表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

上書き



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 流が俺を襲った事件から一週間が経過した、らしい。

 

 らしい、というのは、俺は昨日目覚めたばかりで、詳細は話に聞いただけだからだ。

 記憶は、正直なところ、曖昧だった。

 脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回されたかの如く、事件前後の記憶が混乱していた。

 精神状態も不安定で、ふと気を抜いた瞬間に、得も言われぬ悪寒に襲われ、嘔吐してしまうことも度々ある。

 細かいことを思い出そうとすると脳が拒絶する。

 流と会ったような記憶はあるが、どんな話をしたのかは思い出せない。

 ただ、彼女が言った、とある一言だけは、鮮明に覚えていた。

 

 ――決して傷つけるつもりはありませんので、ご安心を。

 

 だから俺は、流に対して不信感など覚えていない。

 きっと、何か止むに止まれぬ事情があったのだろう。

 

 流は現在、謹慎処分ということで離れの一室に隔離されている。

 人を傷つけた付喪神は、厳しく罰せられる。

 それが付喪神研修制度での共通規則。

 どこの霊能者の家でも、徹底していることだ。

 実際、流が研修中の身だったら、有無を言わさず封印処分となっていただろう。

 そうならなかったのは、流が浦辺家に忠信深く仕えてきたことを、皆が知っていたからだ。

 だからこそ、皆、今回の流の奇行には首を傾げるしかない。

 自分たちに見る目がなかったのか、それとも特殊な事情があったのか。

 流は決して事件のことについて語ろうとせず、大人しく謹慎処分を受け入れている。

 結果、全てが曖昧なまま、ただ無為に時間だけが過ぎていた。

 


 流はこれからどうなるのか。

 流と、これからどう接していくべきか。


 

 俺には、わからなかった。

 

 

 更に。

 気になることは、流のことだけではない。

 

 ――茅女。

 

 彼女の様子も。

 流に負けず劣らず、不可解なものだった。




「――郁夫? どうかしたのか」

 

 体を起こしていたところに、ぴたり、と茅女が側に張り付いてくる。

 何でもない、と答えるも、茅女はそのまま離れようとはしなかった。

 

「なら、無理はするな。して欲しいことがあったら何でも言っておくれ。

 ――妾にできることなら、何でもしてやるからな」

「そ、そんなに気遣ってくれなくても大丈夫だって。

 それより、茅女の方は大丈夫なのか? 昨日からずっと一緒にいるけど……」

「わ、妾は何も問題など無いぞ。それよりヌシじゃ。

 まだ快調ではないのだから、回復するまでは大人しくしておれ」

 

 茅女は早口でまくし立てながら、半ば押し倒すように体重をかけてくる。

 ぼすん、と後頭部が枕に着陸。

 その強引さは、どう見たって何かを隠しているようにしか見えない。

 

 では、何を隠そうとしているのか。

 

 心配されることがそんなに不都合なのだろうか。

 否、茅女の態度は、そういったものとは根本的に違う気がする。

 まるで――“気を遣われる自分”を恐れているかのようだ。

 その上で、こちらの状態を気遣っているのだから、自然と強引な看病になるのだろう。

 

 また、茅女がこちらを気にかけるのは、何故か。

 彼女が第一発見者だったから?

 俺のことを、少なからず気に入っていたから?

 どちらも合ってるような気がするし、そうでない気もする。

 

 ただ、ひとつだけ断言できることがあるとすれば。

 

 今、茅女は、ひどく“何か”に怯えている。

 

 それだけは、確実だった。

 

 触れたものなら何でも切り裂くことのできる包丁の付喪神。

 戦い方によってはあらゆる妖怪や霊能者を屠ることすら可能な怪異。

 そんな茅女が、まるで外見相応の少女のように、酷く怯えて縮こまっている。

 

 そんな茅女を放っておくことなんて、できなかった。

 

 

 

 

 

