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彼女の尾鰭

作者: Ω
掲載日:2015/09/06

「翔くんだよね?」

「そうですけど、誰ですか?」

振り返ってみるとそこには綺麗な顔立ちですらっとした体系の女性がいた。

年齢は二十歳そこそこで翔と同い年ぐらいに見える。

親しげに話しかけられているから知り合いだと思うが思い出せない。

「楓だよ神崎楓、覚えてない?」

「全く思い出せません」

翔の隣にいる青年は釣竿を置き振り返った。

「その子翔の知り合い?すごい美人じゃないか、僕にも紹介してよ」

「翔君の友達?初めまして神崎楓です」

「天宮優輝です、優輝って呼んで」

「じゃあ私も楓って呼んでね、翔君もそんなにかたくならなくてもいいよ」

「わかった、あっ!優輝の竿引いてるぞ!」

「え?ほんとだ!」

優輝は地面においてある今にも海に引きずりこまれそうな竿を急いで手に取った。

今日は天気も良く絶好の釣り日和だ。防波堤に打ちつける波も穏やかで日が昇ってから2時間程なので汗を掻くほど暑くも無かった。

「楓はここで何してるの?」

「……散歩だよ」

翔は楓の言葉の間が少し気になったが追求はしなかった。

「みろよ翔!けっこういいサイズだよ」

優輝は嬉しそうに釣った魚を手に持ってきた。

「おいしそう…」

楓は優輝の釣った魚に目を輝かしている。

「「えっ!?」」

「な、なんでもない」

楓は顔を真っ赤にしパタパタと手を振って否定している。

「そ、その魚どうするの!」

楓は恥ずかしかったのか話題を変えてごまかそうとした。

「んーそうだな、多分そろそろあいつが来ると思うんだけどな」

「たしかに、いつも魚がつれたタイミングに現れるからな」

「あいつって誰なの?」

楓は二人の言う“あいつ”が少し気になっていた。

「あいつっていうのは、あっ!きたきた後ろ」

「えっ?」

楓は後ろを振り返ってみるとそこには少し小さめで白い毛の猫が楓のすぐ後ろにちょこんと座っていた。

「ニャーオ」

「きゃあぁぁぁぁぁ」

楓は猫が来たことに驚き後ろに走って逃げようとしたがすぐ後ろにいた翔にぶつかってしまう。

「うわ!」

ザッブーン!!

バランスを崩した翔は豪快な音をたて海に落下した。

泳ぐことの出来ない翔は浮くことが出来ず沈んで行きながら気を失った。

「翔!!」

優輝が叫んだとほぼ同時に楓が海に飛び込んだ。するとすぐに楓は沈んだ翔を引き上げていた。あまりに一瞬の出来事に優輝はただ茫然と見ている事しかできなかった。



目が覚めると見覚えのある天井が目に入った。

「翔!大丈夫か!?」

本気で心配していたのだろう。優輝の声がいつもよりも大きかった。

「大丈夫だよ、特に外傷も無さそうだし」

翔は手足を動かして確かめてみる。少しだるさがあるが他は特に問題はなかった。それよりも気になったのは優輝の少し後ろにいる楓の存在だった。

「どうして楓も俺に家にいるの?」

「ごめんなさい、勝手におじゃましちゃって。どうしても心配だったから」

楓は下を向いて申し訳なさそうにしていた。別に翔もそういうつもりで言った訳では無かったので少し気まずかった。

「そう言うなよ翔、翔を助けてくれたのは楓ちゃんなんだよ」

「そうなのか、助けてくれてありがとう楓」

楓が?どうやって?と疑問もあったがそんなことで優輝が嘘を言う訳がないので何も聞かなかった。

「いや、そもそも私のせいで翔君がこんな目に合っちゃって本当にごめんなさい!」

楓は泣きそうな顔でずっと謝っていた。

「泳げない俺も悪いし、無事だったから気にしないでよ」

「いや、でも…」

「翔もこう言っているし楓ちゃんもそんなに気にしなくていいと思うよ」

ここまで言われては楓もそれ以上何も言えず渋々納得する事になった。

「わかった。じゃあ今日は帰るね」

そう言うと楓は立ち上がり玄関へ向かった。それに続いて優輝も立ち上がった。

「じゃあ僕も、そろそろ帰るよ。楓ちゃんを一人で帰すのも危ないし」

「うん、それじゃ。気をつけてね」

翔は二人を見送ったあと体中塩まみれだったのでシャワーを浴びる事にした。本当なら風呂にゆっくりと浸かりたいのだが、こういう時ユニットバスが嫌になる。風呂から上がると冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し一気に飲み干した。そのまま部屋に入ると部屋の角に敷かれてある布団に寝転んだ。翔の部屋には布団、テーブル、テレビぐらいしかないのでこれといってすることが無い。

楓はどうして自分のことを知っていたのだろうか。それがずっと引っかかっていた。翔にはそれほど親しい女性はいないし、子供の頃に会ったことがあったとしても今更声を掛けてくるほど親しい人もいなかった。正直考えてもわからない事ばかりなのだが、一番疑問だったのが何故自分は楓の事を知らないのかと言う事だった。そんな事を考えているうちに激しい睡魔が襲ってきた。





「翔君朝だよ!起きて!」

楓は眠っている翔の体を揺すっている。

「あと5分……うわっ!どうして楓が家にいるの!?」

布団から飛び起き楓のほうを見る。

「朝ごはん作ったからいっしょに食べよ」

翔はテーブルのほうを見てみると昨日釣った魚が下ろされて皿に綺麗にもりつけられていた。

「そうだな、とりあえず食べようか」

状況が全く飲み込めていないが、翔はひとまずご飯を食べながら話を聞こうと思った。

翔はテーブルの前に座るとまず綺麗に盛り付けられた魚の刺身に驚いた、そして次に白米等が一切無く刺身のみだと言うことに驚愕した。

「ご飯ってある?」

「ご飯?」

「いや、何でもない」

翔にはせっかく作ってくれたものに文句をつけて嫌な気分にさせるのも嫌だったのでこれ以上追求する事はしなかった。それよりも気になっている事があるのでそっちを聞くことにした。

