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あふたー・その5「いつかどこかの別世界~ 一つの結末」

 静かに風の流れるとある世界に、親子にも見える二人の男女が突然現れた。男は長身で、女は男の腰辺りまでしか背丈がない。

 広い草原の真ん中に、突然生えたようにも見える。家があったり、彼らの足元に何らかの仕掛けがあるようにも見えない。

 二人とも頭からすっぽりマントをかぶり、雨か何かから身を守っているように見える。

 今の天気は晴れ。とてもではないが、似つかわしいといえる恰好ではなかった。

 男の方が何かに気が付き、雨を探すように手のひらを晒し、上を見上げる。


「……ふむ。この世界は常時雨が降るような、そんな世界ではないのだな」


 男はそう呟くと、頭を覆っていたマントの部分を払い、顔を晒す。

 作り物か何かの様に整った顔立ちを持つ、長身の偉丈夫だった。

 何もない草原をクルリと見回しながら、男は小さく頷いた。


「特に危険な生物もいない……か。比較的安全な世界のようだな」


 身の安全を確認した男は、隣に立つ少女の肩に手を置いた。


「では行くか、リアラ」

「は…い……」


 少女が力なく小さく頷く。

 その際、わずかにマントがずれ、その下に隠された顔が晒される。

 幼く見える少女の頬には深い亀裂が入り、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。


(……もはや時間がない、か)


