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03

「痛い……」

「そりゃ痛いでしょうよ、バカ」

バシッと頭を叩かれて、ユーベルトは項垂れた。

場所は医務室。ユーベルトの耳を処置してくれたのは同期のイザベラだ。彼女は騎士でありながら医師の資格も持っていて、騎士の仕事が非番の時にここに入り浸っているのである。

見知った彼女がここにいてよかったと泣きついたが、まさか治癒魔術ではなく縫合されるなんて思わなかった。しかも麻酔なしなんて地獄を見たと言っていい。

「ユーベルト、あんたあの人に啖呵切ってきたんならもっと気を強く持ちなよ」

「なんで知ってるの」

「噂話で持ちきり。知ってるでしょ、医務室って放っておいても情報が入ってくるの。前にユーベルトが教えてくれたんじゃない」

呆れたと肩をすくめる彼女に、ユーベルトはそうだったねと頷く。文官の家に生まれたユーベルトは気になったものは道端の石ころまで兎に角メモを取ることが癖になっていた。父が情報収集の練習だとメモを取る練習をさせた本人だったのだが、ユーベルトがこんな成長をすると思っていなかったみたいで戸惑っていたのは別の話である。

何でもかんでもメモするユーベルトは、情報が集まる場所をいくつか知っている。そのうちの一つが医務室という場所で、学生の頃にイザベラに話していた記憶があった。

「まさか情報収集のためにここに通ってるわけじゃないだろ?」

「まさか。騎士の仕事ばかりで医療の腕が落ちないように居させてもらってるのよ。……片手間に入ってくる情報は聞き逃さないようにしてるけど」

「じゃあ少しは役に立ったかな」

「まあ少しはね」

からからと笑いながら痛み止めを処方してくれた彼女はユーベルトの一番の友人だ。イザベラは学園に通っている時から何かと気にかけてくれている。貴族の女性としてはどうもざっくばらんとし過ぎていて社交に向かないけれど、ユーベルトは彼女の気風を好ましいとも思っている。そんなイザベラの胸元には見慣れないネックレスが付けられていた。おや、と首を傾げて促すと、イザベラはほんのりと頬を赤らめながら教えてくれた。

「こんな男勝りな私がいいっていう変わり者がいたのよ」

つっけんどんな口調だが喜びが混じった声色に、ユーベルトは素直に喜んだ。彼女の素晴らしさを知り、生涯を共にしたいという長子の男がいたらしい。

「ネックレスをつけてるってことはイザベラも彼のことが良いって思ったんだろう?想い合って一緒になれるのはすごく素晴らしいことだよ!おめでとう!」

「ちょ、ちょっと、大袈裟よ!……でも、ありがとう」

はにかむイザベラはとても可愛らしかった。騎士の家に生まれてずっと剣を握っていた彼女はユーベルトよりもかっこ良くて勇敢だ。剣捌きも力で劣るはずの男達より素晴らしく、成人してなお男に勝てるほどの技量を持っているのだ。いつか近衞騎士になりたいと言っていた夢は婚姻によって叶わなくなるだろうが、その夢を諦めても一緒になろうと思える相手と出会えたというなら、やはり素晴らしいことだと思う。

「結婚式には是非呼んでほしいな。目一杯お祝いするから」

「もちろんそのつもり。本当にありがとう。……だけど、ユーベルトは良かったの?」

最後の問いかけはひっそりとした物だった。彼女はユーベルトが誰に想いを寄せているのか知っているから心配なのだろう。大丈夫と答えてピアスを拒絶した理由を語った。

「俺さ、昨日の夜の記憶が全くないんだ」

個人として話すつもりで一人称を私的な時に使う者に切り替えると、イザベラは医務室の中の面談室へ促してくれた。

「あの部屋なら防音になってるから、そこでお話ししましょ」


面談室へ入ってから、ユーベルトは昨日の酒屋から今朝までの記憶がなく目が覚めたらピアスが付けられていたことや、ヘリオロスに遭遇してピアスを押し返した事を語った。向かい合うように椅子に腰掛けたイザベラはその話をただ黙って聞いてくれていて、その姿勢がすごくありがたい。あらましを告げた後、ユーベルトは顔を手で覆って深いため息をこぼした。

