鳥も花も生きる世界で
変革の空 組
if軸 本編後
荒廃した世界が、どこまでも続いている。空にはガラス玉のようなオーロラが見え、足場は砂塵に塗れているというのに、息が白くなる程に冷えていた。
そんな砂漠の中で。
「……駄目だな、こいつは」
「駄目、ですか……」
二人組が、ポツリと零す。その後、揃ってため息をついた。
二千二十年、突如、原因不明な【月の落下】が起こり世界は荒廃した。これにより、大地に月の魔力が萬栄し、世界を覆ってしまう。
そして、その月の魔力の影響により、人間が変異し『魔族』が生まれた。
彼らは人間を襲い、世は退廃し、もはや誰もが種の存続を諦めかけていた。そんな折、羽根を持つ子供が生まれてきた。彼らの羽根は月の魔力の影響を受けず、『魔族』にならないばかりか、襲われる事も無かった。その為、人々は彼らを“道具”として育て始める。
羽根を持つ人間を、『墓守』と呼称した。
やがて、彼らの活躍により『魔族』の暴虐も少しずつ息を潜めるも、人々は、徐々に『墓守』の力を恐れるようになる。彼らを御すため、人間と同じ命を持ち、感情を持つ機械『葬儀屋』を生み出した。
人間、魔族、墓守、葬儀屋。
現在、世界には四つの種族が存在している。
『墓守』と『葬儀屋』は、以上の事から相容れない。だが、世界は広く、例外もある。
とある事情から、気が付けば唯一無二の“相棒”となった『墓守』ハルと『葬儀屋』カガリは、ニホンを縦横無尽に走り回る日々を送っている。
彼らは、ゆく当てのない旅路をしていた。その足となるのが、以前譲り受けた車である。
「まさか燃料が切れるとは……それに、部品も酷く摩耗しています。困惑、早めに気付けばよかったのですが」
カガリは呟く。それに、ハルは肩を竦めた。
「今更、あーだこーだ言っても仕方ねぇだろ」
「そうそう。ま、ウチを頼ってくれて嬉しいぜ、お二人さん。後は先生に任せな」
彼らに安心させるようにして、青年が笑いかけた。
薄紅色の女ものの羽織りを肩に引っ掛けた、和装の青年だ。濡れ羽色の髪に、朱色のメッシュが目を引く。世界には、幾つか人間が生きる都市……通称ドームというものがあり、彼はキョウトのドームの責任者でもある。
名を、夜鷹という。
ハルとカガリがキョウトに訪れたのは、偶然、故障した場所からキョウトが最も近かった事、そして、彼と知り合いである所以だ。
「すみません、夜鷹さん。突然お邪魔してしまって」
しおらしくカガリが謝るが、夜鷹はカラリと笑う。
「気にすんな。お前さん達が来て、邪険に払うような事はしないさ」
夜鷹は気前よく言い、二人をキョウトの町中まで案内した。
……ハルとカガリは、周囲を見回して、寂れた様子に言葉を飲み込む。
キョウトは、人が居ない。人間は夜鷹と、彼が言う先生だけだ。それは、過疎化が進んでしまったからだ。戦争が起きて、キョウトを含め各地のドームは被害を受けた。少しずつ人が減っていき、今は、ドームという名の仮初の形を取っている。
静かな町並みだ。放っておかれた屋台、出店はそのままで、何とも物寂しい。
「オレはとりあえず先生のところに行くから……うん、先に家でくつろいでいてくれ。勝手に入って良いから」
適当に、今書いたという地図を渡されて、カガリは戸惑いの声をあげた。だが、青年はヒラリと手を振って去ってしまう。
「相変わらず、掴みどころがねぇ……いや、適当な野郎だな」
ハルは思わず悪態をついた。
「半分は否定しますが……とにかく、行きましょう」
カガリも少し同意して、機械仕掛けの両足で、地図が差す方向へと歩き出した。
地図通りに進むと、一際手入れがされた家に着く。他の建物は、手が回らないせいで古ぼけた印象があるのだが、その家だけは、いかにも住んでいます、といった様子だ。
一度ノックをしたカガリは、眉を寄せた。
――ヒトの、気配がする。
開かれる筈は無い、と思っていた戸が動いて。