 ずれたマントを直してやりながら、男はどこかへ向けて歩き出す。

 その背中を追って少女も歩き出す。

 暖かく穏やかな日差しの中でも、男……かつて魔王と呼ばれた者の表情は険しいままであった。






 ……魔王と呼ばれた存在が、三人の従者と共に異世界を旅するようになってから永い時間が経った。

 星の数ほどもある異世界を渡り、広い世界の中で罰を言い渡した最後の従者の姿を探す……さながら砂漠に撒いてしまった小さな種を探すかのような、途方もない作業。

 すべての異世界が、魔王にとって安全なわけではない。中には危険な世界も多くあった。

 空気組成や環境が危険な世界。住む人々の思想が危険な世界。世界に根付く法則が危険な世界……。魔王とその従者たちは永い時間をかけて、そんな世界を巡っていった。

 気が狂いそうなほど永い時間の中で、従者の二人は一つの世界に居残ることとなった。

 永遠を目的として生み出された魔王と違い、従者たちには永い時間の流れに耐えるすべはなかったのだ。

 従者は詫びた。自らの非力さを。魔王についていけぬ自分のふがいなさを。

 魔王は許した。そして礼を言った。永い間、自らにつき従い、共に旅を続けてくれたことを。

 もう一人の従者は悔やんだ。魔王についてゆくことよりも、愛する者と共にいることを選んだ自分を。

 魔王は言った。そうして自身の想いを選んだお前こそを、誇りに思うと。

 そうして魔王は、たった一人の従者と世界を巡るようになっていった。

 当然、最後の従者の体も、少しずつ崩れていった。顔にひびが入り、ひじから先の腕がもげ、立って歩くのがやっとの有様になっていった。

 それでもその従者は、必死に魔王へついて行った。

 もう一度……彼に会うために。彼との約束を、果たすために。






 広い平原を魔王が歩いていると、遠くに巨大な樹が見える。


「……大きな木だな」


 その樹はあまりにも巨大に見えた。明らかに距離があるというのに、その存在感が身近にも感じられる。

 樹の幹は力強く天を突き、広がった枝葉は空を流れる雲のようにも見える。

 風の流れに揺れ、擦れる葉の音が、ここまで聞こえてきそうだ。

 そんな巨大な樹の根元に、村落らしいものが見えた。


「……ふむ。まずはあそこで話を聞いてみるか」


 魔王は一つ頷いてそう決め、振り返って自分についてきているリアラの様子を窺う。

 呼吸は浅く、視線は常に下を向いている。ヒュー……ヒュー……と掠れた呼吸音が、彼女の体力の限界を如実に表していた。

 魔王はリアラの前に立ち、そして屈みこむ。


「リアラよ。歩けるか?」

「は…い……なんと…か……」


 魔王の言葉にリアラはそう返すが、誰がどう見ても限界なのは明らかだった。

 そんな彼女の様子に首を振ると、魔王は腕を伸ばし、彼女の肩と膝の裏に手を差し入れ、そのまま持ち上げた。

 いわゆるお姫様だっこだ。突然の出来事にリアラが目を丸くする。


「魔王…さま……?」

「今のお前に合わせては、日が暮れそうだ。甘えられるときは、甘えよ。マルコに会う前に終わってしまっては、何もかもが台無しだろう」

「は…い……すいま…せん……」


 リアラはそう言うと、魔王の腕の中で静かに瞳を閉じた。そしてすぐに小さな寝息が聞こえてくる。相当無理をしていたのだろうか、と魔王は胸を痛めた。


(もはやどれだけの世界を渡ったのかもわからぬ……。いつ、マルコと行き逢えるものか)


 魔王は嘆息し、巨大な樹の根元にある村落を目指す。

 世界の広さによって、捜索に必要な時間は異なるが、それでも百年単位での時間が必要となる。

 その時間の長さに、リアラの肉体が確実についてこれなくなっている。

 魔王の両手にかかるリアラの体の軽さも、彼女の限界を表していた。

 見た目こそ小さな少女そのものの彼女のも、もはや体の中は比喩表現ではなくスカスカだ。最近では、食物をとることも難しく、魔王から供給される魔力だけが生活の頼りとなってしまっている。


(……後、一回か二回……。それがおそらく、リアラが時空転移に耐えられる回数であろうな)


 魔王にとっての始まりの世界で、アンナに女神の意志力(マナ)を譲渡した後、残った意志力(マナ)と自身の肉体とを利用して組み上げた、時空転移術式。

 その発動は、魔王の存在があれば事足りるものであるが、飛んだ際の反動は小さなものではない。

 リアラの肉体に見えるひび割れのようなものも、時空転移の際の衝撃によって生じた物だ。

 今のリアラは……いつ体が崩壊してもおかしくないほどに衰弱していた。


(今回の探索……リアラはあの村に滞在し、我一人で世界を巡った方がよいかもしれぬな)


 そう考えるうちに、魔王は村落へとたどり着いていた。

 近くによれば、やはり樹は巨大なものであった。威圧的でさえある。もはや樹ではなく、山と呼んでも差し支えがなさそうだ。

 天上に伸びる幹より生えた木陰が、村落に暗い影を落としているほどだ。だが、村落の中で歩く人々の顔に暗さは見えない。

 むしろ明るささえ感じ、彼らは何かに浮かれているのが窺えた。

 そのうち一人が、村落の傍にやってきた魔王の姿に気が付き、声をかけてきた。


「おお、なんや? 旅人か? こない、寂れた場所までよう来たなぁ!」

「……世界を歩いて回るのが好きでね。歩くうちに、ここまでやってくることができたよ」


 奇妙な訛りの男にそう答えながら、魔王は男に近づいてゆく。

 男は魔王の来訪に嬉しそうな笑顔を浮かべながらも、その腕に抱えられたリアラの姿を見て眉を顰めた。


「あ? なんや? ……お嬢ちゃん、どないしたんや?」

「我が旅の供なのだが……ここ最近、具合がよろしくなくてな。どこか、横になれる場所はないだろうか?」

「そらあかんなぁ……。こっちや。ついてきぃ」


 憔悴しきったリアラの顔を痛ましそうに眺めた男は、力強く頷いて魔王に先立って歩き始めた。

 その背を追って魔王はついてゆき、軽く周囲の人間の姿を観察する。


(……衣服は始まりの世界のものによく似ている。生活の水準もまた同じ程度……。生活用品に金属やガラスの類はないな。先ほどの言葉から察するに、ここはこの世界基準でも地方なのだろうな)