「どうして朝ごはん作ってくれたんだ?」

「昨日海に落としちゃったからそのお詫びとしてだよ」

「昨日のは事故だから気にしなくていいって言っただろ?」

「それじゃ私の気が済まないから」

楓がどうしても譲る気がなさそうだったので翔は言葉に甘える事にした。

「おいしい?」

「う、うんおいしいよ」

「ほんとにっ!よかった」

なぜかうれしそうな楓を見て、魚を捌いただけなので魚自体がおいしいのではないのかと本音を言う事ができなかった。

「私魚料理には自信があるの」

「そうなんだ……」

翔はもう何も言うことが出来ない。

翔と楓は食べ終えて片付けをしているとインターホンがなった。

「優輝かな?」

翔が玄関の扉を開けると翔の祖父千歳忠邦がいた。

「おはよう翔、元気にしとるか」

「おはようじいちゃん、どうしたのこんな朝から」

「今日は早く目が覚めて散歩してたら近くまで来たから様子を見にきたんじゃ」

普通なら朝から男の部屋に女性がいたらどう思うだろうか?その答えが分かっている翔はどうにかしてこのまま忠邦には帰ってほしかった。

「俺はいつもどうり元気だから心配しなくても大丈夫だよ」

「ならよかったわい、ちょっと歩きつかれたからお邪魔するぞ」

「爺ちゃんちょっと待って!!」

翔の制止も気にせず忠邦は部屋に入っていった。あわてて翔も部屋に入るも時すでにおそし、楓と忠邦はお互いを見つめ固まっていた。

「ワシ、お邪魔のようじゃな」





翔はなんとか忠邦の誤解を解きお互いを紹介することが出来た。

「いやー、翔も年頃じゃから勘違いしてしもうたわい」

「何度も言うけど、次からは来る時に連絡いれてくれよ」

翔はもう今までに何度同じ事を言っているか分からずなかばあきらめている。

「わかったわかった、楓ちゃんじゃったかこんな可愛い子どこで知り合ったんじゃ?」

「だからそういうのじゃないって!楓もなんか言ってやってよ」

「え…う、うん」

「あれ?楓なんか顔色わるくない?」

楓は少し前から顔が青白くなっていて、ブルブルと震えていた。

「だ、大丈夫心配しないで」

翔は大丈夫そうには見えないが本人が言っているのでこれ以上追求することはしなかった。

「本当に大丈夫かい?ん?よく見るとなんか見たことのある顔じゃな…何処かで合ったことあるかの?」

「ひっ、人違いじゃないですか」

忠邦に話しかけられてなぜかビクッと驚いた楓はおびえているようにも見える。

「そんなわけないだろ、さあ用が無いんだったら帰ってくれ」

楓の変わりようが心配になった翔は忠邦を追い出すことにした。

「最近ワシに冷たいのぅ」

忠邦は特に用があって来た訳では無いのでトボトボと帰っていった。

いつも忠邦は遊びに来ては翔の家でダラダラと過ごしひどい時には朝に来て夜まで帰らない時もあり追い返されても文句は言えなかった。

わざわざ様子を見に来てくれているのには感謝しているのだがやはりいきなり押しかけて来られるのは迷惑でしかない。

翔は忠邦が帰ったのを確認し楓の様子を伺った。

「なんか様子が変だったけど大丈夫?」

「うん、心配掛けてごめんね」

「爺ちゃんが来てから様子が変だったけど、なにかあったの?」

あまり詮索するのは良くないとわかっていた翔だが身近な人が関わっていたため自然と聞いてしまっていた。

「昔ね…翔君のお爺さんの釣った魚を食べちゃってね、凄く怒られたの。」

「は?」

人の魚を盗ってしまったのは子供の時だから仕方がないとしても、食べるのは理解できない。その場で魚を食べるのなんて猫位なものだろう。

楓は言ってから恥ずかしい事に気付き下を向いて顔を赤くしていた。

「それは爺ちゃん怒るよ、人の魚を食べちゃうなんてなんか猫みたいだね」

「猫なんかと一緒にしないで!!」

よっぽど猫が嫌いなのかそれから少しの間口をきいてくれなかった。





翔は家賃3万円で二階建てのアパートに一人で住んでいる。間取りは1Kでかなり安い部類の物件だろう。ここで家賃と生活費もろもろはどうやって捻出しているかというとバイトである。高校までは忠邦の家で世話になっていたのだが大学生になってまで世話をかけるのに気が引けたのとやはり自由が欲しかった。

翔は近所のスーパーでバイトをしている。自給は900円とそこそこの給金で主にレジ打ちの仕事だったが最近は商品の陳列なども任されるようになった。

「千歳、新しい商品は基本的に後ろに入れていくんだよ」

「分かりました、佐藤先輩」

言われたとおり翔は手に持っている牛乳を後ろに並べていく。その隣で佐藤大祐は翔の倍以上のスピードで並べている。短髪でガッチリとした体系の大祐にはスーパーのエプロンなんかより野球やサッカーとかのユニフォームの方が絶対に似合うと翔はずっとおもっている。

