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あふたー・その3「十年後~穏やかな彼」

 アメリア王国王都の中心に位置する王城内。

 その中にある、一本の廊下に、一人の少女がいた。

 黒いローブを着た、髪の長い少女だ。後ろ髪が地面に付きそうなほどに長く、前髪も鼻にかかるほどだ。おかげで目元がよくわからない。年の頃は、十歳くらいだろうか。

 そしてその胸に、不釣り合いなほど大きな本を抱えていた。古く、少しぼろけている、魔導書と思しき本だ。

 そして少女は何かから逃げるように必死に足を動かしていた。しかし、目元がよく見えないせいか、その足元はよくおぼつかない。

 と。


「あ!」


 案の定、少女は足元がもつれ、勢いよく前のめりに倒れてしまう。

 手に本を抱えているせいで、手をついて受け身も取れず、そのまま顔面から地面にぶつかる――。


「っと、あぶねぇ」

「きゅっ」


 ――瞬間、少女に追いついてきた青年に首根っこひっつかまれて、呻きながらも助け起こされる。


「ったく……詰所の外に魔導書持ち出すなって、いつも言われてるだろーが」


 少女の襟首をもって猫の子のようにぶら下げる青年。

 少女と同じようなローブを身に纏っているが、その右腕は肩から先がないことが窺える。

 青年は少女の顔を覗き込みながら、ため息をつきながら説教を続ける。


「しかもお前それ死霊術の書かれてる本じゃねーか……。禁呪だって、いつもマコさんに言われてんだろ」

「駄目と言われれば読みたくなるものだと思うの」


 少女は抱きしめた本を離さないようにしながら、青年から顔を背けてそう呟く。

 そんな少女の態度に、青年はもう一つため息をつく。


「思うのじゃねーよ、ウェリア……。マジ勘弁してくれよ。いつも叱られんの俺なんだぞ」

「感謝してるわ。ジョージさん」

「感謝の念が欠片も感じられねぇのはなんでだろうな……」


 素っ気ない、というより棒読み全開なウェリアの感謝の言葉に三度ため息をつきながら、ジョージは魔導師団詰所へ向かって歩き出す。

 ウェリアの襟首をつかんだまま、猫の子のようにぶら下げながら。


「……下してもらえない? 私、自分で歩けるけど」

「下ろしたら逃げ出すんだろ。わかってんだからおとなしくしとけ」

「………………まさかそんな」

「間がなげーんだよ」


 そんなささやかなやり取りを経て、二人は魔導師団詰所までやってくる。

 ジョージは器用に足を上げて扉を開けながら、詰所の中へと足を踏み入れた。


「おう、ウェリアとっ捕まえてきたぞ」

「あ~ん~。ウェリアちゃん~、先生の講義から~逃げ出しちゃ~ダメでしょ~」


 ジョージが中に入ると、机の上で突っ伏していた妙齢の女性が立ち上がり、涙目になって二人の傍に駆け寄ってきた。

 やたら間延びした喋り方をした魔導師然とした女性だ。その手には「魔導師入門 ~小さな明りのつけ方から~」と記された薄い魔導書が握られている。

 どこにでも売っている普通のノートに手書きで記された、手作り感満載の魔導書だった。


「せっかく~先生~、自作の魔導書まで~作って~張り切ってたのに~」

「……ごめんなさい、アルル先生」


 ウェリアは、そんなアルルの姿を見て、小さく頭を下げて謝罪した。

 ジョージはそんなウェリアの様子を見てから彼女の体を地面に下し、その胸に抱いた一冊の魔導書に手をかけ。

 ……ウェリアが離す気配を見せないのでにっこり笑って彼女に語りかける。


「…………とりあえずこの本は本棚に戻そうな、ウェリア?」

「それとこれとは話は別」


 ウェリアもにっこり笑ってそう告げ、しばし睨み合い。


「「うぬぬぬ……!!」」

「……なんか綱引きみてぇな声が聞こえんだけどどうしたんだよ……?」

「あ~、フォルカく~ん~。ジョージ君と~ウェリアちゃんが~」

「また? いつも思うけどあきねぇよな……」


 ジョージとウェリアの拮抗した引っ張り合いが始まったところへ、フォルカがやってきた。

 その足元には、五歳くらいの女の子が引っ付いていた。

 女の子に目線を合わせるように屈みこんだアルルは、女の子に挨拶をしながらフォルカの方を窺った。


