06
はたして、ヘリオロスは地の精霊王の喜びをユーベルトに届けにきた。宝石のような花弁がキラキラと光を反射して、金属質の茎や葉を照らしている。反対にヘリオロスはお世辞にも美しいとは言えないボロボロ具合である。服は穴が空いていたり煤けているし、髪もところどころ切れていて斬バラ状態だ。どこかで洗浄魔法でも使って体を洗ってきたのか体臭はしなかったが、まるで戦場を駆け抜けてきた斥候のようである。
「さてユーベルト、まずと言ったのだから他にもあるんだろう?」
受けて立つと意気込んでいる本人には申し訳ないが、ユーベルトは苛立ちを隠さずに地の精霊王の喜びをヘリオロスに返して門の向こうを指差した。
「仕事の邪魔です、通ってください」
今ユーベルトは勤務中なのである。言わずもがな、ここは城門の受付なのだ。ユーベルトの部下たちはヘリオロスとユーベルトを驚きながら見比べているし、ヘリオロスが受付から退かない所為で受付業務が滞っている。さっさとこの場から立ち去ってくれと睨んでも、ヘリオロスはどこ吹く風とばかりに微笑むだけだ。
「これを受け取らない限り私はここから動くつもりはないよ」
「じゃあ受け取りますから、さっさと門をくぐってください」
「次の課題は?」
「受け取ったら動くと言ったんだからさっさと行け!これ以上邪魔するなら課題も出さん!」
怒鳴り声に周囲がざわめく。部下たちはユーベルトが声を荒げたことに驚き、平民たちは何の諍いかと興味津々といった感じだ。貴族たちに限ってはユーベルトがあのヘリオロスになんたる無礼なと言ったところだろうか。しかし城の門を守る仕事をしているユーベルトにとって、この場だけは身分など関係ない。どんなに自分より身分が高くても、業務を滞らせる人間は総じて排除すべき対象である。
ヘリオロスはわかったよと肩をすくめてようやく門を潜って行った。何でわざわざこんな時間に門を通るのだと頭を痛めながら、次に待っていた商人に声をかける。
「次」
自分でも驚くほど刺刺とした声に、商人は声を裏返しながら窓口に通行許可証を出した。すまないと謝って書類を確認し、承認を通す。暫くざわめきは収まらなかったが、どうにか業務を再開できたのだった。
ユーベルトが寮に戻ると、部屋の前には身綺麗になったヘリオロスが待っていた。髪の毛も整えたらしく、いつも通り一括りになっている。
「先程のようなことはやめてください。迷惑すぎます」
「門のところでも思ったけれど、難題を終わらせて帰ってきた私にかける言葉がそれだけなのかい?せめて労わるくらいしてほしいな」
「贅沢すぎませんか?私が何のために難題を出していると思ってるんですか」
「難題を終わらせた私と結婚するため」
「バカを言わないでください。こっちは結婚できなくするために難題を出してるんですよ」
「……ここまでくるといっそ清々しくなってくるな。それで、次の課題は?地の精霊王の喜びを持ってきたんだから、君は私がこなせないと思う難題を出さなければならないだろ?なにせ結婚したくないんだから」
皮肉げに言うヘリオロスは、腕を組んで背中を壁に預けた。組んだ手で腕をとんとんと小刻みに叩いているところを見るに、早く言えと催促されているのだろう。
けれどユーベルトは直ぐには答えられない。なにせ、この地の精霊王の喜びなんて取ってこれるわけがないと高を括っていたのである。こんな物までひとりで取ってこれる実力があるのだ、同等か、さらに難しいものにしなければならない。
頭を悩ませたユーベルトは、これならばと口にする。
「風の精霊王の叫びを所望します」
「……分かった。絶対に取って戻ってくるからな」
宣言してヘリオロスは颯爽と立ち去って行った。それを見送ってユーベルトはようやく自分の部屋に入る。
