07
夜勤を終えて次の日。せっかくの非番だからと惰眠を貪ろうとしていたのに、けたたましいノック音に起こされた。
一体誰だと扉を開けると、イザベラがしかめ面に仁王立ちで待ち構えていた。
「ユーベルト、私これ以上ないくらいに怒ってるんだけど」
「見ればわかるよ……」
「じゃあさっさと身支度整えてこい!」
「……はい」
いつにない剣幕に押されて、干してあった服をそのまま着こんだ。寝癖を治したいところだったが、あまり遅いと部屋に乗り込んでこられそうだ。諦めて再び扉を開けるとやはり仁王立ちしたイザベラが「遅い!」と怒鳴った。
「さっさと鍵閉めて」
「分かったよ。でも何の説明もないのに何でそんなに怒られなきゃならないんだ」
ぶつくさと文句を言いながら鍵を閉めると、首根っこを引き上げられた。あまりにも粗雑な対応に流石のユーベルト苛立ちが募る。
「夜勤明けなんだぞ?!何でこんな目に遭わなきゃならないんだ!」
「あんたのせいに決まってるからでしょ!」
「俺のせいって言いながら何も具体的なことは教えてくれていないじゃないか!」
「それを説明するために早くしろって言ってるのよ!」
お互いに声が張り上がっていく。
なんだなんだと同じ階の扉が次々に開かれて顔を覗かせる寮の住人が増えていく。流石に気まずくなって口を噤むと、イザベラが顎をしゃくって付いてこいと促してくる。
各自の部屋から顔を覗かせてきた皆に騒いだことを謝って、ユーベルトはイザベラの後を追いかけた。
案内されたのは以前ユーベルトが通された面談室だった。ここでしかできない話とは何だろうかという疑問は、中で待ち構えていた人物達をみて吹き飛んでしまった。
ユーベルトの父であるキャラディック子爵とヘリオロスの父であるアーゲンラッハ伯爵、そしてあろうことかこの国の宰相が並んでいたのである。
錚々たる面々にユーベルトが狼狽えていると、後ろからイザベラに押し込まれてしまった。
「当事者のユーベルトを連れて参りました」
「ご苦労。其方は自分の仕事に戻ってよい」
「恐れ入ります」
そう言ってイザベラは去っていってしまった。こんなところに置いていかないでくれと縋りたかったが、彼女の剣幕からそんなことは出来ない。恐る恐る宰相とアーゲンラッハ伯爵に挨拶をして、促された席につく。宰相が机を挟んで向かいに、左隣には父、右隣にはアーゲンラッハ伯爵といった並びになっていた。それぞれの顔を確認してもう一度宰相に向き直ると、彼は静かに口を開いた。
「さて、キャラディック子爵の息子ユーベルト。何故このような場が設けられたか説明しておこう」
囁くような声に、あまり大きな声では話せない内容なのだろうと当たりをつける。はい、とユーベルトが頷くと、彼もまた頷いて話を続けた。
「この場にいる者たちを見て察しはついているだろうが、端的に言うとアーゲンラッハ伯爵の息子ヘリオロスについてだ。彼は今朝帰還したんだが重症を負っていてね、集中治療室に入っている」
「え……?」
「おや、驚くことかな。君が課題を出したんだろう?火の精霊王の煌めきが欲しいと」
そんな難題を出しておいて負傷を想定していないなんてと訝しげに見られて、ユーベルトは俯いた。あんな課題を出しておきながらヘリオロスが怪我をする可能性を考えていなかったのは事実だ。最初こそ考えていたが、あまりにも簡単に課題をこなしてしまう彼にすっかり忘れていたのだ。
自分の失態を恥じながら、ユーベルトはヘリオロスの状態を尋ねた。
「彼の傷はどのような……?」
「火傷だよ。重度の火傷は腹部と利き腕だけだったが、軽度の火傷は全身に広がっていたらしい。医務室の室長は優秀だから後遺症もなく回復するだろうが、傷跡はどうなることか」
傷跡が残ると言われ、ユーベルトは冷や汗をかく。兵士でも騎士でもない彼の体や顔に火傷の痕が残るなんてあってはならないことだ。周囲からの視線は今までとは違うものになるだろうし、それだけの事をさせたユーベルトもただでは済まない。アーゲンラッハ伯爵に謝らなければと向き直ると、彼は穏やかに微笑んで首を横に振った。
「嫁取りの課題の最中に起きたことだ。君が気に病む必要はない」
「しかし……!」
「たとえ傷物になったとしても君がヘリオロスを引き取ってくれるのは変わりないからね。爵位を賜ったヘリオロスが家を出ることは避けたかったから君との婚姻は歓迎しているんだよ」
何故婚姻が確定することになっているのだろうか。呆然としていると左から抗議の声が上がった。
「ですからそれは違うと先ほどから申し上げております!ユーベルトには婚姻の意思がないのです!」
「キャラディック子爵、其方はそう言うが当人たちは嫁取りの課題をしているのだぞ?全ての課題を終えた暁には必ず結婚せねばならん」
