ゾンビが出た時どうするか
西暦20☓☓年、世界はゾンビ化ウイルスに包まれた!!
「キャーゾンビよー!」
「あ゛う゛あ゛う゛あ゛〜」
社会は割れ、常識は裂け…あらゆる人間がゾンビ化したかに見えた…。
だが!!
若者は感染していなかった!!
「あ゛〜」
「うわっゾンビいんじゃんキモ」
「ねーちょっと男子ー早く警察呼んでよねー。
あたしインスタ見てんだからさー」
「じゃあ警察来るまでオレが抑えとくか…うわ噛まれた痛ってー!」
「マジウケる。
お前ゾンビになんじゃね?」
「ア゛ーってか?」
「あははははっ!」
人は無害な相手には強気なものだ。
10代の学生服集団にとって野良ゾンビは蜜蜂未満の脅威度だった。
対話不能で食い殺しにくるくせに殺せばきっちり殺人罪に問われるという無敵の存在ではある。
しかし逆に言えば法律以外これといった武器が無いのだ。
噛み跡は放置すれば何かしら悪化はするだろうが、とりあえず今の所若者がゾンビ化した例は無い。
アナフィラキシーで死んだ例も。
そもそもヨタヨタ歩きしかできないほど力が弱いのでまず噛まれないし、中学生程度の体力があれば振りほどけないなんて事も無い。
痛い。
邪魔。
現実のゾンビはこの二言で済む存在だった。
赤の他人にとっては、だが。
先日、母親がゾンビ化した事を警察から告げられた。
路上を徘徊している所を保護したのだという。
ゾンビには基本的人権が認められている。
殺しちゃいけないのはもちろんの事、扶養義務まで発生する。
夫すなわち私の父は既に亡くなっているため、長男の私あてに連絡が来たわけだ。
「は?
お義母さんの世話?
嫌よ」
妻は赤の他人になりたがった。
「しかし…私には仕事があるし…」
「わたしにだって家事があります。
なによ、仕事って言ったって1日中外に居るわけじゃあるまいし、家に帰ってからお世話すればいいだけの話でしょ。
こっちなんて1日中家に居るのよ?」
家に帰れるのが楽というニュアンスの後に家に居るのが辛いというニュアンスで続ける妻。
わけのわからん破綻だが、だからこそ妻が絶対に承服しない事だけは理解できた。
「それに子供たちの事だってあるし。
もし噛まれたらあなた責任取れるの?」
説得を諦めたところへ追撃され、私はついに単身母の世話を努める覚悟を決めた。
しかしどこか…納得に似た喜びがあった。
若い頃は数々親不孝を重ねてきた身だ。
しかもそれと知らずに。
親目線に至った今、これで恩返しができると明るく考えていた。
母と再会するまでは。
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
開口一番、獲物を見つけた歓喜の雄叫びを上げるゾンビ。
口を裂けんばかりに開け、涎をとめどなく垂らし、届きもせぬ牙をガチガチ嚙み鳴らす。
私を食べているつもりらしい。
歯応えの無さにも檻の妨害にも気付かず、ひたすら口を動かしていた。
「あの…これが本当に母なんですか?」
警察の担当者に尋ねる。
信じられなかった。
言われてみれば背恰好に面影があるくらいで、私はこんな大口開けた生き物に心当たりはなかった。
「あーねー、皆そう言うんですよ。
ですからDNA鑑定に協力して頂いてるわけで」
手元の鑑定用紙に視線を落とす。
量子コンピュータが3秒で導き出したデータ。
もう10回以上見たが銭ゲバ企業の作ったガチャ画面より変化に乏しい。
今日から陰謀論者になってしまいそうだ。
「はい、じゃあ檻を開けますんで、このリード持って待機してて下さい」
「えっ!?
あのっちょっ、ちょっと待って!
いま入ってるそのちょうど良さそうな檻とか拘束具とか貰えないんですか!?」
「こういうのもタダじゃないんでねー。
いやわたしはいいんですよ?
