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和解



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 早朝の道場に、木刀のぶつかり合う音が響く。

 郁夫の怪我も完治して、流も本調子に戻っていた。

 

 故に訓練は激しくなり、実践さながらの打ち合いも行われる。

 

 両者共に、表情に甘さはなく、真剣に相手のことを見据えている。

 ただ、郁夫の場合は瞳術をかけないように注意しているため、少々しかめっ面になってしまっているが。

 

 

「……ふっ!」

 

 鋭い呼気と共に、郁夫が踏み込み、上段への一撃を放つ。

 後の先を取ろうにも、太刀筋も速度も申し分ないので、流は受けに回るしかない。

 一歩退いた流を追撃するように、郁夫も踏み込む。

 そしてそのまま、流れるような動きで、突きへの準備姿勢に入る。

 

 瞬間。

 

 微かに空いた脇への隙間を、流は見逃さなかった。

 

 一歩退いた姿勢は、そのまま横薙ぎの一撃を振るうのに適していて。

 吸い込まれるかのように、流の木刀が、郁夫の胴へ――

 

 

 打ち込まれることは、なかった。

 

 

 がつん、と鈍い音。

 それは胴を打つ音ではなく、木と木のぶつかり合う音だった。

 見ると、郁夫は木刀を腰まで引き戻し、柄で横薙ぎを受けていた。

 刀身で受けていたら間に合わなかっただろうが、柄ならそのまま引くだけで済んだのだ。

 あとは郁夫が前に踏み出せば、流はそのまま押し倒されてしまうだろう。

 

 

 ――こんな技、教えてない。

 

 

 流の膝が深く沈む。

 重心が極端に前へと移り、勢いはそのまま木刀の先へ。

 

「うわあっ!?」

 

 踏み込もうとしていた郁夫は重心を崩され、そのまま床に転ばされてしまう。

 どだん、と朝の道場に派手な音が鳴り響いた。



 

「……痛てて……。くそー、上手くいくと思ったんだけどなあ……」

 床に寝転がったまま、郁夫は悔しそうな声を上げた。

「でも流、狙いは悪くないだろ?」

「…………」

 流はすぐには答えずに、冷たい目で郁夫を見下ろす。

 そして。

「駄目です」

 と、言った。

「えー。なんでだよ。胴狙いは避けるの難しいから、

 確実に受けて、懐に入り込んで制圧した方が良いって茅女が――」

 

「――駄目です!!」

 

 雷鳴の如き流の一喝が、道場の空気をびりびりと震わせた。

「それは、郁夫様が使うのが短杖であった場合です。

 刀の場合ですと、柄を斬られ、握りが狂ってしまうでしょう。

 最悪、目釘が壊れてしまい、刀を使えなくなる恐れもあります」

 淡々と説明する流。

 その瞳には、微かに激情が揺れていた。

 

「……なるほど。でもさ、今は木刀なわけだし、これはこれで――」

「――郁夫様は」

 郁夫の言葉を遮るように。

 先程までの冷たい表情から一転、どこか泣き出しそうな危うさを持つ顔で。

 

「刀を使う鍛錬を、しているんですよね……?」

 

 そう、訊ねてきた。

 何を当たり前のことを、と郁夫は首を傾げたが、

 流があまりに不安そうに訊ねるので、何も言わずに頷いた。

 

 ほっ、と流が安堵の溜息を吐く。

 どうしてそんな仕草を見せるのか郁夫にはわからず、ただ首を傾げるのみ。


「……でしたら、そのような技はお忘れください。

 胴の守りも、しっかりした筋がありますので、それをお教えします」

 そう言って、流は郁夫を助け起こす。

 折角覚えた技を忘れろ、というのには引っかかったが、

 しっかりとした技を教えてくれるのなら、と郁夫も納得した。



「受けの基本は鎬です。ですから先程のような場合は――」

 説明しながら、郁夫に動き方を示す流。

 郁夫も真剣にそれを聞き、言われたとおりに体を動かす。

 そして、郁夫の飲み込みが弱い場合、流は手を添えて一緒に動かしたりする。

 このときも、そうだった。

 ただ、いつもより心なし体を近づけて。

 肘や背に、慎ましやかな膨らみの感触を、押しつけるように。

 時折郁夫がそれに気付き、気恥ずかしそうに身を捩らせるが、

 流は気付かないふりをして、更に指導に熱を入れた。

 

 



 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『――最近、流の様子がおかしい?』

「ああ。気のせいならそれでいいんだけど、なんかこう、なんというか……」

『不調みたいってこと? まさか奇跡的に一本取ったとか?』

「いや、そういうわけじゃなくて、なんか雰囲気が、さ。

 千茶は何にも感じないか? 流と仲悪くないだろ?

 ……あと、奇跡的って言うな」

『んー。どうだろ。最近流って、厨房に来ないのよねえ。

 なんか、道場に籠もってることが多いみたい』

「そうなのか? ……そういや、いつも先に道場にいるよな。

 着衣もなんか乱れてるし、一人で訓練でもしてるのか……?」

『道場に百年も居座ってた剣術バカの奉納刀が、これ以上強くなってどうするのよ』

「……だよなあ」

 

 千茶からお茶をひと啜り、他に理由を考えてみる。

 しかし、さっぱり思いつかない。

 ……やはり、鍛錬しているとしか思えない。

 ひとりで。


 では、何のために?