「こういうしっかりした先輩というのは女子からの人気が高いって本で見たんだけどどう?」

「珍しく指導なんかするものだったので頭でも打ったのかと思いました」

「そうじゃなくて、女の子目線の意見が聞きたいんだよ!」

大祐はいつも女の子にモテる仕草を調べてきては翔に試している。そういう事は直接女の子に聞いてくれと思ったがそういう女の子がいないことを知っているので口にはしない。

そもそもそんな努力をしなくても黙っていればモテそうなくらいキリッとした目で整った顔をしているのだ。そうならないのは性格に問題があった。見た目から想像できないくらい能天気でバカなのだ。

「そのキャラは先輩には無理じゃないですか?いつかボロがでると思うんで」

「失礼な、俺は常に真面目で誠実な振る舞いを心がけている」

胸を張って自画自賛している大祐に翔は呆れた眼差しを送っている。

「本当に真面目で誠実な人は自分では言わないですよ」

「グサッ!!」

「効果音を口に出すなよ!」

そうこうしているうちに翔と大祐は商品の陳列を終え時計を見ると16時55分を指していた。

翔と大祐は大学の講義があるときは夕方のバイトに入っていて17時~20時までだが大学が無い時は9時~17時までのシフトを組んでもらっている。

翔と大祐はキリのいい所で作業を止め店長に報告を済ませ着替えて裏口から出て行った。

「あ~一日仕事は疲れるな」

「そうですね、でもやらないと生活が厳しいですからね」

翔は1日のシフトに入らなければ週5で働いても5万4千円程しかなく家賃に携帯に光熱費と支払うと1万ちょっとしか残らないので食費さえ危うくなってくる。

そんなぎりぎりの生活は送りたくは無いので働くしかない。

「そう思えば翔は一人暮らしだったな」

「そうですよ、先輩は実家でしたよね?」

「家から近い大学を選んだからな」

「じゃあ先輩がバイトしてる理由って遊ぶお金が欲しいからですか?」

翔の行っている大学は比較的単位がとりやすく出席するだけで単位がもらえるような所で、1年間詰めて受講して単位を集める事が出来るため2年からはほぼ遊び放題になる。

なので翔の大学では時間はあるけどお金が無いという人がほとんどなためバイトをして旅行やら合コンなどの費用にあてているのだ。

「まぁそれもあるけど、俺は車が欲しいんだ」

「たしかにあれば便利ですよね、でも車持ってたら足にされません?」

「それが狙いなんだよ、車があると女の子から遊びに誘われて仲良くなって付き合えたりその娘の友達を紹介してもらえるかもしれないだろ?」

一体何があったらここまで女に執着できるのだろうか、努力は凄いがなにかベクトルが間違っている。

「先輩はとても幸せな脳みそをお持ちですね。」

「翔の吐く毒が最近致死量を上回りそうなんだけど…」

大祐と冗談を言っているうちにだんだんと翔のアパートが近づいてきた。

「じゃあ僕はアパートこっちなんで、お疲れ様です」

「おう、お疲れ」

大祐に挨拶を済ませ、冷蔵庫の中身を必死に思い出し晩御飯の献立を考えながら翔はアパートに向かった。





翔はアパートに着き扉を開けようとしたら何故か既に開いていた。

「あれ?開いてる?」

鍵を閉めた記憶は確かにあったため空き巣に入られたのかと思い焦りながら家に入った。

「あっ、翔君お帰り」

部屋に入ると床にちょこんと楓が座っていた。

いきなりの事過ぎて事態が飲み込めない。言いたいことは山ほどあるがまず初めに聞く事があった。

「どうやって入った?鍵はかかってたはずなんだけど?」

「最初は家の前で待ってたんだけどね。何故か扉の上に鍵があったからそれを使ったんだよ」

「いや、遠慮しろよ!それ以前にいなかったら帰れよ」

翔のアパートはかなり古くて玄関のドアがボタン式の鍵なので鍵を忘れて出ると締め出されてしまう。翔は一度締め出されてから対策としてドアの上にスペアの鍵を置くことにしていたのだが今回は裏目に出る結果となった。

だが空き巣とかではなかったのでよかったと翔は胸をなでおろした。

「次からは絶対止めてくれ。ところで何しに来たんだ?」

「そうそうご飯作ってるの、持ってくるから待ってて」

冷蔵庫にはほとんど何も入っていなかったはずなので、もし買ってくれたのならお金を返さなければと思っていた。

思ってはいたが少し考え直す必要があるかもしれない。

楓は次々と皿を持ってきているが上にのっているのは魚の切り身のみ。

翔はすでに諦めているのか切り身と刺身の違いについて考え始めていた。

「これは焼かずに食べても大丈夫なやつ?」

「新鮮だから大丈夫だよ」

やはり少し抵抗はあるものの食べてみると味に変わりはない。

それよりも大事なことがあることを忘れている、何故せめてご飯が無いのか。

さすがにそろそろ限界というものがある。前は言えなかったが思い切って聞いてみることにした。

「前から言おうとおもっていたんだけどさ、米の炊き方って知ってる?」

ごくごく稀に家庭に恵まれ親の手伝いをしたことが無く米と水の分量が分からないという人がいるらしい。そう思った翔は失礼かもしれないが直接聞くことにした。

「米?なにそれ?」

「マジで!?」

予想はしていても実際聞くとやはり驚きを隠すことが出来ない。

「そんなに驚くこと?」

「驚くどころの騒ぎじゃない!俺からしたらもはや事件だから!」

翔からすると何故普通にしていられるのか不思議で仕方が無い。

「そこまでいわなくても…」

翔のあまりの迫力に楓は少し引いている。

「米を食べなかったら一体何を食べるんだよ!」

「魚だよ」

「……ですよね」

楓の素直な一言に翔の熱は完全に冷めてしまった。それ以上言い返す言葉が見当たらない。

「わかった、それなら俺が楓に米の素晴しさを教えてやる!」

翔のよく分からないスイッチが完全に入ってしまったため楓はただ戸惑うだけしか出来なかった。





「翔昼ごはん食べに行こ」

「ちょっと待ってくれ、今片付けるから」

午前中の講義が終わり昼食を食べるため翔と優輝は食堂に向かった。

食堂で出されるご飯はそこそこおいしく安いので翔はよく利用している。貧乏学生には日替わり定食が400円で食べられるのは魅力的なのだがレパートリーが7種類しかないのが痛い所である。

