魔女は、笑って握り返した
あけましておめでとうございます。
ゴォン、という音がして、一年の終わりを、或いは、一年の始まりを告げる。
「はあああ~~~~福袋大勝利すぎる……推しが可愛い……最高……」
早々に引いたガシャの結果が大満足だ。ヴァニ・カーリスは、ゴロリとベッドの上に転がりながら、手に持つスマゲ(と呼ばれるゲーム機器)を持ち上げた。
そうして、愉悦に浸っていると、ほんの二分後に別の機械が音を立てる。
目を向ければ、ゲーム専用のものではなくて、主に連絡用として所持している機械からだった。
「ん、グループ……あけましておめでとう……セルか」
ポン、ポン、ポンと。立て続けに、新年を祝うコメントの羅列が並ぶ。
「あけましておめでとう……っと。あ、アビス、お前も何か入れる?」
「むぅ? 良いのか、余の契約者」
音も無く現れた少女が、満面の笑みを浮かべた。獣の耳と尻尾を愉しげに揺らして、ヴァニから機械を受け取ったアビスが、慣れた手つきで打ち込みをする。人間、ヴァニの見様見真似ではあったが、精霊の知能は計り知れない。
いつものメンバー分のコメントが並び、それから、少し目を剥くようなコメントが続いた。
「初詣?」
*
外は深夜ながらの静謐さと、雪でも降りそうな重たい雲と夜空が満たしていた。
はぁ、と吐いた息が真っ白で、厚いダッフルコートの下で身震いをする。マフラーと手袋を身に着けてなお、寒さを凌げた気がしない。
「さっぶ……アビスはいいなぁ」
「ふふん、余の毛並みを羨ましがる気持ちは分かるが、いくら、愛しの契約者といえ、この毛を刈って渡すわけにはいかぬのでなぁ」
「いや、それはいらないんだけど……っていうか俺が羨ましがったのは、精霊だから気温を受けないんだろうなぁという利便性なんだけど……」
巫女服を模したお気に入りのセーラー服と、耳まで覆ったいつものパーカー姿。傍から見れば、寒すぎる格好だ。
指定された神社へ向かう。名高い神社で有名なその社は、幸い歩いて五分足らずの所にある。
「うぇ、人多い…………」
「む、ヴァニよ、空を見上げよ」
人だかりが多くなるにつれ、嫌な予感はしたのだ。そもそも、初詣なんて、何年ぶりだろうか。アビスに促され、視線をあげる。
「よっ、……っと」
頬に当たる風が暖かい。暖風を纏って、降りてきたのは金髪の少女だった。
「あけおめ、ヴァニ、そしてアビス」
「ヒュリス、あけおめ……空から?」
その、彼女の腕に小さな蝙蝠が纏わりついていた。オッドアイの双眸を、一際強く瞬かせたそれは、羽を広げて飛び出す。
一瞬、その姿が霞んだ。次の瞬間には、青年の体躯を持つ人型へと形作る。
「俺っちには挨拶無しっすか!」
「はいはい、うるさいよ。二人だけ? 今来たとこ?」
バンダナを指で押し上げながら、文句を垂れる合成獣――ヒュリスの使い魔、リオン。キョロキョロと周囲を見渡したヒュリスに、ヴァニは頷く。
それから、彼女が纏う暖かい風に、眼を細めた。
「ずるい……」
「え、何が。……ああ、これ?」
魔術は繊細な能力だ。誰もが当たり前に使える能力ではあるが、人それぞれに才覚がある。極限にまで威力を最小限に抑え、なおかつ、炎と風の属性を組み合わせた、所謂「二十四度に設定したエアコンの風」。それに、リオンが編み出した風の魔術に乗せて、ヒュリスはここまで飛んできたのだろう。
ともあれ、口で言うのは簡単だが、並大抵の事ではない。この風でさえ、冬空の下で吹き荒れる冷たい風を乗りこなす必要がある。
間違っても、ヴァニにそんな技術は無い。
「仕方ないなぁ、ヴァニにもお裾分けしてあげよう」
尊大な態度で流れてくる暖かさ。全く、泣きたくなる程の優しいお心である。
暫く四人で固まっていると、見慣れた髪色の青年が近づいてきた。
「よーっす」
手を振り返す。白い息を吐き出し、寒そうに身を縮ませたテイルは、ヒュリスを一目見て、あからさまに眉を寄せた。
「うっわ、ずる、何その魔術」
「ヴァニと同じことを言うんだねぇ、テイル」
「昔のオレでも、んな魔術は使えなかったよ。これだから天才ってやつは……」
ヒュリスはまんざらでもなさそうに笑みを湛え――そして、視線を滑らせる。
「でも、あそこにもいるよ。天才が」
「やだ、わたし、最後……?! あ、あけましておめでとう……」
息を切らして駆け寄ってくる影が一つ。上気した頬と、うすら見えるのは、風を阻む氷のシールドだ。
もう一人の天才、もとい、セルウィスは、テイルの嘆息を受けて、不思議そうに首を傾げていた。
「何だろうあれ、美味しそう……!」
「こ、こらヒュリス、まずはお参りからだって! リオン、ちゃんと手綱とっとけよ!」
「ヴァニ、生憎っすけど、使い魔は主に仕える存在で、主の暴走を止められる生き物ではないんっすよ……」
「悟ったような口ぶりで言うなッ!」
目を離せば、人混みを掻き分けて進んでしまいそうなヒュリスのマフラーを掴み、ヴァニは顔を顰める。チラ、と後方を向けば、懸命に三人を追おうとするセルウィスと、最後尾のテイルと目が合った。
