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事後



 ○ ○ ○ ○ ○


 

 こんこんと降り続ける雪を聴きながら。

 少女はいつものように夕餉の支度を進めていた。

 

 さゆ、という名で呼ばれる少女は、義父が帰ってくるまでに夕餉の支度を終えねばならない。

 夕餉の支度はそれほど難しい作業ではない。

 だが、多少力の要る仕事なので、さゆの細腕では一苦労。

 特に骨からスジを剥がすのが一番堪える。

 柔らかい肉質なら愛用の包丁で何とかなるが、硬いものだと鋸を持ち出さなければならない。

 鋸の取っ手は、さゆに不似合いな無骨な物で、できることなら使いたくない。

 特に冬場は、骨まで使う料理が多いため、さゆの苦労は増えてしまう。

 とはいえ、夕餉の支度が遅れてしまったら、待っているのは義父の折檻だ。

 竹束の痛みは冬場の肌には厳しすぎるし、火箸の熱さは思い出すだけで気が狂いそうになる。

 故に、今宵もさゆは義父の帰宅時間を気にしながら、夕餉の支度を進めていた。

 

 

 悴んだ手に息を吹きかける。

 かまどの火はやや遠い。

 突き刺さるような痛みに耐えながら、冷たい塩に浸されていた肉を捌いていく。

 

 ――ああ、今日も、硬い。

 

 スジの部分はガチガチに固まっていて、女子の包丁では切り裂くのは不可能だ。

 この肉は晩秋に仕込んだものなので、上手に保存できていれば、雪が弱くなる頃までは保つはずなのに。

 

 ――また、殴られるのかな。

 

 義父は厳しい人だった。

 間違いを許せない質らしく、さゆが失敗すると拳骨で何度も殴ってくる。

 反抗したら骨が折れるまで殴られるので、さゆは怒られるときは目を瞑るようにしていた。

 目を瞑れば、世界は消える。

 真っ暗な闇の中、たゆたうように自分を忘れる。

 そして目を開けた頃には、折檻も終わっている。

 今晩も、そうなるのかな、と。

 

 さゆは、窓の外をぼんやり眺めた。

 雪がごうごうと降っていた。

 


 ――その横顔を見ていると。

 ――こころが、とても、痛くなった。






 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 瞼を開けたら、見慣れた天井。

 

「……なんだ、今の?」

 

 ぼんやりと呟きながら、体を起こす。

 何故か、胸が締め付けられたかのように軋んでいた。

 

 変な夢を見た。

 妙にリアルな夢で、少女の横顔もしっかりと思い出せる。

 豪雪の音も耳に残っている。

 一度だけ修業で雪山に籠もったことがあるが、それよりも激しい雪だった。

 

 というか、初雪もまだなのに、雪夜の夢なんて見てどうするんだよ俺。

 全然脈絡無いし。疲れているのかもしれない。

 

 ぼんやりとした頭を振りながら、取りあえず掛け布団を脇にどける。

 ――途端、肌に冷たい空気が突き刺さり、思わずぶるりと震えてしまう。

 

「……うう、さぶ」

 

 ああ、そうか。

 雪が降ってる夢を見たのは、寒い格好で寝ていたからか。

 そろそろ初冬といってもいいこの時期、裸で寝るのは厳しいだろう。

 下着も履かないすっぽんぽんだ。風邪を引いてもおかしくない。

 

 

 

 ――って、ちょっと待て。

 

 

 

 裸?

 

 

 

 慌てて自分の体を見下ろして、ぺたぺたと触ってみる。

 紛う方なき全裸である。

 そして。



「――んぅう……? ぉお、もう朝かえ?」

 


 ごそごそと布団の奥から這い出てきたのは。

 いつもの襤褸を脱ぎ去った、鈍色髪の女の子。

 

 

 …………。

 

 

 あー。

 

 

 うー。

 

 

 あー…………ああああああああっ!

 

 

「? どうした郁夫? 素っ頓狂な顔をしおって。

 もしや、妾を抱いたのが不服だったとでも言うまいな?