「なんでこんなことになってしまったんだろう」

「酒に呑まれたのが悪いと思う」

「それはそうなんだけどさあ」

ずっと抱え続けてきた恋の終わりとしては、あまりに酷い結末だと思う。もっとなんだか、よくある恋愛物語のように主人公達の大恋愛を知って自分の恋を諦める脇役のような終わり方をしたかった。

なのに現実は自分の知らないうちにセックスして、ピアスまで貰って、けれど記憶がないせいでどういう事が起こったのかも分からず仕舞いで。ヘリオロスがユーベルトにピアスを刺すなんて何かの間違いとしか思えなかった。

「せめて相手がヘリオロス様じゃなかったら受け入れたかもしれない」

「なんでよ。ずーっと好きだったんだから、両思いだやったー!って喜んでれば良かったじゃない」

「ヘリオロス様は俺なんかを好きにならない!それだけは譲れない!」

「拗らせてるなあ」

ヘリオロスは彼に相応しい相手と結婚して、幸せに暮らすのだ。そしてユーベルトは彼と彼の選んだ相手を祝福しながら、ずっと独りで生きていくのである。他人になんと言われようと、それだけは譲れない。ユーベルトが自分の長すぎる恋に決着をつけるにはこのシナリオ以外は許容できない。

「自分がその相手だったらいいなあとか思わないわけ?」

「解釈違い」

「何それ」

「ヘリオロス様は次子だけど個人爵位を賜ってるから家を興せるだろ?だから彼は釣り合いのいい美しい女性と結婚して子供を育てて幸せに暮らす以外の未来は存在しないに等しい。そしてその幸せを願いながら細々と生きていくのが俺の人生設計。ヘリオロス様の人生に俺は必要ないから」

「拗らせもここまでくると感心するわ」

同情するなあとぼやくイザベラに、誰に同情するのかと尋ねると、彼女は嫌そうな顔をして答えた。

「ヘリオロス様に同情してる」

「……なんで?」

「あのさ、ユーベルトはヘリオロス様の気持ちに関しては何も考慮してないよね」

何を言ってるのだろうかと目を瞬くユーベルトに、イザベラはこめかみを揉みながら丁寧に説明し始めた。

「昨日の夜にユーベルトが抱かれたのかどうかは置いといて、ピアスを刺すのはそれなりの覚悟が必要だと思うの。少なくとも生半可な気持ちでつける物じゃないよね、自分の人生を左右するんだから」

「……うん」

「ということはだよ?少なくともヘリオロス様はユーベルトを実らぬ花であっても自分のものにしたいという感情は持ち合わせてるんだと私は思うわけ」

「だからヘリオロス様は俺なんかーー」

「それはユーベルトの主観で望みでしょ。ヘリオロス様を神聖視しすぎじゃない?あの人だって一人の人間だし欲も持ってる男だよ」

神聖視しすぎと言われて、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。確かにユーベルトは彼を特別視している。だって彼は、ヘリオロスはユーベルトがなしえなかった事をしてしまった人で、いわば憧れの存在なのだ。ユーベルトはヘリオロスに夢を見ている。自分ができなかった事をしてくれるのではという期待がそこにあった。それを神聖視だと言われても否定はできないかもしれない。