「こんにちわ~、ミンちゃん~。フォルカ君~、ミンちゃん~どうしたの~?」

「ミミルが、そろそろ魔導書位読ませてみたら?って言ってな。まだ早い気がするんだけど、どうなんだろうな?」

「う~ん~。上の子が~、魔導師に~ならなかったから~、下の子は~ぜひって~思ってるのかもね~」

「別に俺は子供が普通に育ってくれたらそれでいいっすけどねぇ」

「お前ら和んでねぇで、ウェリアからこれ取り上げるの手伝えぇぇぇぇ!!!」

「やー! やー!!」


 ジョージの言葉に全力で抵抗するウェリア。

 しかし、そこは十歳程度の女の子。隻腕とはいえすでに成長しきった男性に対抗しきれるわけもなく、数分後には手に持っていた魔導書を取り上げられてしまっていた。


「やー! やー! 返して、返してー!」

「これは魔導師団の持ち物! お前のもんじゃねぇの!」

「……なんていうか~、昔のフィーネ様を~思い起こさせる~行動ですね~」

「私がどうかしましたか?」


 アルルの言葉に、詰所の奥で書き物を行っていたフィーネが顔を覗かせる。

 すらっとした長身の、整った顔立ちを持った美しい女性……なのであるが、徹夜でも行ったのか、目の下には濃いクマがあり、髪の毛はぼさぼさ、肌も若干荒れているように見えた。


「あら~、フィーネ様~。また貫徹ですか~?」

「ええ……。マコさんにもお願いされて、時空転移に関する計算を少し……それで?」

「ウェリアが、昔のお前みたいに禁呪系の魔導書読みたがって困るって話だよ」


 ジョージの言葉、彼が掲げ上げている魔導書、そしてその足元で必死に飛び跳ねるウェリア。

 その三つを見て、全てを理解したのかフィーネは一つ頷き、ジョージの手から魔導書を受け取り。


「はい、ウェリア」

「あ……」


 優しい笑顔でウェリアに魔導書を差し出した。

 フィーネの行動に周りの者たちはわずかに目を見開き、ジョージは少し目を眇めた。


「おいおい。いいのかよ?」

「良いも何も、ウェリアちゃんじゃこの中身読めないと思うから……お母さんにお願いして、読んでもらってね?」


 フィーネに優しく諭されるようにそう言われ、ウェリアはわずかに頬を綻ばせながら小さく頷いた。


「うん……ありがとうございます、フィーネ様」

「どういたしまして」


 笑顔のフィーネに背中を向けて、ウェリアは詰所から出て行った。

 きっと母である真子に魔導書を読んでもらうつもりなのだろう。

 そんなウェリアの背中を見つめ、フィーネは表情を暗くする。


「………」

「ほんとーによかったのか? マコさん、怒るんじゃねぇか?」

「うん……まあ。でも、怒られるのは私だし、それにやりたいことはやらせてあげないと……」


 ジョージの言葉に、フィーネは暗い表情のまま俯く。

 立ち上がり、すぐそばの椅子に腰かけながら、テーブルに体をうつぶせた。


「……あとどれくらい、サンシターさんが生きていられるかもわからないんだしさ……」

「……そんなに~悪いの~?」

「少なくともベッドからは降りられねぇほどだな。前に訪ねたことあっけどさ」


 娘を抱き上げながら、フォルカはその時のことを思い出す。

 そして、顔をしかめた。


「……すっかり体はガリガリでよ。ちょっと前まで普通に立って歩いてたなんて、信じられねぇほどだよ」

「サンシターさん~、凝縮薬の~服用は~、もう~やめられたんですよね~?」

「うん……。もう、薬の効果がなくて……。今は、マコが作った薬を服用してるよ……」


 フィーネは、真子と共にこの王城の一角で生活しているサンシターの事を思い出す。

 かつては凝縮薬の効果によって、健常者と何ら変わらない生活を送っていた彼も、あの戦いが終わってからすっかり変わってしまった。

 ウェリアが生まれたあたりを境に、凝縮薬の効果がはっきりと現れなくなっていったのだ。

 ある日は足に力が入らず倒れ、ある日は手に持ったコップを落とし、そしてついにはベッドの上から起き上がることができなくなってしまった。

 それらすべては、ウェリアが生まれてから一年以内に起きた出来事……。彼は、生まれたばかりの自分の娘をその手に抱くことなく、ベッドの上での寝たきり生活を強いられることとなってしまった。

