修羅場
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
視界が真逆に回転してから、ようやく己の首を切断されたことに気が付いた。
驚異的な鋭さの斬撃だったが、そんなものは気にならないくらい、己の迂闊さに腹が立った。
――愛しき相手に、あのように無碍にされたのだから。
如何なる暴挙に走っても、不思議ではない。
だというのに、その襲撃を予測できず、殺気丸出しの不意打ちに気付けなかったとは。
……それだけ、郁夫の復活に動揺していたということか。
背後からの不意打ちにより、茅女の頭部は、床に転がり落ちていた。
とはいえ、この程度で死滅するほど妖怪は柔ではない。
本体さえ無事ならば、変化の体など、いくら傷つけられようとも元に戻せる。
転がった頭を無造作に拾い上げ、振り返ると同時に横に跳ぶ。
瞬間。
茅女の立っていた場所に、二度目の斬撃が繰り出されていた。
『――ちっ!』
舌打ちの気配を感じた。
そこに余裕は欠片もなく、焦りが色濃く窺えた。
おそらく刀の小娘は、先の一撃で決めるつもりだったのだろう。
初撃で必殺。
なるほど、少なからず考えてはいるようだ。
茅女の能力は“切断”である。
触れたもの全てを断てる茅女には、不意打ちで確実に仕留めるのが上策だ。
――しかし、甘い。
小娘は、唯一無二の勝機を逃した。
徐に殺しにかかるお転婆に、情けを掛けるつもりなど毛頭無い。
郁夫に術を破られた腹いせに、ここはひとつ、仕置きを施しておくべきか――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然、茅女の首が転がったかと思ったら。
そのまま茅女は横っ飛び、己の首をひっ掴んで、何ら問題はなさげである。
流石は五百年ものの妖怪といったところか。
と。
こちらの思考が展開に追いつく前に。
茅女は自分の生首を振りかぶり、
「って、かや――」
ぶん投げた。
鈍色の頭は一直線に刀を持った女性へと飛んでいく。
思わず反射的に持っている刀で打ち落としたくなるところを、彼女は冷静に半身で避けた。
おそらく、茅女の能力を警戒したのだ。
だが――茅女の狙いは、ただ首を当てるのではなく。
投擲と同時に駆けた躰を、間合いの内に滑り込ませることだった。
触れることで発動する茅女の能力は、近付いてこそ真価を発揮する。
首無しの小さな肢体が、その手を刀へ素早く伸ばす。
しかし刀の持ち主は、尋常ならざる体捌きで、伸びた手に掠らせもせずに、その背後を取っていた。
――あの動き、間違いない。
刀を持っている女性は、体を操られているだけ。
そして、操っているのは、流だ。
刀の身にして、人の剣術を極める付喪神。
そんな流が操る人間は、それこそ達人級だろう。
加えて、名刀といって差し支えない“流”を持っているのだから。
その戦闘能力は一級品だ。
背後を取った流は、そのまま茅女の背中に向けて突きを放つ。
本体からも生首からも死角となった位置からの攻撃。
突きはそのまま、茅女の中心に吸い込まれるかと思えた。が。
突きが届くよりも早く。
まるで胞子をばらまく茸のように。
茅女の体が、爆発した。
細かい粒子が宙を舞って消えていく。
流は警戒して突きを止め、粉に触れないように距離を取ろうとした。
そのとき。
崩れる肉体の中央より。
一本の包丁が、すとん、と廊下に突き立った。
瞬間。
茅女の躰があった場所から。
流に向かって一直線に、廊下の床板が、裂けた。
「なっ!?」
一瞬で足場が破壊され、バランスを崩してしまった流。
そこへ。
再び人間の姿へ変化した茅女が、間合いを詰め、手を伸ばす――
これは避けられない。
そう思った。
流とその持ち手は完全に体勢を崩しているのに対し、
茅女は床板の無事な部分をしっかりと踏みしめている。
多少の体術の差では、覆すのは不可能だろう。
そう、避けられない。
というか。
避けなかった。
流は、自身を大きく振りかぶらせ、決して茅女の手が届かない位置に。
がら空きになった胴には、当然の如く、流の手が触れようとしていた。
触れた瞬間、切断されるのは間違いない。
しかし、流は、何ら躊躇うことなく。