翔と優輝は出来立ての日替わり定食を手に持って席についた。

「やっぱりこの野菜炒めだけは何回食べても飽きないね」

「俺はもうあきあきしてるけどな、だけど今日はなんか美味しく感じる」

「でしょ!今日の野菜炒めは格別に美味しいって」

翔は先週も野菜炒めを食べたところなので野菜炒め自体には一切新鮮味を感じることは無かったが主食があるのと無いのでは満たされ方が全然違うことに感動していた。

「ふと思ったんだがどうして米は毎日食べても飽きないんだろうな?」

「さあなんでだろうね?習慣づいてるからじゃないの?」

「なるほどな」

別に正しい答えを求めていた訳ではなかったのでこれ以上この話を続けることはしなかった。

「翔今日暇?どっか遊びに行かない?」

「ごめん、今日はちょっと楓と約束があって」

先日楓に米の素晴しさを教えると言ってしまったので今日は都合が悪かった。

「えっ、いつの間にそんな約束したの?」

「あれから楓が毎日ご飯作ってくれてるんだよ、だから昨日の夕方かな」

「羨ましい!という事は二人は付き合ってるの?」

「そんなんじゃないって」

翔は少しはずかしそうに手を振りながら答える。

「でも最近ずっといっしょにいるんだろ?それに食事まで用意してくれるなんてさ」

「まあ、刺身やら切り身だけだけど……」

あの生臭いテーブルを思い出すだけでも辛くなる。

「魚だけっていうのは少し辛いね」

さっきまで楽しそうだった優輝の顔が少し引きつっている。

「まあそれはいいや、じゃあ明日は予定ある?」

「明日はそろそろ魚が無くなってきたから釣りに行こうと思ってるな」

ずっと魚ばかり食べていのだが食費の関係上翔の場合魚を釣って食べるのがとても安くすむのだ。

「じゃあ僕も一緒に行っていいかな?」

断る理由もないし優輝が釣った魚も貰えるので寧ろありがたいぐらいだ。

「じゃあ楓ちゃんも誘っていこうよ」

「楓も?」

「二人よりも三人の方が楽しいと思って。今日も会うんだったら誘っておいてよ」

「分かった。誘ってみるよ」

翔と優輝は食器を片付け昼からの講義に愚痴りながら教室に向かった。





「うーん、パサパサしてて美味しくない」

「いや、米だけじゃなくて魚と一緒に食べるんだよ」

そう言いながら翔も食べるが米がパサパサしているとは思わなかった。寧ろいつもよりも上手く炊けていると思っているぐらいだった。

「やっぱり魚だけの方が私はいいな」

そう言っていつもどおり魚だけを食べ始めた。ただ最初に茶碗に盛った分はしっかりと完食していた。食べて改めて口に合わなかったようなのでこれ以上翔は何も言えなかった。

「楓は明日何か予定ある?」

「特に何もないよ」

「それなら明日釣に行くんだけど一緒に行かない?」

「えっ、いいの?いくいく!」

「分かった優輝にもそう伝えておくよ」

翔は携帯を取り出し優輝にメールを打ち始めた。

「優輝君も来るんだ…」

楓は少しがっかりした様子だったが翔はメールを打ってて気付かなかった。

「そう思えば翔君泳げなかったら海に行くのって危なくない?」

翔はメールを打ち終わり携帯を床に置く。

「危ないけど滅多に海に落ちることなんて無いから大丈夫」

「それでも前みたいに落ちたら危ないよ。泳ぐ練習とかしてみたらどう?」

翔はその一言を聞いて表情を曇らせる。

「泳ぐって言うかそもそも水に浸かる事もできないんだ」

「ごめんなさい!聞いたら駄目な事だった?」

「いや、そんな事ないよ、気にしないでくれ」

翔は続きを話すかどうか迷ったがここで止めるのも後味が悪いのでそのまま続ける事にした。

「はっきりと覚えてるわけじゃないけど、昔旅行の帰りに乗っていた船のエンジンが急に故障して沈没したらしくて、乗客全員海に放り出され俺だけ奇跡的に助かったんだけどその事故の後から水が苦手になったんだ」