けれど、別に人間扱いしていないわけじゃない。ヘリオロスだって食事を食べなければ死んでしまうだろうし、恋もすれば何かに執着することもあるだろう。

でもその恋や執着がユーベルトに向く理由がわからない。そもそも釣り合ってないのだから嘘を吐いているか揶揄ってるとしか思えないのだ。

「例えばの話だけど、ヘリオロス様が俺のことを好きだとしても、きっかけが想像できない。だって全く接点がないじゃないか。イザベラは空想に恋ができるの?」

「それは……」

言い淀むイザベラに、やっぱりそうだよねと少しだけ残念に思う。でもやっぱり無理なものは無理なのだ。

「話を聞いてくれてありがとう」

「何も解決できなくてごめんなさい」

「大丈夫だよ、少しだけど気持ちが軽くなった気がするし」

「……それならいいんだけど」

納得いかないといった表情を見せるイザベラに大丈夫だからと念を押して面談室から出た。医務室の至る所からあの突き刺さるようなものではなく、どこか気遣うような視線を感じるのはイザベラが何かを言ったのかもしれない。そんな中で他の人よりも余程心配そうにユーベルトを見てくる男性がいた。白衣を着た彼は、イザベラのネックレストップと同じ色の目をしている。徐に近づくと彼は驚きつつもユーベルトに挨拶をしてくれた。

「初めまして。貴方のことはイザベラから聞いていますよ」

「こちらこそ始めまして。イザベラは僕のことを何と?」

「手当たり次第情報を集める風変わりな騎士だと」

「騎士じゃなくて兵士なんですけれどね」

あははと笑い合って、お互いに様子を探り合う。緊張はしているものの、彼はユーベルトを気遣う姿勢を解かなかった。とても優しそうな人じゃないかとイザベラを誉めておく。彼以上に彼女のことを思う人はいないだろうし、ユーベルトが頼むというのも変だろう。

「俺とも仲良くしてくれると嬉しいです。今までも医務室にはお世話になりっぱなしだから、これからもそうなるだろうし」

「でしたらユーベルトさんがここに来た時は僕が処置しますよ」

砕けた口調で言えば、彼からも同じような口調で返ってきた。迎え入れてもらったことに安堵しながら帰ることを告げて医務室を後にする。


寮に戻ると足音を聞いていたのか、今朝と同じように非番だと言っていた左隣の隣人が勢いよく部屋から出てきた。その勢いに驚いて気持ちのけ反っていると、彼は頬を指で掻きながら罰が悪そうにおかえりとユーベルトに声をかけてくれた。それにただいまと返す。

「誰か来た?」

「少し前に来てた。大物すぎて驚いたよ、まさか……」

「言わなくていい。ピアスは突き返したからもう無関係だ」

「……それは、その……君にとっては気の毒なんだけど」

そう言って差し出されたのは小ぶりの箱だった。

「君がなかなか返ってこないから諦めて帰って行ったんだけど、これを渡しておいてくれって」

「受け取らないとまずいか?」

「俺殺されたくない」

殺されるなんて物騒な。ぎょっとしたが、彼の表情をみるに冗談を言っている訳ではなさそうだった。受け取りたくないが受け取らざるを得ない。ユーベルトが小箱を受け取ると、彼は心底安堵した表情を見せた。

「あの人と関わりがあるなんてすごいよ。俺からしたら雲の上の存在だからさ。余計なお世話だと思うけどさ、ピアスを返したって言ったけど、受け入れた方がいいと思うよ。じゃあな」

そうして彼は部屋に引っ込んでいった。

ユーベルトも気が重たくなりながら自室に入る。小箱を机の上に置いて、深いため息を吐いた。

中身を確認したわけではないが、きっとピアスだ。ユーベルトが耳から引きちぎってまで返したものを、どうしてまたこうして渡してくるのだろう。

左隣の隣人は受け入れた方がいいと言った。ユーベルトだって自分じゃない誰かがヘリオロスから求婚されていたなら彼と同じことを思っていただろう。求婚を受け入れた方が家のためになる……それくらいヘリオロスの存在は大きいし、彼の生家は権力を持っているのだ。

けれど自分の身に降りかかってくるなら話は別である。

ユーベルトは彼のことを慕いながら、けれど関わり合いになりたくなかった。いや、叶うならヘリオロスに特別な感情を抱く前に戻って、皆と同じようにすごい人がいるものだと遠巻きに眺めているだけの立場になりたい。

あの日さえなければ……とユーベルトはいつかの日を思い返した。



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