 サンシターがそうなってしまった原因……それはやはり、凝縮薬であった。


「元々凝縮薬って、その人間の中に眠ってるエネルギーを集中して消費するものだったから……。限界まで擦り減っちゃったサンシターさんのエネルギーに対して、しっかりと効果を発揮することができなくなったんだと思う……」

「……本来は、当の昔にぽっくり逝っててもおかしくなかったんだろ? なら、今生きてるだけでも、十分儲けもんじゃねぇのか」


 ジョージの言葉に、その場にいた全員が黙り込む。

 そう、今彼が生きていること。それはもはや奇跡に近いはずなのだ。

 凝縮薬を使用したうえで、元々宣言されていた寿命は三十年未満。それを超えて先の生活は、一切の保証ができないといわれていたのだ。

 サンシターが倒れたその日、誰もが限界が来たのだと考えた。

 フィーネやジョージ、凝縮薬の開発に関わったことがあるギルベルトはもちろん、魔王国で国の舵取りの勉強をしていた隆司でさえ……サンシターの死を覚悟した。

 だが、一人だけそれを考えなかったものがいた。

 誰あろう、彼の妻である真子だった。


「……今、サンシターさんが生きていられるのは、やっぱりマコのおかげだよ……。マコが、必死になってサンシターさんの看病してるから……」


 サンシターがベッドから起きられなくなった後の真子の対応は、迅速だった。

 有無を言わさずサンシターから凝縮薬を取り上げ、代わりの薬を処方した。

 基本的な延命措置を施した魔法薬だったが、サンシターに対しては大した効果をあげなかった。

 だが、それだけで真子はあきらめなかった。

 自らが継承した混沌玉(カオス・オーブ)の中に詰め込まれたすべての知識、それをフル活用し、サンシターの延命問題へと取り組み続けている。

 その一方で、隆司と共に元々いた世界への一時帰還のための研究も続けているのだ。


「たまに、心配になるよ……。無理しすぎて、マコが倒れたりしないかどうか……」

「その辺は大丈夫だろ。マコの体は……こういう言い方はあれだけど、人間じゃねーんだ。やりすぎでぶっ倒れるなんてことは、絶対にねーよ」


 うつぶせたままのフィーネを慰めるように、ジョージがその頭をそっと撫でる。

 フィーネは黙ったまま、その暖かさを受け入れる。


「ん……そう、だけどさ……」

「何かあれば~、頼って~もらえるようには~言ってますし~、きっと~真子さんなら~大丈夫ですよ~」


 ジョージの言葉を後押しするように、アルルも笑顔でフィーネに言って聞かせる。

 フィーネはそんな二人の言葉を受け、少しだけ瞑目し、それから体を起こす。


「……うん、そうだね。マコは私と違って、自分の事、きちんとできるもんね……」

「そうそう。そんなことよりフィーネ様は、とっととジョージとくっつくべきなんじゃねぇの? ミミルの奴も、そのこと心配してたぜ?」


 雰囲気を払しょくするべくか、ニヤリといやらしく笑いながらフォルカがそんなことを言い出す。

 その言葉に、フィーネの顔が火が付いたのかと問いかけたくなるほど赤くなる。


「は、え!?」

「そう~そう~。もう~十年以上~一緒に~居るのに~、子供の~一人も~作らないなんて~、おかしいんじゃ~ないですか~?」


 さらに追い打ちをかけるように耳元で囁くミミルを振り払い、二人に抗議するようにフィーネはテーブルを何度も叩いた。


「い、いい、いいじゃないですかそんなの!? い、い、い、いつジョージと、そ、その、くっつくとか、皆には関係ないじゃないですかぁ!!」

「そこんとこ、どうなのよジョージ?」


 講義するフィーネを無視して、フォルカはジョージに問いかけた。

 その問いに対しジョージは、自らの首にかかっている首輪を軽く指で引っ張りながら、意地悪い笑みを浮かべる。


「いやほら。俺に決定権とかねーし。フィーネから言ってもらわねーと、基本的に俺は何にもできねーしさー」

「ちょ、ずるいいいいいい!」


 ジョージの言葉に、ついに涙目になるフィーネ。

 そんな彼女の姿に、その場にいるものが皆笑い声をあげる。

 さっきまで胸に抱いていた不安を、払拭するように。