「――郁夫。橘音が食事の支度をしてくれたようじゃ。今持ってくるからな」

「ああ、いいよ茅女。もう歩くことくらいできるから……っと」

「ば、莫迦者! 食事は妾が持ってきてやるから、無理をするな!」

 

 起き上がろうとしてよろけたら、茅女は怒って駆け足で部屋を出て行った。

 確かに、体調が芳しくないのだから、世話を焼いてもらうのも悪くない。

 茅女の態度や流の状態などは気になるが、それは回復してからでもいいのかもしれない。

 

 

 しばらくして、急ぎ足で茅女が戻ってきた。

 手には昼食の乗った盆。薬草粥が美味しそうに湯気を立てている。

 

 茅女は俺の隣に腰を下ろし、蓮華レンゲに粥をひとすくい、そのまま――

 

「ほら、郁夫」

「いや、もう自分で食べられるって」

「……そうか」

 

 ああもう。そこでそんなに寂しそうな顔するなよ。

 

「……やっぱ、最初の一口だけ」

「そうか! 郁夫、あーん」

「あー……熱っ」

「す、すまぬ! 冷ますのを忘れておった。……ふー、ふー」

「はむ……ん。美味しいな。ありがと、茅女」

「き、気にするな。それより、もう一口どうだ?」

 

 素直に礼を言うと、照れくさそうに微笑みながら、もうひとすくい粥を準備してくる。

 流石に何度も食べさせて貰うのはこちらも恥ずかしいため、茅女の誘いは断ることに。

 

「じゃあ、あとは自分で食べられるから」

 そう言って、手を差し出す。

「……うー」

 再び寂しそうな顔を見せるが、情に流されるのは一度まで。

 普通に蓮華を受け取って、自分で粥を食べ――

 

 

 ぽろり、と。

 蓮華が手からこぼれ落ちた。

 

 

「……あれ?」

「こら、郁夫。まだ手に力が入らないのではないか? やっぱり妾が食べさせ――」

「いや、大丈夫だって。ものを持つのが久しぶりだから、上手く持てなかっただけ」


 言いながら、掛け布団の上に落としてしまった蓮華を拾おうとする。

 しかし。

 

 掴んで、持ち上げようとしたところで。

 手から完全に力が抜け、蓮華は再び転げ落ちる。

 

 畳の上に落ちようとした蓮華を、咄嗟に茅女が受け止める。

「郁夫、やはり疲れているのだろう? 大人しく妾の世話を――」

「ごめん、茅女、もっかい貸してくれ」

 茅女の言葉を遮って、半ばもぎ取るように蓮華を奪おうと――

 

 

 ぽろり、と。

 蓮華は手からこぼれ落ちる。

 

 

「……郁夫?」

 

 こちらの様子を見て、茅女も異常を感じ取ったか。

 ぶるぶると震える俺の手を、茅女が訝しげに見つめている。

 

「力が入らないのか? 一週間寝たきりだった故、別段おかしなことではないぞ?」

「……いや、違うんだ」

 

 手を開閉させ、力の入り具合を確認する。

 病み上がりで多少弱っているものの、食器が持てないレベルではない。

 

 なのに。

 

「……っ!」

 手を伸ばし、盆の上の箸を取ろうとする。

 しかし――蓮華と同じように、持とうとした瞬間、すとんと力が抜けてしまう。

 

 これは、まさか。

 

 布団から飛び起きて、部屋中のものを持とうとする。

 しかし、どれも例外なく、手からこぼれ落ちてしまう。

 

 

「……持てない?」

 

 

 呆然と手のひらを見つめながら。

 俺は、そう呟くことしかできなかった。



「刺された影響か」

 

 その声は。

 ぞくり、と凍り付きそうな冷たさを含んでいた。

 

 振り返ると、能面のような無表情でこちらを見つめる茅女がいた。

 