「おーい、ノワ! お客さんや! おるかぁ!?」

「はーい! 今でますよ!」


 男は向かった先に立っていた一軒の家の扉を叩く。

 他の家と比べると大きめで、特別な建物だというのが窺えた。

 男の呼ばわる声に、家の中から女性の声が返ってくる。


「……この声」


 その声に、魔王は聞き覚えがあった。

 次の瞬間、その声の主が扉を開けて顔を出した。


「はいはい、どちらさまですか? ……ってあら? 本当にどなた?」


 簡素な衣服に身を包んだ、美しい女性だ。

 黒い髪に黒い瞳を持ち、首に紅いラインのようなものが見える。

 ……そして彼女の顔は、始まりの世界の首なし騎士を思わせるものだった。

 女性の姿に軽い既視感を覚える魔王の前で、男はリアラの様子を示して見せた。


「旅人さんや。連れの嬢ちゃんが、なんぞ弱っとるようでな。寝床、貸したってくれへんか?」

「まあ、そうなの……。どうぞ、旅人さん。あまり、いいベッドはございませんけれど」


 リアラの姿を見て、女性は魔王を家の中へと招く。

 彼女の姿を見つめながら、魔王はわずかに逡巡する。

 ここが、自分たちにとって求めていた世界だったのかどうか。


(……今までにも顔の似ている輩はいた。これだけでそう判断するのは早計か)

