終焉での世界の始まり07
紅く染まる夕暮れの中、一人の少女が校門の近くに立っていた。
彼女は学校のある教室を無表情に、じっと眺めていた。彼女の長い黒髪が風で微かに靡く。
彼女……結城亜利砂は口の端をふっと緩めた。
(やっぱり…見つかっちゃったか)
彼女は焦る事は無く、それはまるで子供の悪戯が親に見つかってしまったと言う同じ感覚に似ていた。
「あれ…?お前こんな所で何しているんだよ?」
後ろから突然声が掛かる。
彼女はその声の主を知っていた。
だから彼女は表情を一瞬で変え、後ろを振り向いて返事をする。彼……彩和月拓哉へと。
「ただ夕日を見ていただけだよ拓哉君。そう言う君も今帰りなの?」
「ああ。そうだけど」
「だったら、途中まで一緒に帰ろうよ。それとも可愛い彼女が出来たから浮気現場を見られたくないとか?」
亜利砂は後ろで手を組ながら可愛らしく彼の瞳を除き混むように、それでいて試すかのように訪ねる。
「そんなんじゃぁねぇよ。大体アイツとは付き合ってねぇし」
そんな彼女の台詞に対して彼は呆れながら否定をする。
彼女はそんな否定する彼の態度に少しだけつまらなさそうにしながら、
「そうなんだ…なんだつまらないわね…」
などと呟く。そして。
「拓哉君にも早く春が来れば良いね」
苦笑いを浮かべつつ、可哀想な視線を送りながら言う彼女に拓哉はすかさず突っ込んだ。
「余計なお世話だ!」
彼の言葉に彼女はクスクスと可笑しそうに笑う。
「なんで笑うんだよ……」
拓哉は亜利砂へと不機嫌そうに、ぶっきらぼうに言った。彼女は手で制しながら「ごめん、ごめん」と謝りながら答える。
「だって、拓哉君って面白いなと思って…からかいがいがあって……」
「下らない事言ってないで、さっさと行くぞ」
拓哉は短い溜め息と共に足を動かす。それに習い、彼女もまた彼の隣で歩を進めた。
校門を出た先に、真っ直ぐに伸びた通学路が続き、その先には歩道橋が立っている。
何人かの通行人とすれ違う。
暫くして隣を歩く彼に向かい彼女は話し掛けた。
「ねぇ……拓哉君」
「何だ?」
亜利砂は空を見上げた。空にはまだ紅く染まる色が続いていた。
「この世界って……どうして優しくないのかな……」
先程の態度より、打って変わって切なそうな表情をしながら亜利砂はポツリと呟く。
その言葉はきっと、この世界で生きている人間…誰でも感じる言葉だった。
現在、各国では条令契約が交わされているとはいえ、6ヵ国で争っている。
条令契約の一つ《市民を争いの道具、又は兵に起用してはならない》と誓約を交わされており、一般市民の安全は保証されている訳だが、争いを続けている以上それは完全に安心などは出来ない。
必ずしも何れはしわ寄せが来る。
それは国の財税であったり、法律、犯罪取り締まり法であったりする。
その変革が起こりうる可能性を各国の《代表者》達は知りながらも、それを敢えて問題視にはしない。
彼等にとってそれらは些細な問題にしか過ぎない事なのだ。
彼等が最も重要な事は日本を……6カ国全てを手入れる事。
それ以外はどうなろうが関係ない。そんな自分勝手でクズみたいな人間がこの世界のトップに君臨し、存在している。
この世界が変わらないのは、きっとそんな理由が大半を占めているかもしれない……。
「そんなの……この世界では当たり前の事だろう」
拓哉は心底つまらなさそうに、そんな事を吐き捨てた。
彼女の台詞に対してではなく、世界の在り方についてを、だ。
亜利砂は彼の顔をチラッと見て瞳を瞑り、そして前を真っ直ぐに見ながら口を開いた。
「確かにそうだね……だけどさ、この国は《関東》は文字どおり優しい国だと私はそう思うよ」
「優しい国?この国のどこがだよ?」
彼女の言葉に拓哉は疑問の声を発した。
