04 月光
キースはオデットを連れて馬車に乗り、自分の家へと帰り着いた。
先ほど言っていた通り、キースは高い地位を持ち流れる血筋も高貴なのだろうが、オデットが勝手に想定していたよりかなり地味で小さな家だった。
「……セドリック。今、帰った」
キースは扉を開けて、中へと声を掛けた。
彼の後ろで待つオデットが周囲を見れば、真っ直ぐの通りに同じような家が立ち並び、キースの家は全体像を把握出来ないほどに大きな建物のほど近くにあった。
何気なく空を見上げれば、飛んでいる何匹もの竜の黒い影が見える。
(竜……この国では、こんなにも身近な存在なんだ……)
オデットの住んでいたガヴェアでは、王都には堅固な魔法障壁に護られ通常であれば幻獣の類は一切近寄ることが出来ない。
こうして、夕焼けの赤い空を思い思いに飛んでいる竜を見ることが出来るのはオデットには新鮮だった。
「オデット。こっちだ」
「はっ……はい!」
初めて見る竜の飛ぶ姿をじっと見上げていたオデットは、訝しげなキースの声に呼ばれて慌てて家の中へと入った。
(……なんだか、失礼かもしれないけど……庶民的……でも、まさにこれが私がしたかった生活なんだけど……夢みたい)
オデットは家に入り、失礼にならない程度に様子を窺った。
家の中だけ特に豪華な仕様だということもなく、外観で想像した通りの庶民的な造りの家屋だった。
「オデット。俺の竜、セドリックの人化した姿だ。出来るだけ、君の傍に居るように頼んだ」
キースが紹介するように指差した廊下の奥に立っていたすっきりとした服を着た男性は、無表情のままでこちらを見ていた。
信じられないほどに、美麗な顔をしているが彼の本来の姿が竜であるとすれば、それもすんなりと納得出来た。
「オデットです。よろしくお願いします」
「……ああ」
挨拶をして頭を下げたオデットに対し、セドリックは短く言って廊下の奥へと歩いた。
(え……それだけ……?)
拍子抜けしてしまいそうなくらいに、あっさりとしたセドリックの対応にオデットは戸惑って隣に居たキースを見上げた。
「悪い。セドリックは、ああ見えて結構歳を食ってるんだ。竜騎士の竜は、若い竜が多いがあいつだけは特別でね。愛想は驚くほどないけど、別に悪い奴じゃないから許してやってくれ」
先ほどの自分たちが騎乗したセドリックという竜があの男性になるのかと思うと、オデットはどこか感心して言った。
「……竜って、あんな風に人にもなれるんですね。びっくりしてしまいました」
ゆっくりとした速度で先に廊下を歩き出したキースは、オデットの驚きに対して首を傾げた。
「あー? ……そうか。オデットは、ガヴェア育ちだからか。竜の事を、何も知らないんだな。この国では、竜に人化の術が使えることは割と有名な話なんだが」
「……ガヴェアの国民は、竜をあまり見たことがないと思います」
オデットが首を傾げてそう言えば、キースは納得したように頷いた。
「魔法障壁か。あれは……上位竜でもなければ、破れないだろうな」
魔法大国と呼ばれるガヴェアに張られた結界は、堅固なことで有名だ。だからこそ、あまり防御を考えずに周辺国に対し争いを仕掛けやすいとも言える。
そして、二人は居間へと辿り着き、キースはオデットに大きなソファに座るように手で示した。それは柔らかで上質な物なのだが、どう考えても彼のような身分の人が使うような高価な家具ではない。
また不思議な表情になってしまったオデットに気が付いたのか、キースは快活に笑った。
「オデットが……思っている通り。ここは、竜騎士に与えられている家だ。城と竜舎の近くにあり、利便性も良く住むには十分だ。だから、俺はここに住んでいる。スピアリットの邸もあることには、あるが……あそこは肩が凝る。俺は、ここに住んでいる方が好きだ」
彼は少しだけ嫌な顔をして、部屋を見回した。住む場所を、自分で選ぶことが出来る。そんな当たり前のことだと言うのに、オデットにとってはとても羨ましいことだった。
「キース様は……本当に自由ですね」
オデットは自分の口からするりと滑り落ちた言葉に気がついて、はっと口を押さえた。彼の立場への羨望の響きが色濃く、それを口に出した自分が恥ずかしくなってしまったからだ。
