付喪神研修制度
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
付喪神。
もとは老女の白髪を意味する言葉だが、転じて、年月を経た器物の妖怪という意味になる。
器物が長年その形を保つことで、尋常ならざるモノへ変化する。要は長生きした道具の妖怪だ。
悪戯好きなモノが多い傾向にはあるが、さりとて派手な悪事を働くことも少ない、良心的な妖怪である。
さて。
そんな付喪神だが。
使い捨てという概念が定着して久しい昨今、その数は激減していたりする。
出生率も1を割ってしまい、後進の育成が叫ばれている時代である。
そこで生まれたのが、“付喪神研修制度”。
あと数年で付喪神になれるであろう器物を。
高名な霊能者の元へ派遣させ、そこで付喪神としての教養を学ばせ。
これからの厳しい時代を乗り越えられる人材を育てようという制度である。
幸いなことに(あるいは不幸なことに)、もうすぐ付喪神になれそうな器物は、
大抵の家庭では不要とされ、物置や押入の奥に眠っているのが現状である。
故に、無くなっても誰も騒いだりせず、研修制度は恙なく行われていた。
で。
俺の家が、その、付喪神研修制度で定められた、霊能者の家のひとつだったりするわけで。
今日も今日とて、研修のため住み込んでいるモノどもが、それはもう、本っっっ当に騒がしくしていた。
『いくおー、いくおー、遊ぼうよー』
『まーたつまらねえ勉強してるのか? 無駄な努力を』
『外に出て遊ぼうぜー。そんなんだからドーテーなんだよ郁夫は』
『はーるがきーたー、はーるがきーたー、どーてーにーはこなーい』
『おいおいお嬢、それは違うぜ。春は来てるけど花見できないだけなんだよ』
『かがみんエロっ! でも確かに花は見てないよね、花びらは! きゃはははははは!』
『おまえらひでえよ。郁夫にだって恋人くらいいるよ。長年付き合ってきた恋人が、さ』
『右手か』『右手だね』『いいや左手かも』『両手が花か』『足とか高等技術だよな』
『ぎゃはははははははははははははははははははははははははは!っ!!』
「あああてめえらうるせええええええええええええええええっっっ!!!
あと童貞言うなコンチクショウッッッッッ!!!!!」
こちとら試験勉強中だというのに、情け容赦なく邪魔してくる“研修生”たち。
思いっきり怒鳴って黙らせようとするも、蛙の面に小便だった。
むしろ、構ってあげたことになるから火に油?
来週の中間テストは天高く燃え上がりそうな予感がする。そして俺は灰に。泣ける。
『(赤点)容疑者に告ぐー。お前は我々によって包囲されているー』
『お前はもう(補習から)逃げられないぞー。観念しろー』
『あそべー。あそべー』
あくまで徹底抗戦か。よかろう。
ここでひとつ、貴様らが研修中の身であることを、教え込んでやろうじゃないか――
と、腰を上げかけたそのとき。
「郁夫様の邪魔をするのも程々にしなさい。
遊びたいのであれば、私が存分に、お相手しますよ?」
凛とした声が部屋に通った。
声のした方に目を向けると、そこには色無地を着付けた少女が、盆を持って立っていた。
薄緑の和服に、流れるような黒髪が映える。
背筋はぴんと伸ばされていて、つい見とれてしまう格好良さだ。
盆の上には湯飲みと羊羹。ああ、差し入れを持ってきてくれたのかな。
刀の付喪神、流。
5年前に我が家に研修に来て以来の仲だ。
研修が終了してからも、何故かこの家に居座っている変わり者である。
『げー。鬼刀がきたぞー』
『斬られるー。斬られるー』
『郁夫の皮も切られちゃうー』
「手術が必要なほど余ってねえ! ……ちょっとだけだ」
「郁夫様、相手をしたら喜ぶだけです。無視するのが賢明かと」
「う……そうだな。ごめん」
「それより、試験勉強の方は捗ってますか?
差し入れをお持ちしました。今日の水羊羹は会心の出来ですので、よろしければ」
「おお、ありがとなー。流の羊羹は大好きだから嬉しいぞ」
「……だ、大好き……」
「ん? どした? ぽーっとして」
「いいいいえ、ななななんでもありません!