「……? あの……?」


 自分を見つめて動きを止める魔王の姿を見て、女性は訝しげに首をかしげる。

 魔王は微かに首を振ってから、女性に笑顔で答えた。


「……いや、申し訳ない。思いのほか、美しい女性の元へ案内されて、少し驚いてな」

「まあ、お上手なんですから……」


 魔王の言葉に照れたように顔を赤らめる女性。そんな彼女の横をすり抜け、魔王は家の中へと入っていった。


「そちらの扉が寝室です。好きなベッドに寝かせてあげてください」

「ありがとう」


 軽く礼をし、魔王は寝室へと足を踏み入れる。

 客室も兼ねているのか、四つのベッドが並んでいた。

 そのうち、窓に一番近いベッドにリアラの体を横たえ、掛布団をかけてやる。

 と、掛布団の存在に気が付いたのか、あるいは自然にか、リアラが目を覚ました。


「……? 魔…王さま……?」

「床を借りた。しばし体を休めよ」

「……は…い……」


 魔王の言葉、そして今自身が置かれている状況を見て、リアラは再び瞳を閉じた。

 寝息を立てるリアラの姿を見下ろし、問題がなさそうなのを確認してから魔王は部屋を出た。

 部屋を出ると、先ほどの女性と男性が、心配そうに魔王の方を見つめていた。


「お連れの女の子、大丈夫でしょうか?」

「体が丈夫な方ではないが、しばらく休めば大丈夫だろう」

「せやったらええけど……医者でも呼ぶか? あんま腕はよろしないけど」

「……大丈夫だろう。ヤブに見せるほうが怖い」

「せやな」


 魔王の言葉に、男は笑い、そんな男を女性がたしなめた。


「ちょっとスケイル……そんなこと言うもんじゃないわよ?」

「まあ、ええやろ別に。医者の腕がよろしないのは事実やし」

「そうだけど……はぁ」


 女性は深くため息をついてから、顔を上げて改めて名乗った。


「ごめんなさいね、旅人さん。私はノワ。一応、この村の代表を務めさせてもらってるわ」

「わしはスケイル。あんじょうよろしゅう」

「我が名は、ケイオス。見ての通り、旅人だ。今寝ているのはリアラという。……座っても?」

「ええ、どうぞ」


 いつも名乗る偽名を名乗ってから、ノワの許しを得て腰かける。

 ノワとスケイルも同様に腰かけ、魔王を興味深そうに見つめ始めた。


「それで……ケイオスさんはどうしてここに? リアラちゃんの容態が悪くなったからですか?」

「それもあるにはあるが……旅をすること自体が目的でな。世界の姿を、生きているうちに目に納めたくてな」

「壮大な目的やなぁ」


 魔王の言葉にスケイルが豪快に笑い、そして机を軽く叩く。


「せやったらちょうどええ! もうじき、この村で祭りがある! ぜひ参加していき!」

「祭り? ああ、村の様子がにぎやかだったのはもしや……」

「ええ。お祭りの準備なんですよ。この、世界樹の生誕をお祝いする、誕生日の!」

「世界樹……?」


 世界樹という言葉に、わざと訝しげな反応をして見せる。

 そんな魔王の反応に、スケイルも訝しげな顔になった。


「? なんや。世界樹の事、知らんできたんかいな?」


 なんでこんな当たり前のことを知らないんだ、という様子のスケイルに、魔王は情けなさそうな笑みを浮かべて見せた。


「いや、なに……。何もない村で育ってな。世界の姿を目に納めたいと思ったのも、いろんなことを知りたかったからなのだ」


 この世界の文明レベルから考えられる、最も無難な答えを返すと、スケイルはすぐに納得したようだった。


「はー、そういうことかい……せやったら、びっくりしたやろ。こんな草原に、こんな馬鹿でかい樹ぃが生えとって」

「うむ。これが件の世界樹か」


 ガラスの嵌めていない窓からも見える威容のある樹の姿に、ノワが小さく頷いて見せた。


「ええ。この世界の始まりを司るとも言われる樹で……すべての文明が、この樹の根元から生まれたといわれているんです」

「なるほど、壮大だな……。ということは、諸君らが人間の始祖を受け継ぐというわけか?」


 魔王の言葉を聞いて、スケイルが人の悪そうな笑みを浮かべる。

 無知を弄って遊ぶ、そんな笑みだ。


「……と、思うやろ? それが違うんやなぁ」

「私は、元々ここの生まれじゃないんです。もっと南の方にある、大きな都市で生まれたんです」

「ほう? ではなぜこの村に?」

「それはこれです」


 そう言って、ノワは自分の首筋の赤い線を示して見せる。

 特別染料で染めているわけでもなく、さりとて何かの傷跡というわけでもない、そんな印だ。

 それを軽く撫でながら、ノワは誇らしげに語り始めた。


「こんな風に、首筋に赤い線の入った者は、世界樹の守り人に選ばれた人間として、この世界樹の根元で暮らすことが義務付けられているんです」