「その必ず結婚というのは聞いたことが無いと申しているのです。嫁取りの課題は望まぬ求婚を退けるための難題ではありませんか!」
「まさか!嫁取りの課題は自分に相応しいかどうか相手の実力を図るためのものだ。課題を終えたらその実力を認めて結婚するための難題なのだぞ?」
父親たちの論争に、ユーベルトは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。彼らの行き違いは正しくユーベルトとヘリオロスの行き違いに他ならないと気付いたからである。まさか嫁取りの課題に対する認識がこれほど違うだなんて誰が想像しただろうか。
なんと言って彼らを落ち着かせればいいのか。回らない頭でなんとかしなければと考えれば考えるほど焦りが生じてまともな案が浮かばない。その間も言い合いを続ける父親たちにほとほと困って宰相に視線を投げかけると、彼はひとつだけ咳払いをした。
咳払いと言ってもずいぶんと小さな音だったのに、ぴたりと喧騒が静まる。アーゲンラッハ伯爵も、ユーベルトの父であるキャラディック子爵もお互いに顔を見合わせて気まずそうに口を閉ざした。
「どうやら嫁取りの課題について齟齬があるようだが、私としては子爵の考え方が一般的ではないかと思う。よく知られている物語も求婚のしつこさに辟易した娘が諦めてもらうために難題を出すのだから」
そうでしょうと頷く自分の父親と、納得いかないと首を横に振るアーゲンラッハ伯爵を見比べて宰相は続けた。
「実を言うと子爵が言う通り私はユーベルトがヘリオロスを拒むために嫁取りの課題を言い出したのだろうと思っていたのだけどね。伯爵、其方が嫁取りの課題についてどうしてそのような考えを持っているのか教えてくれないかな」
「畏まりました」
そう答えてアーゲンラッハ伯爵が語ったのは、ユーベルトが知っている物語は実際にあった話を元にしていると言うことだった。
「この国が建国されてそれほど時が経っていない頃、当時のアーゲンラッハ伯爵家には誰もが憧れるほどの力を持った騎士がおりました」
騎士は長子ではなかったが、当時は長子が跡を継ぐ決まりがなかったため周囲からは彼が望まれていたらしい。けれど彼自身にその気持ちはなく、跡目争いを避けるために父の許可を得て騎士という身分を隠し、富豪の子息だと偽って国の外れの村に身を寄せた。
「その時に現地で彼の身の回りの世話を任せられた者たちがおりまして、そこに彼が思いを寄せることになる娘もいたのです」
娘はその村で生まれ育った農民だった。建国される前からあったその村は、その時の統治者にただただ従順に、けれど自分たちの血を絶やさないようにと強かに生きていた一族の集まりだった。娘は頭が良かった。男顔負けの行動力に、人を動かす指導力もあった。騎士は時として農作業を手伝いながら村で過ごしているうちに彼女に惹かれていった。
それから時が経ち、次期アーゲンラッハ伯爵が決まったことで騎士は家に呼び戻されることになった。娘に想いを告げるべきか、悩み続けて出立の当日に求婚した。
娘は困り果てた顔で騎士を見つめた。娘も騎士のことを憎からず想っていたのだが、頷くことができない。なぜなら、この村の次の村長は娘に決まっていたからだ。騎士の求婚を受け入れてしまえば村を出なければならない。どうすれば皆が納得いくだろうか。
数日前に教えてくれたら考えることもできたのにと騎士を恨んだ娘は、思いつきで幾つかの難題を提示した。そしてそれが出来た暁には私たちは結ばれるだろうと騎士を村から送り出した。
「騎士は娘に言われた難題を全て解決して、めでたく彼らは結ばれたのです」
「……後継では無いのに結婚できたのですか?」
「ええ。後継以外の婚姻は当時から禁じられておりましたが、騎士はその難題をも解決したのですよ。勇猛果敢で賢き騎士は娘に受け入れられたのです」
ユーベルトの疑問にアーゲンラッハ伯爵は愚問だとばかりに答えた。
「話を聞いてお分かりいただいた思いますが、娘は騎士と結ばれるための難題を騎士に解決させて、結果思い通りに結婚したのです。物語の元となる史実を知る我らアーゲンラッハ伯爵家ではユーベルト殿は婚姻を望んでいると考えております」
にこりと微笑むアーゲンラッハ伯爵の目は笑っていなかった。知らなかったとはいえ難題をヘリオロスに出したのはお前なのだと責められているのが分かる。嫌な汗が背中をつたって、思わず身震いをした。
「伯爵、身分の高い其方が脅しをかければそれは命令になる。やめなさい」
「……失礼しました宰相殿」
「子爵、知らぬこととはいえ当人同士の擦り合わせが不足していたとしか言いようがない。ヘリオロスがここまでして頑張っているのもひとえに婚姻のためだろう。たとえユーベルトが望んでいなかったとしても、彼はヘリオロスに対価を払わなければならぬのはわかっているな」
「仰るとおりです」