し、試験勉強頑張ってください! 邪魔者どもは連れて行きますのでっ!」
言うなり少女は俺から距離を取り、喧しく騒いでいた人形やら孫の手やら鏡やらを、
ひょいひょいと回収して、駆けるように部屋から出て行った。
「……むう。どしたんだろ、流のやつ」
熱いお茶をひとすすり、はてなと首を傾げるのみ。
と、そこへ。
『やれやれ。刀心のわからない奴だねえ』
口を付けていた湯呑み茶碗から、呆れたような思念が伝わってきた。
「む、なんだよ、千茶」
『別にー。それより勉強頑張りなさいよー。私はお目付役としてしばらくいるから』
「……退屈だからって邪魔するなよ」
『しないわよ。見てるだけで楽しいしね』
「? まあ、それならいいや。よーし、目指すは50点!」
『もう少し高い目標を持ちなさいよ……』
「うるせい」
『ふふ……。――あ、始める前に、お茶は全部飲んでおいてちょうだい。
ぬるいの入れられっぱなしは好きじゃないの』
「ん? ああ、了解」
『……んぁっ……』
「あれ、何か言ったか?」
『なんでもなーい。それより、歯を立てたりしないでよねー』
「へいへい。……ん、流の淹れたお茶は美味いなあ」
『…………(湯呑心もわからない奴よねえ)』
その後、千茶に近代史のわからない所などを訊ねたりして、試験勉強は恙なく終了した。
「……さて、試験勉強も終わったことだし、流と剣の鍛錬でも――」
『あ、ちょっと、郁夫!』
「ん? 何だよ千茶。ああ、ちゃんと台所に連れてってやるから安心しろ。
このまま置きっぱなしじゃ茶渋が付いちゃうもんな」
『あ、いや、そうじゃなくて……。
勉強して疲れてるでしょ。もう一杯お茶飲んで、ゆっくりしてから行けば?』
「ふむ、確かにちょっと疲れてはいるけど……」
と、少し悩んだ素振りを見せた、次の瞬間。
「郁夫様! 鍛錬ですね! 行きましょう! さあ行きましょう!」
すぱん、と襖が開け放たれ、練習用の木刀を持った流が突入してきた。
迫ってくるその様は、何というか、散歩を前にして尻尾を振りたくる犬のようで。
あまりに微笑ましいので、つい苦笑が漏れてしまう。
「あー、わかったわかった。んじゃ行くか、流。
あ、とりあえず千茶を洗うから、先に道場の方へ――」
「ご心配なく郁夫様。千茶は私が洗っておきます。ささ、郁夫様は準備の方を」
『あ、こら、流! 私は郁夫に洗ってもらいたいのにーっ!』
目にも留まらぬ素早さで千茶をひったくった流は、
そのまま全速力でだだだーっと台所の方へ駆けていった。
千茶が何やら言っていたが、うまく思念を聞き取れなかった。
そして、代わりに押しつけられた木刀2本。
「……ま、片付けてくれるってならそれでいいや。んじゃ俺は準備しよっと」
勉強道具を片付けて、そのまま道場へ向かうことにした。
さて。
忌憚のない意見を述べよう。
流は正直Sだと思う。サドだ、サド。
木刀を持って向かい合うや否や、鬼のような勢いで滅多打ち。
怪我が後に引かないように手加減はしてくれるのだが、それでも痛い。
おかげで俺は体中アザだらけ。
こんなんじゃあ初体験のとき誤解を受けちゃうから当分先の方が良いんだよHAHAHA。
「……郁夫様?」
心配げな声に、はっとして現実へと立ち返る。
ここは道場。
時刻は夕暮れ。
俺はどうやら倒れているらしく、視界には心配げな流の顔。
「……あ、気絶してたのか。さっきの上段、やっぱり防げなかったか」
ぐわんぐわんと揺れる頭を何とか起こし、痛む全身に顔をしかめる。
「打つ前に、脇に騙しを入れましたからね。
守る心が散漫になっているところには、すんなり滑り込めるものなのですよ」
「……フェイントにはついつい反応しちゃうんだよなあ」
己の未熟を恥じながら、よっこらせ、と立ち上がる。
全身は打ち身だらけだが、まだ立ち上がることができるのは、流の加減が上手いからか。
今だって、脳天に木刀の一撃を喰らったというのにも関わらず、
せいぜいこぶができたくらいで出血すら見当たらない。
勢いそのままで打ち込まれていたら、運が良くても脳挫傷レベルのはずなのに、
流を怖いと思えないのは、長い付き合いだからか、はたまた流の雰囲気からか。
「……? ……!」
見つめられて不思議そうに首を傾げ、何故か頬を紅く染める刀の付喪神。
戦うときは鬼のような強さを見せるくせに、普段はどう見ても可愛い女の子。
しかもその性根は優しく暖かいのを、5年の付き合いからわかってしまっているのだから。
流を怖いだなんて思うことは、どうやら俺には不可能の模様。
「……だから俺は、流がサドでも気にしないぞ……!」
「さ、サド……? ご、ごめんなさい!