予想以上に重い話だったのか楓は何も言えなかった。

「ごめんこんな話して、とりあえずご飯にしようか」

「うん…」

翔はこの重い空気を何とかしようと思い明るく言ってみたが失敗したみたいだった。

「その時の事で何か覚えてる事って無いの?」

「五歳ぐらいの時だからな、かなり大きな船だったからかなりはしゃいでいたのは覚えてるけどどうして?」

「な、なんでもないよ、ごめんね変な事きいて」

「いいよ、自分から言い出したことだから」

そう言って翔は立ち上がり台所に行こうとした所でふと思い出した。

「そう思えば、溺れたときに大きい魚を見たな」

「大きい魚?」

「魚って言うか海豚だったのかもしれないけどそんなことはどうでもいいか、ご飯の準備してくるよ」

今度は完全に翔は台所に入っていった。

「大きな魚ねぇ」

楓はその話を聞いてからなぜか嬉しそうだった。





「これ触らないとダメ?」

楓はミミズとムカデを足して2で割ったような生物を目の前にして顔を引きつらせていた。

「まあそれが今日餌で使うイソメだからな」

「僕がつけてあげるよ」

「ありがとう優輝くん」

優輝が楓の仕掛けに餌を付けていると横で翔は先に釣り始めていた。

「おっ、きたきた!」

翔は勢いよくリールを回して目当ての魚を釣り上げた。

「よっしゃ1番乗り!」

「いやいや僕らまだ始めてもないから」

一人はしゃいでいる翔に優輝は呆れていた。

「翔君っていつもあんな感じ?」

「まあ大体釣りの時はあんな感じかな」

楓と優輝も準備が出来たので釣り始める事にした。

仕掛けを投げてからすぐ楓の竿先が震えた。

「あっ!なんか震えてるよ」

「早くリール回して!」

楓は言われたとおりに素早くリールを回すと仕掛けの先に小さい魚がついていた。

「やったぁ!翔君みてみて」

楓は釣り上げた魚を嬉しそうに翔のほうに持っていった。

「どれどれ…ちっちゃ!」

「小さくても一匹は一匹だよ!」

楓は初めて釣った魚を小さいと言われて少し怒っている。

「悪かったからそんなに怒らないでよ」

「ふん、次はもっと大きいの釣るもん」

楓はそう言いながら自分の釣り場へと戻っていった。

「怒らせちゃったな」

少し気にしていたが魚でも釣れれば機嫌も直るだろうと思い釣りを再開した。

餌をつけて今から投げようとした所で翔の携帯が鳴った。

「こんな朝早くに誰だ?」

竿を置いて携帯をとって画面を見ると佐藤大祐と表示されていた。

「もしもし、どうしたんですかこんな朝早くに」

「悪いんだけど今日のシフトかわってくれないか?」

「今日はちょっと厳しいですね」

今から切り上げれば行けなくも無いがそこまでする気にはなれない。

「そこを何とか頼むよ、もう頼れる人が翔しかいないんだよ」

「はぁ、わかりました。今度埋め合わせしてくださいね」

「悪いな本当に助かったよ、それじゃ」

翔はこの押しに弱い性格を本気で後悔した。どうもにも頼み込まれるとなかなか断ることが出来ない。

翔は片付けて楓と優輝に事情を話した。

「残念だけど仕方が無いな、バイトがんばって」

「そこまで頼まれたら仕方がないよね」

「ごめんな、それじゃ行くわ」

翔は荷物を持って急いで帰っていった。





優輝と楓は翔が帰った後もつづけていたが餌が底をつき帰る準備をしていた。

「いっぱい釣れたね」

楓は嬉しそうにクーラーボックスを覗き込んでいた。

「楽しんでもらえてよかったよ、じゃあ帰ろうか」

優輝と楓は海を出て近くの交差点で立ち止まった。

「楓ちゃんの家ってこの辺だったよね?」

優輝は一番最初に楓を送った時にこの辺で別れたのを覚えていた。

「そうだよ、私こっちだからまたね」

「ちょっ、ちょっとまって」

優輝は帰ろうとする楓を慌てて引き止める。

「どうしたの?」

楓は振り返り優輝の方を見た。

「来週の日曜日買い物に付き合ってもらえないかな?」

「買い物?うーん…いいよ」

いきなりの誘いで楓は少し悩んでいたが特に断る理由もなかったので買い物に付き合うことにした。

「じゃあ商店街の入り口の所に1時に待ち合わせでいいかな?」

「大丈夫だよ、それじゃあまたね」

「また日曜日に」

優輝は楓が見えなくなるまで見送っていた。時々吹く風が熱くなった顔を撫でるのがとても心地よかった。





「あー疲れた」

翔は家に着くと早々布団に倒れこんだ。釣りで朝が早かったのと休みからの急な仕事だったのでいつも以上に疲れていた。

このまま寝てしまいたかったが空腹には勝てそうになかったのでゆっくりと起き上がりキッチンに向かった。

とりあえず冷蔵庫を開けてみたが中にはお茶と調味料しか入っていなかった。

最近は楓が毎日のように来て生魚を振る舞ってくれていたので買い物に行くことが無く、中に何もないのは当然であった。

「困ったな…」

一度キッチンを見まわしてみる。疲れているのでどうしても買い物には行きたくはない。

すると流し台の上にある戸棚が目に留まった。

何が入っていたかは思い出せないが何か入っているような気がする。

そんな根拠のない希望を抱きながら戸棚を開けてみるとカップ麺が1つ入っていた。

早速お湯を注いで三分待つ。

「カップ麺なんて久々に食べるな」

翔は独り暮らしを始めたての頃は安いし楽だからと言う理由で毎日カップ麺のお世話になっていた。

あるとき何気なく見ていたテレビで生活習慣病の特集をやっていた。最初は聞き流す程度だったのだが自分に当てはまる事が1つ2つ出てくると流石に他人事ではなくなってきてしまう。20歳そこそこで食事制限なんてお世辞にも笑えない。

次の日にはさっそく料理本を買い自炊を始めた。優輝に「どうせ3日坊主で終わるだろう」と言われてから更に火が付き今まで自炊を続けていた。

その頃の事を考えてみると楓が作ってくれる魚一色のご飯は生活習慣病の引き金になってしまうのではと考える頃には既にカップの中身は空になっていた。

満腹には程遠いいが何も食べないよりはマシだと思える程度には満たされた。

ゴミを片付け布団に倒れこむとすぐに寝てしまう勢いだった。眠りにつく寸前に楓は明日も来てくれるのだろうか?と思ったその瞬間だった。眠りにつく寸前だった頭に衝撃が走った。一体いつから楓が来ることが当たり前になったのか、いつまで続くのか、そもそも終わりがあるのか、考え出したらきりがなかった。

あの事故の日から毎日来てもらえるのはとてもありがたかった。ご飯を作ってくれるのは勿論の事、何より楽しかった。でもそろそろ終わりにしなければならない。楓には楓の生活があるのだから。