でもまあ上がね…。
それにさ、ゾンビなんかに税金使うなって文句言ってるのはあなた方なんだから自業自得ですよ」
私は一言もそんな発言をしていない。
ただ国民とは多数決の結果で一括されるものだ。
ここで私がいかに少数派であるか熱弁したとて国民な事に違いは無い。
「お母さんなんですから。
大切な命なんですから。
大事にしてやってください」
私は母に噛みつかれながら施設を後にした。
警察の誰も母を止めなかった。
私の価値はゾンビ未満のようだ。
実際ネット上ではゾンビこそ上級国民と揶揄されている。
他人を食い殺しても許される王様だと。
帰りにドンキホーテで拘束具を買い、ネット通販で檻を注文した。
母が涎をまき散らす範囲は近日中に限定されるだろう。
「む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!
む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!」
拘束した母をひとまず床に転がしておく。
何度となく踏みしめた実家の床。
安らぎの象徴だったはずのその足場で狂ったように…いや狂って身悶えし続ける母。
早くも心が折れそうだ。
期待していたような母子の情など微塵も無い。
人対人ですらない…。
そこにあるのは捕食者とそれを世話する被捕食者という倒錯した関係だけだった。
明るい材料は会社と実家の距離がさほど遠くない事くらい。
もう何も考えるまい。
何の解決にも改善にもならない。
今日は全て忘れて眠る事にする。
懐かしい実家の匂いと使い古されたせんべい布団が今を押し流すのを手伝ってくれた。
「む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!
む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!」
「うっ」
翌朝…母の部屋を開けた瞬間、治安の悪い公衆トイレの匂いが鼻を刺した。
見た目は特に変化は無い。
しかし何が起きたのかは即座に理解できた。
母が大小便を漏らしたのだ。
いや、この表現だと理解にはほど遠いか。
ゾンビにはトイレもモラルも恥も無い。
母が自由に、したいからしたいように、出して当然のものとして大小便を出したのだ。
保護された服装のまま、拘束具を着けたまま。
私は会社に遅刻する旨連絡した。
夜まで会社で働き、オムツを買って帰る。
最初から買っておくべきだった…とは思わなかった。
母のクローゼットが空になるまでは服を捨てるかオムツを捨てるかの違いでしかない。
いつもの部屋着も、買い物に出かける時のおめかしも、父からプレゼントされた思い出のワンピースも、全て食えないゴミになってしまったのだから。
母の宝物を全て処分したとて、もう誰からも文句は出ないのだから…。
「これ…覚えてる?」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
試しに口の拘束を解いて母愛用の湯呑みを見せてみると、母は私を食べようとした。
私が小学生のころ図工の時間に作ったものだ。
捨てるよう繰り返し注意してきたが、今となっては何の遠慮もいらぬようだ。
2日後、念願の檻が到着した。
さっそく組み立てる。
「どう?」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
拘束具を解いた母を入れ感想を聞くと、母は私を食べようとした。
使ってみて確信したのだが、明らかに拘束具のほうが楽だ。
がむしゃらに噛みつこうとするので涎はあちこちに飛び散るし、組み立て式即ち解体前提の檻は強度面での不安が大きい。
ゾンビの拘束を解き自由に動ける空間を与える行為は人間にとって不都合以外の何物でもなかった。
しかし私は満足していた。
もし…もし、万が一ゾンビ化から回復する方法があるのだとしたら、拘束より自由度の高い檻生活のほうが近そうに思えたからだ。
わかっている。
ゾンビが人間に戻るのは不可能とされている。
研究は続けられているが世界的に例が無い。
可能性はゼロなのだ…万が一、だなんて希望的観測が過ぎる。
だがそれではあまりに救いが無かった。
絶対に救われぬという絶望はゾンビの世話にも勝る苦痛であった。
この世に救いが有り得ぬなら、私の中に創作するしかないではないか。
私は檻の存在に気づきもせず暴れる母を眺め、ほんの少しだけ癒された。
出社前、母に食事を与える。
ゾンビは肉食だ。
それも生肉を好む。
生きた人間が襲われる所以である。
だが顎の力も嚥下力も弱いため柔らかい物を選ばなくてはならない。
視力も弱く判断力に至っては存在しないとされているほどなので、保護者が手ずから食べさせなくてはならない。
無論、変な物を与えてゾンビが死ねば司法は殺意を認める。
「おいしい?」
「ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ…んぐえっ。
どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
セールのゾンビ用肉を菜箸で口へ持っていき感想を聞くと、咀嚼を終え飲み込んだ母は私を食べようとした。
帰社後、母を拘束し直し、オムツを処理する。
「…オエッ!!
