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04

ユーベルトがヘリオロスのことを知ったのは学園の騎士科に進んですぐの事だった。

騎士科に進学するための試験を合格点ギリギリで通過したユーベルトは騎士科の教師達によって毎日放課後に補講が用意されていて、その日も授業でボロボロになっている身体を引きずりながら訓練場に向かっていた。

こんなボロボロになってるのに補講は必ず実施するなんてとうんざりしてしまうが、教師達がユーベルトのことを憐れんでわざわざ自分たちの時間を削ってまで用意してくれている場である。実技訓練用の制服に着替えたユーベルトは訓練場に入った。

今日担当してくれる教師は誰だろうかと訓練場を囲むベンチの列を探すと、その姿はすぐに見つかった。騎士科の教師陣の中でも一等厳しいと噂の教師である。何もこんな日にと落ち込んだユーベルトは、教師の隣に並ぶ上級生の姿に気づいた。

……誰だろうか?

肩までの銀髪を一つに束ねているその上級生は制服から察するに文官科の生徒である。文官科の生徒が騎士科の訓練場に来るなんて珍しい。もしかしたら文官科でも医師を目指している人だろうか。

気にはなるものの、面倒ごとに巻き込まれたくなければ何事にも関わるなというのが学園内の暗黙の了解である。ユーベルトは入り口から近いベンチに座って教師と上級生の会話が終わるのを静かに待った。

程なくして上級生はユーベルトがいる近くの入り口とは違う扉から去って行った。教師は話し合いの最中にユーベルトが入ってきたことに気づいていたらしく、来いと一言だけ発した。ユーベルトがそれに素直に従うと、教師はひとつ頷いて紙を一枚差し出してきた。それを受け取って内容を見ると、いくつかの問題が解答用の余白を挟んで並んでいる。

「お前は頭を使うのが得意だと聞いた。騎士科の試験もギリギリだったのは実技の方で座学はほぼ満点だったそうじゃないか。今日は実技がメインの授業だったのだろ?疲れた時に訓練しても身が入らないから、今日は帰って休め。その課題は明日の補講までに解けていればいいから」

その言葉にホッと安堵の息を吐くと、教師は苦笑をこぼした。

「あいつの言った通りだったな」

「あいつ……?」

「さっき私と話してた生徒だよ。銀髪の。見てただろう?」

「ええ、お名前は存じ上げませんが」

「知らないのか?あれはアーゲンラッハ伯爵のところの次子だぞ?」

アーゲンラッハ伯爵の次子と言われて、ようやくユーベルトは彼が誰だったのかを知った。騎士を輩出する名門のアーゲンラッハ伯爵家から文官科に進んだ者がいると聞いたことがある。文官の家から騎士にと言うのはユーベルトもそうであるように家長の命令だったり自分の得意分野だったりとそれなりに居るのだがその逆は極めて稀で、しかも騎士の名門からというのは前例がないほどのはずだ。

「……彼は何故文官科に進んだのですか?」

「あいつは騎士科で学ぶことは家で学べるからと文官科で魔術士の勉強をしているんだ。授業がない時間や放課後に暇な相手をみつけては訓練に誘ったりして騎士の資格を取るために試験だけは受けに来たりしてる。実力は本物だな」

「そうですか……」

「ああ。騎士科の科目を網羅して、文官科に進んでいるから文官系の思考回路も分かるんじゃないかと思って前もって相談した結果がその課題だからな。ちゃんとやるんだぞ」

さっさと寮に帰れと言われて、ユーベルトは着たばかりの制服を着替えて寮に戻った。

夕食と入浴を終えてくたくただったが、ユーベルトは机に向かって課題の用紙を広げる。そこにはまるで兵法の問いのような形で攻撃を向けられた際どのように立ち回ればいいのかという問題が並んでいた。体が反応しないのなら頭で考えてそれを身につけろということだろう。ユーベルトにとっては体に教え込むよりこちらの方がよほど分かりやすかった。