優輝は12時半から商店街の入り口にある少し古びたゲートの前で楓の到着を待っていた。

楓との初めてのデートなので家でじっとしていられず早く来すぎてしまったのだ。

日曜日という事もあって人通りがいつもより多くちらほらと同じ大学の生徒も見受けられた。

「遅くなってごめんね」

楓は小走りで優輝の方に向かってきた。

時刻は12時50分を少し過ぎたぐらいで遅いなんて事は無い。

「僕も今来たところだから気にしないでよ。それじゃあ行こうか」

商店街の中に入ると八百屋など食品を扱うところから服とか雑貨を扱う所までありとあらゆる店が連なっていた。その中で優輝の向かった先は小さいアクセサリーショップだった。

「アクセサリーショップ?」

「うん、姉さんの誕生日プレゼントを買いにね。女性目線でどんなのがいいか楓ちゃんに選んでほしいんだよ。」

優輝には5つ上に姉が1人いて今は結婚して隣の市に移り住んでいる。旦那の職場が隣の市にあり通勤に都合がいいらしい。

店に入ると早速プレゼントを選ぶことにした。この店は小さい割には種類が豊富でシルバー製の物や革製の物など値段もピンきりで学生が買えるようなものもある。

優輝が最初に手に取ったのは白と紫のパワーストーンのついたブレスレットだった。値段も3000円とお手頃な価格だった。別にお金を気にしている訳ではないのだがいいものがあれば高すぎれば考えなければならないが安い分にはいっこうに構わないというのが優輝の考えだ。

「これなんてどうかな?」

楓が持ってきたのは薄い黄土色の革でできたベルトの様なブレスレットだった。

「それすごくいいかも、楓ちゃんもこういうのが好きなの?」

「私はそういうのあんまり身に着けないから分からないけど、それは可愛いとおもったの」

楓は何が可愛いとかそういうのがよく分からないため困っていた。店内を見回っていると持ってきた革のベルトがあってその上に「店長のおすすめ!人気ナンバー1」と書いてあるPOPが目に留まりこれだと思ったのだった。

「そうなんだ、じゃあ買ってくるからちょっとまってて」

優輝は少し嬉しそうに楓の持ってきた店長おすすめの革のベルトを手に取りレジへと向かった。

残された楓は突っ立っているのも他の人の邪魔になるのでもう少し店の中を見て回る事にした。





今日はいつもより早くバイトを終える事が出来た。毎週日曜日は家族連れでの買い物客が非常に多く目が回るほど忙しい。それが原因で1時間から2時間くらいの残業を命じられる事がほとんどだったのだが今日は客が少なかったため定時より少し早く帰ることが出来た。

いつもなら直帰するところだが時間があるのと洗濯用洗剤とシャンプーが切れかかっていたのを思い出したので商店街の薬局まで足を伸ばすことにした。そのくらいの日用品ならバイト終わりにスーパーで買ってもいいのだが薬局で買う方が断然安い。

スーパーから商店街まで大体歩いて15分くらいかかる。道の途中に新しくできたたこ焼き屋から漂う美味しそうな匂いがバイト終わりで小腹のすいた翔を誘惑した。悩んだ末誘惑に負けた翔は6個300円のたこ焼きをペロリと平らげると商店街に向かった。

商店街のゲートの前には二、三個グループが出来始めていた。名前は知らないがちらほらと見たことのある顔があったので同じ大学のサークルか仲の良い仲間内での集まりだろう。

ゲートをくぐる時ちらっと目があったが向こうも顔が分かるぐらいなのだろう。

商店街の真ん中辺りにあるチェーン店の薬局に着くと目当ての洗濯用洗剤とシャンプーを籠に入れた。いつもならレジに向かう途中に並べられたスナック菓子やチョコレートをついつい籠に入れてしまうのだが今日は違った。途中にたこ焼きを食べたからだ。これでも無駄遣いは控えていると思っているから何時までたっても生活が厳しいのだろう。

会計を済ませ店を出るとこれ以上余計な物欲が出てくる前に家に帰る事にした。

商店街の出口に向かって歩いているとセール中とか本日限りとかそういった呼び込みが飛び交っていた。翔はそう言う呼び込みが気になって仕方がない。ちらちらと見ながら歩いていたのだが少し気になったものがあったので足を止めた。新しいお店ができたみたいだ。

店の近くに行って見てみるとカフェスイーツという店らしい。カフェスイーツと聞いていまいちピンと来なかったが喫茶店みたいなものだろうと勝手に納得することにした。

中を覗いてみると女性客が殆で男性もちらほらと目に入ったが恐らく彼女と来ているのだろう。自分には場違いな場所だったので帰ろうかと思った時見覚えのある顔が視界に入った。「優輝?」と思わず口にだしてしまう位驚いた。まさかこんな店に一人で来ているとは考えられなかったので誰と来ているのか気になった。優輝の正面にいる人を確認してみると意外な人物だった。

「楓!?」

楓はケーキを頬張りながら楽しそうに優輝と話をしていた。

翔は前に釣りに行ったとき優輝は楓に気があると思っていた。優輝が付き合っているかと聞いて来たり何かしら楓を誘おうとしていたので分かりやすかった。

翔は付き合っているならそう言って欲しかったと思いながら商店街の出口に向かって歩いて行った。

さっきまでと変わらず店員の呼び込みが飛び交っていたが今日だけは翔の耳に届くことはなかった。





家に着くと買ったもの玄関に放り投げ着替える事もせず布団に入った。食欲も無く全身だるくて何もする気が起きなかった。眠ろうにも窓からは夕日が差し込み寝るのは早いと訴えている。

静まり返った部屋は落ち着かなかったのでテーブルの上に置いてあるテレビのリモコンに手を伸ばした。テレビをつけるとニュース番組をやっていたが内容が頭に入っては来なかった。