郁夫様が嫌がっているとも知らず、私、酷いことばかり」
「あーいや、ごめん冗談。気にしないで。
っていうか厳しくしろって言ったの俺だし。流はその通りにしてくれてるだけで。
むしろ流すごい。偉い。尊敬する。流がいるから俺頑張れる。流最高」
「そ、そんな、最高だなんて……」
真っ赤になって木刀の先端をいじいじしている。ふ、褒め言葉に弱い奴め。
まあそれはそれとして。
「さて、それじゃあ続きだ続き。もう一本やろうぜ、流」
「――はいっ!」
浦辺流退魔術。
俺こと浦辺郁夫が生まれ育った浦辺家は、結構古い拝み屋だったりする。
そのため、幼い頃から様々な修業を受けてきているし、退魔の術はそれなりに身に付いている。
が。
うちの流派は体術にそれほど重きを置かない流派のため、実戦的な体術を教えられる師が存在しない。
よって、どこかの剣術道場や杖術道場などから、講師に出張願うしかなかったのだが。
付喪神研修制度というトンデモ制度により流が我が家に訪れてから。
浦辺家は、優れた剣術の師を手に入れることと相成ったのである。
流は元々、ある剣術流派の道場に飾られていた奉納刀である。
道場の上座に長年据え置かれ、門弟の訓練を眺め続けていたそうな。
流がうちに研修に来たときは、既に人化が為せる程度に変化していたので、
俺は5年前――11の頃から、流に稽古をつけてもらっている。
つけてもらっているのだが。
「……だ、大丈夫ですか、郁夫様?」
「そ、その、辛くなったらすぐに仰ってくださいね」
「……もっと手加減しましょうか?」
剣術の腕は達人級なのだが、師としては子犬級である。
可愛いのはいいんだが、もうちょい厳しくして欲しいというか何というか。
だからといって、剣を教えるのが嫌いというわけではなさそうで、
俺に剣筋を教えたり、木刀で打ち合ったりしている間は、散歩中の犬のようだったりする。
それに、甘いとはいっても助言は的確だし技術は確かだしで、
冷静に考えてみれば、これはこれで悪くない気もする。
イメージはアレだ。日本犬。凛としてる従順なわんこだ。
「郁夫様、守る場合は線を点で防いではいけません。……痛かったですか? すみません……」
「では、これから中段を攻めますので、先程教えた筋で対応してみてください」
「だ、大丈夫ですか郁夫様!?
もう少し、脇を締めれば今のは防げますので、次は気を付けていただけると……」
でも。
心配そうにオロオロしながらも。
打ち込むときは鬼のようなこの勢い。しかも楽しそう。犬だったら絶対しっぽ振ってる。
断言しよう。
やっぱり流はSだ。サドだ。間違いない。
かなーり身になりつつも、思いっきり追い込まれる鍛錬は。
日が落ちるまで、たっぷり堪能させていただきました。
「お疲れ様でした、郁夫様」
「……おー……ありがとなー……」
最後のストレッチまでじっくりこなし、心地よい疲労感に包まれながら、今日の鍛錬は終了した。
閉められていた戸を流が開け放ち、冷たい風が、籠もった熱気を吹き払っていく。
11月も半ばを過ぎているため、外は既に夜闇に包まれていた。
「それでは、湯浴みの準備ができていると思いますので、ゆっくり浸かって――」
と、流が言いかけたところで。
「――訓練は終わりました? お疲れ様でーす」
と、底抜けに明るい声が、道場に響いた。
顔を向けると、割烹着をかけた女性が、入り口から笑顔で手を振っていた。
「……今終わったところです」
流が何故か仏頂面で応対する。
「そうですかー。それじゃあ郁夫さん、お風呂の準備ができてますので、どうぞお入りくださいな」
そんな流の態度を気にする様子は欠片もなく、にこやかに続ける割烹着。
「郁夫様はお疲れです。黒間様」
ちょっぴりタシナメ系の声。
これはきっと俺の体調を気遣ってくれているに違いない。
「あら、そうだったんですか。それじゃあ私が肩を貸してあげますねー」
とてとてとて、とこちらに近付いてくる。
流サンがそうじゃねーよ的な顔をされておりますが。
「郁夫さん、大丈夫ですかー?