 ――昨晩は、猿のようであったくせに」

 

 

 ……あー。そうだそうだ。

 やっちゃったんだった。さよなら童貞。こんにちはロリコン。

 じゃなくて。

 

「えっと……その……」

 

 何か言わなければならないのはわかっているが、何を言えばいいのかわからない。

 昨晩の記憶は、それはもうはっきりと記憶に残っている。

 そりゃそうだ。初体験の記憶だし。名前を付けて保存とかしてるし。

 ……まあそれはそれとして。

 そんな、俺の初めての相手が、裸で横にくっついているっていう今の状況。

 こんなとき、なんて言えばいいのだろうか。

 ドラマの俳優とかは、こういう大事な場面で格好いいことをさらりと言えるが、

 今の俺は、頭の中が真っ白で、気の利いた言葉どころか日本語さえ危うかったりする。

 

 無言。

 ちょっぴり気まずい無言。

 

 あああ何か言え俺。

 何でもいいから、とりあえずこの微妙な空気を変化させられる言葉を何か――



 とにかく何かを言おうとして、口を開きかけ、

 

 茅女の白くて細い指先が、唇に当てられた。

 

「伊達男は閨の後、無闇に言葉を重ねぬぞ?

 ……まあ、後とは言っても一晩過ぎておるがな」

 

 そう言って、こちらの胸に、こてんと頭を預けてくる。

 

「それより、どうじゃ? 初めての術だが、それなりに上手くいった感触なのだが」

 

 ……そうだ。

 そもそも茅女と身体を合わせたのは――

 

「……試しに妾を持ってみろ。

 小娘の影響が失われておれば、問題なく持てるはずだ」

 

 ――流が弄った俺の心を、元に戻すため。

 

 そのために、茅女は己の体を差し出して、俺の心を直してくれた。

 初めての性行為に少なからず浮かれていた気持ちが、途端に冷えていく。

 これでも健全な男子高校生だったので、初体験にはそれなりに幻想を抱いていた。

 しかし、現実は治療のため。

 茅女が俺に好意を寄せてくれていたのは知っている。

 しかし昨夜のは、好意とかそういうのをすっ飛ばした、作業のようなものだった。

 そう思うと、何故か心が妙にささくれ立ってしまう。

 

 茅女が差し出してきた手を、どこかやるせない気持ちで握り締めた。

 

 瞬間。

 茅女は変化を解き、包丁になった。

 

「……あ……」

 

『……どうやら問題なく持てるようだな。

 此度も落とされたらどうしようか心配したが、杞憂だったな。

 ――うむ、術は上手く為せたようじゃの』



 ――術、か。


 

 そういう言い方をするということは。

 やはり茅女にとって、昨夜のは治療行為に過ぎないのか。

 心が元に戻ったし、気持ちよかったし、俺が不満を言うのは筋違いだが。

 

 どうしても。

 

 ――茅女に、悪いなあ。

 

 そう、思ってしまう。

 

 

『――気に病むことこそ、筋違いだぞ』

 

 

 手に持つ包丁から、そんな思念が伝わってきた。

 思わず、ぽかんとした顔で見下ろしてしまう。

 

『房中術で心を繋げた影響か、ヌシの心が容易に伝わってくるわ。

 ……何やら、妾がヌシに抱かれたのは治療のためとか何とか、

 益体ないことを考えておるようだが、』

 

 そこで、茅女は少女の姿へと変化した。

 鈍色の髪がふわりと揺れる。俺を見上げる一対の瞳は、潤んでいた。

 

「――妾は、こうなりたかったのだ。

 治療行為と銘打って、この状況を利用して。

 郁夫の初めてを奪ったのだ。

 故に、ヌシは妾のことを恨みはしても、気遣う道理は何処にもない」

 

 

 だから、気にするな、と。

 

 

 心を繋げているわけでもないのに。

 茅女の想いが、優しく胸に響いていた。

 

 何故だかどうしようもなく愛しくなって。

 思わず茅女を抱きしめてしまう。

 力を込めたら折れてしまいそうな躰は、抗うことなく受け止めてくれた。



「――ありがとう」


 

 言うべきかどうか迷ったが。

 気付いたときには、素直な想いを伝えていた。

 

 腕の中の少女が微かに震えた。

 そして、唐突にこちらの胸へ体重をかけてくる。

 抗うのは難しく、そのまま布団の上に押し倒された。

 

 ぼすん、と後頭部が枕に埋まり、

 追うように、茅女に口を塞がれた。

 

