08 留守
竜騎士団の団長キースは「当分の間は、何も知らないオデットの面倒を見る」という名目で、副団長アイザックや部下に仕事を振ったりと多忙の中で何とかやりくりして時間を作っているらしい。
だが、最高責任者である彼が延々と家の中に籠っている訳にもいかない。
この前、目を離した隙に危険に遭わせてしまいそうだったことを怒られているのか、キースがいない間もセドリックはオデットの近くに居るようになった。
最初の数日は気安い雰囲気とは言えない彼と共に居れば気詰まりかもしれないと構えていたものの、それはオデットの杞憂だったようだ。
セドリックはオデットがエミリーに習った料理を自分で試行錯誤しつつ再現しようとしている時も、自分は居間にあるソファに腰掛けてぼんやりとして黙ったまま思索をしているようだった。
時折気にするように視線を向けるものの、それは嫌なものではない。寡黙な彼にも慣れて仕舞えば、別に気にならなくなった。
その日は、オデットがエミリーに教わった通りに家で掃除をしていると、誰かがいきなり扉を開けて入り大きな音をさせて廊下を歩いて来た。
もしや不審者かもしれないとは、もう思わない。
その人が気安い同期の家に突然やって来る事は、オデットがこちらに住まわせて貰うようになってからもままある事だった。
「……おす」
出入り口から頭を下げて顔を出した彼の低い声が聞こえて、オデットは微笑んだ。
「こんにちは。アイザックさん」
「どうも、お姫様。キースは……まだ、戻ってないんだな」
アイザックはソファに座って居たセドリックを見て、苦笑した。キースがいない間は、いつもそうだから彼もルールを理解している。
物慣れないオデットのお守り係を丁度良いと交代するつもりなのかセドリックはアイザックと入れ替わるようにして、部屋をゆっくりと出て行った。
「ええ。今日は何か、大事な用事があるとかで城に……」
掃除道具を置いたオデットの言葉に、部屋の中へとゆっくりと入って来たアイザックは頷いた。
「ああ……その事で、少し話がしたかったんだが……そろそろ帰って来る時間だろう。悪いが、待たせて貰う」
大きな身体と一見怖そうな造作の顔を持つアイザックは、見た目威圧的で口調も荒っぽい。だが、そんな印象に反してオデットに対し彼は優しく心を砕いてくれた。キースは上流階級の息子だから庶民の常識がわからないと細々とした女性に必要な品を率先して揃えてくれたし、何かと気を使ってくれるのだ。
「どうぞ。お茶でも淹れましょうか……?」
「……ありがとう。貰おうか」
オデットの言葉にアイザックは頷き、自分の前にお茶を置かれてから口を開いた。
「お姫様は、そろそろ返上か」
揶揄うような彼の言葉に、オデットは苦笑して肩を竦めた。
「元々、お姫様でも……ないんですけど。私の二つ名については、ただ……生まれながらに私が月の女神の加護を、受けているというだけのものです。能力を高く売るための、商品名のようなものです。現に王族の血なんて、一滴も入っていませんし」
アイザックは、オデットの言葉を聞きつつ何度か頷き感心するように言った。
「高く売るための……商品名ねえ。大事に大事に育てられた何も知らない籠の鳥かと思えば、そうでもないらしい。自分の立場は、冷静に見えているようだな。お姫様の事情は、一応俺も聞いてる。産まれた時から、他人に能力を利用される人生など、俺にはゾッとする。本当に、大変だったよな……ああ。だから、あのキースが君をどうしても守りたいと思った気持ちがわかったんだ」
「……キース様が……ですか?」
「そうだ。あいつはこの国でも……王族の血を持つ竜騎士団の団長と言う身分以上の、特別な存在だ。今の王には、世継ぎの姫一人しかいない。息子が欲しかっただろうが、俺のような者には知ることの出来ないどう言った事情か知らないが。今代王には、子どもがその姫君以外には出来なかったんだ。そして、その姫というのも、隣国から嫁いで来た側妃様との政略婚の末に出来た姫君でね。正妃に対抗意識のある側妃も健在だという事は、この先隣国の影響力が強くなるのは必至だ。だから。王としては、キースの存在がある種の抑止力になることを望んでいる」
(キース様が前に言っていた……どうして俺でなければいけないんだって苦しんだって、この事だったんだ。彼が王族に名を連ねていれば、側妃様からの反発は絶対にあるだろうし、姫様側の人間から見れば……キース様は、邪魔者になる……どうしても、憎まれ嫌われるだろう)
「抑止力……」
従兄弟の王からの切なる願いと、その妻の側妃から疎まれる辛さ。板挟みに近い立場に、キースはずっと耐えて来たのだ。