ぼーっとテレビを眺めているとピーンポーンとインターホンが部屋に鳴り響いた。

翔はゆっくりと起き上がると玄関に向かい「どちら様ですか?」とドア越しに話しかけた。

「楓だよ。開けてくれない?」

いつもならはいはいと開けるのだが今日は開けなかった。

「帰ってくれ」

「えっ、どうして?」

楓は意味が分からず混乱している。家まで来て帰ってくれの一言で納得して帰る事の出来る人はまずいないだろう。何か納得の出来る理由がなければ帰るにも帰れない。

「どうしたの?体調でも悪いの?」

楓の考えられる理由はこれ位しか思いつかなかった。もし違うならその理由を教えてくれるだろうと思っていたのだがその理由は楓の予想もしない物だった。

「迷惑なんだよ!最初に断ったのに毎日毎日押しかけて来てさ、もう来ないでくれ!!」

楓は言葉を失った。何も言い返す事が出来なかった。確かに最初は押しかける様に行ったのは間違いなかったが、それでも翔は受け入れてくれたと思っていた。受け入れがたい事実を突き付けられ楓の目に涙が溜まる。

「ごめんなさい」

そう一言だけ言い残して楓は走り去っていった。

翔は走る足音が聞こえなくなるとドアにもたれかかりしゃがみこんだ。

楓を傷つけるような言い方はしたくはなかったが翔にはその方法しか思いつかなかった。

一方的に突き放さなければ楓の優しさに甘えてしまうと思ったからだ。

これでいい、これでよかったと自分に言い聞かせる。少し前の生活に戻るだけだと思っているのだがさっきから涙がいっこうに止まる気配が無い。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。そんな事を考えていると既に部屋は真っ暗になっていた。






ピーンポーンと翔の部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

時間は夜9時前、いつもこの時間はゆっくりテレビを見ている時間なのだが、今日はすでに布団に入っていた。入っているというよりも包まっているの方が正しい。

翔はしっかりとインターホンが聞こえていたが今はそんな気分ではなかった。郵便配達の人だったら申し訳ないけどまた後日にしてほしい。

翔はそんな事を思いながら無視していると二回目の音が鳴り響いた。すると三回、四回と連続で鳴り続けると流石に鬱陶しくなってくる。

こんなことをする人物に一人だけ心当たりがあった。

「やめてくれよ爺ちゃん!」

「おう翔、いるなら早く出んか」

忠邦はとにかくマイペースだった。近所迷惑とかはあまり気にしていないようだ。忠邦は「入るぞ」と言って勝手に入ってきた。

「なんじゃもう寝とったのか?」

「別にいいだろ。こんな時間に何しに来たんだよ」

用事があっても尋ねるのを躊躇う時間帯だ。だが忠邦は用事があって尋ねて来ることの方が珍しい。

「孫の顔を見に来るのに理由なんかいらんじゃろ。それよりお茶をおくれ」

翔はため息をつき冷蔵庫からお茶を取り出しテーブルの上に置いたコップに注いだ。

忠邦はお茶を一口飲むと周りを見渡した。

「今日は楓ちゃんはおらんの?」

「見れば分かるだろ」

ついつい強い口調になってしまった。あんな事があった後に普通に人と話す事が出来るほど翔は大人では無かった。忠邦はそんな翔の異変にすぐに気付いた。

「失恋か?」

「そもそも付き合って無い」

お互いに誰ととは言わなかった。誰か分からない程翔に異性との交流が無いからだ。

「翔には勿体無い位の良い娘じゃったのにの」

翔もそう思ってる。だから楓を切り離したのだと言いたかった。優輝の方が上手くやれるに決まっている。それが楓の為、そうに決まっていると布団の中で自分に言い聞かせた言葉が次々と出てくる。

「そんな娘が翔に好意を寄せてたなんて不思議じゃの」

「好意?」

「あんな時間に翔の家にいるなんて付き合ってるか好意を寄せてるかぐらいしか考えられんじゃろ?」

翔は自分の経験の無さから友達なら普通だろうと思っていた。今更だが忠邦の言っている事は正しい。よく考えれば分かる事だった。

「うむ、もうこんな時間か、儂はそろそろ帰るとしようかの」

忠邦はじゃあと一言を残してそそくさと帰っていった。

翔は時計を見ると10時を回った所だった。楓が来てから恐らく3時間程は経過しているだろう。今からでは追いかけるとかそんな話ではないだろうが、翔は何故か今行かないと二度と会えない様なそんな気がして家を飛び出した。





勢いよく飛び出したものの楓がどこに行ったかなんて皆目見当もつかない。町中走り回ってみたが楓の姿は見当たらなかった。楓どころか人の姿さえほとんど見なかった。それもそのはずここは田舎というほどではないがお世辞にも都会とは言えない。夏でも9時を過ぎれば外を出歩いている人なんてほとんどいない。

楓の家に行く事が出来れば一番いいのだが、翔は楓の家がどこにあるか知らなかった。

もう行く当てがなくなり翔の体力にも限界が来た。ちょうど間の前にバス停があったのでそのベンチに座り込んだ。

時折吹く風が体に纏わりついた汗を冷やして心地よかった。体だけでなく頭も冷えたようで少し落ち着いた。少し考えれば分かる事だったが外で見つかるわけがなかった。普通は家に帰っているだろう。でもどうしても一言謝りたくていてもたってもいられなかった。

家さえ分かればと思ったところで違和感を覚えた。そもそも俺は楓の何を知っているのだろうか?学生なのか社会人なのかも知らないし歳も分からない。知っている事と言えば魚(刺身)が好物だという事ぐらいだろう。