そこに立っていたのは、少女だった。クルリと螺旋を描いた鮮やかな金髪は、左右同じ高さに括られて、黒いゴスロリ服の上を滑っていく。白いレースの袖から覗く白い指先には、黒と金の装飾で彩られた傘が握られていた。
「お引き取り下さいませ」
間髪入れず、彼女は言った。
「ボタンさん、あの」
「とっととどこかに行け、と言っているんですけれど?」
言い直された。カガリは、同じ『葬儀屋』である彼女を前に、一瞬だけ息を詰まらせる。
有無を言わさぬ笑みは、妖艶ではある。同時に、敵愾心が剥き出しだった。
「アナタ達は厄介ごとを持ってくる気配がしますの。我が君に悪影響を及ぼしたら大変でしょう?」
「おい、好き勝手言いやがって」
流石に、ハルはカチンとくる。慌ててカガリは口を挟んだ。
「連絡も無しに来たのは謝ります。ただ、夜鷹さんから許可は頂いていまして」
「ハッ……軽率に、謝る、なんて言葉は使わない方が良いですわよ? 言葉の重みが無くなりますから」
ああいえばこう言う。カガリは頭を抱えたくなった。ちっとも話を聞いてくれない。
そうやって、言葉に悩んでいると。
コツン、と遠くで、誰かが突く音がした。
それは、建物の木目であろうか。ボタンは過剰に反応した。音は、急かしているようにも、咎めているようにも聞こえた。
しぶしぶ、といった様子で、ボタンは一歩後ろに引く。
「……うるさくしましたら、追い出しますのでそのおつもりで」
「はい、勿論」
「よろしいかしら? 調子に乗らないでくださいまし。静かに、ですわよ」
何度言うのだ。そうしてようやく、ボタンは二人を家に上げてくれた。
……元々、ここは夜鷹の住居であって、彼女たちの家ではないのだが。
座敷を踏めば、畳の香りがした。ハルとカガリは――彼を見つける。
部屋自体は仕切られていたが、ふすまは開いていた。窓に背中を預けるようにして、青年が体を起こしている。その瞳は落ち着いた黒曜色だ。鮮血の髪は、首の辺りで緩く一つにまとめられていた。
「お久しぶりです、万華さん」
万華は、ゆるりと一つ、頷いた。
彼の手首から繋がるコードを辿れば、白いパックの中で、赤い水滴が減っていくのが分かる。
「見苦しい所を見せてすまない」
「点滴……ですか?」
残り少ない赤色が揺らめく。
万華は、慢性的にサクラの花を摂取していた事で、ある種の中毒症状に悩まされていた。サクラの花は、人間の弱い体を月の魔力から守るが、使い続ければ効果が薄れる。その為、使用量が増えていき、やがて体を壊す。
治療法は確立していないものの、夜鷹の血には特別な効能があり、それを用いた治療をしていた。
――かつて、世界に火をつけた男、万華。
もうしばらく前だが、男は、世界への理不尽さから、四種族を巻き込んだ戦争を引き起こした。その果てに、執着や妄執を振り払い、全てが終わった命を、夜鷹とボタンが繋ぎ止めた。
今、こうして生きているのは奇跡に等しいし、同時に、誰にも知られてはいけない事でもある。
「ボタンが迷惑をかけたな。ここまで声が響いていたから」
「何か言いましたか、我が君?」
む、と唇を尖らせたボタンは、万華の点滴に手を伸ばす。少量になった血の量に、取り外しに掛かった。
「こうして外の誰かに会うのは、本来良くない事ですわ。我が君は、少々おイタが過ぎるところがありますので? 触発されて、自由に動き回りたい……となりますと、困りますの」
「……過保護すぎねぇか」
ポツリ、とハルは零した。万華の顔色はずっと良いし、傷も十分癒えたようだ。だが、ボタンは眦をつり上げた。
「内面はどうなっているか分からないでしょう?!」
「おうおう、雅じゃねぇなぁ?」
ひょい、と顔を出して、夜鷹が言った。
彼は、戻ってくるなり苦笑する。
「何だ、万華のお兄ちゃんは、また外に出たいって言いだしたか?」
「夜鷹さん。実際、どうなのですか?」
カガリの問いに、夜鷹は難しい表情を浮かべる。
「別に、付近なら出歩いても平気だよ。けどまぁ、ドーム内なら、の話だが。どうせ、万華のお兄ちゃんが行きたい場所、ってのはもっと遠く……それこそ、トウキョウとかの話だからなァ」