風の精霊王の叫びというのは、有毛種のドラゴンの風切り羽のことである。そもそもドラゴンは裏の大地にしか生息していないし、その殆どは裏の大地の大国ドラグネリア王国が管理しているし、ドラグネリアでは竜を一生のパートナーとして共に過ごしているので風切り羽をもらうことはそもそもできない。つまり裏の大地で野良のドラゴンを探すことから始まる。野良のドラゴンは生息数が少なく、運良く出会えたとしても無差別に攻撃してくるため討伐が難しい。そんな相手から風切り羽をとるなんて、ドラゴンを持たない表の大地に生きる人間には到底無理な話である。
ヘリオロスも分かっているのだろう、少しだけ言い淀んでいたのでこれは諦めるのもあるのではないかと淡い期待があった。
ヘリオロスという男はどこまで規格外なのだろうか。
ユーベルトは目の前の光景に目眩を覚えた。
ヘリオロスはユーベルトに風の精霊王の叫びを差し出しているし、その後ろではドラゴンが静かに佇んでいる。
何で表の人間であるヘリオロスがドラゴンを連れているのだと震えていると、彼はにんまりと笑った。
「私の母はもともと裏の人間なんだ。親切な叔母上が力になってくれてね」
そんなこと聞いていない。いや、調べておくべきだった。ヘリオロス個人については山というほど情報を集めていたが、彼の周囲に関してまでは集めていなかった。気づけば良かったのだ、ヘリオロスの魔術士の能力が抜きん出ているところから彼の母を調べるべきだった。
「私はこの子を騎獣として登録しなくてはならないからこれで行くね」
いつの間にかユーベルトの部下が整えたらしい入城許可証を持って、ヘリオロスは悠々と門を潜っていく。一瞬ドラゴンがユーベルトを見た気がしたが、気のせいだと思いたい。年配兵が気を利かせてくれてユーベルトを受付から離してくれた。休憩所にユーベルトを連れ出した彼はお茶を淹れて向かい側の椅子に座った。
「班長、もしかしなくてもヘリオロス様に求婚されてますね?」
「……そう、です」
つい丁寧な言葉になってしまった。もう隠しきれもしないというより、すでに公然の秘密状態だ。ユーベルトが口に出さないから部下たちも口を噤んでくれていただけで、火を見るより明らかである。
「いつだったか耳に怪我をしてたが、それだってピアスを無理矢理外した結果だと踏んでるんだが」
「……当たってるよ。あんなこと二回も繰り返してたらみんな気づくよな」
「まあ、新兵以外は」
「ここまでして気づいてないのか?」
「流石に嫁取りの課題は気づいてますよ。耳の傷の真相に辿り着いてないだけで」
「ああ、なるほど……」
じゃあもう取り繕う必要は完全にないのだ。ユーベルトは、はあ……とため息を吐いて机に上体を突っ伏した。
「私は結婚する気は無いんだ」
「課題の難易度からみてそうだろうと班員は気付いてますよ」
「でも……見ただろ?」
「ええ、だからこそ班長が諦めるべきだというのも班員の総意です。ヘリオロス様の方が随分と身分が高いんでしょう?貴族のことはよくわからないが、それは名誉なことなんじゃないんですか?平民の俺たちからすると婚姻は家同士の繋がりだし、大店から自分の娘が望まれてるとしたらすごく嬉しいですけどね」
「でもその娘は商売に詳しいわけじゃないだろ。大店に望まれていたとしても、結婚した後に苦労するのは目に見えてるじゃないか」
「……まあ、そうなりますかね。班長がヘリオロス様を拒む理由がやっと分かりました」
こりゃあ大変だと年配兵が苦笑しながらお茶を啜った。ユーベルトもそれに倣ってお茶に口をつける。温かなそれは体の芯に染みた。きっと、今日中にヘリオロスは次の課題を受けにくるのだろう。また難題を考えなければと思う一方で、どれもヘリオロスには簡単なのではないかと不安になってきた。
どうしたものかと唸っていると、年配兵が指を二本立てて見せてきた。
「後二つ、火の精霊王の煌めきと、水の精霊王の嘆きを課題に出してしまいましょう」
「でもそれを終わらせてしまったら他の課題なんて思いつかない。精霊王の四つの宝を集めた人間なんて神に愛されてるとしか思えないだろ」
「まあ、聞いてくださいよ。その四つの課題を終わらせた時、班長がヘリオロス様との関係をどうしたいかで受け入れるか、最後の課題を出すか決めればいいんです」