そんな事を思っていたら魚と言う単語に少し引っかかった。

そう思えばまだ漁港に行っていなかった。無意識のうちにそこにはまずいないだろうと思い込んでいた。

今いる所から漁港はそれ程遠くない。翔はベンチから立ち上がり漁港に向かって走っていった。





漁港に着くとひとまず呼吸を整えた。Tシャツは既に汗でびしょびしょで直ぐにでも着替えたいぐらいだ。漁港は街灯のおかげで何も見えないということはなかった。漁港の先端に人影が二つ見えた。夜釣りに来た人だろうか。もしかしたら楓を見ているかも知れない、そう思って近づいてみるとそこには優輝と楓がいた。

「楓……」

楓と優輝は翔の方に振り返った。何とか楓が見つかり翔は安心したのだがなぜか二人は深刻な表情だった。

「何しに来たんだい、翔」

翔が声を掛けたのは楓だったのだが切だしたのは優輝の方だった。

「さっきの事を謝りに来たんだ。楓…さっきはあんな言い方をして本当にごめん」

翔は深々と頭を下げて楓に謝った。謝ったからといって許してもらおうとは思っていない。

楓の返答を待つ間の時間がとても長く感じる。

「もう遅いよ」

帰ってきたのは楓からでは無く優輝からだった。

「意味わかんねえよ!どうして優輝が答えるんだ!」

さっきから何かがおかしい、楓は俯いて黙っているし優輝の言ってる「もう遅い」の意味も分からない。

「翔が悪いんじゃないか!一方的に突き放しておいて今更遅いんだよ、それなら初めからそんな事言わなければいいじゃないか!」

「違う、俺は楓と優輝の為を思って…」

「もうやめて…」

初めて喋った楓の声は小さかったが翔と優輝にはしっかりと届いていた。その一言で冷静になった二人は楓の方をみる。

「ごめんね翔君、私翔君にずっと黙っていたことがあるの」

まだ出会ってそこまで日が経っている訳ではないので寧ろ話していない事の方が多いはずなのだ。それをあらたまって言おうとしている事に翔は怖くなった。一体何を言うつもりなのか。嫌な寒気が翔を襲う。

「私ね、本当は人魚なの」

「人魚…えっ、どういう事?」

人魚とは一体どういう事なのか。そもそも人魚なんておとぎ話の世界だ、直ぐにそうですかと納得出来る様な話ではない。それに翔をからかっている様には見えない。

「翔が今更知ってもどうにもならないよ」

さっきから優輝の言葉に棘がありいちいち腹が立つ。

「どうにもならないってどういう事だよ。ちゃんと説明しろよ」

優輝は何も答えなかった。穏やかな海の波の音だけが聞こえてくる。

「私ね、もうすぐ消えちゃうんだよ」

「楓ちゃんそれは…」

優輝が何か言いかけたが楓がそれを望んでいない事を顔を見れば分かってしまった。

「消えるって、人魚だから海に帰るって事?」

まず落ち着いて話を聞かなければ先に進まないと思いさっきまでの話を前提にして考えられる範囲で答えを出してみた。

だが、楓からは翔には想像も出来ない答えが返ってきた。

「違うよ、私泡になっちゃうの、つまり死んじゃうの。まあそういう意味では海に帰るって言うのも間違いじゃないかな」

楓は淡々と翔に説明した。感情の感じられない言い方でまるで別人のように思えた。

翔はここまで聞くとある一つの話が思い浮かんだ。しかしその話通りだと言うならば楓が泡になる筈が無いのだ。優輝と楓は両思いでハッピーエンドなのだから。

つまりそうなっていないということは。

「俺だったのかよ」

「うん、私は始めて会った時から翔君の事が好きだったよ」

楓の真面目な告白を聞いて翔は恥ずかしさと嬉しさで顔が熱くなった。そして翔もそれに答えようとした時、急に楓の体が後ろに傾いた。

「ごめんね翔君」

そう言って楓は海に落ちていった。

「かえでぇぇ!!」

「まてよ翔!」

優輝は翔を止めようとしたが間に合わず翔は海に飛び込んだ。

「あの馬鹿!」

優輝も急いで飛び込もうかと思ったが二次被害になりかねないと思い助けを呼ぶため走り出した。

翔は勢いよく海に飛び込んだものの楓を見つけることが出来なかった。それどころか今は自分の身が危なかった。浮かび上がることが出来ないため息を吸う事が出来ない。プールと違って目も開けることも出来ないため海面に向かっているのか沈んでいるのかも分からなかった。

息の続く限りもがいていたのだがそれももう限界で体の力も抜けて意識が少し残っているだけだった。

なんて馬鹿な事をしたのだろうか。海に飛び込んだ事ではない。あの時楓を突き放した事がまさかこんな結末になるとは夢にも思はなかった。そのときの事が鮮明に頭に浮かびこれが走馬灯なのかと思い意識を手放しかけた時翔の手を何者かが優しく掴んだ。そこで翔の意識は途切れた。





「暑い……」

翔は暑さで目が覚めて時計を見ると朝の7時過ぎだった。後30分だけ寝ようと思ったが恐らく30分が3時間になるのが目に見えていた。

体を起こすとテーブルを見る。勿論何も無い。あるのはテレビのリモコンぐらいだった。少し前まではこれが当たり前だったのだが最近はこっちのほうに違和感があった。

テレビをつけるとどのチャンネルも同じようなニュース番組をやっていた。今日は大学に行かなければいけない。本当は夏休みなのだが心優しい教授が単位が足りない人のために補修をしてくれるのだ。もう少し優しさを出してプリント数枚とかにしてほしかったと思いながら大学に行く準備に取り掛かった。

準備をしていると台所の方からガサガサと物音が聞こえた。なんだと思い台所の方に視線を向けた。

すると山盛りに盛られた魚の刺身を持った彼女がいた。

「翔君おはよう」




終わり


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