「義務……」


 義務という言葉に、魔王の表情がわずかにこわばる。

 そんな魔王の様子を見て、安心させるようにスケイルが笑い声をあげた。


「まあ、義務ゆうても、世界樹は、世界中にちらばっとる世界樹の子供たちとつながっとる。どこでも好きな場所にいける考えたら、悪い話でもないんやで?」

「世界樹の子供と? どういうことだ?」

「世界樹の根元に、いくつか穴があるんですけれど、その穴が世界中に点在してる世界樹の子供にある洞とつながってるんです。どういう理屈かは、わからなんですけれどね」

「……なるほど」


 その言葉に、魔王は考える。

 巨大な樹や、特別な力のある樹が神聖視され、崇められている世界はいくつかあった。

 だが、そんな木々にも、空間を繋ぐ、などという力を持っていることはなかった。

 木とは、生命の象徴や、命そのものという考え方ができる。そんな樹に、空間転移などという複雑な事象をコントロールする概念があるのだろうか……。


「自分も、つこてみるか? どんな場所でも一瞬でつくで?」

「……いや、リアラがいる。それに、自分で歩いてゆくのが好みだ」


 試してみるのも悪くないだろうが、一方通行でも困る。彼らの様子から、それはなさそうではあるが……。


「それで、祭りとは?」

「あ、そうそう! 世界樹が生誕したとされる日がもうすぐで、そのための準備をしてるんですよ!」


 話題を元に戻すと、ノワが楽しそうに手を叩く。


「毎年行われているものなんですけれど、世界樹の子供たちを通してたくさんの人たちがここに遊びに来るんですよ!」

「世界樹のあちこちに出店ができてなぁ。そらもう、大騒ぎや! 昼も夜もなく、あの樹がここにあることを祝う、世界で一番でかい祭りやで!」

「樹の上に店……燃えたりせんのか」

「ああ、大丈夫ですよ。ちょっと大きな薪をしても、世界樹に燃え移ることはないですから」

「ほう。頑丈なのだな」


 頑丈という言葉ではすませられる話ではないが、とりあえずそう言っておいた。


「祭りは何日後に?」

「あと一週間くらいやな。出店の受け入れやらなんやらでな」

「忙しなく人が動くので、ケイオスさんにはこの家でじっとしてもらうことになると思うんですけれど……大丈夫ですか?」


 申し訳なさそうに手のひらを合わせるノワに、魔王は頷いた。


「無論、かまわん。連れの容態もああだ。むしろ、願ったりかなったりだな」

「そうですか! よかったぁ」

「はっはっはっ! 楽しみにしとけよケイオス! 祭りを体験したら、もう年一でここにこな、満足できへんようにしたるからなぁ!」

「それは楽しみだ」


 二人の言葉に笑顔で答えながら、魔王は外を窺う。

 祭りの喧騒の中でも悠然とそびえる世界樹は、無言でその様子を見下ろしていた。






「お祭…りです……か?」

「うむ。一週間後とのことだ」


 夜になり、ようやく目を覚ましたリアラの隣のベッドに腰掛けながら、魔王は頷いた。

 この家にいるのは、今は魔王とリアラだけ。そもそもこの家は村の長が仕事をするための職場的な場所らしく、同時に時期外れの旅人のための宿泊場所でもあるそうだった。

 二人だけで誰もいない家の中で、魔王はベッドに体を横たえながら、これからの指針を伝える。


「しばしここに拠点を置き、貴様の回復を待つ」

「いえ、私は……」

「駄目だ。もはや自身の体が限界なのはわかっておろう」


 魔王の言葉に反論しようとするリアラ。

 だが、彼女の反論を魔王は許さなかった。


「今、貴様に何かあってはならぬ。まずは回復に努めよ」

「……は…い……」


 有無を言わさぬ魔王の言葉に、リアラは頷くしかない。

 魔王はそんなリアラの言葉を聞いて小さく頷くと、そのまま瞳を閉じて眠り始めた。

 彼の寝顔を見つめながら、リアラは残った手のひらをきゅっと握りしめた。

 たったそれだけの動作で手の中の罅が大きくなるが、もう体の感覚がまともじゃないリアラにとってはどうってことはない。


「……時間がないのは、わかってる……だけど……」


 言いながら、もはや乾ききった涙腺から涙を流すように、リアラは顔を歪めた。


「……だけど……だから……会いたい…よ……!」


 関節は軋み、筋肉は千切れ、骨はボロボロ。

 五体満足とも言い難く、さらには内臓すらいくつか取りこぼしている。

 そんな体になっても……いまだ会うことが叶わない、最愛の人。

 今でも脳裏に残っている、彼の最後の姿を思い浮かべ、リアラはその名を呼んだ。


「会いたいよ……! マルコォ……!」