「だから、大人しくしていてくださいましね!」
言って、ボタンは外した機器を抱えてどこかへと姿を消す。
過保護。ハルが言うのも納得するな、とカガリは唸った。
「っと、お客さんに何も出さないっつーのは雅じゃないねぇ。ちょっと待ってな」
続いて、夜鷹も奥へ去っていく。残されると、万華は、首を捻った。
「……どう思う」
「幽閉されてるみてぇだな」
「ハル!」
窘めるカガリに、そうだろう、と万華は傷口の痕に触れた。治って、痛みはしないが、先の戦で受けたものだ。
彼は、解放された手首を摩りながら、おもむろに外を眺め……次いで、ハルとカガリに視線を戻した。
「お前たちは、旅をして、何を得る」
問いかけに、二人は押し黙った。いつの間にか、彼の黒曜の瞳は、苛烈な色を浮かべている。濁りは無いが、鋭い眼光だ。
「何のために、旅をする?」
「それは、生きる理由を聞いているのでしょうか」
カガリは臆することなく尋ねた。そして、堂々と答えてみせる。
「私たちは、もう、目の前の誰かを失いたくない。手が届く範囲で、守れる物を守るために。世界を知るために、旅をしています」
「難しい事をゴチャゴチャ考えねぇよ。自由だろ、行き先なんて」
何にも縛られない。
『葬儀屋』は『墓守』を御するために居るだとか。『墓守』は『魔族』を屠るための人間の道具だとか。そんなものに鎖をつけられていない。ハルとカガリは、ただ、自由だ。
どこまでも飛んでいける鳥だ。
立ち止まらずに歩き続けた。
「だから、今、此処にいる」
ふ、と万華はわずかに笑みを浮かべた。彼らの若い姿は、まぶしくて、羨ましくも思う。
……世界を夢見て、平和を得たくて。戦い続けた泥沼の青春期の中で、確かに、似たような感情を覚えていた。
「いつか、ボタンと夜鷹にも、そうして世界へ出て貰いたいところだが」
「……それは無理じゃねぇか」
「肯定。難しいと思います」
万華がそんな願望を言えば、にべもなく切り捨てられる。次いで、カガリは笑う。
「だって、万華さんは、彼らに求められている。生きて欲しいと、ああまで強く言ってくれる。彼らにとって、貴方は大切なのです」
側に居て欲しい。そう、願う思いが、カガリにも伝わった。
確かに過保護であるかもしれない。でも、心配しているのだと、万華にもよくわかっている。その思いを蔑ろにしてはいけなかった。
「……万華さんも、これから、どうするのですか」
「これから……」
男は、自身の両手を見詰めた。一度は死を覚悟した命。拾われたもの。まだ、彼は再スタートの位置にも立てていないが。
とはいえ、年下二人を前に、情けない姿を見せるのはどうかと思い、万華は緩く首を振る。
そうして、目を細めて答えた。
「まだ考えている最中だな。……だが、とりあえず、生きようとは思う」
言葉も無く、カガリは頷いた。ハルは何も言わずに腕を組んでいる。
やがて、羊羹やら果物やらを乗せた皿を持ってきた夜鷹が戻ってきた。
「お待たせ。ボタンの嬢ちゃん、まだ戻ってないのか」
「……きっと、そのうち戻ってくる」
「ん。ほら、カガリ、ハル、お二人さんは甘味は好きかい? 万華のお兄ちゃんも食えそうなら」
カガリは喜んで身を乗り出し、ハルも肩を揺らした。素直に反応する二人に、夜鷹は嬉しそうにした。彼らの訪れを、夜鷹はとても歓迎していた。
万華は、未だ戻る様子はない少女のお菓子を、自分の物から取り分けながら、穏やかな時間に、そ、と瞼を下ろした。
ふすまは開いたまま。『葬儀屋』の耳は良い。それに、彼女が己の主の声を聞き逃す筈はない。
彼の言葉の余韻に、浸る事は許されるだろうか。
徐々に賑やかになる部屋を窘めに行くのは、もう少し、あとで、そう自分に言い聞かせて。
そうして、空を、見上げた。
月の魔力で覆われた空は、今日もどんよりとしている。太陽を見せなくなって、もうずいぶんと経つ。
泣き出しそうな空は、どこまでも続いていた。