表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

05

「班長、その耳どうしたんですか?」

新兵からの問いかけに、ユーベルトは本日何度目かもわからない返答を口にした。

「手合わせで少しな……」

休みの日まで訓練なんてとキラキラとした目を向けられて居た堪れなくなる。どこかから耳に挟んだのだろう、事情を知っているらしい上官だけは不自然に目を逸らしていた。それでも口を噤んでくれているのは平民においそれと話すような話題ではないからだし、それくらいの良識を持ち合わせている人で良かったと思う。口さがない者ならとうに面白おかしく噂を広げているだろう。貴族内だけとはいえ、すでに城内はユーベルトのことで持ちきりだと兄が出勤がてら門に寄ってこっそりと教えてくれた。

噂は大きく分けて二分化しているようだった。

ひとつは、ヘリオロスが父であるアーゲンラッハ伯爵に家を興さないようにと脅されて、アーゲンラッハ伯爵にものを言えないだろうキャラディック子爵の第二子に無理矢理ピアスを刺したという噂だ。こちらの噂を聞いている者たちはユーベルトに同情的だという。貴族というのは身分社会だ。あり得なくはないと思う者は多いだろうし、上から下への圧力は常にある界隈なのでアーゲンラッハ伯爵やヘリオロスに対しても酷いと思いこそすれ、誰も口を出さないし出せない。

しかしもうひとつは、何も特筆すべきものがないユーベルトが体でヘリオロスを篭絡してピアスを奪ったという噂だ。こちらはどう考えてもユーベルトに対して悪意がある。ヘリオロスに好意を持っていたり、婚約者候補に名乗りを挙げていた令嬢達から出た噂なのではと兄は推測していた。その通りだろうなと思うし、令嬢ではなくその親から出た可能性も高いだろう。

後者の噂を聞いたり信じたりしている者たちには気をつけるようにと言われたが、誰がどの噂を聞いているのかは初対面で判断ができない。何か対処するとしたら、何かをされた後になるだろう。

ユーベルトや生家であるキャラディック子爵家よりも身分の高いところから色々されると思うと気が重い。もし激情家や過激な者がいたら門にまで突撃してきそうである。

「上官……」

「……大丈夫だ、ここは私の縄張りだから好き勝手はさせん」

頼もしいが、つまるところ門以外は感知しないということである。はあ、とため息をついてユーベルトは交代のために班員を連れて詰所を出た。




昨日の今日で噂が飛び交っているのかと戦々恐々としていたあの日から特になんの問題もなく、既にひと月が経とうとしていた。拍子抜けするくらいに何もなく、ユーベルトも父や兄も、なんなら上官さえ首をかしげる事態だったが、抜糸のために医務室へ赴いた時にイザベラが「上から圧力かかったんでしょ」と言っていたので多分そうなのだろう。

鋭い視線だけはずっと向けられているけれど、事が起こらないとわかれば後は気が楽なものだった。気にしても仕方がないと割り切る事ができたので仕事に身が入るようになったし、父の様子も穏やかになり、兄や弟妹達も周囲から何もされる事なく過ごしている。

仕事も順調だった。トラブルといえば通行証を忘れた商人と揉めたり、日程よりも少し早く着いてしまった他国からの使節団の取次くらいだ。どれも小さなトラブルとは言えないが、門番としてはいつも通り、時々起こる事件である。

「何事もないのに気を張るのって疲れますよねえ」

ぼやく新兵の頭を青年兵が叩いた。

「馬鹿いえ!俺たちが見張ってるから門からの侵入者がいないんだろが!」

「いってー……そもそも門から堂々と入ってくる輩なんているんすか?」

班長と声をかけられてユーベルトは首を横に振る。少なくともユーベルトがこの門番に着任してからは襲撃なんてなかった。言われてみると昔はあったのだろうかと気になってしまう。気になってしまうととことん突き詰めたくなる癖は健在だ。やっぱり無いだのその前ならあるかもだのと言い合う部下たちを尻目に国の歴史を思い出せるだけ引き出していると、思わぬところから声がかかった。

「私が新米の時に一度だけあったな」

未遂に終わったがなと言いながらユーベルトに書類の束を差し出してきたのは上官だった。えー!と喚く新兵と、見たことかと笑う青年兵を黙らせて書類に目を通す。

「……また出征ですか?」

「ああ。前回のときに淀みの溜まり場を見つけていたらしい。今回はその浄化と周辺の魔物の討伐になるそうだ。大規模になるから主戦力は殆ど出るそうだぞ。準備のためにしばらく時を置くそうだが、さほど遠くなく出征するだろう」