オゲッ…!!」
二重のマスク越しにも匂い、えずく。
食性ゆえか内臓の問題か、ゾンビの大小便は壊滅的な悪臭がする。
ゾンビが人の役に立ったとされる逸話は聞いた事がないが、とりわけ便に関しては他者を害するため特化したとしか思えぬ悪意の塊であった。
それを専用の袋に収め、きつく縛る。
ゾンビでもロボットでもない私の腕は感情任せに荒々しく働いた。
悪への怒りを善だとするなら、それは悪の敵ではあっても人の味方ではないのかもしれない。
善意に支配された状態は心地良さとは程遠かったからだ。
ブヂュッバビュリボッ……
その時。
新しいオムツを着ける前、丸出しになった母の肛門から、茶褐色の汚物が勢いよく飛び出し畳に転がった。
ゾンビにはトイレもモラルも恥も無い。
当然、世話をされている認識も世話人への気遣いも無い。
出したくなったら出す。
「あ…」
私の口から気の抜けた声が漏れる。
自分でも何の『あ』なのかわからない。
ただ、全身の善意が噴火した事は明らかだった。
「なんっっっっで!!
なんで今なんだよ!!
わかってやってんのか!?
嫌がらせか!?
ええ!?」
「む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!
む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!」
私が地団駄踏んで怒鳴ると、母も興奮して唸り返した。
たぶん私を食べたいのだろう。
私は善意の拳を固く握りしめ…やり場をなくし、悪意の塊と同じように畳上へ落とした。
風呂場で母の体を洗う。
拘束具を着けたままでは洗えないので、口以外全ての拘束を解いている。
「む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!
む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!」
興奮し暴れる母。
目は激しく血走りぐるぐる動き常に白目がち。
恐らく何も見てないし視覚情報から判断する能力が無い。
研究によると肉っ気を嗅ぎ分ける嗅覚と生命を聞きつける聴覚がメインだという。
さっきから手足を振り乱しているのも近くに察知した生命を捕えるためであろう。
「いてっ!!
いてっ!!
