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SS④

①方舟の子供達

②魔王は勇者の夢を見ない

①「不意に触れた体温が指先にいつまでも残る」


 冷たい、と小さな唇から、吐息交じりの囁きが零れた。

 レイゼ・ヴァースは、コテリ、と首を傾げる。彼の前には、彼の主の三人目の妹である、ルクス・スレーヴェが座っている。彼女は、レイゼの指先に触れると、そう、口にした。

「レイゼの指先はとても冷たい」

 広すぎる食堂には、レイゼとルクスの二人しかいない。彼女は、レイゼの主、もとい兄であるアルドラを待っている。従者として彼に付き添うべきだとレイゼは思っているのだが、彼自身に断られて、また、それはルクスも同じだった。

 そうして置いていかれた同士、暇をつぶしている。

 テーブルの上には小さなチェス盤が置かれてる。とはいえ、もう何度も遊びつくして、片付けようとした矢先に、レイゼの指先が、ルクスの手の甲に触れた。

「ずっと、こうなので。ルクス様はあったかいですねー」

「はい、子供体温だ、って……よく、アルドラ兄様に言われるのです」

 彼女は小さく笑うが、レイゼの手を離さない。まるで、温めようとしてくれているみたいだ。

 基本の体温から恐らく違う。人の体温は、三十六度程度だと聞いているけれど、たぶん、水と深い繋がりを持つレイゼの体は、もっと低い。

「ルクス様、ちょっと火傷してしまいそう」

 微苦笑を浮かべれば、むぅ、と彼女は子供っぽく頬を膨らませる。いつぞやの夜を思い出した。

「私が熱を出した時……レイゼは、熱を吸い取ってくれました。とても気持ち良かった」

「ちょっとした特技ですよー。あ、アルドラ様には秘密でお願いしますね?」

「ふふ、知っています。だってアルドラ兄様は、レイゼの事を心配するでしょうから」

 熱を移す。蒸発なんて出来やしない。行き場の無くなった熱は、彼の内側に溜まるだけだ。自分とて、気軽にしたいものではない。

「アルドラ兄様は、身内にはとても甘いので」

 外は雨が降っていた。しとしと、と降る雨は、静けさに満ちたこの部屋の中で、大きく響いている。

 アルドラに限らず、他のきょうだい達も、各々の時間を過ごしているのだろう。十人以上が住むこの屋敷は、それでもなお、広い。

「レイゼが来てくれて、嬉しいと思います。アルドラ兄様の従者になってくれて。あの人の、心に寄り添うのは、私にはちょっと難しい事だから……」

「そんな事無いですよ。ルクス様が、一心にアルドラ様を慕っているからこそ、アルドラ様はご立派に務めていらっしゃる」

「ふふ、そうじゃない、です」

 意図を測りかねて、首を捻るレイゼに、ルクスは優しく囁いた。

「私達、どうしたって、アルドラ兄様の庇護の対象なのです。でも、だから、アルドラ兄様は隠してしまうことが多いので。嫌な事も、辛い事も、教えてくれれば、楽なのに」

 兄とは虚勢を張りたがるものだろう。ルクスはそれを分かっている。自分は、きょうだいの中で最も下ではあるものの、かといって、甘やかされて生きてきたわけではない。

 大人は特に彼女を毛嫌う。ルクス達きょうだいは、皆、同じ父親から産まれ、異なる母から産まれた。その中でもルクスの母親は情婦であったから。

 ルクスがこうして生きていられるのは、アルドラの庇護があったから。

 けれどその分、兄は隠し事を沢山する。

「兄様が、私たちに見せない部分を、レイゼなら見れると思うのです」

「買いかぶりすぎですよ~、僕はそんな、大した存在じゃない。死に損なっただけ。運が良かっただけ」

「でも家族です。きょうだい、ではないのかもしれない。定義はとても……難しい。いつか」

 ガチャリ、と玄関の、大きな両開きの扉が開く音がした。

「いつか、レイゼも、私たちの家族だって、きょうだいだって、思えるようになると良いな、そう、私は思うのです」

 レイゼは何も言わず、目を細めた。ゆるりと息を一つ吐く。

 彼女に触れた指先だけが、まだ、燻るように熱を帯びている。





②「貴方とならどこまでも行けそう」


 魔王クロウは、正真正銘、この世界の魔物たちを統べる王である。外見は人間の青年を模しており、特徴的な紅色の双眸を持つ。その性格は、冷酷無比の無情。自身の気に食わない所があれば、己の分身たる七魔天でさえも屠ってしまう程。