 フィーネの許可を得て持ち出した本を胸に、ウェリアは一心に母の元を目指した。

 この王城には、アメリア王国を統治するアメリア国王夫妻や、この国に広く広まっている女神教の崇める女神、そしてその身の回りのお世話を行う神官たち、そして国を守る騎士たちと、多くの人間たちが暮らしている。

 ウェリアとその両親も、そんな風に王城の中で暮らしている者たちの一部だ。ウェリアは、両親の事は「アメリア王国を救ったことがある勇者」であると聞かされている。

 ……だが、そんな勇者の一人である父は今、死の危険に瀕している。

 まだ十年とわずかしか生きていないウェリアであったが、そのことをひしひしと感じていた。


「ただいまもどりました!」

「……ん、ああ。お帰り、ウェリア」


 ウェリアが暮らしているのは、王城の敷地の中でも少し隅の方にある小さな小屋だ。

 石造りで作られ、簡易ではあるが炊事場も完備されており、三人家族で住むには十分な大きさだと思われる。

 ウェリアが大きな声で叫びながらその小屋の中に入ると、机の上に向かって何かを書いていた母、琴場真子が顔を上げ、ペンを机の上に置いた。

 立ち上がりながらウェリアに近づいてきた真子は、怒ったような表情になりながらウェリアの頭をポンと軽く叩いた。


「でも、だめでしょ、そんな大きな声出しちゃ。お父さん、ついさっきようやっと眠ったんだからね?」

「あ……ごめんなさい。気を付けます、母様」


 母の言葉に、ウェリアはハッとなり、すぐに謝罪した。

 そして視線を一枚のドアの方へと向ける。

 そこは今は三人一緒に眠っている寝室であり、日中はウェリアの父、サンシターが体を休めている部屋でもある。

 本を抱え直しながら、ウェリアは母の様子を窺った。


「それで、あの……父様の御容態は……?」

「心配しなくても、大丈夫よ。眠ってる間に体を癒す薬を飲んだから……まあ、副作用であんまり眠くならないんだけど」

「そうですか……」


 ウェリアは小さく頷きながら、テーブルへと駈け寄りその上に抱えていた本を載せた。


「それで、母様。今日はこの本を読んでいただきたいんです」

「んー? どれどれ。……って」


 真子は見覚えのある表紙を見て、顔をしかめる。


「やだ、これ死霊術系の禁呪の書いてある本じゃない……。誰がこんなの貸してくれたの? 詰所の外には持ち出さないようにって、決まってるはずじゃない」

「フィーネ様が、特別に貸してくださいました」

「あのバカ……」

「それで、母様」


 頭を抱える真子に、ウェリアは乞う。


「今日は、これを読んでいただきたいんです」

「……あんたに魔法を教えるのは、アルルの役目だったと思うけど」

「はい……」


 目を瞑りながらそう言う真子に頷きながら、それでもウェリアは乞う。


「あくまで、読んでいただきたいだけです。中身を教えていただきたいとか、そういうんじゃなくて、興味があって……」


 矢継ぎ早に続けようとするウェリアに手のひらを差し向けて遮り、真子はトントンと魔導書を指で叩く。

 ウェリアを見る目は、どこか冷たささえ感じさせるものだった。


「なんでこれに興味を持ったの? これは、死んだ生き物を動かすための魔法よ」

「それは……」

「……お父さんが死んだら、これで動かしたいからかしら?」

「違います!! そうじゃないんです……」


 自分の心を斬り裂くような冷徹な声を聞き、ウェリアは必死に首を横に振る。

 十年ちょっとしか生きてこなかったが故に不足する語彙を必死にかき集め、自身がどうしてもやりたいことを、母に伝えようと頑張る。


「私、父様にもっと生きていてほしいんです……それで、あの、私も、頑張って父様に生きていてほしいんです……!」

「………」


 ウェリアの言葉に、真子は黙ったままだ。


「私、まだ、何も知らないから……。母様みたいに、いろんなことを知ってないから、父様に何をしてあげられるのかわからなくて……。だから、少しでも早く、たくさんの事を知って、父様に何をしてあげられるのか、考えて、だから……!」