やめろっ…やめろって!!」
ゾンビはひ弱だが、人骨には違いない。
人並みに硬いし重い。
指先はどこまで深爪しようがそれなりに鋭い。
そんなものが子供の全力程度に振り回されれば健康を害するに充分である。
ましてや受ける相手が人間なら尚更の事。
人間は柔らかいのだ…眼球に鼻穴耳穴、金的だってある。
平均的な中年男性の私はあちこちに打撲と引っかき傷を負いながら、背後から手桶の中身を浴びせた。
ビタッ…ビタビタビタビタビタッ…
明らかに手桶とは異なる流れの水音。
黄ばんだそれは母の両足の間に着地していた。
お湯で温まって催したらしい。
たちまち風呂場が悪意で埋め尽くされていく。
ダメだこりゃ…私は一旦外へ出て、全ての拘束具を抱え戻ってきた。
洗う部分以外全部を拘束し、1箇所ずつ洗っていくようにする。
右腕、左腕、右足、左足、背中…。
どこも加齢に加え生肉しか食べない食生活でボロボロにくたびれている。
小学校低学年の頃の記憶とは到底結びつかない。
当たり前だ…人は老いる。
当たり前なんだ…しかしいくら言い聞かせても、そんな大人の理屈で子供を慰められはしなかった。
「ふーーーーーっ……」
天を仰ぎながら溜め息。
ノートPCのモニターには7〜8桁の数字が並んでいる。
老人ホームならぬゾンビホームのひと月分の料金である。
藁を求めてたわしを掴んだ気分だ。
グッと握りしめたそこには救いでなく拒絶の痛みがあった。
母を引き取りに行く直前に確認した際よりおよそ1.3倍の値に釣り上がっているとは。
噂に聞いてはいた。
従業員がものすごい速さで離職するので慢性的な人手不足だと。
ゾンビは常に食料を求め全力で動いているため代謝が激しく、よく食べ、よく出す。
専門で世話をするとなればそれは生肉と糞便との1日中に渡る格闘を意味する。
これが畜産ならいい。
牛や鶏とは会話不能だが人を食おうとはしない…少なくとも食人のためだけに生きてはいない分愛嬌もあろう。
育児ならなおいい。
右肩上がりの成長と親愛を楽しめる。
だがゾンビ相手では…しかも赤の他人では、捕食者の糞便処理に人生を捧げる気にはなれないのだろう。
無理からぬ話だ。
実の息子でさえこうして投げ出そうとしているのだから。
1年働けば一生遊んで暮らせるとしても見合うかどうか怪しい。
母が絶えず常にゾンビのままなので、試しに外出させてみる事にした。
といっても犬みたくリードを着けて散歩とはいかない。
母が通行人を襲えば私の監督不行届だ。
走る檻のような絶対に手出しできぬ環境を用意する必要がある。
私は車に悪意の香りが染み付かない事を祈りつつ、口を除き拘束した母を後部座席へ乗せた。
「そういえば…母さんと二人でドライブなんて初めてだな」
私が幼いうちは父の運転だったし、長じてからもわざわざ車に乗せる理由が無かった。
母は遠出を好まなかったし、ずっと健康だったから。
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
母も感動したのか、私を食べようとした。
思い出の地を色々と巡ってみる。
「うわー懐かしいね。
俺が通ってた小学校だよ。
ほら、運動会の時はあの辺に座ってさ、みんなで弁当食ったよね。
今だから言うけど、あの母さんの弁当大好きだったんだ」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
母も感動したのか、私を食べようとした。
「ここ、昔は映画館があってさ…母さんがアニメ見せに連れてってくれたよね。
俺も親になったからわかるけど、正直退屈だったろ?」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
母も感動したのか、私を食べようとした。
「おーこのラーメン屋!
まだ潰れてなかったのか!
月2回くらい来てた店だよ!
みんなラーメン食ってるのに母さんだけいっつも中華飯でさ、当時からおかしいおかしいって思ってたけど、やっぱり今でも母さんほどラーメン嫌いの人間に会った事無いよ!