その言葉に彼女は何処か哀愁を漂わせながら、小さく苦笑した。
「私がね、前いた国は何だか空気がギスギスしていたの。人の数はこの国と何も変わらない筈なのに、人々はいつ自分達が戦争の兵の駒として戦わされるんじゃないかって、常に怯えていた」
「ちょっと待てよ、だってそれは条令契約が交わされているから兵に起用する事なんって無理に決まっているだろう」
「そうだよ。条令契約が世界で全てで交わされている……だけど《代表者》全員が全員それを、きちんと守るのかな?」
彼女の言葉に拓哉は思わず黙り混んでしまう。
「一般市民が戦争の兵になる方法はいくつかあるの。それは《自分の意思で志願する》事。そうすれば魔術師同士の争いの中に彼等も参加が出来る…駒になれるのよ。その為に《代表者》はわざと国の税金を引き上げたり、市民にとって理不尽な対応をしていたの」
「警察の存在は確かにある……だけど《代表者》の命令には彼等も敵わない。所詮はお役所仕事なのだから…」
「でも、そんなの魔術師同士の戦いに市民を駒として使ったら他の《国》にバレるだろ」
拓哉の疑問の問い掛けに彼女は小さくふっと笑い、言葉を続けた。
「確かにそうだよ……だけどバレない方法があるみたいなの……私もあまり良くは知らないけど」
「だから私は《関西》から逃げ出し、この国に来たの。この国は《関西》とは違う」
「市民を《代表者》の権限を使い、苦しめるような政治はしていないし、皆普通に暮らしている。生き生きとまでは言わない……だけど、普通に、当たり前に変わらない日常を送れる事は私は幸せな事なんだって思うの……」
亜利砂は高校に入学と同時に《関西》から引っ越して来たと以前、本人から聞いた事があった。
一般的に他の《国》の市民がよその《国》に移り住むのは原則として許されている。
だが、移り住んだ当初はその《国》の住人…市民達から、よその者として見られる事が多少なりともあり、中には差別する者だって少なからず存在した。
入学した当初はそれを周囲に悟られないようにするのは大変な事だったのだろうと思う………。
いくら彼女が人当たりも良く、人付き合いが上手いとしても、これとそれとでは全く話が違う。
それに初めて出会った時の彼女は今と何処と無く表情が固かった気がする。
今思えばその時彼女は気を張って過ごしていたかもしれない………。
それに彼女が他の国から引っ越して来た事を拓哉以外に知る者はいなかった。
一年前の冬、雪がちらつく寒い季節の中たまたま帰りが一緒なり、誰もいない二人きりの時に彼女は彼に自分の事を少しだけ話してくれた。最後に口許に人差し指を充てほんの少しだけ微笑を浮かべながら「内緒だからね…」
と。
「ねぇ、拓哉君…もしもさ…もしも、この世界にいる《代表者》の内の一人が世界全てを一つに統一して、その人がたまたま良い人で……、私達市民の事をちゃんと考えてくれていたら、この世界は優しい世界になれるのかな…」
彼女は視線を上へと向けながら言った。
それはまるで何処か祈るように、願うように…………。
そんな彼女の言葉を聞き、気の利いた台詞を彼はすぐには思いつかなかった。
そんな願いはきっと夢物語の可能性にしか過ぎない。
気休めな言葉を返すのは簡単だ。だけど、それでは何処か違う気がして、彼は口を開いた。
「さぁな、それは俺にも分からない。少なくともこの世界の《代表者》達はそんな事を考えてねぇかもしなれない。だけどお前の言うとおり、そんな世界があったら…と俺もそう思うよ」
それは飾りっけがなく心から、本心からそう思った言葉だった。
そんな理想を掲げ、世界を変えようとする一人の男を彼は知っていた。
もし彼が生きていたのならば、彼女の言うとおりこの世界は優しい世界へとなれたのだろうか…―――
「そうだね……そんな世界がいつか来ると良いよね。ごめんね、変な事言っちゃって」