 ……ウェリアにとって、父は偉大な存在だった。

 気が付いた時にはベッドの上で、じっと横になっていることしかできない人であったが、そんな人の元には毎日のようにたくさんの人が訪れた。

 皆一様に何かを手に持ちやってきては、父といろんな話をして満足そうに帰っていった。

 かの魔王国の竜王魔王夫妻でさえ、その手に土産を持ち、父と話をするためだけにこの国を訪れることがあった。

 ……そして。


「だから……だから……!」


 父は毎日のように学び、遊び、そして生きる自分の事を、まっすぐに見つめていてくれた。

 多くの者たちは、城の中で暮らす自分の事を「勇者の娘」としてみる。

 多くの者が、自分に頭を垂れ、敬い、そして大切に扱ってくれる。

 そして母は、そんな自分の事を「愛娘」としてみてくれる。

 多分に厳しく、そして優しく自分を導き、誤ったことをしないように見てくれている。

 けれど父は、自分を「琴場ウェリア」としてみてくれる。

 自らの「娘」であり、王城で学ぶ「見習い魔導師」であり、小さな「女の子」である……一人の個人、「琴場ウェリア」として父は自分と接してくれていた。


「だから、私……!」


 幼くとも、ウェリアは自身の父が偉大であると感じ取っていた。

 それは力が強いのでも、誰よりも賢いのでも、偉いのでもない。

 ごく当たり前に、全てを受け入れてくれる、その包容力。

 偉大な「父親」である父に、ウェリアは少しでも長く、長く、生きてもらいたい。

 そう口にしようにも、感情に振り回され、うまく口は回らない。


「……はぁ、わかったわよ」


 けれど聡明な母は、そんな愛娘の心情をしっかり受け取ってくれていた。

 ポンと頭の上に優しく置かれた手のひらにハッとなり、顔を上げると、そこには優しげな表情の母親の顔があった。


「そこまであんたに心配してもらって、サンシターも嬉しいでしょうね……」

「母様……」

「あんたの気持ちに免じて、いつかはこの本、読んであげるわ」


 そう言いながら真子は魔導書を手に取る。

 が、軽く手首を返して、魔導書をどこかへと飛ばしてしまう。


「あ」

「ただ、これはあんたにはまだ早いわ。年齢がどうとかじゃなく、中途半端な知識で読んでも、得られるものなんてないわ。わかるでしょう?」

「……はい」


 真子の言葉に、ウェリアは首を垂れる。

 そんな娘の姿に苦笑しつつ、真子は別の魔導書を手の中に出現させた。


「代わりに、今のあんたのレベルに合いそうな魔導書を読んであげる。その中身をきちんと理解できるかどうかで、アルルの今後の授業のレベルをどうするか考えてもらうことにするわ」