書類は出征についての通達と、その出征のための凱旋警備についての資料だった。

……こんな短期間に出征を繰り返すほど魔物の出現数が多いと言うのに、聖女は一体なにをしているのだろうか。

そう思ったのはユーベルトだけではなかったようで、班員や他の兵士たちも口々に聖女への不満をもらす。すると上官は軽く机を叩いて皆を黙らせた。

「今回の聖女様は異世界から召喚されたのだ。我々の都合だけで呼び出されたお方に助力を請いこそすれ、傲慢にも願いを押し付けてはならん。自分の身に置き換えてみろ」

上官の言葉にユーベルトは驚いた。それと同時に自分の思い至らなさを恥じた。確かに上官の言う通り、今回の聖女は異世界から召喚されたと聞いている。突然違う世界に呼び出されて右も左も分からないというのに、この国を救えと言われても荷が勝ちすぎるだろう。聖女は聖女で大変なのだと気付かされた。

「……我々は聖女様にお祈りするしかできないですね」

「そうだ。淀みの溜まり場を浄化できるのは聖女様だけなのだからな」


ユーベルトは図書室へと向かっていた。聖女についての考えを改めなければならないとは思ったが、それよりも上官が新米の時にあったという城門襲撃のことが気になる。詰所にある記録帳はせいぜい過去十年までしか保存されていないので、それ以前のものは城内の図書室に移されているはずだと踏んでのことだった。

図書室に入って、受付にいる司書に所属と名前、それから利用目的を告げると番号札が渡される。これが今回ユーベルトが利用できるクローズドキャレルの番号だ。

先に資料を探してからとユーベルトは軍部資料が並ぶ書架へと向かった。

「上官が新米の頃って……大体三十年くらい前か」

背表紙に描かれた年代を見て、該当資料を引き抜いていく。その他に世界情勢があまり良くない時代や、国内で紛争があった時代の物も抜き取った。これくらいでいいだろうと切りをつけて宛てがわれたキャレルを探すと、直ぐに見つかった。どうやら軍部の資料が並ぶ書架に近いところを案内されたらしい。司書に感謝しながら該当資料を両手に抱えてキャレルに入る。扉を閉めればユーベルトだけの空間になった。忘れずに扉の鍵をかけて席に着く。両手を広げきれないこの狭さが何となく落ち着く不思議な場所だ。

早速三十年前の資料を開いて文字を目で追っていく。当時の記録係は癖の強い字を書く人物だったようで、どうも読み辛い。読み進めてようやく文字に目が慣れ始めた時に、上官が言っていた襲撃についての記録が見つかった。

「……なんだ、ただの賊じゃないか」

期待して損したとユーベルトはため息を吐く。三十年と少し前に確かに襲撃されたと記録されているが、その相手はどうやら国に不満を募らせた活動家とそれに先導された者たちだったようだ。あまりにも単純な内容に拍子抜けしてしまう。もう少し詳しく調べれば色々と出てくるかもしれないが既に三十年も経っているし、活動家やその周囲の組織も全て解体したと書かれていた。

……一応裁判記録も見ておこう。

キャレルを出て、今度は裁判の資料が並ぶ書架を探す。軍部資料と違って裁判資料は城で行われる大きなものから地方で行われる小さなものまで隈なく集められているのでその量は膨大だ。古いものだと地方のそれこそ隣の家の木の枝が敷地に入り込んできたと言った小競り合いの裁判資料は概要がまとめられて大分少なくなっているものの、ユーベルトが調べたいものは三十年前のものである。最近とは言い難いが資料で言えばまだ新しい年代となるため記録はそのまま保存してあるのだ。ユーベルトは既に二列目の書架を探している。

「……これかな」

やっと見つけた資料は、思ったより厚みがあった。その場で少し読んでみると、どうやら襲撃に関わった人物たちを個別に尋問した資料も入っているようである。これは読み応えがありそうだとキャレルに戻って扉を閉めようとした時、無理やりこじ開けられた。

何事だと驚く間もなく誰かがユーベルトを押し込んで入ってくる。何と迷惑な奴だろうかと見上げると、そこにはユーベルトが一番見たく無い顔があった。

彼が後ろ手に鍵をかけたことに気づいて、思わず剣呑な雰囲気になる。

「……ここは私が借りたキャレルですけど」

「君に用事があってここに来たんだ」

今まで何の音沙汰もなかったというのに、今更なんだと言うのだろう。真剣な眼差しで見てくる彼ーーヘリオロスに煩わしさを感じながら、ユーベルトは先手を打つことにした。

「用事というのはこれですよね」

懐から出したのは、隣人伝手に渡された小箱だ。あの後一応中身を確認してピアスだと分かってから、いつか返そうと城内にいる間はずっと持ち歩いていたのである。

「大事なものでしょう?お返しします」

差し出した小箱を受け取るわけでもなく、ヘリオロスはぐっと眉を寄せた。

「そんなに私のことが嫌いか?」

その問いに、今度はユーベルトが眉を寄せる番だった。

嫌いなわけがない。むしろずっと好きだったし、今も好きなままだ。けれどそれでも受け入れられない理由がある。

「……嫌いとかそういう問題ではないです」

「じゃあどうしたらそれを素直に受け取ってくれるんだ?あの日だって私のことを慕ってくれていると言ったから、だからーー」

「酔っ払いの戯言を真に受けたんですか。当の本人は何も覚えてないのに?」

「前も、そう言っていたけれど……本当に覚えていないのか?」

「まったく。これっぽっちも。部下たちと別れて一人で飲んでいた事までは覚えています。その後は全く覚えていませんよ、朝起きてピアスが刺さっていることに気づいてどれだけ驚いたことか」