 入ってくる舌の感触に、思わず背筋がゾクゾクする。

 

「……ぷは。――閨の後には喋らぬものだと言ったろうに。

 聞き分けのない輩には、お仕置きじゃな。

 可愛い声で鳴いて謝っても、許さないから覚悟しろ」

 

「……照れ隠しにコレかよ。茅女って随分直情的なんだな。

 ってちょっと待て、俺が攻められる側かよ――むぐ!?」

 

 強引に口をふさがれる。

 髪の毛を掴まれて、頭を動かすこともできない。

 

「だから喋るなというのに。此奴の持ち主らしく、黙って固まっていればいいものを」

「いや、硬くなってるのは朝だからであって……。

 ――じゃなくて、朝っぱらからするのは流石に」

 

 なんというか、初体験の翌朝から、そういった行為に耽るのは、

 なんかこう、色々と爛れてるような気がする。

 これでも昨夜までは、清く正しい初物だった俺としては、

 性行為というものを神聖視しているというかなんというか。

 それがこうもあっさりと朝っぱらからに繰り広げられるのには凄まじく抵抗があるというか。

 

 と、そんな考えのもと、茅女の侵攻を慌てて止めようとしたのだが。

 


「……郁夫、焦らすでない。

 ――妾はもう、限界じゃぞ?」

 

 

 初めての相手に、潤んだ瞳でこんなことを言われてしまっては。

 陥落するしかないだろ、普通?







 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 


 ――謹慎として離れに放り込まれてから、一週間が過ぎた。

 

 冷え切った畳の上で、色無地を着込んだ少女が正座をし、瞑想している。

 ぴくりとも動かず、端から見れば、よくできた人形とさえ見間違えてしまうかもしれない。

 

 妖怪故に、足が痺れるということはなく。

 ただひたすら、時間が過ぎ去るのをじっと耐えるだけ。

 

 

 ――謹慎を終えたら、郁夫様のところに行きます。

 

 

 その想いを抱えるだけで、流の全身は暖かくなる。

 謹慎を終えた後に待っているのは、郁夫との心休まる日々。

 だから、謹慎だって真面目に受けているし、不平を言ったりすることもない。

 謹慎を終えるまでは、どんなに愛しくても郁夫に会いに行くのは我慢するつもりだった。

 

 ――郁夫様は決して、私のことを嫌っていない。

 

 胸を刺し貫かれたら、普通は相手のことを怖がるものだ。

 しかし流は、郁夫に限ってそれは無いという確信があった。

 

 

 ――だって、“そのように”したのだから。

 

 

 郁夫が流のことを嫌わず、

 他の雑多に心移ることもないように。

 

 自分が、そう、変えたのだから。

 

 故に、郁夫が流を受け入れるのは確定事項で。

 こんな謹慎なぞ、“焦らし”のようなものでしかない。

 

 そう思うと、どうしても暗い笑みがこぼれてしまう。

 

 郁夫が使う道具は、自分だけ。

 その事実は、流の芯を甘くとろけさせてしまう。



 郁夫のもとへ戻ったら、何をしようか。

 共に訓練をし、共に退魔を行い、共に在り続ける。

 その間、他の道具が介入することはなく、郁夫の全てを独占できる。

 彼の優しさも、彼の肉体も、彼の心の支えすらも。

 

 何より、あの“瞳”さえも。

 

 

 ――ぜんぶ、ぜんぶ、わたしのもの。

 

 

 想像するだけで、軽く達してしまいそうになる。

 気を抜くと、その場で変化が解けてしまいそうなほど。

 溢れる歓喜に溺れてしまいそうになる。

 

 ――心を弄るのは、便利だなあ。

 

 偶発的に手に入れた能力だったが、

 改めて考えてみると、最高の能力に違いない。

 流にとっては郁夫が全てであり、その郁夫の心を自由にできる。

 それは、他のあらゆる誘惑にすら勝る。

 

 そして。

 

 この能力を使えば。

 

 

『人間に、なりたいなあ』

 

 

 郁夫にとっての、“大事な人”になることも――

 

 

 今度こそ、笑いを堪えきれなかった。

 暗い離れの一室で。

 流は独り、けたけたと歓喜を漏らしていた。



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