「! はい、わかりました!」


 真子の言葉に、ウェリアは力強く頷き、椅子の上に座る。

 そして真子は、真剣な眼差しで自分を見つめてくるウェリアの対面に座り、魔導書をウェリアに見えるように開いておいた。


「それじゃあ、いくわよ――」


 そして、しばらくの間、琴場家の中で日課となる、魔導書の読み聞かせがゆっくりとはじまるのであった。






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「ただいまー」


 娘を魔王国に残した真子は、そう言いながら王城の中に間借りしている自分の家の中へと足を踏み入れる。

 手に持った買い物袋をテーブルの上に置き、まっすぐに奥にある扉へと向かった。


「サンシター、起きてるー?」


 そう言いながら、扉を開ける真子。

 その向こうでは、ベッドから体を起こし、膝の上に載せた本をゆっくりとした手つきで読む、サンシターの姿があった。


「あ……マコさん。お帰りなさいでありますよ」

「あーもー、またその本読んで……。今のあんたの体力じゃ、その本を膝の上に載せてるだけでも結構なダメージだって言ってるでしょうに」

「そう言いましても、続きが気になってしょうがないのでありますよ……」


 真子の言葉に申し訳なさそうな顔になるサンシター。

 頬がこけ、手足は骨そのものではないかと疑いたくなるほど細く、着ている服の裾から覗く体もあばら骨が浮いて見えるほどに痩せこけていた。

 肌なども病的なほどに白く、血の気があるかも疑わしいほど。

 そんな姿でも、彼はにこやかに笑い、しっかりとしゃべり、真子を見つめる。


「それで……実験は成功したでありますか?」

「ええ。ちゃんと、あの子たちはあいつらの喫茶店の開店日に立ち会えたわ」


 サンシターの膝の上から“異世界ラブコメ大作戦”と銘打たれた本を取り上げながら、真子は寝室の片隅の椅子を足元に寄せ、その上に腰かける。

 子供のように目を輝かせるサンシターに、今日の実験……予測した時間への時空転移の結果を話して見せた。


「特に問題もなく、安定もしてるって。向こうでデータをまとめさせてるから、今後は安定した転移ができるかどうかに焦点を当てられそうよ」

「そうでありますか……」


 真子の言葉にサンシターは遠い目をしてどこかを見つめる。

 それはかつて、自国を救ってくれた英雄の姿を幻視しているように見えた。

 が、そんな姿も数秒と持たずに崩れ、真子の次の言葉を促した。


「それで、お二人は元気だったでありますか?」

「それは前々からの実験でもわかってることだけど……相変わらず元気みたいよ? しかもやっと子供ができたんだってさ」

「おおー! それはおめでたいでありますね!」


 真子の言葉に、サンシターは自分の事のように喜びの声を上げた。

 ほっそりとした手のひらを打ち合わせる。


「とうとう、コウタ様とレミ様にもご子息ができたでありますね……」

「まあ、めでたいけど、何も喫茶店始める前に仕込まなくてもってあたしは思うだけどねぇ」


 そんな夫の姿に苦笑しながら、真子は小さくため息をつく。

 子育ての大変さを知るが故の、母親の顔で真子は続けた。


「小さいころなんて、目を離すことなんてできないってのに……大丈夫なんでしょうね、あいつら」


 親友夫婦を心配する真子に、サンシターは申し訳なさそうな顔になった。


「……すいませんであります、マコさん」

「なによ急に」

「その大変な時期に、自分は……」


 そう言って謝罪を続けようとするサンシターの額に手を当て、そのままゆっくりとその体をベッドの上に押し倒した。


「駄目よ、サンシター? あんまりそんなことを言うと、私ブチギレるからね?」

「は、はいであります……」


 凄味のある笑みでそう告げる真子に、サンシターはカクカクと頷くことしかできない。

 そんなサンシターの様子に満足そうにうなずいた真子は、そっと彼の額から手を離し、椅子から立ち上がる。


「それじゃあ、少し寝ときなさいよ。あの子が帰ってきてご飯食べるとき、ちゃんと起きてられないわよ?」

「ああ、そうでありますね」


 真子の言葉にサンシターは頷き、そのまま瞳を閉じる。


「あまり心配もかけられないでありますからね……それでは、少し眠るでありますよ……」

「ええ。お休み、サンシター……」


 真子の言葉を待たずに、サンシターはすぐに寝息をたてはじめる。

 そんな夫の姿に小さく微笑み、真子は寝室を出る。

 そしてテーブルの上に置いた買い物袋の中身を出しながら、小さくつぶやいた。


「……少しずつだけど、やっぱり起きてる時間が短くなってるわよね……」