「そんな……」

とてつもない衝撃を受けたようにヘリオロスは狼狽えた。今のうちにまた押し付け返してしまおうと震える彼の手を取ろうとすると、逆に手首を掴まれて壁に押し付けられた。

あまりの勢いに背中が強かに打ち付けられる。バサバサと音を立てながら落ちた資料や、けほけほと咽せるユーベルトが目に入っていないのか、ヘリオロスは言い募った。

「酒に酔っていて記憶がないと言われても、私は鮮明に覚えている!下町の居酒屋で並んで飲んだことも、酔ってふらついた君を部屋まで送ったことも、帰ろうとする私を君が引き留めたことも、私のことを慕っていると告げた君の赤い頬も、私の手で快がるーー」

「そんなことを話したいわけじゃないし聞きたくもない。私は貴方にこれを返したいと言っているんです」

「私は返してほしくない!」

何故彼はこんなに必死なのだろう。ユーベルトの体がそんなにもよかったのだろうか。相性?都合のいい相手?それとも本当にユーベルトを必要としているのだろうか。けれどユーベルトは自分に彼が執着するほどの何かがあるとは思えない。一体何が彼をここまで……と思っていると、ヘリオロスは壁に縫い付けていたユーベルトの手を引いて、手前で握り込んだ。

「どうすれば私の伴侶になってくれる?」

「は、はんりょ……?」

「今までの反応から見れば、君が私を疑っていることはわかる。信じてもらえなくてもいい。けれど私は真剣なんだ。柄にもなくこうして必死になるくらい、私は……」

ユーベルトが伴侶という単語に慄いている間にもヘリオロスは必死に口説いてくる。それでも何故ヘリオロスがユーベルトに執着するのかの核心にはふれないままだ。そこさえ分かれば断り方も考えられるというのに、まるでそうはさせまいと抵抗されているようである。

戸惑いつつも押され始めたユーベルトに手応えを感じたのか、ヘリオロスは前のめりに仕掛けてきた。

「どんな無理難題でもいい。必ずそれをやり遂げてみせるから。そうしたら私と結婚すると約束してくれないか?」

手を握られて、そんなふうに縋られると困る。別にヘリオロスのことが嫌いで突っぱねている訳ではないからだ。むしろ、何のしがらみもなければその胸に飛び込みたいと思ってしまう。

けれどここで絆されては、今までの苦労が台無しだ。何か良い策が無いかと頭の中の引き出しを手当たり次第に開け放っていく。

そういえば古くから伝わる嫁取りの話があった。

下町でこんな美人は他にいないと噂される娘は次から次へと舞い込む求婚をことごとく断り続けていた。ある日一人の騎士が求婚するのだが、娘はそれを今までと同じく断った。それでも諦められないと日参する騎士に、娘は難題を出すのだ。騎士が難題を達成しても娘は次の難題を出す。それを何回か繰り返していくうちにどんな難題でもやり遂げる騎士に娘は絆されて求婚を受け入れるのだ。

昔話として広く伝わっているこの話をヘリオロスが知らないわけがない。わざわざ無理難題をと促すのもこの話をなぞってのことに違いないだろう。

ユーベルトはぐっと頬の内側を噛んで目を閉じた。

「どんな無理難題でも、と仰いましたね」

「ああ、どんな条件でも必ず。君をそばに置くことができるなら何だってするとも」

「でしたら……」

ユーベルトは目を開いてヘリオロスをまっすぐ見上げた。

「まずはこの国で一番高い山の頂上にしか咲かないという地の精霊王の喜びと呼ばれる花を私のために摘んできてください」

この国で一番高い山というのは、世界一高いホムファソル山のことである。登山道は中腹までしか整備されておらず、その先は精霊の力が強く道ゆく人を惑わせるので、山頂に辿り着ける者はごく僅かだと言われているのだ。

そんな山に挑むよりユーベルトへの求婚を取り下げるだろうと踏んだのに、ヘリオロスの目は強い光を放っていた。

「必ずその花を君に持ってこよう」

そう言ってヘリオロスはキャレルから飛び出して行った。司書が彼を叱りつける声が聞こえていたが、足音は止まることなく遠ざかっていく。侭ならない状況に、ユーベルトは立ち尽くすしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