キースは、息をついて自分の前で両手を組んだ。そして、真剣な表情をして戸惑っているオデットに対し語りかけた。
「オデットが何を言わんとしているのかは、理解は出来る。だが、俺も君のような……自分ではどうしようもない理由での囚われの身ではなかったが、血筋や父の立場もあり、面倒くさい事この上ない身ではあった」
「……キース様が?」
オデットは驚き、目を瞬かせた。王にも意見することの出来る強い力を持っている彼は、自由で何もかもを持っていると、そう勝手に思い込んでいたからだ。
「……そうだ。何故俺なんだと、神を憎んだこともある。だから、あの時……あの恐ろしい巨人から逃げたいと、そう叫んだ君の肩を持とうと言う気にはなった」
「そう……だったんですね」
オデットはキースがこれほどにまで自分を庇ってくれた理由に、ようやく合点がいった。彼は、思い通りにならなかった幼い自分の姿をオデットに重ねているのかもしれない。
「まあ……俺がこうして、居る間は良い。だが、俺も戦闘職にあるので、いつ居なくなるかもしれない。悲しいことだが、人は死ぬ。そして、オデットの持っているその能力がなくならない限りは、君の身柄に関する権力者たちの奪い合いは死ぬまで続くだろう」
「……それは、理解しています」
オデットはキースの言葉を聞いて、手を強く握り締めた。
今は強い力を持つキースに守られていても、何も出来ない自分が変わらなければ一人になれば同じことだ。
自分の今居る位置を思い出し顔を歪めたオデットに、キースはゆっくりと語りかけた。
「だが、良いか……風向きは、常に一定じゃない。どんなに劣勢だったり絶体絶命の窮地に遭っても、必ずそれをひっくり返す糸口は、どこかには潜んでいる。生きている間は、自分の進みたいと思う道を諦めない方が良い」
キースのきらめく紫色の瞳は、目の前のオデットをまっすぐに見据え怖いくらいに真剣だった。
きっと。それは、彼が自分自身に言い聞かせて来た言葉なのかもしれなかった。
「もし、今の自分が抜け出したい状況に居ると思うなら、力を溜めろ。自分の武器を作り、腕を磨け。注意深く、周囲の状況を注視しろ。そうしたら、思わぬ追い風が吹くこともある」
「キース様……」
「オデットが諦めたら、君の人生は何もかもが終わってしまう。逆転の機会を、自ら潰すな。君はあの草原を必死で走り逃げたいと願い、叶った先、今ここに居る。これから、どうするか。どうなっていきたいのか。他でもない君自身が、自分で選び取るんだ」
◇◆◇
(今夜は、満月だった)
夕食と入浴を済ませたオデットはキースが用意してくれていた部屋へと入り、二階の窓を開けて外へと両手を伸ばした。
白い月光が剥き出しになっている肌から吸収され、月の魔力が身体の隅々にまで行き渡るもう慣れてしまったいつもの感覚だった。
三日前に大きな飛行船に乗りガヴェアの王都を出発し、本日ヴェリエフェンディでも有数の資産家を治療した。そうして、その帰りにオデットの現在の所有者である人があの草原を散歩しようと言い出したのだ。
あの人らしいとても趣味の悪い、思いつきだった。きっと見張りが隙を見せたのも、指示されていたのだろう。広い草原にわざわざ降りたのも鉄巨人から逃げ回るオデットを見て、また絶望する姿をじっくりと鑑賞するためだったはずだ。
きっと今頃は大金を産むオデットが逃げ出してしまったことを、激怒して周囲に当たり散らしているに違いない。
(ただ……こうして生まれた時から、愛されているのだから。それを有り難がれって言うの? もし、与えられたその時に要らないと言うことが許されたなら要らなかった。自分勝手な、一方的な愛など欲しくはなかった)
月の女神に愛されているという加護を持つ赤子を、国へとあっさりと差し出し大金を受け取った両親には会いたくもない。
キースは、オデットに自分が窮地にあると思うなら何か武器を持てと言った。
オデットの手に今あるのは、これだけだ。月魔法で、人の不調をすべて回復させてしまうこと。
ただ、それだけ。
そうして自分が何をしたいのか、何を得たいのかも……今は何もわからない。
(その愛が、私の自由を奪うのなら……愛されたくなんてなかった)
光り輝くような丸い月は美しく、黒い夜を照らした。