「キースは、先代の王弟スピアリット公爵の息子で、彼は公爵家の従姉妹にあたる方と結婚して臣下になった。立場的に継承権は下だろうが誰よりも、ヴェリエフェンディの王族の血が濃いんだ……何なら、世継ぎの姫よりもな。だから、あいつを次期王にと推す勢力があるのも、仕方ない事だ」
「……でも、キース様は……」
複雑な表情になったオデットに、アイザックは目を眇めた。
「そう。君も知っている通りにあいつは王位など、全く望んでいない。この国を護る竜騎士の一人になったのも、そんな反発の強い気持ちの現れだろう。竜騎士は、死ぬほど努力してもそうそうなれるものでもない。竜騎士候補になるだけでも、非常に狭き門である上に、選ぶ竜は決して忖度などしない。王弟の息子だろうが庶民の息子だろうが、あいつらにとっては同じ事だからな。気に入らなければ、絶対に選ばない」
「だから、竜騎士に……」
思いも寄らなかったキースの持つ複雑な事情にこくんと息を呑んだオデットに、アイザックは頷いた。
「こうして何も知らない俺たちが想像するだけでも、非常に窮屈な身の上だ。王位簒奪など本人は望んでもいないのに、周囲はそれをやれる存在である事を望んでいる。望まぬ立場は、本当に苦しかったろうな。あいつは自分の力だけでも、竜騎士になれると見せたかったのかもしれない。これも、俺の想像でしかないが」
「だから……私の事情も、わかってくれたんですね」
産まれたというだけの立場で、大きな苦難を背負う。だから、キースは最初からオデットに同情的で、王にも自分の責任で匿うと言ってくれたのだ。
そんなことをしても、彼には何の得もないというのに。
(キース様はそういう思い通りにならなかった過去の自分と私を、重ねているのね。彼が生まれ落ちる先を選べなかったように、私の能力だって……)
「……なあ。キースと付き合ったり結婚すれば、自ずとあいつの事情に巻き込まれる事になる。確かに女性から見て魅力的な男で、特殊な事情を持つ君を守れる数少ない強い存在だ。だが、もしあいつと恋愛をする事を望むなら、それを知っておいた方が良い。覚悟もないのに、巻き込まれれば致命傷を負うぞ」
「れっ……恋愛……そんな、私なんて滅相もございません」
顔を赤くしたオデットに、アイザックは意外な表情を見せた。
「……あれ? 違うのか? あいつはいつになく上機嫌だし、こんなに一人を特別扱いしているところを見たことがない。俺はてっきり、そういう事だと思っていたが。まあ、そういう事で、あいつも結婚相手を選ぶ事については、苦労をしているだろうな。庶民では相手に負担が大きすぎるし、貴族で選べばまた力を持ち過ぎ、それはそれで周囲に軋轢を生む。だが、不思議な能力を持つ君となら誰も文句は言わないだろうし、この国での政治的な後ろ盾もない。本人も気に入っているのなら、理想的だ」
アイザックはキースとオデットが恋仲であることを前提に、彼と付き合う上での忠告をしてくれようとしていたらしい。
あてが外れたと言わんばかりの変な表情になってしまったアイザックに、オデットは稀有な能力を現在持っているとしても、とても自分がキースのような男性と付き合える人間ではない事を伝えよう口を開いた。
「あっ……あの、あの……こういう事を男性に、お話しすることはどうかと思うんですが……」
「……ん?」
アイザックは耳を傾けようと、上半身を乗り出した。
「あ、あのっ。私の持っている能力は……もしかしたら、処女性が大事なのではないかとずっと、思われてまして。男性とそういう事をしてしまえば、能力が消えてしまうのではないかと言われていました。だから……その」
「なるほど。今は君は処女で、あいつとやれば……その能力は消えてしまうのか」
机に肘をついて、アイザックは難しい表情になった。
彼の言うようにキースのような全てを持つ男性と付き合ったり結婚出来ると周囲に納得されるには、稀有な能力を持っていた方が良いだろう。だが、彼と結婚して消えてしまえば、それは何の意味もない。
全く遠慮のないアイザックの直接的な言い方に、オデットはまた顔を赤くしてぼそぼそと話した。
「確かな事では、ありません。何分、私のように神の加護持ちの人間が少ないので……そうなればどうなるかが、わからなくて……」
「じゃあ、一回やってみれば良いんじゃないか? 処女でないと良いのなら……」
「アイザック!」
アイザックが何かを提案しようとした時に、家主であるキースの大きな声がして二人は出入り口の方を見た。
「オデットが、何も知らないと思って……俺のいないところで、何をしてるんだ。殺すぞ」
思わぬ彼の帰宅に驚いた二人が何も言えない中で、険悪な表情になったキースの底冷えのするような声が居間に響いた。