電光石火
馬車の中で照れたりしながら無事に戻り、階段にてあっさり「また明日」と挨拶してそれぞれ店と2階に戻った後だ。
上機嫌で入浴もすませて普段着に着替え終わり、さて今日あまり進まなかった『音声記憶装置の簡易版』3つ目に少し取り掛かってから眠ることにしよう、とルイが作業台に向かい合っていた時。
ゴン、ゴンゴンゴン
と正面の扉がノックされていた。
集中していたので、反応できたのは2回目の『ゴン、ゴンゴンゴン』あたりだ。
・・・誰だ。
時間を確認すると、もう日付が変わるころだ。
迷ったが、本当に緊急の何かかもしれないとルイは扉に向かい、
「はい」
とだけ答えた。
「ルイ! ルイ開けて!」
え、クラウだ!
ルイは慌てて開錠して扉を開けた。
「どうした!」
と言ってから、あれ、まだドレス姿だ、とルイはクラウを上から下まで見た。靴は普段のものだ。
「入れて、とにかく入れて! この恰好恥ずかしいから!」
「え、うん・・・どうしたの」
急いで入れて扉を閉める。こんな時間なので施錠もする。
クラウが本気で泣きだしそうに赤面していた。
「ごめん、本当にごめん、でも自力でできなかったんだ」
首を傾げて聞くルイに、クラウが恥を忍ぶように俯きつつチラリと上目遣いで頼んできた。
「あの、ネックレスと、あと、あの、ドレス・・・」
え。
「外れないんだ・・・」
ルイは絶句した。
つまり、言外に、ルイに外して欲しいと言っている。
***
自力では無理だった結果、このまま眠ろうと思ったらしいのだが、ネックレスで首が締まって死ぬ危険を感じたとか。
それは困る。
そして、ドレスもいつか脱がないといけないから頼むと。
そうですよね。
でもちょっと待って。本気で事情は分かったのですが。だからこそ。
精神を鍛える苦行だ。
努めて色々自分の欲求を無視しようとした。
でも、留め金4つめあたりで力尽きた。
ルイは、項垂れて額をクラウの後頭部につけた。
「・・・好きです。大切にします。触れたいです」
返事がない。
目の前、首の骨に触れる。そこから手のひらで右に撫でた。
くすぐったいのかクラウが肩をすくめたが、拒否の言葉は出ない。
「・・・キスしたら怒る?」
後ろからクラウの表情を覗き込む。
顔を赤くして困っていた。拒否ではなさそうだ。でも演技ではなく心底困っているようで、目が迷うように揺れる。不安そうだ。
顔を近づけたらクラウが動揺しながらも両目をつぶったので、右手はそのままに左手で頬を触って唇にキス。
顔を離して瞳が開くのを待つ。
恐る恐る目を開けたクラウは、未だに近くにあったルイの目を見て息を飲んだ。
可愛い。今すぐ結婚したい、とルイは憧れるように思った。
***
結局クラウを一度ギュッと抱きしめて、それだけでは離れられず、肩にも一度キスを落としてから、やっとルイは自分をクラウから引き剥がす。
努めて無心を心掛け、クラウが最初に依頼した内容を完遂した。
幼少時からルイは、自分の意志などお構いなしの好意でさんざん迷惑をこうむり、心底嫌だった。だから同じような事を絶対にしたくない。
クラウはネックレスとドレスを本当に自力ではどうしもようも無かったから、ルイに助けを求めたのだとも分かっている。
根性で、クラウが自力でなんとかできるところまで留め具を外した後は、旅で活用したマントをクラウに被せて2階の入り口まで見送った。
紳士に努めるべきだ、いくらなんでも駄目だ、と何度も何度も思いつつ、それでもルイは、扉の向こうに消えたクラウの姿に理不尽を感じた。
そもそも結婚は数年後でと考えているなんて言ったのは誰だ。
ギュッと眉をしかめ目を閉じて気持ちが落ち着くまで立ち止まり、やっと1階へと降りた。
ルイは思った。
明日、真面目にいこう。そして、手続きについて具体的にバートンさんに聞くべきだ。
***
翌朝、クラウは妙にルイを意識していた。目を合わせてくれない。とはいえ怒っているわけではなさそうだ。ソワソワしている。
無言でいると、朝食を準備しつつ、クラウの方から声をかけてきた。
「あの、昨日は、ごめん、本当にありがとう」
「大丈夫。あの後ちゃんとできた?」
「うん。お陰であの後すぐ寝れたよ」
「あの後私は考えたのだけど、クラウディーヌ様」
「え、え?」
「今日でも結婚して良いんじゃないのかな、私たちは」
「え?」
驚いてクラウが振り向いた。手にはスープのお玉を持っている。
