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壺中奇譚

作者: 青椒


 五年ほど前の、秋の頃だった。休暇中で特にやることもなく、私は通っていた大学の近くをぶらぶらと歩いていた。下宿前の大通りを曲がると、いつもは静かな通りがなにか騒がしかった。どうやら骨董市が開かれているらしい。私は何の気なしにその骨董市を見ることにした。

 道の両脇に敷かれたござの上に、骨董品がところ狭しと並べられている。ボトルシップ、薄汚い油絵、飾り棚、古い仏像まであった。日は落ちつつあった。西日に照らされて、骨董品は普段よりも美しく見えた。あたりが薄暗くなっていくにつれ、人通りは増えていった。

 私は人ごみに流されるようにして先に進んでいった。ふと、小さな壷が目に留まった。二十センチほど高さの、美しい青磁の壷である。価値があるのかないのか、本物なのか偽者なのかといったことはさっぱり判らなかったが、埃にまみれたそれは奇妙なまでに魅力的であった。

 表面は滑らかで、どこかのっぺりとした印象を受ける。用途は何だろう。何かの飲み物を入れるのだろうか。花瓶かも知れない。あるいはこれは――骨壷だろうか? 頭に浮かんだそんな考えを私は笑って振り払った。骨董品には明るくない私でも、骨壷がこんな形をしていないことぐらいは知っている。十中八九、鑑賞用の中に何も入れない壷だろう。壷は入り口付近が最も太く、そこから下に行くほどにゆるやかなカーブを描きながら細くなっていた。高さの割りにやや細身の壺の口からは、吸い込まれるような暗闇が覗いている。

 私は中を覗いてみたくなった。

 その場に屈み、そっと目を近づける。しかし、入り口が狭いせいだろうか、いくら目を凝らしても、底はさっぱり見えない。

 突然肩を叩かれ、私は我に帰った。振り向くと、知らない老人が立っていた。年のころは70ぐらいだろうか、よれよれの着流しを着て、長い白髪を後ろで括っている。着物の袖から覗く手は針金のように細い。頬がこけ、深いしわが刻まれた顔には生気がなく、ただ目のみがぎらぎらと光っていた。

 老人が口を開いた。

「その壺は私が作ったんだ」

「綺麗な壺ですね」

 私はつぶやいた。

「良かったら私の工房まで来ないか。面白いものを見せられると思う」

 老人は軽く手を振ると、すたすたと歩き出した。私は吸い寄せられるように彼について行った。

 日はもう落ちてしまっていて、あたりは薄暗くなってきていた。露店の裸電球に火がともる。人通りは増える一方で、私は老人を見失わないので精一杯だった。通りを抜けると、少し人が少なくなった。迷路のように入り組んだ道を、老人は迷わず進んでいく。街の喧騒は遠くなり、やがて人の声はまばらになった。

 彼は街を抜け、裏山のほうに入っていった。あたりは暗く、薄暗い街灯に羽虫がたかっている。人の気配はなく、田んぼの間にぽつぽつと人家の明かりが見える。

 大きな家の前で、彼は立ち止まった。おそらくここが彼の家なのだろう。夕闇の中で、この家は異様な雰囲気を醸し出していた。毛筆で書かれた「坪内」という表札が、歴史の重みを感じさせる。奥のほうには、凝ったつくりの庭園が見えていた。

「我が家へようこそ」

 彼はしわがれた声で言った。


 門をくぐると、庭園の全貌を見渡すことができた。門から玄関まで飛石が続いている。左手に小さな池があり、緋鯉が一匹所在なさげに泳いでいる。池の前には、倒れて苔の生えた灯籠がじっと横たわっていた。雑草は生え放題で、ずっと放置されてきたように見える。よく見れば、屋敷のほうもかなり痛んでいて、人の住んでいるような感じは受けない。

 玄関先に目をやると、老人が手招きしているのが見えた。私は急いで飛石を渡り、玄関に向かった。

 玄関口はせまく、裸電球が一つあるだけでとても薄暗い。薄暗く照らし出された老人の姿は、どこかこの世のものとは思えなかった。

 老人が口を開いた。

「なかなかいい家だろう。私は生まれたときからずっとこの家に住んでいるんだ」

「古そうな家ですね。いつごろ建てられたものなのですか?」

「よく分からない。祖父はこういう荒れた家が好きでね。彼がこの家を買ったんだ。これでも、住むときにかなり手直しをしたそうだ」

 老人は廊下の奥に向かって歩き出した。一歩ふみだすごとに、床が不快な音をたてて軋む。廊下の天井にぽつぽつと点った裸電球が唯一の光源だった。廊下の両脇の漆喰は黄ばみ、ところどころひび割れている。しばらく進み、右手のふすまを開けると、工房のようなところに出た。