「別に良いよ」
そう答える拓哉に彼女は少しだけ苦笑を浮かべ、そして思い出すかのように話題を変えた。
「そう言えば、拓哉君と一年の付き合いになるよね」
「そうだな」
亜利砂は悪戯っぽく唇の端を緩めながら。
「あの時…確か拓哉君が私に声を掛けてくれたんだったよね。「俺と付き合って下さい!!」って言いながら、しかも迫ってきて」
「ちげーよ!!それは庵だろッ!俺はあの時庵の事を止めてやっただろうッ」
激しく突っ込む拓哉に対して彼女はクスクスと笑う。
「あははは。そうだったね。やっぱり君をからかうと面白いよね」
「たっく…」
笑う亜利砂に対して彼は多少不機嫌そうに頭をボリボリと掻く。
「でもね……私、君に感謝しているの。あの時の私は気持ち的に余裕がなかったから…だけど拓哉君は上辺だけの付き合いではなくって本気で相手の事を思って接してくれている。そんな人、私が今まで出会ってきた中で一人も居なかった……だから、それがあの時の私は嬉しかった」
彼女はそう言いながら拓哉の顔を真っ直ぐに見て、そして笑顔で言った。
「だから……有難う」
その笑顔はあまりにも可愛く思わず胸がドキリとしてしまう程だった。
「あ、いや別に大した事してねぇよ。俺だってお前に助けてもらってばっかりだし、主に課題とかで」
照れ臭さのあまりに、素っ気なく返す拓哉に彼女は、それを見透かすかのようにわざと冗談めいた口調をする。
「もう課題を手伝うのはあれきりですからね。後は自分でやらなきゃ駄目だよ」
「そんな冷たい事言うなよ」
軽く笑いながら拓哉は答え、そして亜利砂は少しだけ視線を落としながらポツリと小さく呟いた。
「後…ほんの少しだけ庵君にも感謝している。馬鹿だけど……」
「それ…庵に言ってやったらスゲー喜ぶぞ」
柔らかい口調で言う拓哉に、彼女は視線をフイっと向けながら。
「嫌。だってすぐに調子に乗るんだもん」
彼女の言葉に拓哉は庵の普段の性格を思い浮かべながら、確かに…と内心そう頷く。
暫くして駅の前にある大きなスクランブル交差点へと二人は差し掛かった。
信号機のランプが赤色をしている為二人は立ち止まる。帰宅ラッシュなのか、必然と駅に向かう人達がやたらと、いつもより多く感じられた。
「拓哉君ってそう言えば、電車通学なの?」
隣にいる亜利砂が疑問に思いそう尋ねてくる。
「いや俺は徒歩だよ。この駅を通り過ぎた所に自分の部屋があるんだ」
「そうなんだね。じゃぁ、この交差点を渡ったらお別れだね」
その時ブブーとクラクションを軽く鳴らす音が聴こえた。
視線を向けると黒塗りの長い車…ベンツがハザードのランプを点滅させながら近くの路肩に停車していた。それを見た亜利砂は嬉しそうに口許を少しだけ緩めた。
「あっ…お兄ちゃんだ…」
そう呟くと彼女は拓哉に向き直り笑顔で言う。
「私迎えが来たみたいだから、帰るね。また明日学校でね」
「ああ…じゃぁな」
そう言いながら彼女は車の方へと駆けて行く。一体あの車に乗っている人物は彼女と知り合いなのか?と一瞬疑問が浮かんだが、それはさっき彼女が「お兄ちゃんだ…」と呟いた事を思い出し、払拭された。
おそらく彼女の兄が妹の彼女を迎えに来たのだろう。…そう思った。
亜利砂は金持ちの令嬢なのか?と、そう思い彼女の姿を目で追ってしまう。
彼女は車のドアを開け、嬉しそうに話していた。そして拓哉の視線に気づくと拓哉へとにこっと笑いながら、手を軽く振り車の中へと乗り込む。すぐに車はエンジン音を鳴らしその場から立ち去った。
あんなに嬉しそうにしている彼女を見たのは初めてだと彼はそう思いながら、一人その場に佇んでしまっていた。
軽やかな音楽と共に信号のランプが青に変わり、人々の行き通いが再開される。
それに気づき、拓哉は歩を進めた。