隣の席は
きっかけは父親の転勤だった。中学校までを過ごした地元を離れるのは心苦しかったが、新しい暮らしが待っていると思うと、それはそれで楽しいものがあった。知り合いがいないという環境は僕にとってはとても新鮮で、不安と少しの高揚も与えてくれた。
しかし一番僕の頭を悩ませたのは、幼稚園からの幼馴染みであった。学校のみんなや先生が優しく送り出してくれる中、最後まで僕と同じ高校に行くといってきかなかったのである。これには彼の両親も困ってしまい、僕がやっとの思いでなんとか説得したのである。自分の負担にならない程度ならいつでも遊びに来てもらって構わないし、こちらも夏休みやお正月には遊びに行くという妥協案で話はまとまった。今思えば、引っ越すにあたってこれが一番面倒だった。まさかスポーツ推薦で既に学校が決まっている彼を一緒に連れていくわけにもいかず、しかし彼は断固として僕以外の言うことを聞かなかったので僕が説得なんてすることになったのだ。
そんなこんなで、無事にこの学校に一人で入学できたのだから、あの苦労は無駄ではなかったと信じたい。
じゃあ体育館に行こっか、という彼の後を手持無沙汰についていく。とくに会話もなく、黙々と歩いているこの時間が無性に気まずい。これから同じクラスということは、仲良くしておいた方がいいのではないか。そんな考えが浮かんだ時、前を歩いていた彼が急に立ち止った。
「そう言えば、進藤君の名前は聞いたけど俺の名前はまだだったね。俺は八尋、高槻八尋。これからよろしくね」
にこっと笑う彼の整った顔に気押されながらも、何とか相槌を打った。美形というものに免疫が無いわけではないが、今まで自分の周りにいなかったタイプの人物なので、対処の仕方がいまいち分からない。
しかし、高槻八尋…何処かで聞いたことのある名前だった。
再び歩き出しながら、いくら考えても思いだせない僕に彼は更に話しかけてくる。
「俺、杉下中学なんだ。進藤君はどこの中学から来たの?」
「…、華岡中学、だよ。でも遠いから、多分、知らないと思う」
声が少し震えてしまったが、気付かれずに話は進む。そして僕は思いだすことを諦めた。
「知ってるよ。俺、部活で練習試合を組んでもらったことがあるから」
「そ、そうなんだ…」
高槻は言いながら歩き出す。あわてて彼についていく。コンパスの差で、僕は少し早歩きになってしまうが、それに気付いた高槻が少し歩調を緩めた。その仕草があまりに自然で、女の子に対する扱いの様で、少し気恥ずかしくなった。
「進藤君ってさ、」
突然彼の口が止まる。僕は答えを準備しようとしていた思考を止めて、彼の顔を少し覗いてみた。しかし、彼の顔は隣からではよく見えず、僕はますます困ってしまった。
「『進藤君』ってなんかよそよそしいね。これからクラスメイトになる訳だし、遼介って呼んでも良いかな?俺の事は八尋でいいし」
特に断る理由も無かったので、僕は曖昧に頷いた。それに満足したのか、八尋も笑顔で頷いた。
体育館に到着すると、ほとんどの生徒が出席番号順にパイプ椅子に座っていた。新入生は壇上に近い前の方に椅子が配置されており、その新入生を後ろから見守るように保護者席が設けられていた。私立というだけあって新入生だけでも相当な数である。僕と八尋は丁度真ん中くらいの席だったので、すいませんと小声で言いながら人と椅子の狭い間をすり抜けていく。僕達が席に着く頃には全ての生徒が着席していた。
入学式が始まると、本格的に自分が高校生になったのだと実感した。知らない人ばかりの環境で、隣に座っている八尋だけが僕を少しだけ安心させてくれる存在であった。