「え、だって、数年って、」
「昨日馬車の中でも言ったよ?」
ルイは冷静に余裕をもって微笑んだ。
「え、あれは、だって、冗談で、なんていうか、私のために」
クラウの言葉に、ニコリと笑みを深くしてみせる。
クラウが驚いて目を丸くしてから感極まったようになった。
ルイは恰好をつけて言ってみた。
「数年先結婚するなら、待つ必要もないと思わない?」
「だって、ルイに悪いよ」
「全く悪くないです。早まる事は私の望みです」
「ほんとうに?」
「本当だよ」
ニコリと笑み諭しながら、ルイは内心で思っていた。
この人、昨晩どれだけ自分が誘惑したか判っていないはずはないだろうに。
「でも、今日はいくらなんでも早くて嫌だ」
動揺しながらも、顔を赤くしつつ、クラウが苦笑した。
しかし断られても問題ない。さすがに今日は無いとは分かっている。
「じゃあいつが良い?」
とルイは尋ねた。
「いつ・・・」
「1か月後は? クラウ、結婚ってどういう手順になるのかな」
「え、手順」
「私の家は貴族だけど色々変わっているから、国にも家にも事後報告でも構わないはずだ」
極論だ。事前通知をした方が良いに決まっているが、先祖の数々の逸話を聞く限り事後でも許されている。
「クラウの方は? どのような手続きになるのかな」
「・・・式をしてお披露目したらいいだけだと思う・・・」
「式ってどんな感じかな。国が違うから教えてほしいな。どこでどんな風に?」
「たぶん・・・普通は教会で、司祭から祝福をもらう」
「それだけで良いのかな?」
「分からない。それにこの町は教会は無いはずだよ」
「え? どうして」
「理由は知らないけど、大きな町の方が無いんだよね。この町では結婚式はどうしてるんだろう」
「じゃあバートンさんに聞こう。この後、2人で聞きに行かないか?」
「・・・あの。本当に、1か月後?」
「遅い?」
「いや・・・でも」
「駄目?」
「・・・駄目じゃない」
クラウは少し口ごもる。チラリとルイを見て恥ずかしそうにしている。
やはり、昨日の事で、ルイを酷く意識したようだ。レストランでの求婚もあったけれど、昨晩のルイの対応が良い効果をもたらしたのなら、忍耐と努力が報われたことを心から喜ぶばかり。
「1ヶ月後に、私と結婚してくれますか?」
「・・・はい」
やった。
ルイは満面の笑みでクラウを見た。
嬉しい。こんなに嬉しく幸せに思う日がいままでの中であっただろうか。
人生をかけて心から望んだ状況が手に入るなんて今までなかった。
クラウの方は、俯いたが嬉しそうで、どうやら顔があげられない様子。
ルイの方に余裕がある気がする。
朝食の準備を手伝った。
***
「なんか、全部、色々、ありがとう、ルイ」
と朝食を食べ終わってからクラウは言った。
「昨日の花も、小物も。全部」
「喜んでもらえて良かった。それにこちらこそ。私こそ昨日は本当に緊張していた。申し出を受けてくれてありがとう。小物も、気に入って貰えた?」
とルイは尋ねた。
昨日レストランでクラウに贈った小箱には、小さな、カラクリ仕掛けの砂時計が入っていた。
装飾に小鳥2羽、蕾が8個ついている。砂時計の中身が1回落ちると、自動回転して2回目が始まる。8回目まで小さな蕾が咲く。つまり8回分まで時間が測れる。小鳥の位置を変えられて、設定した回数が来たら小鳥が並んでさえずる。
ルイの自国のトリアナにはなかったけれど、このメリディアでは、砂時計は『あなたと時を過ごしたい』という意味になるという。
ルイの問いかけに「うん」とクラウは頷いた。テーブルに視線を落としたままだ。
「ルイの前で開けなくてごめんね。帰ってからすぐ開けたんだ。砂時計もらえるなんて。すごく可愛いし、本当に嬉しかった。宝物にするね。一生大切にする。ルイの前で開ければ良かったのにって、思ったんだ。意地っ張りでごめんね。本当にありがとう。・・・すごく・・・本当にありがとう。うまく言えないね」
まるで嬉しさを持て余しているようだった。
そんな相手を目の前に、ルイの心の中にも幸せが満ちていく気分がした。
ルイは話題を続けた。
「小物の使い方は分かった? 色々工夫があるんだよ」
「あ。花の戻し方が分からなくて、聞かなくちゃと思ってた」
クラウがハッと慌てたように立ち上がり、奥の扉に向かう。そして、再び現れた時には手に小箱を持っていた。
どうしてまだ小箱?