「だからその課題が……」
「俺にはその課題に見当がついてるんですよ。四つの課題が終わった後に班長の気持ちを教えてくれれば、それについてお話ししますから」
「……分かった、頼むよ」
かくして、次の難題は火の精霊王の嘆きと相なった。その旨を告げるとヘリオロスは分かったとだけ言って早々に立ち去った。三つ目の課題まで精霊王の宝ということと、ここまで続けば次の課題も想像がついたのだろう。いい加減うんざりしてきたのかもしれない。こんな命懸けの難題をこなすほどの価値を、ユーベルトに見出せないとようやく気付いたのかもしれないけれど。
地の精霊王の時は二十日ほど、風の精霊王の時はひと月ほど掛かっていたが、今回はどの程度で帰ってくるのだろうか。城からの外出記録に記されたヘリオロスの名前を見ながら、ふとヘリオロスの仕事は大丈夫なのだろうかと今更なことに気づいてしまった。希望休を取れるとは言え、こんな長期間の休みとなると話が違ってくる。明らかに自分の所為なのだから謝りに行かねばと休憩時間を狙って魔術課に顔を出すと、課長がホクホクとした笑みでユーベルトを迎え入れてくれた。
ヘリオロスを長期不在させる原因だと嫌味の一つどころか叱責を喰らうだろうと覚悟してきたというのに、想像していた態度と真逆である。驚いて固まっていると、課長は資料室へと案内してくれた。
「見てください、この貴重な材料の数々!」
資料室には木箱が積み上げられ、二つの山が出来ていた。その片方の山の一番上にある箱を中央にある机に置いて中身の説明を受ける。どうやらホムファソル山の頂上付近でしか採取できない鉱石や植物であるらしい。箱の中身を説明し終えた課長は、もう一方の山から一番上の箱を取ってまた説明し始める。こちらはどうやら野良のドラゴンから回収した素材らしく、角や歯、爪といったものから瓶に詰められた内臓などまである。
「そんな素材が短期間に集まるなんて、私たち魔術課からするとユーベルトさんは神ですよ!本当にありがとうございます!」
「えぇっ?!」
「きっとうちのヘリオロスが城を長期不在しているのが気になっていらっしゃったんでしょう?大丈夫です、ユーベルトさんが出す嫁取りの課題は長期出張扱いにしてますから!」
「そ、そんな職権濫用みたいな……」
「職権濫用でも何でもいいです!正直あなた達の行く末はどうだっていいんですよ、私たちに必要なのは、課題の傍に採集されるこの素材達ですからね!むしろ素材採集の長期出張中に嫁取りの課題をやっていいと許可してるだけっていう体なのでユーベルトさんが気にすることはないのですよ!」
これであんなものやこんなものも作れるのですよ!と興奮しながら素材に頬擦りする課長に、ユーベルトは頬が引き攣るのを止められなかった。それでも心象を悪くするわけにもいかず、無理やり笑顔を作ってもう一つ気になることを尋ねた。
「長期出張となるとヘリオロス様が受け持っている書類仕事はどうなっていますか?他の方に負担などは……」
「負担だなんてとんでもない!彼の書類さえ捌けば貴重な素材が手に入るんですよ?むしろ自分の取り分を増やすために私の知らないうちに歩合制にしていたくらいですから!」
理由はどうあれ魔術課はユーベルトが出している嫁取りの難題を歓迎してくれているようだ。とりあえずユーベルトが責められることはなさそうだと安心して、魔術課を後にする。
良かったと思いながらも複雑だ。文官にも軍部にも所属する魔術課は変わり者が多いというが、流石に変わり者すぎる。ここで責めを受けることができたらそれを理由にヘリオロスを拒めたかもしれないと少しだけ思っていたが、それは実現しないだろう。
庭に面している渡り廊下から外に出て、近くにあるベンチに腰掛ける。上を向けば火の精霊王と呼ばれている光源が空に浮かぶ島と島のちょうど真ん中にあった。もうお昼なのかと思いながら、けれどお腹は空いていない。食堂に行くのも少し億劫だ。ユーベルトは少し休んだ後、足早に城門へと戻った。




