08
ヘリオロスは宣言通り次の日には旅立ってしまった。ユーベルトが門で外出届を受け取ったのだから間違いない。それを見て年配兵が声をかけてくれた。今は二人で机越しに顔を突き合わせている。
「それで……班長はどうなさるおつもりですか」
「どうもこうも拒否するに決まってるだろ。あまりにも釣り合いが取れなさすぎる。考えてみてくれ、精霊王の宝をこんな短期間で揃える人間が他にいると思うか?彼こそ子孫を残すべきだ」
もう釣り合う釣り合わないでユーベルトが悩む次元を超えている。今回もし本当に水の精霊王の嘆きを手に入れてきたとしたら、次の出征で功績と称して国王は自分の娘を彼に娶せ領地を与えるだろう。その時にユーベルトの存在が邪魔だと判断されたら、人知れず闇に葬られる可能性を考えなければならない。そうなる前にユーベルトはヘリオロスを拒否して離れなければならないのだ。
「じゃあ、難題を一つ伝授いたしましょうかね」
「頼むよ……」
年配兵に教えを乞うて七日後。
つまり、ヘリオロスが城を出てから七日後だ。
城内では出征の準備が仕上がって、あとは出立するだけになっている。
「まだ帰ってきませんね」
「……無謀だと分かりきっていたことだからな」
年配兵のぼやきにユーベルトはそう答える。水の精霊王の嘆きは裏の大地よりもさらに下にある生命の湖にいかなければならないのだ。ヘリオロスの移動手段がドラゴンだとしても、さすがに七日で往復は無理だろう。それでも出征に名を連ねたままなので、もし間に合わなかったら現地で合流する予定なのかもしれない。
「隊列が進んでいる途中で空から来たらどうします?」
「そんなことになったら俺たち大変じゃないっすか!やめて欲しいです!」
ユーベルトが答えるより先に新兵が叫んだ。確かにヘリオロスがそんな目立つ登場をしたら現場はとんでもない騒ぎになるだろう。そうなると警備に出ているユーベルト達はその騒動をおさめるために大変なことになる。それだけは勘弁被りたい。その場にいた兵士たちが満場一致で頷いていると、上官から声がかかった。そろそろ持ち場につけという指示である。
「そろそろ行こうか」
班員たちに声をかけて動こうとした時だった。門の前で待機している隊列の奥の方からざわめきが上がった。何事かと様子を伺っていると、そのざわめきは段々と近づいてきているようである。嫌な予感がしたがどうにもその場から動くことができない。
「班長?」
班員たちから訝しげに窺う声がかかるのと同じく、嫌な予感はユーベルトの目の前に躍り出た。
「……ヘリオロス様」
「約束通り七日で戻ってきたよ」
どうだいと首を傾げる彼の髪は先の治療のために短髪と言っていいほどの長さだ。隊列から悲鳴のような黄色い声が上がっているが、致し方あるまい。ヘリオロスの端正な顔が髪に隠れることなくそこにあるのだから。そんなヘリオロスの顔はずっとユーベルトに向けられている。
「ここに来る前に挨拶はしてきたのですか?」
「まさか。ユーベルトが最初だよ」
「それはいかがなものかと思いますよ」
「けれど今優先すべきは君からの課題だからね」
そう言って手を取られ渡されたのは水の精霊王の嘆きと称される七色の光を放つ貝である。これを取ってくるのも簡単なことでは無いだろうに、今回は怪我らしいものは見当たらない。
「今回は負傷せずに終えれたのですね」
「大怪我をしないのも君との約束だっただろう?」
……こんなにも一途に自分との約束を守ってくれる人が他にいるだろうか。
ユーベルトは自分の意志が揺れ動くのを感じた。精霊王の宝なんてとって来れるわけがないと思っていて、だからこそヘリオロスに課題として言い渡したのである。それを途中で大怪我を負いながらも揃えてくれた。
「出征の前に、次の課題を教えてくれないか」
ユーベルトの手を包みながらヘリオロスは微笑んだ。アーゲンラッハ伯爵が言うように、彼はきっと課題を終えればユーベルトと婚姻を結べると確信を抱いているのだろう。ユーベルトがただの物語だと思っていた嫁取りの課題は、彼にとっては事実で前例のある恋物語だ。
ヘリオロスは、ユーベルトが婚姻を結びたくがないために課題を出していると知っているのだろうか。知らずにただ純粋に恋物語をなぞっているのか、それとも知っていてもがいているのだろうか。
ユーベルトはヘリオロスを見上げた。
今になって恋焦がれる気持ちが膨れ上がっていることに気づいたが、それでもユーベルトは最初に決めたことを曲げるつもりはない。
「ヘリオロス様……」
「出立まで時間がないから、できれば早く教えてほしい」