二人が深々と宰相に首を垂れる。ユーベルトはどう転んでもヘリオロスと結婚しなければならないと言うことだろうか。恐る恐る宰相を見ると、彼は穏やかな笑みをユーベルトに向けていた。
「とはいえ、それだと婚姻を望んでいないユーベルトが憐れだ。なのでひとつだけ決めておこう。ヘリオロスが難題を解決できなかった場合についてだ。その場合彼には君に一切近づくことを許さないし、賜った爵位をもって家を興し女性を娶せることを私が誓おう」
「宰相……」
「伯爵、これは私の提案だ。君には覆す権利はない。……ユーベルト、これでそれぞれの言い分が反映されると思うのだが、どうかな?」
「ありがとうございます」
「ユーベルトの承諾も得た。各々、今後の結末に関して異議を唱えることのないように。それでは解散しようか」
そう言って宰相は部屋を出ていった。身分が高いものからしか動けないので、後に残された者を気遣った結果だろう。アーゲンラッハ伯爵も溜息を吐きながら出ていく。それを見送って、ユーベルトは父親に向き直った。
「お騒がせしてすみません」
「構わない。一応救済措置が出されたようなものだからな。私と伯爵の一対一では言いくるめられたであろうし」
「……そうですね」
「ところで、絶対に解けない難題は用意してあるのか?」
「はい」
嘘だ。ユーベルトは用意できていないが、年配兵がなにかしらの奇策を準備してくれると言っていたのでそう答えた。けれどその肯定に満足したらしく、父もまた部屋を出ていく。代わりに外で待機していたらしいイザベラが顔を覗かせた。
「ヘリオロス様が呼んでる」
「……分かった」
治療は終わっているからと通されたのは面談室からそれほど離れていない個室だった。部屋の中心に設置されたベットにヘリオロスが横たわっていた。布団がかけられていないのは火傷がひどいから掛け布団の摩擦でひどく痛むのだとイザベラから説明が入る。肌が爛れているので定期的に包帯などを取り替える必要があるので、その効率化の為でもあるらしい。
「ユーベルトを連れてきました」
「ああ、ありがとう」
ヘリオロスの声は細く掠れていた。痛々しい声と見た目に、思わず眉を顰める。
「二人で話したいから君は外してくれないか」
「分かりました」
イザベラはユーベルトの肩を少し叩いてから部屋を出ていった。
「寝ながらですまないが、少し話をしよう」
椅子はそこにあるからと言われて、ユーベルトは素直に腰掛けた。先ほどよりも近くなったヘリオロスの顔を観察する。頬や鼻、顎……至る所が綿紗で覆われている。出ている部分と言えるのは右目と口だけだ。頭も包帯で覆われている。治療のために髪を短く揃えられたのが見受けられた。
「……ごめんなさい」
「なんで君が謝るんだ。課題を出したのが君でも、それを受けると決めたのは私自身なのだから君が気に病むことはない」
「でも……」
「次の課題をくれないか」
「……は?」
何を言い出すのだと目を剥くユーベルトに、ヘリオロスは至極真面目な目を向ける。冗談を言っているわけではないとわかる表情に、ユーベルトは狼狽えるしかなかった。
「そんっ、そんな怪我をしてまだ何を言っているんですか!」
「でもまだ課題は終わってない。まだ君から望む言葉を得ていない」
「なんで俺なんかに執着するんですか!こんな危険なことを繰り返すより別の人を探した方が早いでしょう!」
「それじゃあ意味がない」
ギラギラとした目だった。獣を追い詰めるような鋭さのある目に気押される。
「私がどんな難題でも受け入れるのは、その先に君がいるからだ。私の努力を無に帰すようなふざけたことを口にしないでもらいたい」
「あ……」
「次の課題は順当に行って水の精霊王の嘆きだろう?」
「……はい」
「その課題が最後かな」
「いいえ」
違うと否定すると、ヘリオロスは少しだけ戸惑いを見せた。精霊王の宝以上の難題なんてないだろうと思っていることがわかる。けれどユーベルトはここで引いてはならないのだ。宰相とも約束した。ユーベルトに婚姻の意思がない限り、ヘリオロスが解けない課題を出さなければならない。
「その課題を今教えてくれることは……ないか」
「精霊王の宝が集まった時にお伝えします」
「わかった。次の出征までには用意する」
次の出征はもう七日後に控えている。そんなことができるわけがないと思うのに、なぜかヘリオロスならやってしまいそうな気がしてしまった。
「怪我はどうするのですか。治らない限り医務室からは出られませんよ」
「明日には私の魔力も回復するだろうし、今日非番だった医務室長も来る。治癒魔術さえ使えば完治するからね……口にしたことは本当にやるよ」
「……わかりました。今度は大怪我をせずに帰ってきてください」
ヘリオロスに挨拶をして部屋を出る。
もやもやしたものが胸に渦巻いていた。