 喉から上がる声は、掠れ掠れであり、注意しなければ聞き落してしまいそうなほどに弱々しい。

 けれど、そんな彼女の声に、返ってくる返事があった。


―   ……―

「………え?」


 懐かしい、今まさに名を呼んだ彼の声。

 それを聞いた気がしたリアラは顔を上げ、外を見る。

 ……そこには、誰もいない。

 いるはずがない。

 それでも、彼女には確かに聞こえた。

 彼の……マルコの、声が。


「マルコ……?」


 誘われるように、リアラはベッドから足を下した。






「……二人とも。リアラを見なかったか」


 翌朝。自身の隣にリアラの姿がないと知った魔王は、急いでノワとケイオスの姿を探した。


「リアラちゃんですか? いえ、見てませんけど」

「起きたら、ベッドにいなかったのだ」

「どういうことや? ちゅうか、あの子、起きられたんか?」

「起きることはできるが、そんなに長い距離を移動できるほどに回復していないはずだ。誰か、姿を見ていないか?」


 魔王の言葉に、ノワとスケイルは顔を見合わせて急いで周りに確認してくれる。

 だが、村中の人間に聞いて回っても、リアラの姿を見た者はいなかった。

 そして、リアラの体が村のどこかで発見されることもなかった。


「あかん、みつからへん……。どないなっとんねん……」

「この村に、リアラちゃんを誘拐する人なんているはずないのに……」

「……そうだな」


 リアラの突然の失踪に、魔王は考える。

 体は小さく、ボロボロであるが、腐っても元魔王軍四天王とも呼ばれた存在……。

 あれだけ憔悴したとしても、並みの人間では太刀打ちできる存在ではない。

 もちろん、そんなことがあれば魔王とて気が付く。だが、気が付けなかった以上、彼女は自分の意志であの場から去ったはずなのだ。

 となれば、この村のどこかにいるはずなのだが……。


「……この村でリアラが行きそうな場所は全て廻っただろうか?」

「んー……その筈やで? まさか世界樹の穴から別の場所行ったとは思えへんし……」

「あそこは、基本的に必ず誰かがいるようになってるんです。特にこの時期は人の出入りが激しいですから、何人も穴の傍にいて、その対応をしてますから……」

「そうだな……」


 それに、今魔王の傍から離れたところで、リアラにいいことはない。

 むしろ魔力供給が遅れるせいで、消滅の危機が近づく。それは、彼女も望むところではあるまい。

 いったい、リアラはどこに行ったのだろうか……。


「……ここにおらんいうことは、世界樹の上かなぁ……?」

「なに?」


 ポツリとスケイルが溢した言葉に、魔王は眉根を顰めた。


「どういうことだ? というより……世界樹の上、リアラでも行けるのか?」

「まあ、せやな。勾配自体はそないきついもんでもないし……子供でも登っていけるんや」

「この村で生まれた子供にとっては一番の遊び場ですし、それに社もありますから、多少は整備されてるんです」

「社?」

「ええ。時間ができたら、お二人を案内しようと思ったんですけど……」

「建物があるんちごて、世界樹の化身の遺体が安置され取る場所なんや。この祭りの、御神体やね。もっとも、遺体いうても生き物やのうて、木の幹がそんな風に見えるってだけなんやけど」


 二人の言葉に、魔王は考える。

 これだけ探していない以上、世界樹の上に上っている可能性は高く、そして目指す場所があるのであれば、あるいはそこに……?

 何故、どうやって、といった疑問こそ残るが、選択肢もない。魔王は二人に頷いた。


「では、そこへ案内してもらって構わんか? どんな些細な場所も、見落としたくない」

「さよか……せやったら、わしが案内するわ」

「私も行くわ。二人より、三人の方がいいでしょう」

「……すまない」


 ノワとスケイルの厚意に甘え、魔王は二人の案内の元、世界樹の御神体の社へと向かう。


「社とはどのような場所なのだ?」

「さっきも言うたけど、建物とちごて、そんな風な場所があるってだけなんや」

「大人の足で、三十分ほどでしょうか……。そこまで高所にあるわけじゃないんで、安心してください」

「そうか」


 二人の言葉に頷きつつ、魔王は足元、そして視界いっぱいに広がった世界樹の幹や葉に目を向ける。

 村の奥の方から入り込み、ねじくれた幹を足場に進む世界樹の中は、まるで迷宮の様になっており、多少整備されているとはいえ、初見では間違いなく迷うだろう。

 土地勘などあろうはずがないリアラであれば、なおさらだ。

 それでも村におらず、見かけた人間もいないというのであれば……。


(リアラが、ここを通り、社を目指した可能性は高いか……)