 ここ最近のサンシターは、眠りが浅く短く……それでいて起きていられる時間が極端に短くなってきていた。

 僅かに起きては眠り、また少し起きては眠り……といった生活を繰り返しているのだ。

 そして、起きている時間をすべてたしたとしても、以前の半分にも満たない時間しか、彼は活動できなくなってきていた。


「……もう、限界なのかな……」


 買い物袋の中から中身を出す手が止まり、俯き、そしてその瞳に涙があふれる。

 その瞳から涙があふれる寸前。


「だーれにゃ?」


 もふっとした手に目を覆われ、涙が引っ込む。

 モフモフの毛並みは柔らかく、気持ちの良いものだったが、聞こえてきたのは野太い男の声だった。

 少しイラッとした真子は、険を含んだ声で答えを言った。


「……なんか用、ドラ?」

「ちょ、こわぁ!? ちょっとしたお茶目ですにゃん! 許してほしいにゃん!」


 真子の言葉に殺気を感じでもしたのか、その顔から急いで手を外した一人の猫耳少年は素早く真子から距離を取った。

 ウェリアと同い年くらいの虎猫耳を付けた少年だ。名前はドラ。ミミルとフォルカの息子である。

 ミミル譲りの軽いノリを引きずる少年に、真子は冷たい眼差しを投げかける。


「ニャン語尾は女の子の特権よ……。男がそんな語尾つけてもかわいくないのよ……?」

「ニャン語尾、マジ不評!! 何故に!? この間もウェリアにはっ倒されたし……」

「はっ倒されたんかい。どんな状況だったのよ……」


 ドラの言葉に呆れつつ、真子はドラの来訪の意味を問う。


「で、どうしたのよ、急に」

「いやー、親父もお袋も何度目になるかわからない夫婦水入らず小旅行に出かけちゃって……ミンともども、ご相伴にあずかれませんかなー、と思って」

「あいつら、相変わらずの仲の良さね……」


 ため息をつきつつ、真子はドラに頷いて見せる。


「まあ、別にいいわよ。二人増えるくらい、どうってことないし」

「ほんとに!? っしゃ、ミンにも伝えてきますねー!」


 ドラは嬉しそうに飛び上がり、家を出ていく。

 そしてその途中振り返り、真子の方を見つめてきた。


「ああ、そうそう真子さん」

「なによ」


 驚くほどに真剣な眼差しで、ドラは真子に告げる。


「――諦めるなんて、らしくないですよ? どうせなら、最後まで頑張ってくださいよ」

「……あんた」

「――と、お袋なら言ったと思います。それに、ウェリアだって頑張ってますしね。まだまだですよ、サンシターさん!」


 それじゃあ!とドラは外へと駆け出していく。

 そんな彼の背中を見送り、真子は自虐的な笑みを浮かべて見せた。


「ったく、ミミルに似ておせっかいよね、あの子……でも、そうよね……」


 真子はちらりと家の中に据え置かれた本棚に目を向ける。

 その中に納められているのは、真子と一緒にウェリアが読破していった魔導書……その写本たちである。

 本棚に近づき、娘の成長の軌跡たちの背表紙を撫でながら、真子は呟いた。


「ウェリアだって、あきらめてない……。なら、あたしがあきらめるわけにはいかないわよね……」


 声に出し、決意を固め、真子は力強く頷いた。


「――そうと決まれば、今夜は腕によりをかけますかね! どうせなら、ウェリアたちが驚くくらいに!」


 そう叫びながら、新たな献立のための買い出しに向かう真子。

 少しでも、前を向いて生きていくために。

 少しでも、サンシターと素敵な時間を過ごし続けるために……。




 そんなわけで、サンシターもとい真子さんとその周辺のその後です。

 サンシター、大体ウェリアが生まれる前後くらいから体に不調を覚え、その後は一気に衰弱していってしまっております。

 凝縮薬の効果が通用しなくなった、っていう感じでしょうか。その後は服用をやめ、何とか体質を改善しようと真子が努力しているんですけれど、もはやサンシターの体は絞りかす同然となっており、何ともしがたい感じです……。

 ですが、それはあくまで肉体面での話。精神面は何一つ変わらず、相変わらずサンシターです。たぶんこの人死の直前においてもそのまんまです。

 きっとウェリアに子供ができる辺りが本当の意味での限界となるんでしょうけれど、その時まで、サンシターはしっかりと生きていきます。最後まで、人間として……。

 しかしなんか、真子のその後っていうか、サンシターのその後っていうか……。なんかよくわからん感じになってますねこれ。うぅむ。

 皆さまの御期待に添えられたか不安を覚えつつ、それではー。


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