己を、振り下ろさせた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
こと、ここに至って。
茅女は流の狙いを悟っていた。
なるほど。
小娘なりによく考えたということか。
先程の不意打ちといい、此度の攻め方といい、茅女の特性をよく理解している。
敵ながら、刹那の合間に感心してしまう。
茅女の能力は“触れたものを切断する”こと。
触れさえすれば、何でも切断できる、攻撃力だけなら最強の能力だ。
が。
ひとつだけ、大きな制約が存在していた。
それは。
一度に切断できるのは、“ひとつ”まで、ということだ。
直線上で密着していれば、そのまま一つの物体として切断することができるが、
少しでも間が空いていると、そこで切断の“線”は途絶えてしまう。
故に、一対多の状況には、いたく弱い。
そうならないために、茅女は敢えて己の能力を初見で明かし、相手に慎重さを強制させる。
『何でも切断できる』と聞かされて、警戒しない強者は少ないからだ。
あるいは、その真偽を思考し始めるだろう。
一度間を置いてくれればしめたもの。
一斉に襲われなければ、後は個別に切断すれば済む話である。
何せ、現身・化身の何処であれ、或いは特殊な力場さえ。
触れた瞬間に、切断できるのだ。
一対一である限り、茅女は、ほぼ無敵といっていい。
故に、茅女を正面から倒したければ。
浦辺流瞳術のように、如何なる異能も介さずに制するか、
流のように、“二対一”の状況を作り出すしかない。
そう。
流は、己を他者に操らせることで。
この一瞬だけ、二対一の状況を作り出したのだ。
茅女が女性の胴を切断しようとも、一瞬で絶命するわけではない。
その手足、骨、筋は、死に至るまでは健在だ。
それを繰り、正に切断している最中、半刹那にも満たない瞬間、完全に無防備の茅女を。
己が刀身にて叩き斬る。
まったく。
小娘の癖に、よくもまあ策を練ったものだ。
茅女の弱点を見破り、それを正確に突いてくるとは。
世が世なら、恐るべき妖刀になっていたかもしれない。
だが。
まあ。
「――所詮は、小娘よの」
茅女は、嗤っていた。
使用人の胴に当てられた手。
その手を、“離した”。
――茅女は、切断していなかった。
ただ、手を当てていただけ。
どう見ても操られているだけの女性を切っても、何の意味もない。
茅女を狙っているのは、その手にある刀だけなのだから。
刀そのものにだけ、注意すればいい。
(それに、郁夫ゆかりの者じゃからの。そうそう三枚には捌けまいて)
こう考えてしまう自分は、甘くなってしまったのだろうか。
“復讐”だけを考えて生きながらえてきた茅女が。
まさか他者を気遣うとは。
一度壊れてしまった想いは、まだ、茅女の中に残っていたのかもしれない。
そんな、茅女に。
迫り来る流から、溢れ出る思念が、響き届いていた。
『――所詮は、老い耄れか』
流も、嗤っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何が起きたのか、刹那の間では理解できなかった。
隙を晒した女性の胴に茅女が触れて。
それに構わず己を振り下ろした流。
茅女は慌てることなく、冷静に、身を半にして流を迎え撃とうとして――
使用人の女性の、袂から出てきた小刀に。
貫かれた。
「なっ――!?」
驚きの声を上げる茅女。
その口から、鮮血が溢れ出る。
ただの血ではない。茅女の“想い”が、零れて形となったものだ。
あれは――まずい。
相当なダメージを負ったと見て間違いない。
幻身の中の、茅女の本体を、正確に穿ったのだろう。
『――は』
『あはははははははははははははははははははははは!!!!!!』
びりびりと、流の思念が空間を震わせた。
どう贔屓目に見ても、今の流は正常ではない。
どちらを止めるか決めかねていたが、今の一合で、結論が出た。
――流を止めないと、ヤバイ。
茅女はまだ理性的だ。
しかし、流は拙い。アレは完全に、己の衝動に溺れている。
このままいけば、取り返しがつかなくなるだろう。
だから、今のうちに。
そう思い、流に立ち向かおうとした、瞬間。
誰かの記憶が、脳に直接流れ込んできた。