 しっかりと足を踏みしめながら、魔王は二人の背中を追う。

 樹の中を上がったり、あるいは下がったり。あるいは外側を歩いたり。

 そんな風にして進む三人の前に、ひらりと小さなものが舞い散った。


「? これは……」


 目の前に飛んできた魔王がそれをつまむ。

 それは、花弁だった。白く、小さな花弁が、彼らの前に舞い散っていた。


「……ふむ。世界樹だけあり、素晴らしい風景だな。花が散るなど」

「……いや、普段は花とか散ってへんねんけど」


 感嘆の吐息を漏らす魔王とは逆に、スケイルは不審げな声を上げる。

 それに同調するように、ノワが体を震わせた。


「どうして……? 世界樹の花は、まだ時期じゃないはずなのに……」

「……時期がずれるなど、珍しくもあるまい。それより、社はこの先か?」

「あ、はい! 道なりに進めば、社です!」


 二人の様子から、明らかに異常な事態であることが窺い知れた。


(世界樹の異常……リアラの失踪……まさか、この二つに繋がりが……?)


 自らそんな馬鹿なと否定しながら、魔王は何故かそんな気がしてならなかった。

 それは、この世界樹の発する気配。

 莫大な威圧感の中に、さながら残り香のように感じる、ある気配……。

 それは、マルコの――。


「……!」


 ざぁ……!と音を立てて三人を白い花弁の群れが襲う。

 風が去り、花弁の嵐が過ぎ去った後、三人の目の前に現れたのは……。


「……っと。すいません! ここが、世界樹の社と呼ばれる場所……です……」


 ノワが前に出て、目の前の広がる空間を示して見せた。

 そこには、確かに社のような大きさの建物が一軒すっぽり収まりそうな空間が広がっている。

 そして、そこらじゅうの枝から生えた花が、満開に咲き誇っていた。

 ドーム状になっている上の幹にもびっしりと咲き、社の中に穏やかな甘い香りが広がっていた。


「……マジかいな。なしてこないに咲いて……」

「………」


 そんな社の光景を見て、スケイルが慄く。ノワも、呆然と立ち尽くす。

 だが、魔王はそんな二人を置いて、まっすぐに突き進んだ。

 そして社の壁……おそらく方向的には世界樹を支える幹に、一枚の布が引っ掛かっているのを見つける。

 拾い上げ、広げてみる。

 それは……リアラがずっと着ていた白衣だった。


「……リアラがここに来たのは間違いないようだな」

「その白衣……それ、リアラちゃんの?」

「うむ」

「せやったら、この辺におるんか……? せやけど、こっから先は子供が昇っていかれる場所やないで……?」

「とにかく、探しましょう! ケイオスさん! あなたはここに! 下手に動いたら、迷って出られなくなっちゃいますから!」

「うむ。頼む」


 ノワはそう叫んで、リアラの名を呼びながら社を出ていく。

 スケイルもその後に続き、社には魔王が一人で残った。

 魔王は白衣を手に、振り返る。

 白衣がかかっていた場所は、おそらく御神体と呼ばれているものだろう。四角く枠を取られ、綺麗に整えられた、人が座っているように見える幹の模様が存在していた。

 そしてその顔は、不思議なことに……彼の部下であったマルコによく似ていた。無表情に見えるのは、彼がまじめだったからだろうか。


「……ここにいたか、マルコよ」


 白衣を手に、御神体を見下ろし、魔王はその名を呼ぶ。

 すると、その声に反応するように木々がざわめいた。


「フ。樹となっても、我の声を聞くか……。いや、まずリアラを呼んだな?」


 リアラ、の名に、木々が動揺したようにざわめきを返す。

 そんな世界樹の反応に、魔王は呆れたように返した。


「ああ、いや別にそれ自体はかまわぬ……。リアラも、もう限界であったからな。むしろ正解だろう」


 魔王は瞳を閉じ、そして開き。世界樹を見上げ、はっきりと宣言した。


「宰相マルコよ。我が与えた罰、よくぞ耐えた。今こそ、その罪を許そう」


 ……世界樹が、小さく振るえる。歓喜に、打ち震えるように。


「それのみならず、これだけの世界を支えるほどに成長するとはな……。我が想像を超える成果だ。誇らしいぞ、マルコよ」