ははは!」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
母も…いや、もういい。
こんなの会話じゃない…ただの切り取りだ。
実際はこちらの呼びかけに関係無く雄叫びを繰り返している。
母は返事なんてしてない。
何も見てない。
何も考えてない。
目の前から来る生肉の匂いに興奮し全力で首を伸ばしているだけだ。
私の、いや生命の音源に喰らいつこうとひたすら歯を嚙み鳴らしているだけだ。
「母さん…頼むよ。
一言でいい。
ひとつでいいんだ。
母さんだって…思わせてくれよ…」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
視界が歪む。
プールの中から運転してるみたいだ。
仕方なくコンビニの駐車場に止まり休む。
やがて車中に悪意が充満しはじめたので、吐き気をこらえながら実家へハンドルをきった。
絶望が絶望である事を確認する2年のあと。
待ちに待った瞬間が訪れた。
《…ニュースに続きまして次のコーナー。
明日から施行が開始されるゾンビ対策法、もう一度おさらいしておきましょう…》
ついに抜本的ゾンビ対策が官民一体で行われる。
政治を統べる重鎮たちがこの2年で軒並みゾンビ化によって退陣し、急ピッチで改革が進みだしたのだ。
新しく音頭をとる若者たちは赤の他人のため親身になる事を己に課しているのか、ゾンビ対策を喫緊の課題と位置づけていた。
ゾンビの安楽死が認められるようになり、前もって水面下で研究開発されていたそれ用の装置をすぐさま全国に配置、安楽死センターを作ったのである。
私は条件を確認し、センターの予約を取り、母に拘束具を着けた。
「ゾンビの殺人、はんたーい!」
「馬鹿者による蛮行を許すなー!」
「みんな違ってみんないい!」
センターの前は大変な混み合いだった。
車道はどこまでも駐車待ちの列。
路上はびっしり安楽死反対のデモ。
満車のプラカードを支える警備員は微動もできず、逆に車の誘導にあたる警備員は1秒も立ち止まってない。
反政府の文言を多様な言語で書き連ねたプラカードの持ち主たちが警備員の仕事を増やしているのは誰の目にも明らかだったが、それでも誰もデモ隊に文句を言わない。
構っている暇が無いのだ。
センターを訪れる全員が一刻も早い施術を望んでいる。
赤の他人の集団と争う間に駐車スペースが埋まったらと思うと気が気でない。
そして何より、ここを利用したい者たちは対話不能な相手の対処法を熟知しているのである。
駐車待ちの列はノロノロと、しかし粛々と消化されていった。
だが。
「おい!!
いい加減にしろよ!!」
「人の命をなんだと思ってるんだ!!」
冷徹な思考で以て何も見ず何も聞かない断行の確実さはデモ隊の神経を逆撫でしていた。
ちょうど私の番という時、ヒートアップしたデモ隊が門前に集まっていく。
言うまでもなく、それがどんな人間であろうと轢き殺せば殺人罪である。
耐えるしかない。
「出てこい差別主義者!!
説教してやる!!」
「ゾンビ差別反対!!」
しかし我慢は解決に至らなかった。
デモ隊はついに私の車に群がりだした。
大口開けて唾を飛ばしながら窓ガラスをバンバン叩いてくる。
私は運転席のドアを開けた。
話し合いのためではない。
正誤善悪の道理が通じると思ったわけではない。
何かを生贄にしなければ進まないと思ったのだ。
ゾンビ映画がそうであるように。
「あなたどういうつもりなの!?
ゾンビが可哀想だと思わないの!?」
「安楽死なんて野蛮過ぎる!!
話し合いを続ければ必ず解決できるはずだ!!」
「自分がゾンビになった後の事を考えろよ馬鹿が!!
自分で自分の首を締めてるだけだぞわかってねえな!!」
まるで大スキャンダルの記者会見だ。
降り立った私へ音という音が大量に、一方的にぶつけられた。
恐らくは善意の塊なのだろうが、壊滅的なまでに居心地が悪い。
「後ろに乗ってるの…お前の母親じゃないのか!?
この人でなしが!!
血の繋がった家族だろ!!
どんな姿になっても母親だろ!!
愛すべき存在である事実は何も変わってない!!
それを殺そうだなんて…反吐が出る!!」
満足に聞き取る事もままならぬ環境の中その言葉ははっきり脳を貫いた。
最も許せない発言を耳が厳選したかのようだった。
「母親だと?
ふざけた事をぬかすな。
お前らが何を知ってる。
どんな姿になっても母親?
何も変わってない?
ふざけた事を…ふざけた事をぬかすな!!
お前は母ちゃんが元々ゾンビみたいなもんだったって言うのか!?
こんな、こんなのが母ちゃんだって言うのか!?
違うっ!!
絶対違うっ!!
母ちゃんは生肉なんか食わない!!