 ただ強くなりたいというわけではないだろう。

 流は今のままでも十分に強い。

 退魔刀として高名な霊能者に振るわれていてもおかしくない存在だ。

 そんな流が、今より更に強くなろうとしている理由。

 

 ……まさか、

 


「茅女に、勝ちたいのかな」



『茅女? ああ、新入りの包丁ね』

 

 千茶から伝わってきた思念は、思いの外、冷たい響きを含んでいた。

 姉御肌なところがあるので、大抵の付喪神には親切に接せられるはずなのに。

 

『……嫌いってわけじゃないわよ。だから、そんな顔をしなさんな』

「……む、顔に出てたか」

『郁夫はわかりやすいからねえ。

 まあそれはそれとして、郁夫が心配することじゃないわよ。

 ――私の場合、目の前で橘音や流を切り裂かれたわけだし』

「あ」

 

 そういえば、あの場には千茶もいたんだっけ。

 俺が倒れた後、他の付喪神をまとめたりしてくれたのは聞いている。

 そんな冷静な対応ができていたから心配要らない、というのは浅はかだったか。


 親しい人間や同属が目の前で重傷を負わされたのだ。

 何かしら思うところがあっても、全く不思議ではない。

 

『まあ、本人同士で手打ちになったことは知ってるから、

 私がどうこう言うべきじゃないのはわかってるわよ。

 ……ただ、ショックだったってのは気に留めておいてもらえると、嬉しいかも』

「……ん。了解」

『まあ、台所の付喪神なら、私の後輩になるわけだから。

 そうズルズルと引きずるわけにもいかないよね。

 今は鍋のトン子に任せてるけど、もうちょいしたら私自身がビシバシとここの掟を叩き込んであげるわよ』

 

 そりゃあ心強いな、と言おうとしたら。

 割り込むように、聞き覚えのある声が。

 

 

「――ふん、人化すら覚えておらぬ小娘が、妾に指導とは片腹痛いわ」

 

 

 噂をすれば影。

 音も立てずに部屋に忍び込んできていたのか、後ろに茅女が立っていた。

 

 たすたすたす、と畳を踏みしめ、俺の真横に回り込んでくる。

 そしてそのまま腰を下ろし、視線は俺の手元の千茶へ固定。

 

「ふん、ろくに怪異も持ち得ぬ小娘が思い上がりおって。

 妾に意見したければ、もう少し礼儀を弁えてから――」



「――こら、茅女」

 ぺちん、とおでこにでこピン一発。


 

「あた!? 何をするか……!」

 と、こちらを向いたところで、少し厳しめに睨み付ける。


 うっ、とあからさまに怯む茅女。

「今のは、千茶に失礼だぞ」

「し、しかしだな郁夫」

「言い訳は無しだ」

 あとはじっと見つめるのみ。

 一度瞳術に堕ちた者には、ただ睨むだけでもそれなりに効果がある。


「…………むぅぅ」

 茅女は文句を言いたそうな顔で、しかし結局モゴモゴするだけ。

 

「――妖怪としては、お前の方が格上だ。それは俺もみんなもわかってる。

 でもな、研修生という立場では、紛れもなく千茶が先輩だ。

 これから人間社会に適応していくのが研修の目的なんだから、

 こういう上下関係にも順応しなくちゃダメ」

「……うぅ。郁夫ぉ……狡いぞ」

 頬を微かに染めながら、むすーっとふくれっ面を晒している。

 

 と。

 

『――あははははは!』

 

 いきなり、千茶が笑い出した。

「……笑うな」

 それに対し、茅女がむくれた声を上げる。

 しかし千茶は気にせずに、笑う思念を垂れ流し。


 偉ぶった茅女が説教を受ける様が、そんなにおかしかったのだろうか。

 

『いやはや、話には聞いていたけど、新入りが郁夫に骨抜きって本当だったんだ!』

「……ふん、そのうち郁夫の方も妾に骨抜きにしてみせるわ」

『おや、否定しないの? そこらへんは流と違って素直だねえ』

「郁夫が魅力的であるのは、ここの付喪神であれば否定する者は居らぬじゃろうて」

『ま、それもそうだね』

 

 少々ぎこちなくはあるが、くだけた様子で話す両者。

 ……いや、でも、その話のネタが俺のことってのは、

 なんつうか、こう、背筋がムズムズするというか……。


「――特に、これが良い」

 

 唐突に、茅女が俺の背後に回り込む。

 そしてそのまま、右手を俺の首に回し、指先で頬を撫でてくる。

 

「……? なんだよ、茅女」

 意図を掴めずに、俺はただ困惑するのみ。

 

 

「――郁夫。妾がヌシに瞳術をかけられて久しいが、

 害意を抱ける程度に回復しているのは、知っておるな?」

 

 

 …………。

 一応、わかっている。

 瞳術の効果は永遠に続くわけではない。

 冷水をひっかけるようなもので、一時的に冷やすことはできても、時間が経てば熱は戻ってくる。

 害意も同じだ。

 茅女の復讐心を一度掻き消したといっても、時間が経てばそれは元に戻ってしまう。

 確実に抑え込むのであれば、定期的に瞳術をかけて支配しなければならない。

 でも――

 

 

 茅女の声は、初めて会ったときのように、冷たく暗く沈んでいた。

 殺気を欠片も隠さずに、包丁の付喪神は俺に問いかける。

 

「なのにヌシは、妾に再度術をかけることはなく、あくまで見つめる程度に留めておる。

 今この瞬間、妾はヌシの首を裂くこともできるのじゃぞ?