クラウは皿をまず片付けて綺麗にしてから、テーブルの上にその小箱を置き直した。
リボンまで再現されていた。
ひょっとして、昨日取り出してまた戻した?
クラウは嬉しそうに丁寧にリボンをほどき、小箱の蓋を開けた。
綿にくるまれた砂時計を大切に取り上げる。
余程気に入ってくれたのだ。
きっと、込められたメッセージも渡した状況も全て含めて。
「花を蕾にもどすのは、どうすればいいの?」
幼い少女のような顔をして、クラウは尋ねた。その様子にルイは意表を突かれる。
こんな表情を見せるなんて。
気を取り直して、ルイはクラウの手の平の上の砂時計に、向かい側の席から手をのばして少し操作した。
「花を戻すのは、天頂の2羽の小鳥を少しゆっくり長く押す」
「・・・あ。戻った!」
「それからね、この小鳥、ネジになっていて、少し回したら上に抜ける。タイマーとして使えるんだ。例えば、3回目に鳴かせよう」
台ギリギリのところに1羽を差し込み、3つめの花の傍にもう1羽を差す。砂時計を指でつついてスタート。
ゆっくり見つめる中で砂時計が回転する。その動きに合わせて、1羽がもう1羽の方へと近づいていく。
「わぁ」
と小さく息を飲むようにクラウが目を輝かせた。
3回転目。3つ目に開いた花の傍、2羽の小鳥が並んだ。小鳥のさえずりを模した音が、ピルルルル、と鳴る。
なお、精巧なカラクリと魔力を使っているそうだが、ルイにも仕組みはさっぱりわからない。ルイの作るものとは全く違う分野だ。
「・・・気に入ってくれた?」
「もちろん」
言葉以上に気持ちを込めて、クラウが答えた。
***
さて店だ。
午前は、『アンティークショップ・リーリア』に魔法石を売りに。
今日はルイも売りに行き、その後2人でバートンのところに、と思ったらクラウに止められた。
「昨日来てくれたパン屋の人が今日来てくれるはずなんだ。店長は今日は店にいた方が良いよ」
なるほど、確かに。クラウの方がしっかりしている。
バートンへのお礼と結婚式についての相談は後回しにして、いつもの魔法石の販売は、普段通りクラウ1人に行ってもらうことになった。
なお、クラウがクッキーの事を思い出して買ってこなかったと焦ったので、ルイからすでに渡してあると教えたらクラウは安心して出かけて行った。
***
いつも通りにクラウが店に戻ってきて、ルイに売り上げのコインと報告を行い、店側に立った直後だ。
パン屋の人がやってきた。
ルイも店側に出ていって希望する内容を聞く。
すでにある窯で、火を強めたいという希望だ。
ルイには判断が出来なかった。
魔法石を使えば、熱の温度を高めることはできる。
ただ、状況がよく分からないので具体的に話すことができない。
やろうと思えば、温度はかなり上げることはできるだろう。けれどどこまでのものを求められているのだろうか。
「判断のために、現場を見させていただいても宜しいですか?」
「あぁ良いよ! 是非来てよ!」
クラウを店番に残し、ルイは現場を見に出ることにした。