母ちゃんは人に糞をぶっかけたりしない!!
母ちゃんは…俺を食べようとしない…!!
オシャレで、礼儀正しくて、優しくて…立派な人だったんだ…。
こいつは…これは、違うんだよ…母ちゃんの体を乗っ取った化け物なんだよ…。
母ちゃんはもう、死んでるんだよ…」
善意の沸騰に抗えず、つい反論してしまう。
誰も聞いていない。
音は絶えず止まないがデモ隊は返事なんてしてない。
何も見てない。
何も聞いてない。
何も嗅ぎ取ってない。
何も考えてない。
こちらの言葉に関係無く雄叫びを繰り返す存在からどんな思考を読み取ればいい?
こいつらは有りもしない創作の餌に興奮し全力で首を伸ばしているだけだ。
私には理解不能な何かに喰らいつこうとひたすら歯を嚙み鳴らしているだけだ。
業を煮やした私は後部座席のドアを開け、ゾンビの拘束具を一部外した。
あたりは一面の生肉だ。
いつもの勢いで転がり出ていく。
「む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!
む゛ぅ゛お゛お゛お゛〜!!」
「キャーゾンビよー!!」
「このオッサンっ…拘束を外しやがった!!
逆ギレかよ狂ってんのか!?」
口程にもなく逃げていくデモ隊。
リードを調節し、ギリギリ触れる距離までゾンビを近寄らせてやる。
「どうした!?
保護してみろよ!
ゾンビ差別するなよ!
ええ!?
ゾンビは人なんだろ!?
話し合いを続ければ必ず解決できるんだろ!?
やれよ!!
母ちゃんを元に戻してみせろよ!!」
「黙れ!!
責任転嫁するな!!
ゾンビの世話は家族の仕事だ!!」
ようやく返ってきた返事らしい返事。
それは自分たちには人間扱いできないものを人間として扱えという破綻だった。
一貫した主張ではある。
自由に、したいからしたいように、出して当然のものとして出しながら、同時に人間扱いを受けようとする彼らならではの言葉だった。
この後、かけつけた警察によって同族愛護の団体は解散を命じられた。
「433番でお待ちの方、どうぞ」
掌中の紙の印刷を確認し、立ち上がる。
誰のいつのものとも知れぬ便臭が数百とブレンドされたロビーからやっと出られる時が来た。
リードを引いていくと、案内されたのは未来的なカプセルが横たわる部屋だった。
「まさか…これ1台で回してたんですか?
時間かかるわけだ」
「いやあさすがに1台では…5台あるんですよ。
それでも少ないって文句言ったんですがね、田舎はゾンビが多いし都市部は人が多いしで、全国各地均等に配置しなきゃならなくて…となるとどうしてもね。
時間かかるのは…まあ高齢化社会ですからねえ…」
昼過ぎにして既に疲れきった様子の職員は、だからこそなのかよく喋った。
気持ちはわかる。
ゾンビと接してからの人間との会話には格別の感動があるのだ。
「条件をご確認いただいてると思いますが、ご遺体はこちらで引き取らせていただきます。
よろしいですね?」
「はい」
ゾンビの死体は病原そのものだ。
対策法では一般による処理は違法とされている。
正直、保護者からすれば至れり尽くせりなので即答した。
「ではカプセルの中へ。
拘束具はそのままで結構です」
「あの…口のは外しておきたいんですが…」
「あ、口だけならいいですよ」
職員にも手伝ってもらいゾンビを安楽死装置に入れた。
防音は重視されてないらしく、いつもの雄叫びがカプセル越しに響いてくる。
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
「…叫んでますね」
「ゾンビですからねえ」
何も変わってない。
死の間際だというのに、何も。
私を食べようとしている。
何の疑問もなく。
しばし眺めていると職員が慣れた感じで聞いてきた。
「やめますか?」
「いえ…お願いします」
装置が動く。
静かだった。
生き物を殺す機械とは信じられないくらいに。