 嬉しそうに微笑み、魔王は続ける。

 手にした白衣を御神体にかけてやる。


「長き勤めであったな……マルコ。そして、リアラ……。ご苦労であった。もはや我に縛られることなく、その想いのままに……二人で過ごすがよい」


 そう締めくくられた瞬間、世界樹が一際大きく鳴動する。

 その鳴動を聞き、魔王は苦笑した。


「喜びか、悲しみか……はたまた別の感情か。まあ良い。健やかに過ごせよ」


 魔王は世界樹に背を向け、軽く指を鳴らす。

 次の瞬間、黒衣の偉丈夫の姿はその場から消え失せ、あとには何も残らない。

 風が吹き、御神体に被せられていた白衣がさらわれていき、その下にあった御神体が晒される。

 一人であったはずの御神体は……いつの間にか二人に増えていた。

 男に見える元々あった御神体に、小柄な少女の姿が寄り添い……。

 二人とも、穏やかに微笑んでいるように見えた……。






 ……世界樹の村を訪れた二人の旅人が行方不明になってから、一週間。

 結局二人の旅人が見つかることはなかった。

 だが、一人から二人に増えた御神体や、その日を境に咲き誇るようになった世界樹の花などから、あの二人は世界樹の精霊か何かだったのではないかと噂されるようになった。

 そして、開催された世界樹の生誕祭の日。その噂を裏付けるように、奇跡のような出来事が起こった。

 二人の旅人の行方不明に気を落としていたノワが、生誕祭の開催を宣言しようとしたとき、一際強い風が祭りの会場を襲う。

 その風の強さに誰もが目をきつく閉じ、烈風に耐える。

 その時、会場にいた者たちは不思議な声を聞いた。


―ノワさん、ごめんなさい……それから、ありがとう。私の心配をしてくれて―


 聞いたことのない少女の声。脳裏に直接響くような、そんな声を、ノワは直感的にリアラの者であると感じた。

 彼女の名を叫び、瞳を開いたノワは、目を疑った。

 世界樹に咲いていた白い花……そのすべてが、淡い桜色に染まっていたのだ。

 まるで、祭りの開催を祝うように、桜色の花弁が祭りの会場に降り注ぐ。

 そして、人々は再び声を聞いた。


―我が生誕を祝う全ての者に、万感の祝福を……ありがとう……―


 続いて聞こえてきたのは、男性の声。

 暖かく穏やかなその声は、聴くものすべてに安心感を与える、そんな声だった。

 ……その声を聞いたとき、ノワの瞳から一滴の涙が零れた。

 何故、涙が流れるのか……ノワにはよくわからなかった。

 けれど、彼女は確信した。その声は……自分がいま世界にいることを、祝福してくれているのだと。

 ノワは、小さく口の中で感謝の言葉を口にし、瞳を閉じて強く礼を捧げた。

 世界樹の中で眠る……二人の声の主にきっと届くと信じて。




 と、言うわけで、先に仕上がりましたこちらをば。

 魔王、そしてマルコとリアラのその後でございます。最後、大分駆け足気味だったけど……。

 あの後マルコは、今だ生命の根ざすことのない不毛な大地にあの状態で吹き飛ばされ、自らの存在を世界樹へと変化させ、その大地に命の種を撒きました。

 その際の不要物……主にガルガンドと似非古竜は適当な場所に放逐し、命が芽吹き、そして発展してゆく様を根気強く見守っていたのです。

 そのため、ノワがクロエに似ていたりするのは実は偶然ではなく、一番最初に世界樹が生み出した人間たちの中にクロエそっくりな人間が混じっていたからだったり。

 で、十分に発展した辺りで魔王たちがやってくるわけですが、魔王たちはここに来るまでに数百万年かそれに近いだけの時間を過ごしていたり。あくまで彼らが過ごしていた時間なので、ここの世界ごとの時間経過にはばらつきがあるのですけれど。ちなみに世界樹の世界はマルコが下りてから千年くらいしかたってません。

 さて次は……新作が早いか、ケモナー小隊プラスαの話が早いか……。

 いや、きっちり締めておかないと駄目なんですけどね! それじゃあ次回!


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