期待に満ちた目が突き刺してくる。胸が苦しいのをやり過ごすために頬の内側を噛みしめ、ユーベルトは予め用意しておいた課題を告げた。
「新しく家を興し、後継をつくってください」
「そ……れは……」
遠回しに女性を娶って子を作れということだ。それはヘリオロスにちゃんと伝わったらしい。いつかピアスを押し返した時のように愕然とユーベルトを見下ろしている。ヘリオロスは本当にユーベルトと婚姻を結びたいと思ってくれているのだと信じることができた。それだけで十分だ。
「私からの課題はこれが最後です」
隊列の先頭が動き始めるための、合図の鐘が鳴る。
ユーベルトは班員たちに急かされてその場を立ち去った。
「今回のはだいぶ長引いているな」
今日の門の通過者をまとめた書類を確認しながら、上官は独り言にしては大きい声で呟いた。いまこの部屋には上官とユーベルトの二人しかいない。独り言ではなく声をかけられたのだろうか。その意図はわからないが、ユーベルトは返事をすることにした。
「出征のことですか」
「ああ。いつもなら帰還の凱旋も終えて城内も賑やかになってる頃だと思わないか」
確かに、とユーベルトは頷く。
今までの出征は長くてもひと月で帰還していたが、今回は既にひと月を超えていた。あと三日もすればふた月目も終わる。今までにない規模の淀みと魔物が確認されたための出征ということで準備期間を多く設けていたが、それでも間に合わなかったのだろうか。もしも今回の出征が失敗に終わったらと考えてしまう。城には半数の騎士が残されると言っても戦力は大幅に減り、その一方で淀みは増えて魔物たちの力も増す。戦力がそちらに集中することになるのは目に見えているし、そうなると他国からの侵略が不安だ。
このクラスレイ王国はひとつの大陸をまるごと治めているため隣接する国というものはないが、海を挟んで二つの大国があるし、近くには小国とはいえ島国が数多くある。そこから攻めて来られる可能性は少なからずあるのだ。
「帰還が待ち遠しいですね」
「そうだな……とくにユーベルトはヘリオロス様のことも心配だろう?」
「……まあ、そうですね」
あんな課題を出したうえで送り出した手前、死んでもらっては後味が悪すぎる……と言うのは建前だ。彼には傷を負うことなく帰ってきて欲しい。婚姻する気はなくてもユーベルトはヘリオロスのことを慕っているし、彼には幸せになって貰いたい。その為には出征から無事に帰還してもらわなければ。
「ところで日取りは決まっているのか?」
「日取り?なんの話ですか?」
「なんの話って……お前とヘリオロス様の婚姻の儀の日取りに決まってるだろう」
「は……?」
ヘリオロスとの婚姻の儀とは何だ?
ユーベルトは目を瞬かせて上官を見る。上官もまた同じようにユーベルトを見返して首を傾げた。
「ん……?結婚しないのか……?」
「し、しませんよ!何を言ってるんですか?!」
「いや、だいぶ騒がしくしているからてっきり」
「騒がしくしたのは申し訳ないですけど、結婚はあり得ません!」
最後の課題をヘリオロスが解決しない限り。宰相からもそれについては承諾が下っている。それにユーベルトが出した最後の課題は解決できるようなものではない。この課題を教えてくれた年配兵曰く、どんな課題にも何かしらの抜け穴は存在するとのことだったが、多分気づかれずにすむだろう。たとえ気づかれても、条件を考えれば到底無理な話なのだ。
「そもそも上官は私とヘリオロス様が釣り合うとお思いで?」
「……格を考えれば釣り合わんだろうが、長子ではないのだし……」
「長子でなくてもヘリオロス様は個人で爵位を賜っているのですよ?国からも子を望まれるような立場なのに、こんな一兵士の男と結婚なんてこの世の女性からの怨みで殺されてしまいますよ」
「それは言えてるかもしれんな」
肩をすくめたユーベルトに、上官は苦笑をこぼす。そこから笑いに繋がって、話は終わった。
帰還の凱旋があったのは、それから二十日後のことだった。非番だったユーベルトは同じく非番だったイザベラに付き合って下町に繰り出していた。彼女の嫁入り準備のための買い出しに荷物持ちとして駆り出されたのである。彼女の婚約者には申し訳ないと頭を下げられたが、彼は悪くない。むしろ婚約者がいる立場で別の男に手伝わせているイザベラがおかしいのである。何事もないと分かっていながらも気を揉んでいるだろう婚約者殿に、なにか土産でもと文具屋で見繕っていた時に帰還の鐘が鳴ったのである。急かすイザベラを宥めながら会計を済ませて街道に出ると、そこは既に人で溢れていた。
「もう!ほぼ後ろの方じゃない!」
「別にいいだろ、いつもは最前列で見てるんだから」
