02
自覚したヘリオロスの行動は早かった。
まずは個人爵位を得るために功績を立てた。元々魔術の研究成果を出していたし、出征先でも功績を立てたので爵位を賜るのはすぐの事だった。
爵位を得た時に父であるアーゲンラッハ伯爵はヘリオロスが家を出て独立するのではと危惧していたが、自分にはその気がないことと男を婚姻相手として娶りたい事を告げた。
家に残るということは生家に忠誠を捧げるということだし、個人爵位を得ながら同性と婚姻を結びたいということはその最たるものだ。父はヘリオロスの答えに満足して、何かあれば手を貸すと約束してくれた。
あとはユーベルトに想いを告げて実らぬ花の誓いを立てるだけだと思っていたのに。
「……なんですか?」
肉を頬張りながら首を傾げるユーベルトに何でもないと首を横に振りながら酒を一口分流し込む。それなら別にいいんですけどと特に気にする素振りもなく食事に戻る様に苦笑する。彼がヘリオロスのことを好きだと言った言葉は信じたいが、こういう態度を取られると本当なのかと疑う気持ちが少しだけ顔を覗かせる。
彼はいつだってそうだ。宝飾店からの帰り道、小腹が空いたからと誘われたのは小ぢんまりとした居酒屋だった。こんな場所に何の躊躇もなく入れるのは兵士として平民たちと接しているからだろうか。ユーベルトは柔らかな笑みを店先で食べていた平民から居酒屋の店員にまで振り撒いて、席を二人分用意してくれと頼んでいた。
……僕にはそんな柔らかい笑顔、向けてくれないくせに。
ユーベルトは温厚だと思う。同級生や後輩たち、門に訪れる平民や貴族に隔てなく一貫して穏やかな態度で接しているし、親しい間柄の者には柔らかな笑顔を向けるのだ。
けれど、ヘリオロスにはそんな顔を一度も見せてくれない。
あの晩、酔った彼はヘリオロスのことを好きと言ってくれて、肌を合わせることも許してくれた。恥ずかしがる彼はすごく可愛かったし、両思いだったことの喜びと、最大の難関であった実らぬ花の誓いを交わすことができた安堵感でヘリオロスは浮き足だったまま家へと帰ったのである。
正直なところ、これが失敗だったのだろうと今になっては思うのだが。だって、朝を一緒に迎えたのなら、その場ですり合わせができてそこで話も纏まっていたのだろうから。
まあ、過去のことをとやかく考えても意味はない。とにかく、ヘリオロスのピアスは突き返されて──まさか耳たぶから引きちぎられるとも、そこまでの拒否をされるとも思っていなかったのでかなり衝撃的だった──呆然と立ち尽くすしか無かったし、一度手に入ったと思ったものが指の隙間からすり抜けていったことで、ヘリオロスはさらに必死になった。
無理やり、脅迫まがいに嫁取りの課題を引き出したし、大怪我を負ったのは不覚だったが、それで付け入ることもした。最後の課題は頭を悩ませたが、利害が一致した宰相の協力で事なきを得たけれども。
……やはり、やり方が不味かったのだろうか。
考えてみたらユーベルトの主張を押し除けるようにして自分の気持ちを押し付けることばかりしてきた。嫁取りの課題だとて、ヘリオロスはユーベルトにその気があってこそのものだと思っていたけれど、課題をもらえたと喜んでアーデルバルトに報告した途端「それ、拒否られてるぞ」と言われたのである。アーゲンラッハとそれ以外との常識が違うことに衝撃を受けたのを今もまだ覚えている。
けれどそれを気づかないふりをして、最後の課題まで終わらせて……
「……ヘリオロスさま?」
堂々巡りのなかに、ユーベルトの声が落とされて目の前に意識が戻された。ハッとして彼の方に目を向けると、訝しむような顔が向けられていた。
「あまりお口に合いませんでしたか?」
「いや、考え事をしていただけだよ」
「……それならいいですけど、早く食べないと冷めてしまいますよ」
促されて、手付かずだった串焼きを頬張る。口にしたことがない濃厚な味に瞠目していると、隣から揶揄うような笑い声が上がった。
「最初はびっくりしますよね」
からからと笑うユーベルトの、破顔という言葉がぴったり合うような笑顔に、ヘリオロスは頬が上気するのが分かった。
「……お顔が真っ赤ですけれど……」
「言われなくてもわかってる」
はあ……と自分を落ち着かせるように息を吐いていると、ユーベルトは興味が他に移ったのが食事を再開して周囲に目を向けていた。
……こういうところだ。
ヘリオロスはユーベルトの横顔を見つめる。
いつだったか、ヘリオロスがユーベルトのことを調べ始めた頃にアーデルバルトは彼のことを「平凡で特筆すべきところがない」と評していたが、ユーベルトの努力を知っているヘリオロスからすれば、彼はどんな人間よりも魅力的な存在だった。
周囲からすれば、ともすれば失礼だと叱責されるようなこの態度も、彼がそうなるように努力していた結果であると、ヘリオロスは知っているのだから。
「好きだよ」
居酒屋の喧騒の中で、彼の耳に届くかどうかといった小さな声で囁く。ひくり、と肩が揺れたから、きっと聞き取れたのだろう。
「なんですか、藪から棒に」
「そういえば、ちゃんと伝えていなかったなと思って。伝わったかな?」
「……まあ、そうですね。ようやくあなたの言葉を信じようかなと思うくらいには」
「おや」
それでは、いままでヘリオロスが命懸けでやってきた課題という名の求愛行動はまともに受け入れてもらえてなかったということだろうか。思い返してみれば、嫉妬から抱き潰したあの夜も、ユーベルトの思いの丈は聞いていてもヘリオロスの気持ちは伝えていなかったような気がする。
言葉にするというのは存外大切なことなのかもしれない。
ヘリオロスはユーベルトの耳に口をそっと近づけた。
「愛している」
じわじわとユーベルトの頬が赤くなって行く様を見つめながら、今度はヘリオロスがくつくつと喉を震わせて笑う番だった。