 妾が抱いていた復讐心は、目的のためならそれくらい為せるであろうことを、ヌシは直に味わったであろう?」

 

 なのに、どうして放っておくのか。

 そんなの、決まってる。

 

 

「――だって茅女、悪い奴じゃないし」

 

 

 思ってることを、そのまま口にした。

 少なくともコイツは、何の理由もなく人の首を裂く妖怪じゃない。

 復讐心は確かにとんでもなく濃いけれど、それと同じくらい、純粋な心を持っている。

 まだ二週間程度の付き合いだが、それくらいは理解していた。



「ほれ。悪い“奴”じゃない、ときたものだ。これが良い」

 言うなり、回した手をこちらの胸へ。

 そのまま抱きつきながら、顎をこちらの肩に乗せてきた。

 ――って、ちょ、当たってる当たってる!?

 

「郁夫は、平等なのが良いの。人も付喪神も何者も等しく、心を持つ者として接してくれる。

 魔性の瞳も魅力的だが、何よりその姿勢が心地良い」


『ありゃ、そっちの方にも気付いたんだ。流石は五百年物。見る目があるねえ』

「妾等付喪神は、人に使われることで染みついた想念が心として定着したもの。

 故に、人と非常に近しい存在にもなり――人の心に触れたくなる。

 郁夫は自然に、その心を触れさせてくれる。渇いた心には染み入る甘露よの」

 

「いや、あの、褒めてくれるのは嬉しいのですが、

 ……えっと、その、くっつきすぎではないでしょうか茅女サン」

 

『あ、茅女。郁夫は肩胛骨のあたりが弱いよー』

「心得た。……ふふ、小さいなりに柔らかいじゃろ?」

「ちょ、何で知ってるんだ千茶!?

 ってかお前ら何なんですかそのコンビネーションは!」

『ふ。孫の手のゆっきーが、郁夫の弱いところは全て把握しているのよ!

 そして浦辺家研修生の心得・その弐。――如何なる時も郁夫で遊べ!』

「ふむ、良い心得よの。妾も深く心掛けるぞ」

「何だその滅茶苦茶失礼な心得はーっ!? って待って茅女それ以上はマジでヤバイ」

「……ふふ。其処に血が集まるのは、男子として正常な証拠じゃ。

 何ひとつ恥じることなどないぞ。……ほれほれ、ここが良いのか?」

『あははは! いけ! そこだ! 郁夫にパンツを洗濯させろー!』

 

 

 千茶の楽しそうな思念。

 思っていたより早く、千茶は茅女と普通に接せられるみたいだ。

 そのネタが自分というのは正直微妙だが、まあこの場は、

 2人が仲良くなる材料として、潔くこの身を提供しようじゃないか……!




 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

  

 ぽたり、ぽたり、と。

 廊下の上に赤い液体が滴り落ちる。

 

「……私の方が先だ。私の方が先だ。私の方が先だ……」

 

 ――私の方が先に、郁夫様の良いところを知っていた。

 

 ぶつぶつと。

 声は暗く、歯ぎしりの音と混じり合う。

 握り締めた拳からは、鮮血が垂れていた。爪が掌を破った模様。

 しかし、そんな痛みより――

 

 

「――郁夫様。包丁なんかに心を許さないで。

 其奴は貴方の寝首を掻こうとしているだけです。

 先程だって、本当に首を切り裂いていたかもしれない。

 躰だって、殆ど子どものようなものじゃないですか。

 私の方が、そんな小さな躰より、きっと貴方を満足させられます。

 私の方が、私の方が、私の方が、私の方が、私の方が、私の方が――」

 

 ひたり、ひたり、と。

 幽鬼のように、音を殺し、気配を消して。

 激情をうちに押し込んで、刀の付喪神は、廊下をゆっくり歩いていた。

 

 

「――私の方が、先に、郁夫様に目を付けたんだ」

 

 

 乱入して、引き剥がしてやりたかった。

 しかし、あの場は千茶と茅女を和解させるのに最適だった。

 郁夫の狙いもそこにあるとわかったから、歯を食いしばって我慢した。

 

 ――ほら、こんな風に、郁夫の考えを慮ることができる。

 

 郁夫に相応しいのは自分だ。

 そう思いながら、流はあることを必死に考えていた。

 それはとても大事なこと。

 自分と郁夫との今後のために、達成されなければならないこと。

 

 

 ――どうすれば、あの包丁を、郁夫様から引き離せるのかな。



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