの品を、感謝する。ルイ。クラウディーヌにも」
改めて告げられた礼だが、それどころではない。話題を終わらせてはならない。
「グランドル」
焦ったようなルイの言葉に、グランドルは目を閉じてからまた開けた。一瞬、眼球が人よりも爬虫類に近くなったがすぐに落ち着く。
「お前たちの祖先のレンと、アイスミントが生きていたのは、人間のこのあたりの国がまだ大きく一つだった頃だ。人間などこれほど多くも無かった。そもそも私が一度焼き滅ぼしたのも問題だったが」
ん?
ルイはわずかに眉を潜めたがそこで耐えた。焼き滅ぼしたという不穏な単語は今は気にするべきではない。
「ずっと待っていたから長かった。龍であれば気にする時間ではないというのに、人間はあっという間に消えるのだ。万が一見落としてはと、人に紛れて探してきた。その間に、どうだ。もう一人の仲間、ハヴィの子孫は途絶えてしまった。アイスミントと見て回った景色の多くは、原型が分からないほど変わっていく」
「自然の景色も?」
グランドルがおかしそうに笑った。
「私がこのように出回っているのだ。変わらない方がおかしいだろう?」
その理屈は良く分からない。だけどどうやらそのようなものらしい、とルイは自分を納得させることにした。
グランドルは宝物のようにルイの頭をまた撫でた。
「お前たちが生き残っていて良かった。お前たちだけが遺されたものだった。・・・だが、これがまた始まるのかと思うと、とても正気ではいられそうにない」
「・・・どういう意味?」
「長い時間を待って、与えら得る褒美が一瞬など、狂おしくて正気が保たない」
グランドルの周囲がまた揺れる。
「私は、死にたい。きっとこの感情が、正されるべき過ちだ」
「グランドル! 正気になって!」
ルイは焦った。
いつになく、グランドルが別のところを見つめている。呼び戻さなければと、とっさに思った。