「そういうことじゃないの!休みの日になんの気兼ねもなく見る機会なんて滅多にないんだから!」
言われてみれば確かにそうだ。最前列で見ていると言ってもそれは仕事中のことで、どちらかと言えば凱旋の隊列よりも凱旋を見に来ている大勢に気を配らなければならない。まともに凱旋を見る時間は思っているより短いかもしれない。
「あ、ほら!来たみたい!」
イザベラが指差した方には隊列の先頭が見えていた。賑やかな様子を見るに出征は成功したのだろう。長期にわたるものだったし負傷者はいるのだろうが、それでも最悪の事態にはならなかったようだとユーベルトは安堵した。
いつもの通りに先頭は近衛騎士と皇子が進み、その後ろには聖女を乗せた馬車が続く。
「ユーベルト!」
「……ああ」
聖女を乗せた馬車はいつもと違っていた。いつも閉められていたカーテンが開かれ、中では可憐な少女が手を振っている。
「あの少女が……」
聖女を讃える声がはち切れんばかりにその場を埋め尽くした。すぐ横にいるイザベラの声が聞こえないほどのそれは轟音といってもいいだろう。そんな中で王子が拡声用の魔術具で、今回の出征で淀みも魔物も全て浄化されたと宣言しながら先を進んでいく。それも相まって、さらに聖女への賛美が大きくなっていった。
聖女の馬車が目の前を過ぎて行っても、彼女を讃える声は止まない。けれど、それだけのことをあの聖女が成し遂げたのである。淀みと魔物が全て浄化されたのならば、この先数百年は大きな脅威もなくこの国は安泰なのである。
「聖女様、すごい人気ね」
「人気になるのは当たり前じゃないか?」
「それはそうだけど……あ!ヘリオロス様よ」
ほら、と促されて再び隊列を見る。三ヶ月という長い月日だったと言うのに、彼の髪は出立の時と同じく短いままだ。髪の長さはその毛先にさえ相手の剣を触れさせないという強さの象徴である。治療のためとは言え髪を切らざるを得なかったヘリオロスだが、その後は伸ばすと思っていたのにどうした事だろうか。
驚きながら見ていると、ヘリオロスがユーベルトの方に顔を向けた。バチ、と音がするように目が合ったのが分かる。彼もまたユーベルトをみて驚いた後、目をすがめて眉を寄せた。
「あ……」
睨まれた。それに気づいた時には全身の力が抜けてしまった。崩れそうになるユーベルトを押し留めたのはイザベラだった。とんとんと腕を叩かれて手を引かれる。それに従って群衆を抜けて、広場のベンチに座らされた。
「なんて顔してるの」
「……どんな顔してる?」
「この世の終わりみたいな顔」
「あ、はは……辛辣だな」
ヘリオロスからあんな顔を向けられるとは思っていなかった。一瞬のことだったし周りは彼の表情に気付いてない様子だったが、ユーベルトは顰められた顔もその表情が自分に向けられたものだということもわかった。
求婚を拒否するような課題を出した時点で嫌われる可能性を考えなかったわけじゃない。それでも実際に向けられると気丈に振る舞えなかった。
はあ、と両手で顔を覆う。その隣でイザベラが乱暴に腰掛けたのが分かった。
「ユーベルトはバカだね」
「言い返す言葉もない……」
「そんな顔するくらいなら最初から求婚を受けてればよかったのよ」
そうなのかなと今までを思い返して、やっぱりそれは出来ないよと呻く。
「好きだからこそ彼の隣に自分が立つことがどうしても許せない」
「拗らせてる」
「分かってるよそんなこと」
いつだったか、同じように拗らせてると言われたことを思い出す。あの時はヘリオロスを神聖視し過ぎていると言われて、少なくとも特別視していると納得していたが、そうではなかった。ユーベルトは自分の理想をヘリオロスに押し付けようとしているだけだ。
いまだに何が切っ掛けでヘリオロスがユーベルトに執着しているのか見当もつかないが、精霊王の宝を集めてくる時点で真剣に想ってくれているのは確かなのだ。
最後の宝を手渡された時から、ユーベルトの中の感情は膨れ上がり続けている。
けれど、もう遅い。どうしようもない課題を出したユーベルトを見限ったのだろう。そうでなければあんな表情を向けるわけがない。
胸が裂けてしまうような気分だった。痛くて苦しい。
ヘリオロスが宰相の言う通り家を興して女性を娶った未来でも恋慕うことは許されると思っていたが、それはきっと叶わないだろう。彼を拒絶したユーベルトに、そんなことは最初から許されないことなのだ。
「俺、バカだ……」
「やっと気づいたの?おバカさん」
「そこは慰めるところだろ……」
「自ら穴に落ちていくヤツを慰めるほど暇じゃないのよ」
帰ろうと促される。
ユーベルトはのっそりと立ち上がって、イザベラとともに帰途へとついた。