 ……というのは、半面である。

 現在、彼は大変困り果てていた。

「食べない?」

「ええ、一口も」

 調理場を任している部下が、恐る恐る、といった口調で告げる。鋭い眼光を前に腰は引けていた。いつ首が飛んでもおかしくない――兎のような姿を取る魔物は喉を鳴らす。

 一方で、クロウはしかめっ面で調理場を見回した。

「食べない……か……。人間は何日空腹でいられたか」

「ど、どうでしょう。け、けれど、あの、こ、個体は、弱い。痩せて、いますし」

「うん、困るな」

 クロウは肩をすくめて、あてがっている個室へ向かう。扉を封じる結界に指で触れると、一瞬だけ光を帯びたが、すぐに消えた。外部からの侵入を防ぐだけの簡易なものだ。だが、魔王以外が触れれば、勿論彼にまで伝わる。そんな命知らずな事をするやつは居ない。

 そ、と扉を開いて、隙間から部屋を覗き込む。暗い部屋の中、最低限用意してあるベッドの上で、膝を抱えた人間の少女が一人。

 彼女の名を、リィという。

 出会いはこちらの不手際によって燃やされた、ある集落であった。生き残りの彼女を連れてきたのはいいものの、一向に食べない。

 これにはクロウも困っていた。なにせ、餓死させる気はないのだ。

「どうして食べない」

 だから、クロウは部屋に入って問う。彼女は、ピクリと肩を震わせた。

「あ、怒ってない。だから……食べないと、人間は死ぬ。完璧な僕もそれを知っている。魔物と違って、人間は貧弱であるし」

「…………おなかが、すいてない、ので」

「そんな筈は無いだろう」

 思わず強い言い方になってしまえば、彼女はますます身を縮めた。

 ああ、とクロウはどうにもいかず、やるせない息を吐く。

「もしかして飯が不味い? 味見したけど、美味しかったよ。毒も無い……いや、これは僕が言っても説得力は無いな。僕は毒が効かない体質だ」

「……どく……分かるの?」

「あれは舌がピリピリするからね、すぐに分かる。この魔王の眼が届く元で、毒殺なんてするものはいない……居たとしても、完璧な僕が既に消している。安心するといいよ」

 彼女の隣に腰かけて、穏やかに言うけれど、リィは視線さえこちらにくれはしなかった。

 思っていた以上に彼女の心の壁は厚い。

 困ったなぁ、せめて、食べて欲しい。元気になって欲しい、この魔王城で、悠々と過ごして欲しい。全てクロウの本音であった。

「……ふむ、じゃあ、こうしよう」

 パチリ、とクロウは指を鳴らした。リィの瞳が大きく見開かれる。彼女の目の前に、尖った鋭いナイフが浮かんでいた。切っ先は彼女に向けられている。けれど、動揺しただけで、リィの瞳に恐怖の色は無い。

 それを見て、クロウは、ああ、と小さく息を吐いた。壊れている。死に対する恐怖が無い。冷静な部分が、人形じみた彼女を分析した。

「僕の為に食事を作れ。自分の分もな」

「……脅し。どうして。殺すの?」

「この、完璧な魔王クロウが、脆弱な人間に、役目を与えてあげると言っている。ほら、分かったら立て。調理場に案内しよう」

 リィの腕を取る。肉なんてほとんどないか細い腕だ。彼女はゆっくりと頷いた。


 それから、リィはクロウの為に、そうして自分の為に料理を作るようになった。やがて、掃除、洗濯、と、家事全般を行うようになる。全てクロウが勧めたものだ。その、何と言うか溺愛、或いは、人形遊びという様子には、配下の魔物も苦言を浮かべた。

「クロウ、あの人間に入れ込みすぎだ」

「良いだろう、元気になったのだから。最近は少し笑うようになった。後は友の一人でも居れば……」

「クロウ……!」

 彼の魔剣は、言葉の端々にいら立ちを込める。それらを流していれば、リィがクロウの名を呼んだ。彼女は、初めて会った時と比べ物にならない程に成長した。身の丈も、肉付も、感情も。人間の成長は魔物の数倍である。それを、ここ三年足らずで実感する。

「お弁当、出来ました」

「ありがとう、リィ。さて、出掛けようか。今日は見晴らしのいい場所に連れていこう」

「おい、堂々とサボるな!」

 また、うるさい。着いて来てくれるだろうか、とリィの方を見れば、彼女は囁いた。

「どこまでも」

 ……人の寿命は、短い。あっという間に過ぎていく時間は恐ろしさも感じる。

 だが、たまには、良いだろう。悠久の時の中で、愛しいものに意味を与えるくらいは。

「……リィは、何も無かったから。貴方が望むなら、どこまでも」

 花を愛でるように。絵を楽しむように。

 かつて、“人”であった事を懐かしむようにしながら、クロウは今日も、リィの道行きを示すのだ。


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