感心するとともに、嫉妬で胸が苦しくなった。

この問題用紙を作った彼は、ユーベルトが必死になってもがいてやっとしがみ付いている場所に余裕で座っているのだ。

ユーベルトは家長である父に騎士科に進めと言われてその通りにした。本当は文官科に進みたかったが、文官として勤める父や兄からすると騎士から得られる情報が欲しくてユーベルトの進路を決めたのである。

悩んだものの受け入れたのはユーベルト自身だから恨むのはお門違いだ。けれどユーベルトの触れられたくない部分を刺激する人間が目の前に現れてしまった。

「悔しいな……」

なんの解決にもならないけれど、ユーベルトは問題用紙を睨みつける。この課題に手を抜くことなど許されない。周りが許しても、ユーベルト自身が許せなかった。


それからユーベルトはその課題を完璧に仕上げて次の日の朝には提出した。課題を渡してきた教師は課題を終える早さに驚いていたが、ユーベルトの学年を受け持っている実技の教師達はユーベルトの動きの変化に驚いていた。

あの課題はそれきりだったが、ユーベルトは自分の訓練方法を確立できたのでそれ以降の実習に関しては予習さえすれば着いていけるようになったし、補講の時間も徐々に少なくなっていった。

そんな中で気になるのはやはり、あの課題を作った銀髪の上級生のことだった。ユーベルトは自分でできる限り情報を集めることにした。するとアーゲンラッハ伯爵の次子であることで注目を集めているのだろうか、そんなに必死にならなくても面白いくらいに彼の情報が集まった。

彼の名はヘリオロスという。幼い頃から周囲が期待するほど騎士としての能力が高かったのに、あの教師の言った通り彼自身の希望で文官科へ進んだらしい。貴族でも魔術を行使できるほどの魔力を有するのは稀なのだが、彼の母である伯爵夫人が魔術士で、彼はその血が濃く出たのだと言われているようだ。出世欲よりも研究欲の方が強いようで、コネを作るよりも師事している教師の研究室に引きこもっていることが多いようである。そもそも彼の生家がこの国の建国当時から続いている伯爵家なのでコネは必要ないだろうが。

他にも色々彼の個人的な噂が手に入ったが、それらは裏が取れなかったので価値のない情報としてメモ帳の隅に眠ることになりそうだ。

「まだヘリオロス様について調べてるの?」

呆れたように聞いてきたのはイザベラだ。最初こそ授業についていけなかったユーベルトを冷やかに見ていた彼女はそれでも転科しないしぶとさを買ってくれて、今ではユーベルトの一番の友人と言ってもおかしくない存在になっていた。

「またあの人のことばかり書いてるし」

「言葉が崩れてるよ」

「いいじゃない。どうせ騎士を選んでる時点で嫁にとってくれる人もないんだから」

「それはわからないよ、君の母君だって騎士だったでしょう?」

「騎士って言っても総務課だもの。実質文官じゃない」

「……イザベラは総務課に行かないんだ?」

「何のために騎士科にいるのよ……私は生涯現役って決めてるの。欲を言えば医療もできる騎士になりたいけどね」

ふふっと笑ってイザベラは、ユーベルトのメモ帳を彼の手から抜き取った。防ぎ切れなかったことに肩を落としながらも、彼女の所作に感嘆する。こういった所作はユーベルトより余程騎士らしいと思えるからだ。きっと、ユーベルトが同じ動きをしたとしても、同級生どころか下級生にさえ阻まれるだろう。

「このメモ帳、半分以上があの人のことで埋め尽くされてるんだけど……」

「話題に事欠かないお人だから」

「絵まであるじゃない。薬草より余程あの人の顔が好きなのね」

「……まあ、美術品みたいだなって思ってる」

「何それ、可笑しいの」

くすくす笑いながらイザベラがメモ帳を返してくれる。それを受け取ったユーベルトは自分のメモ帳を眺めながら肩をすくめた。

ヘリオロスの情報を集め始めてから今やメモ帳は数十冊という量になっているが、雑多な内容のはずのメモ帳は半分ほど彼の情報に占められている。

……興味関心、と言い切るには少し量が多過ぎるかもしれない。

最初は嫉妬からだった。自分が持たないものを得ている彼は一体どういう人なのだろうと思ったのだ。そして彼の情報を集めはじめたら彼の生い立ちや周囲からの評価は集まってくるのに、人となりについての情報が皆無なのだと気づいてしまったのだ。