「ええっと、大丈夫か、セル……?」
「へ、平気よ……! ただ、ちょっと、大人の人が多くて……!」
小柄で年齢も十五歳、人の波に溺れそうになる姿にヒヤヒヤする。同じく小柄な方のヒュリスといえば、むしろ、どこか行ってしまいそうな不安が湧くのに、この同い年組は全く正反対だ。
あー、と、テイルが若草色の髪を掻く。
「セルウィス、気をつけねぇと転ぶ……あっ!」
……後ろも後ろで騒がしい。一度、前を見ていたヴァニが、再び後方に目をやったときには、ガッシリとテイルの腕に掴まるセルウィスの姿があった。
「あ、危なかったわ、転ぶところだった……」
「大丈夫かよ……」
問題は――無さそうだ。セルウィスはテイルに任せ、己の精霊に声を掛ける。
「アビスは良いのか」
「「むー、この人だかり。流石の余も、ちょっと潜り抜けていくのは困難だからなぁ。余は、こうして裏側から汝等を見詰めるとする」」
「なんか悪いな……」
「「悪いと思うならば。優しい契約者よ、後から何か奢るといいぞ」」
ヴァニは、微苦笑を浮かべて頷いた。日頃から世話になっている己の精霊の頼みだ、断る理由も無い。
列が動き、ヴァニ達の順番が近づいてくる中で、ヒュリスはヴァニを向く。
「何を願う?」
「口に出していいのか、それ」
祀られている神は、全ての神社にて同様だ。何故ならば、この世界テレジアにおいて、神と名がつく御柱は、世界を創造した神であり唯一神だからだ。
小銭を手の内で弄びながら、ヒュリスは肩を竦めた。
「ぶっちゃけさ、神頼みはしない性格なんだよね」
「だろうな、知ってるよ。……じゃあなんで来たんだ」
「ええっ? 聞いちゃう?」
金色の髪を揺らした少女は、世界でも数人しかいない【魔女】は。
「友達が、行きたいっていうならさ。行くだろう、普通」
一欠片の照れも無く、満面の笑顔で、そう、告げた。
初詣に行きたい、と漏らしたのはセルウィスだった。隠しもせずに表情を綻ばせるヒュリスを、真っ直ぐに見る事が出来なくて、ヴァニは咄嗟に視線を逸らした。
新年早々、良いものが見れたな、と。
口には出さず、ただ、胸の内で思う。
「うっわ大凶」
テイルがげんなりと眉を寄せた。その隣で、同じくあまり良い表情をしない、リオンが口をすぼめる。
「中吉っすか……なーんか、腑に落ちねぇっす」
ヴァニも、彼等に乗っておみくじを引く。あ、と声をあげたのはセルウィスだ。
「大吉……! ええっと……? 望み、願えば道が開く……?」
「何か良い事書いてあるな、お、恋愛運も良いぞ、良かったな」
「……テイルさん、わたしを妹扱いしていない……? こうみえて、わたし、もう十六歳になるのよ?!」
憤慨するセルウィスに、テイルは、はいはい、と右から左へ流していく。
「十六歳なんて、まだ子供じゃない? 別に、無理して背伸びする必要はないと思うけど」
「ヒュリスちゃん……って、ああ、口にソースついているわよ……」
賑やかな声を聞きながら、ヴァニもおみくじの結果を見てみる。
……小吉だ。
ひたすら、微妙である。
「「健康運、最悪ではないか」」
「ほんとだ……まぁ、しょせんおみくじだしな? 別に気にしてないし? 全然な!」
「「めっちゃ気にしてるではないか、汝」」
アビスに虚勢を張りつつ、小さく折り畳む。ようは、気持ちの持ちようが大事なのだ。
「おっ、あっちで甘酒配ってるっすよ、ヒュリス様」
「んん、良いね……!」
「おーい、ヴァニ、しっかり見ておかないと、まーたどっかフラフラいっちまうぞ」
テイルがからかい混じりの声を上げ、ヴァニは慌てて金色の少女を探す。セルウィス程ではないが、ヒュリスも小柄だ。大して遠くに言っていないだろうと思いながら、目線を彷徨わせ、
「こらっ! ヴァニ、何をしているんだ! 早くいくよ!」
想定以上に近いところから、声を掛けられる。
もう、ほぼ目の前に立つヒュリスが、口調とは裏腹に柔らかい声音でヴァニを呼ぶ。
……どこにもいかない。
ヒュリスは、傲慢の魔女は。決して、ヴァニから離れない。
いつまでも彼の手が届く範囲に、声が、聞こえる範囲に。
己の内側で渦巻く感情が、正月の華やかさに似合わない、薄暗いものであると分かっている。虚飾に塗れた激情が、未だ、奥底で眠っている。
……いつか、それは牙を剥くだろう。ヴァニではない、ヒュリスでもない。
臓器を喰い破り、薄い皮膚をも切り裂いて、「出来損ないの魔術師」の皮を削り取って。
魔女として、それは、目覚めの時を待ち続けている。
パシ、と手を取られた。停止していた時間は数秒にも満たないものだったが、ヒュリスは待ちきれないとばかりに、まるで太陽のような明るさでもってヴァニを促す。
「ほらほら、行くぞ! セルウィス、リオン! アビスもテイルも――立ち止まっていちゃ、時間が勿体ないんだから!」
目覚めの時。それは――太陽が陰る時だ。
けれど、その日はきっと、……まだ来ない。
だから、ヴァニ・カーリスは笑みを浮かべて、彼女の指先を握り返した。