静かだからこそ効果のほどが際立った。
「どぅ゛…あ゛あ゛…。
ぅ゛あ゛…あ゛あ゛あ゛…」
ゾンビの雄叫びも装置につられるかの如く静かになっていく。
どれほど注意しても怒っても直らなかった叫びが。
どれほど懇願しても収まらなかった叫びが弱まっていく。
「………………………」
ついに止まった。
最後の最後まで目の前の生肉を貪ろうとするゾンビが、完全に停止した。
絶望が絶望である事実を確認する1分間だった。
母との別れはとうに済ませていたため、私の口から別れの挨拶が出る事は無かった。
ただ喪失の悲しみと解放の喜びが両目から溢れ出るばかりだった。
……………………。
……………………。
……………………。
先日、父親がゾンビ化した事を警察から告げられた。
安楽死センターで手続きしようとして職員と揉めているうちに正気を失ったのだという。
原則保護者の同意なしには安楽死できないってのに、なんで1人で行ったんだ…ってのは野暮が過ぎるか。
気付いた時にはそれが限界だったんだろう。
『自分がゾンビ化したら絶対に殺せ』
こういう口癖の親父だったから。
親父は大の嫌ゾンビ家だった。
本書いて講演までするほどだ。
俺が小さい頃、2年ほど家を空けていたんだが…ゾンビの世話をしていたらしい。
そこでとんでもなく嫌な目に会ったのは聞くまでもない。
再会した時、それこそ死体ばりにやつれてたからな…。
そんな人なんで、とっくに遺書を書いて俺に預けてあった。
それを封筒ごと懐にしまう。
「…というわけだから、ちょっと行ってくるわ」
「大丈夫よね?
家に連れて帰ってこないわよね?」
うちのカミさんはいつもこうだ…この世の何より自分の不安が信頼できるタイプ。
「お前もしつこいね…どういう人かは知ってるだろ?
遺言に従うまでさ」
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
開口一番、獲物を見つけた歓喜の雄叫びを上げるゾンビ。
口を裂けんばかりに開け、涎をとめどなく垂らし、届きもせぬ牙をガチガチ嚙み鳴らす。
俺を食べてるつもり、なのか。
歯応えの無さにも檻の妨害にも気付かず、ひたすら口を動かしていた。
「あの…これが本当に父なんですか?
あまりにも…何もかも違いすぎる…。
変わり果ててる…」
「みなさんそうおっしゃいます。
DNA鑑定のほうは…」
「…一致してます」
親父の遺書を読む。
何度確認しても文面に変化は無い。
『ゾンビは人間じゃない。
死体を操る化け物だ。
その時私の体がどんなに嫌がって見えてもそいつは私じゃない。
遠慮容赦なく殺せ。
必ずだ。
頼んだぞ』
実に勇ましい。
もしかしたら助かるかもとか少しでも生き延びたいみたいな執着が全く見えない、まことにあの親父を現した文であり字である。
しばし眺めていると職員が慣れた感じで聞いてきた。
「やめますか?」
「いえ…お願いします」
安楽死装置が動く。
静かだった。
生き物を殺す機械とは信じられないくらいに。
静かだから余計にゾンビの騒々しさが際立った。
「どぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!
ぅ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜!!」
「あの…これは嫌がっているとかでは…」
「ないでしょうね」
よくある質問なのか職員はすぐさま装置を止め、脇に置かれた皿から赤身の肉を取った。
それを親父の口の上に落とすとたちまち吸い込まれて消える。
肉を咀嚼する親父は何の不満も表していない。
自分を殺してもらうために最後の気力を振り絞るような人が、今は自分が味わっている肉にしか関心が無い。
「ゾンビですから。
知識も理解もありません。
声をあげ続ける理由は…強いて言えば、腹が膨れない不快感への怒りでしょう」
帰り道、遺書一式を買いに行った。




