タイミング
夕食は、美味しかった。少し量は抑えてある。その方が話もきちんとできると思ったからだ。
食事の間に日が落ちて夜になっている。
窓の傍の席だから、灯りがつけられていく様子を二人で観察してみたりした。
そんなのはどうでもいいんだけど、とルイは思っていた。
どのタイミングで行くべきか。今か。あ、本気で観察してる。
ルイの周囲、適度な距離を保って控えている店員が、ルイの視界にうつる時にグッと両手を握る身振りで密やかに応援の意志を伝えてきた。未だに気配がないから心配しているのかもしれない。
うぅ。緊張する。
外が暗くなっているので、ルイとクラウの表情がガラス窓に映り込んでいる。外見的にもハッキリしている年齢差を目の当たりにして、勇気がぐらつく。
でも、どれだけ年数が過ぎても、埋る事が無い差なのだ。
・・・まさか、こんな憂いた気分で告白するなんて思いもしなかった。
「――クラウ」
静かな呼びかけに、クラウがふとルイを見やり、ルイの表情を確認して緊張した。
クラウの方だって、すでにルイが告白するつもりだと十分に知っている。
暗い心の中からそれでも保ち続けている希求心に焦点を当て、ルイはクラウを見つめる。
クラウも真面目な顔で見つめ返している。ルイの顔にまだ慣れないらしいのに、真っ直ぐだ。
「私は、きみより、4つも年下で、色々頼りない事もあって、きみに届かない事も多いけど、だからこそ私はクラウに憧れていて、ずっと傍にいて過ごしてもらえたら、どんなに嬉しいかと、思っている。あなたが希望する事は叶えたいし、応援したい。でも、どうかずっと傍にいて欲しい。一生を、どうか共に、伴侶になって欲しい。お願いします。私と、結婚することを前提にして、婚約者になってもらえませんか」
静かに訴えるように、言った言葉を、クラウは途中で動揺したように震えて視線を下に外し、それから一拍後またルイを見つめた。
「・・・結婚」
「はい。・・・正確には、すぐにとは、私の方では思ってはいないのです。何分、まだ若輩者で、店も開いたばかりなので、できれば数年後が良いとは、思っています」
「ごめん、ルイ――」
挟まれた言葉にドキリと心臓が捕まれる。恐怖で身体が一瞬震えた。
「あの、ごめん、もっと、分かりやすく、お願い、いつもみたいに、話して、欲しい。あの、ごめん」
申し訳なさそうなクラウの言葉に、えっ、とルイは目を丸くした。少し安堵の息を吐きそうになる。それから今度は膝の上の指が勝手に震えた。
断られたのだと、思った・・・。違った。まだ違った・・・。
分かりやすく。
「うん。ごめん、ね。緊張して、つい、クセで」
「うん、こっちこそ、ごめん、あんまりにも緊張しちゃって、あの、普通が良いよ。・・・ねぇ、無理を言って悪いけど、お願い、笑って。ルイが緊張してると、私なんて、どうしていいのか分かんないよ」
あ。確かに、笑顔も何も、作れてもいなかった。
一呼吸入れてクラウの様子を改めて見ると、確かにクラウは酷く緊張していた。そして、ルイに縋っていた。クラウはこんな場所にいる事も、上質な衣服を着ている事も、店員にさりげなく気配を探られている事も、慣れていない、のだ。
ルイはクシャリと笑って俯いて、苦笑しながら顔を上げてクラウを見た。
「緊張させてごめんね」
「う、うん」
「結婚だけど」
「うん」
「まだ私は店も始めたところだし、結婚できる年齢とはいえ、まだ若いと自分でも思うから、今すぐ結婚とは、思ってないんだ。でも、数年後にはできたらいいなと、私は思っている。でも数年以内に、時期を見て結婚したいって、クラウ、思っているよ。ただ、まだだから・・・婚約者になってほしいと、思って」
「数年後・・・」
「嫌かな」
「え、と」
「クラウは私より年上で、本当に適齢期だから、私を待つ数年が負担になるなら、今すぐでも良い。とも、思ってるんだけど」
「・・・」
「・・・返事を、聞かせてくれないかな。・・・無理なら、振ってくれて良いんだ」
「泣きそうな顔でそんな事言わないでよ」
クラウが眉を下げた。
「ねぇ、かっこよくプロポーズしてくれるんだろ? ねぇ、返事は決めてるんだ。お願い、年下とか年上とかそんなの大丈夫だって思わせてくれる言葉が良いな」
ルイはマジマジとクラウを見た。
返事は、決まっていると、クラウは言った。
それで『かっこよく』なんて要望を出すのだから・・・恐れる事はきっとない。
「あの。かっこよさということなので、やっぱり丁寧な言葉でも良い?」
「分かった」
真剣な顔でクラウが頷いた。
ルイも頷いた。それから笑んだ。そうだ、笑顔で。恰好よく。
「・・・クラウディーヌ様。どうか私の伴侶になっていただけませんか。人生をかけて幸せにします」
月並みだけど、結局、心から。
クラウが恥ずかしそうに、けれど明るい笑顔になった。
「ありがとう。すごく嬉しい。ルイ、一緒に行こうね」
ルイは目を丸くした。なぜだろう、クラウの短い言葉の方が格好良かったような気がする。言葉で負けた・・・。
パチパチパチパチ・・・!