「あの刀に裡を引き裂かれた結果、物に対して恐怖心を植え付けられたのかもしれんな」

「……恐怖、心?」

「刀――流のことを、ヌシは信頼していたのだろう? それこそ人間と変わりなく。

 そんな信頼していた相手に、心をズタズタに引き裂かれたら、大抵の人間は不信に陥るよの」

 

 えっと、つまり。

 流に刺されたショックで、俺は物を持てなくなったということだろうか。

 

「しかし、それにしては拒絶が強いのう。

 刀を持てなくなる、というのならわかるが、

 あらゆる物を持てなくなる、というのは尋常じゃない」


 言いながら。

 茅女はこちらに歩み寄ってくる。

 そして、ゆっくりと、俺の腕に――触れた。

 

「……茅女?」

「ふむ。この姿では平気なようじゃの。看病できていたことからも察せられるか」

 

 ぺたぺたと俺の腕を触っていた茅女は、ふいに、俺の手のひらを強く握った。

 

「郁夫」

「な、なんだ?」

「振り回すなよ」

 

 言うなり、茅女は。

 変化を解いて、元の姿――包丁へと戻った。

 

 

 柄が手のひらに収まるように。

 白木作りの柄と、小振りな刃。

 五百年の時を経てなお健在な包丁が、俺の手に――

 

 

 収まらなかった。

 

 

 やはり、力は入らずに。

 そのまま包丁を落としてしまう。



 畳にぶつかる直前に、茅女は少女の姿へと変化して、こちらを見上げる。

「やはり……駄目か」

「ご、ごめんな」

「気に病むでない。半ば予想できていたことだ」

 そう言う茅女の表情は、しかし硬く尖っていた。

 

「道具を持てない、か。只の拒絶じゃこうはいかぬ。

 ――あの刀、意図したかどうかは知らぬが、心を弄ったな」

 

 心を、弄った?

 

「おそらく、奴の怪異はこれじゃろう。

 ――斬った相手の心を操作する、か。

 まさに妖刀じゃの。使いようによっては最悪の武器となるの」

「……おい、それってつまり」

「流は、ヌシの心に侵入したとき、その中身を一部書き換えたのよ。

 おそらくは、“自分以外の物を持てなくなる”といった類にな」

「…………」

 

 信じたくはなかった。

 しかし、一切の物を持てない現状から考えると、茅女の言うことは信憑性があった。

 

 

「……そうするに至った奴の心情は理解できる。

 が、これは許容の域を脱しておる。

 …………郁夫が妾を持てないというのは、嫌じゃ」

 

「か、茅女?」

 

 茅女の瞳は。

 こちらに縋っているかのように、弱々しく。

 その儚さに言葉を失われているうちに。

 気付けば、腕を掴まれていた。

 

 

 ぐい、と引っ張られて重心を崩されたかと思ったら。

 そのまま畳の上に押し倒されてしまった。


「妾を持てるようにするには、何らかの方法で、郁夫の心を更に上書きする必要がある。

 通常の状態なら道具の現身を使わせれば、心や体をある程度は繰ることは可能じゃ」


 その瞳は、純粋にこちらの身を案じていて。

 拒絶などできるはずもなく、茅女の言葉を受け止めるだけで精一杯。


「しかし、道具そのものを持てないということは、

 少なくとも道具の変化は、郁夫をどうこうできないということになる。

 うまくできすぎていて、笑えぬな」


 真剣な表情。

 だが――困っている、というよりは。

 迷っている、ように見受けられる。

 

 その逡巡は何秒か。

 茅女は何やら意思を固めた様子で。

 

「――心を繋げる方法は、妾を持たせる以外にもある。

 妖怪としての怪異ではなく、人間の使う技法だがな」

 

 そう言う茅女の表情は。

 何故か少々緊張気味で。

 頬を紅く染めていたりして。



 まて。

 何をする、つもりだ?

 




「――房中術、というのを、聞いたことはあるか?

 なに、行為としては初めてだが、失敗することは無かろうて」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