 部屋の中は、壷で埋め尽くされていた。一メートルはありそうな大きなものから、十センチほどの小さなものまで、ありとあらゆる大きさの壷が部屋中に置いてある。これほどの壷を一気に見たのは初めてだった。整然と並べられた壷は、どこか不気味だった。私は何かのホラー映画で見た、部屋中に市松人形が飾られた部屋を思い出す。

「これ、全部あなたが作ったんですか?」

 私は聞いた。

「ああ。壷が好きなんだ」

 彼はこともなげに答えて言った。

「わざわざここまで来てもらったのは、こんなものの為じゃない。ついてきたまえ」

 彼は壷を退けて部屋の奥まで行き、襖を開けた。

 奥の部屋には、大きな壷が一つ置いてあるだけだった。照明はなく、南向きの窓から、月明かりがさしこんでいる。

 その壷は大人一人がまるごとはいってしまいそうな大きさで、表面は透き通るように白く、一面に黒い染料で幾何学的な模様が描かれている。口は堅く封印してあった。月明かりに照らされたそれは、今までに見たどの壷よりも奇妙だった。

「これもあなたが作ったんですか?」

「いや、これは祖父が中国で買ってきたものだ。なかなか綺麗だろう?これには、面白い逸話があるんだ」

 彼は楽しそうに言った。

 何か、いやな予感がする。

「この壷が作られてもう二百年近く経つが、この壷を見て長生きした人はいない。遡れる最初の持ち主は中国の成金だが、彼はこの壷を手に入れてすぐ失踪している。その次の持ち主も、大体同じ運命を辿った。この壷は絶対に覗きこんではいけないんだ。それでも皆何かの拍子に中を覗きこんでしまう。一度でもそうすれば終わりだ。吸い込まれて、戻ってこれなくなる」

 老人はささやいた。

「そんな馬鹿なことが、あるわけないでしょう。第一これは、大の大人が何人も入れる大きさじゃない」

 老人は笑って続けた。

「中にはこれを作った陶工が入っていて、それが頭を中に引き込むらしい。誰にも評価されずに死んだ怨念でね。これを買ったときに、その店の店主が教えてくれたらしい」

「確かめてみたんですか?」

「いや」

「まさかそんな話を信じてるわけではないですよね」

「まさか。ただ気が進まないだけだ。何となく惜しくてね。ひょっとしたら私も、これを覗きこむのが怖いのかもしれない。折角ここまで来たんだ、君が開けてくれないか?」

 老人はたった今思いついたかのような口ぶりで言った。端からこれが目的だったのではという考えが脳裏を掠めた。自分の作品を見ている者を自宅に招いて、いわくありげな壷を見せる。頭を押して驚かすぐらいのことはするかもしれない。暇を持て余した老人の、ちょっとした遊び。私は少しの間、彼に付き合ってやることにした。

「本当にいいんですね? では」

 そう言うと私はその壷の結び目を解き、蓋を開けた。

 全く何も見えないので、私は顔を近づけた。かすかに、妙な臭いがした。なんともいいようのない、丁度腐った肉のような――

 私はぎょっとしてふりむいた。必死で老人の姿を探す。しかしそこには誰の姿も見えなかった。頭に何かが触れる。私の頭は恐ろしい力で壷の中に引きずり込まれていった。大声で助けを求めたが無駄だった。くぐもった叫び声が、狭い室内で反響する。

 耳元でからからと笑う声が聞こえた。もはや私の頭は壷の中に引き込まれてしまっている。必死に暴れたが無駄だった。月明かりが差し込み、ミイラ化した頭蓋骨が見えた。私の肩と壷の口が当たって鈍い音を立てる。

「これは夢だ…」

 私はしわがれた声で呟いた。

 そう、これは夢だ――


 そこで、私は目を醒ます。

 いつのまにか、私は青磁の壷の前に戻っていた。

 壷を覗きこんでから、どれくらいの時間が経ったのだろう。店の主人らしき男が私を怪訝そうな目で見ていた。暫くその壷を眺めた後、私はゆっくりと立ち上がった。沈みかけの西日が眩しかった。

 あれから随分経った今でも、私はミイラ化した彼の姿をいまだに忘れることができないでいる。暗い壷の中で、彼は幸せだっただろうか。

 きっと、そんなことはどうでもいいのだ。

 所詮、夢の中の話である。<了>

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