いつだ今かと待ち構えていた店員たちが一斉に拍手をした。
2階を利用していた他の客がざわめいて、店員たちの視線からルイたちを見つける。
店員がそっとルイに近寄り、クラウに見えないよう配慮しつつ、ルイに花束と小箱の乗ったトレイを差し出してきた。
そうだった。手配していた。
ルイは頷いてまず小箱を受け取り上着のポケットに。それから花束を取り上げて、席を立ち上がる。
数歩。少し動揺しながらも期待した様子のクラウの傍に。
笑顔で花束を差し出す。
「座ったままで良いよ、受け取って」
「あ、うん」
頬を上気させてクラウが片手で小さな花束を受け取った。
そのまま両手を添え嬉しそうに花束を見つめるクラウに、ルイはいたずら心のようなものにふと刺激を受けた。椅子の背に片手を載せて上からクラウを囲むようにして、耳元で囁いた。
「あなたは私の、唯一選ぶ人です」
「え」
驚いてクラウが顔を上げ、間近にあるルイの顔にさらに驚き少し身を引く。ルイは笑む。まるでこちらが何年も年上であるかのように。
クラウが瞬きをしてじっとルイに見惚れたのを、今までの経験からルイは知った。
ルイはくしゃりと笑顔を崩して幼く笑う。
表情の変化にクラウがキョトンとしている。
「クラウ。えっと、記念日になると、恥ずかしいけど先走って思って、贈り物を用意しました」
「え。あ、嘘。花束もくれたのに、まだあるの!?」
「うん。きみ、小物が好きだろ? これなら気に入ってくれるかなって思ったんだ。きみが装飾品が好きか本当に分からなかったっていうのもあって」
ルイは先ほどポケットに入れた小箱を軽く取り出す。
「どうぞ。私の唯一のお姫様。私の心を受け取って」
ルイの演技じみた、けれど砕けた振る舞いに、クラウはポカンとして、何度も小箱とルイの顔を交互に見つめた。
「・・・よくそんなセリフが次から次へと・・・」
「格好良くって希望を出したの、クラウじゃないか」
「うん。・・・あの。ちょっと耳を貸して」
「うん?」
困った様子のクラウに頼まれて、ルイが耳を寄せる。
クラウは囁いた。
「あのさ。店内がずっとこっちを注目してるんだけど、どうしたらいいの!?」
「・・・」
言われて、ルイはその姿勢のまま店内を見回した。確かに、店内がどこかハラハラしたように自分たちを見守っていた。
うん、多分普通は、ここで抱き合ったり、女性が感動に泣いたりとか、分かりやすい動きがあるんだろうなぁ。
ルイは囁き返した。
「分かりやすく、この場をまとめちゃっていい?」
「え、う、うん、分かんないから、任せるよ」
「ではお言葉に甘えて、どうか私にあなたの御手を」
「・・・うん?」
クラウの、肯定でなく怪訝な言葉を軽く無視し、ルイはクラウに向かって片膝をついた。
花束を持つ手の片方を軽くつかみ取り、ルイは周囲に向けて分かりやすく手の甲にキスをする。
ここでこれ以上の事をする気はルイには無い。見世物になる。
顔をあげてニコリとクラウを見つめれば、クラウが赤い顔でじっとルイを凝視した。
ルイはふと表情をゆるめた。
この人、感動でちょっと泣きそうになってる。
大切にしたいな。
ルイは立ちあがり、周囲に向かって丁寧に礼をした。
拍手のタイミングを掴み兼ねていた店内が、ワァと大きく盛り上がった。
半歩だけ下がって、クラウの座る椅子の背に手をかけて、二人並んだ様子をアピールした。