「気になり出すと突き詰めたくなるんだよね……」

「血筋なのかしら」

「……そうかも知れないなあ。やっぱり騎士というより文官なのかも」

「でもユーベルトは騎士として成長してるわ。いつかきっと、みんなと違う目線で見ているあなたが必要になる時が来るはずよ」

「ありがとう」

「冗談だと思ってるでしょ……本当にそう思ってるのに。皆ユーベルトみたいに道端に生えてる草が薬草だって判別できないんだから。この先出征に加わることになって、携帯薬がなくなった時は絶対にユーベルトはみんなから有り難がられるわよ……!」

「わかった、分かったよ。ありがとう、イザベラ。けれど、そもそも携帯薬が枯渇する騎士なんて出征に参加できないと思うし、きっと私は兵士止まりだよ」

「またそんなこと言って!」

もー!と声を荒げ始める彼女を止めたのはクラスメイトのエリアスだった。彼はユーベルトと同じく文官の家から騎士科に進んだもう一人の生徒である。

「あまりユーベルトを困らせないでくれないか。イザベラも分かっているだろ、自分の実力を図れない奴ほど足を引っ張るって。たとえ君の評価よりユーベルトの自己評価が低かったとしても、それはユーベルトが自分の実力を把握してるってことなんだよ。他人があれこれ言うことじゃ無い」

「……そうね。ユーベルト、ごめんなさい」

「ううん、イザベラが私を評価してくれていることは素直に嬉しいから。ありがとう」

「うん。エリアスもごめんなさい、私興奮すると周りが見えなくなってしまって」

「落ち着いてくれたならいいよ。そろそろ次の授業が始まるし、自分の席に戻ろう」

エリアスの言葉が号令のように室内に響き、皆が各々の席に着く。少しして座学の先生が入ってきて、多くの生徒にとっては退屈な時間が始まったのだった。




ユーベルトのメモ帳はそれからもずっと増え続けている。その時に書き留めたいことを書くので様々な分野の情報が混在しているが、やはり大半を占めるのはヘリオロスについての情報だった。いつだったか、あまりにもヘリオロスの情報が溜まっていくので彼についてだけ別のメモ帳にしようかと思ったのだが、結局思うだけでそのままになっている。

今だって、ユーベルトの手はヘリオロスを描いている。凱旋の際に見た彼の目が脳裏から離れないから、こうして紙の上に出力して思考を真っさらに戻すのだ。

「我ながらどうかしてると思ってるよ……」

ぼやきは誰も拾ってくれないまま、空気に溶けていく。

本当のところ、ユーベルトはピアスがヘリオロスのものだと気づいた時は天にも昇るような気持ちだった。けれどそれと同時に恐怖に支配された。

ヘリオロスはこれまでの功績から爵位を賜っている。個人で爵位を得ると新しく家を起こすことも可能だし、次子以降であっても異性婚が許されるのだ。

ヘリオロスは多くの人からそういう意味で慕われている。その中にはユーベルトより身分が高い女性だっているし、なにより爵位が与えられるということは子孫を残すことを望まれているのだ。

どういう理由でヘリオロスがユーベルトにピアスを刺したのかは未だ定かではない。イザベラはヘリオロスがユーベルトに思いを寄せている可能性を示唆するが、そもそもこれまで関わりのなかった彼が何も突出することのない凡庸なユーベルトの何を好くと言うのだろうか。

わずかに湧き上がりそうになる感情を奥底に押し込めて、ユーベルトはベッドの中に潜り込んだ。

今はもう、何も考えたくはなかった。


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