動くのも辛いなら、私が一緒に入って体を洗ってあげますよー?」
……いま、なんと、言った……!?
「……黒間様! そのような冗談は如何なものと思われますが!」
流サンが何故かお怒り口調。きっと下ネタが苦手なんだね。うん。
そして流サンの言う通り、これは冗談。きっと冗談。
「やだなー、流さん。冗談なんかじゃありませんよ。
私の体、隅から隅まで郁夫さんのものなんですから。
お望みとあらば、胸で背中を洗うことすら辞しません」
と、下ネタ混じりの冗談を言いながら、えへんと胸を張っている。
その張られた胸は、大人の魅力が詰まってるというか、強力な自己主張が為されてるというか。
トレーナーと割烹着に遮られながらも、その偉大さを隠し切れていなかったりする。
アレで……背中を……!?
「郁夫様っ!」
何故か流サンに怒鳴られましたよ。
何故だろう。きっと、あの胸がいけないんだな。けしからんおっぱいめ。
じゃなくて。
「……橘音さん。お気遣いは嬉しいんだけど、一人で行けますから。
とりあえず、呼びに来てくれてありがとうございます」
必死で冷静な様を取り繕いながら、なんとか大人な対応をひねり出す。
俺頑張った。割と本気で頑張った!
「むー。郁夫さんのいけずー」
浦辺家の使用人、黒間橘音。
2年前から、とある事情により住み込みで働いている女性である。
髪を後頭部でまとめ上げていて、うなじの後れ毛が大人っぽい美人だ。
ノリはどうにもアレだが、まあ俺とは色々あって、この屋敷では一番仲の良い使用人である。
「まあ、何はともあれ、お風呂の時間ですよー。
流さんの時間は終了ですよー。郁夫さんは私がいただきでーす」
「い、郁夫様は貴女のものではありません!」
「っていうか誰のものでもないし」
そうツッコミを入れながら廊下へ出る。
これ以上このやりとりに混ざっていると、なんだか色々まずい気がした。
夜風で頭を覚醒させなければ。
後ろでは、まだちょろっと言い合う気配。
どうも流は、橘音さんに対して突っかかってしまう傾向にある。
気が合わないのかなあ、と思いながら、廊下をてぺてぺと歩いていく。
「郁夫さーん!」
廊下を歩いていたら、橘音さんに呼び止められた。
何だろう。……また一緒に風呂に入るとか言い出したらどうしよう。
性欲を持て余す青少年に、そんなエッチなネタフリされても、
本気で取りかねないということをわかってくれないのかこの人は。
それでもハタチかこんにゃろう!
……や、俺が慣れればそれでいいだけの話なんだが……諸事情によりそれは難しかったりする。
「伝言があるのを忘れてまし……あら? 何か言いにくそうな表情をしてますけど」
「……何でもありません。それで橘音さん。伝言って、親父から?」
「はい。秋夫様から先程お電話がありまして。
郁夫様に、今日中に伝えておいて欲しいとのことです」
「ふむ、仕事先からわざわざ言ってくるとは、ひょっとして急な仕事の依頼とか?」
「近いです。実は、新しい付喪神研修生を、一体受け入れるとのことで」
「え? こんな時期に?」
「はい。急に決まったことだそうです。秋夫様は仕事の途中なので、
受け入れ業務は郁夫様に一任するように、とのことです」
「……ん。了解」
まあ、受け入れ業務といっても、そんなに難しいことではない。
ここで暮らしをする上での説明とか、置き場所の確保とか、その程度のことである。
万が一付喪神のタマゴが悪さをしたときのために、抑え込む霊能者が一人いれば済む。
それに、受け入れ業務は始めてではない。
3年前の研修生は俺が担当したし、そのときの要領でやれば問題ないだろう。
「で、そいつはいつ家に来るんですか? 来月?
それとも、急ってことだから、来週とか?」
準備は1日あれば余裕で終わるが、こちとら健全な男子高校生。
テストの直前に掃除をするように、できることはギリギリまで引き延ばしたい性質なのである。
……いやまあ、訓練だけはちゃんとやるけどね。命に関わるし。
「明日だそうです」
「――は?」
えっと?
聞き間違いかな?
明日って明日?
この後、日が昇ったら、来るの?