これで、イベント完了。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
店内から暖かい声援が飛んできて、意表を突かれてルイは目を丸くして、思いがけず赤面した。
***
相当照れた。自分が店に取り計らいを頼んでいたとはいえ。
レストランを出て、服の店に荷物を取りに行く。本当は閉店の時間だったのにルイたちを待ってくれていた。感謝した。帰りは店で着替えてと思っていたけど、すでに迷惑だ。荷物だけを受け取って、ルイは停まっている馬車を見つけて店の近くまでと依頼した。クラウがきれいで可愛いので、こんな姿で夜を歩かせたくない。
「店長」
「ルイ」
「ルイ」
呼びかけ方を訂正されつつ、クラウは言った。
「今日、ものすごく大金使ってるよね。無粋とは分かってるんだけど、あの、ずっと金で困ってきた身なので気になっちゃうんだけど・・・支払い、大丈夫?」
二人きりの車内、向かい合わせに座っているルイは呆れたように肩を竦めてみせた。
「うちの店の売り上げ状況、よく把握しているじゃないか」
「うん。いやそれでも念のため」
「大丈夫だよ。心配しないで」
「そうだよね。心配ないよね」
あれ、本当に不安そうだ。
ルイは真面目に答えた。
「大丈夫。こんな程度で、私の店は潰れないし、借金する必要はない。安心して」
「うん。ごめん、本当に変な事聞いて」
「良いよ。何でも聞いて。その方が私も安心できるから。クラウは、私が気づかない事たくさん気付いてくれるから本当に嬉しい。店としてもね。個人的にも、大好きだよ」
「・・・」
クラウは無言でソッポを向いた。
照れているとルイには分かったのでショックは受けることはない。
「・・・クラウ。結婚の時期、いつが良い? 他に何か気にしていることはある?」
「・・・あの。私で、本当に良いんだよね?」
クラウが心配そうに尋ねてきた。
「うん。絶対に、私にはきみしかいない。他の人じゃ駄目だ。クラウの方こそ、私で、ごめん。でも選んでくれて嬉しい」
「・・・ありがとう」
「私たち、婚約直後だというのに差し向かいに座るほど、似てるなぁって思うよ」
「うん。照れて恥ずかしくてさ・・・」
「私もだ」
二人で少し視線をそらせつつ、笑う。
「時期はさ。私もすぐになんて思わない。もっと考えてで良いと思う。でも、ただ・・・」
クラウが少し目を伏せた。
「お願い、私を捨てないでね」
真実、心からの言葉だとルイは気づいた。じっとクラウを見つめる。
花束を握りしめてくれている両手に、身を乗り出して両手を添えた。
「絶対にそんな事はしない。クラウ、私はあなたに追いつきたくて必死なんだ」
「本当に? 本当だよ。たぶん、そうでないと、もう私は保たない」
クラウが泣きそうな顔だ。アリエルさんの事が影響しているはずだ、とルイは察する。
きっと、誰からも必要とされていない気分になるのかもしれない。
ルイは今思ったことを、そのまま真剣に伝えた。
「今すぐ、明日でも、結婚手続きを取っても良い」
それで不安が晴れるなら。
それから思いついて、冗談めかした。
「グランドルとアリエルさんの結婚式に、先に夫婦になって参列するのも良い案だと思わないか」
クラウが笑った。
でも、名案だと思うよ?