「何せ急に決まったことだそうですから。郁夫さん、ふぁいとっ」
とりあえず。
のんびり風呂に入れる状況ではなくなった模様。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
深夜。
色無地の少女が、縁側で満月を見上げていた。
郁夫が慌ただしく作業をし、その手伝いを先程まで手伝っていた。
それも終わり、彼は泥のように眠りについた。
寝室まで運び、橘音に寝具の支度をしてもらって、そのまま布団の中に寝かせてきた。
腕の中で、童のように瞳を閉じていた。
――郁夫が、己の腕の中で。
体に熱が灯る。
器物の身に有り得ざる暖かさ。
これはきっと、郁夫がくれたもの。
そう思うと、熱はますます燃え上がる。
人間だったら、この熱を冷ます術を持っているのかもしれない。
しかし、人ならざる身の熱は止まることを知らず、思考力すら奪っていく。
道具の幸せは、使われること。
持ち主の手に馴染み、信頼されることこそ、道具の至上。
流が望む持ち主は――当然、郁夫。
その郁夫に信頼されることこそ、流が望む最高の幸せ。
――そう、自分は、道具なのだから。
「…………」
ふと思い立って、元の姿に返ってみることにした。
郁夫の側にいるときは、基本的に人の姿に変化しているので、
最近は元の姿に戻っているときの方が少なかった。
イメージは、下腹の力を抜く感じ。
全身に纏っていた力みを抜き、外の皮をぺりぺりと剥いていく。
あくまでイメージであり、実際の流の体は人間の姿を保っているが、
見る者が見れば、その存在が曖昧になっていくのがわかっただろう。
そして、完全に“変化”という特殊な状態を脱した瞬間。
べきり、と。
流の体が、ねじれた。
まるで雑巾を引き絞るかの如く。
肉が、骨が、髪が、着物が、ばぎん、ごきり、ぐちゃり、みちみち、と纏まっていく。
やがて、棒状にまで圧縮された流の体は。
一本の、打刀に“戻って”いた。
刀の姿のまま、満月の光を浴びてみる。
月光は怪異を育てるというが、特に力を与えられる気配はない。
郁夫の声の方が、何百倍も力をくれる。
流の一番の願いは。
郁夫と、ずっと一緒にいること。
それは、道具として、きっと一番幸せなことで。
そのためには、どんなことでもしてみせる。
郁夫に剣術を教えているのも、そのため。
刀である自分が、郁夫の道具となるには、郁夫が刀を使えなければならない。
そのために、郁夫に剣術を教えている。
正直、郁夫に向かって木刀を振るうのは好きではない。むしろ苦痛だ。
しかし、郁夫がいつか、自分を使いこなすことを思えば。
想像する恍惚感だけで、つい力が籠もってしまう。
それでも、郁夫に怪我させることだけはないように、慎重に慎重を重ねて、教えてきた。
結果、郁夫は“剣術の方も”年の割には優れた使い手になりつつある。
――でも。
刀である自分が使われる状況、というのは。
現代日本では、酷く限られてしまう。
人斬りが許される時世ではない。
さりとて、床の間に飾られるのは、嫌だ。
道具として、郁夫に握られて、何かを斬りたい。
そして――郁夫が何かを斬るとすれば、それは、きっと。
同胞たる、妖怪だろう。
退魔術を受け継ぐ浦辺の一族。
その道具として、同胞を斬る。
似たような仲間もいるらしいが、そういった連中は妖怪たちからは裏切り者として扱われている。
研修制度などができ、人間と妖怪との距離も狭まりつつある昨今だが。
やはり、同胞斬りは、禁忌だった。
でも。
それが、どうした。
郁夫のためなら。
自分以外の全ての妖怪を斬り殺しても、構わない。
同じ刀の付喪神でも、何の痛痒もなく叩き折る。
郁夫にとっての一番になれるのであれば。
道具としても。
――それ以外でも。
『……私ってば、何てことを』
思い上がりかけたところを自省し、流は心を落ち着ける。
自分はあくまで道具である。
郁夫の側にいるのであれば、きっとそれは道具として。
でなければ、自分は郁夫とは一緒にいられない。
郁夫は悪事を働く妖怪を倒す、人間なのだから。
……刀の姿に戻っていたから。
流は、己の抱いている感情に気付いていなかった。
もし、人間の姿を保っていたら。
きっと、その瞳から、涙をこぼしていただろう。
その胸にある想いは、至って単純。
『人間に、なりたいなあ』
童女のような純粋さで。
流は、そんな願いを抱いていた。