EPISODE 06: WALK THIS WAY / VOICES INSIDE (EVERYTHING IS EVERYTHING)
火の粉が勢い良く爆 (は) ぜる音がして、肉の焼け焦げる匂いが鼻をつく。
男達の怒鳴り声が飛び交って、女子供の悲鳴が響き渡る。
たくさんの外からの嫌な感覚に刺激されて、たまらず目を開けると、<咲き誇る野百合>がオレに覆 (おお) い被さるみたいにして寝床に倒れ込んでた。
「──どうしたの、母さん?」
<咲き誇る野百合>の息は荒くて、口元からは生臭い匂いがする──血だ、口から赤い血が流れてるんだ! 良く見れば口だけじゃない、もともとは素朴な木綿の生成り色だったはずの衣服は、あちこちが血の色に染まってる。
となりの寝床を見ると、<真っ直ぐな樫>が『命の水』の入った壺を胸に抱いたまま、背中から床に向かって深々と槍を貫かれてる。<真っ直ぐな樫>の身体の周囲の床を、血溜まりが静かに囲ってく。旅の準備でまとめられてた荷物や家財は散乱してて、ウィグワムを覆う樹皮で出来た外幕はボロボロに切り裂かれてる。そしてその一部には、すでに火が燃え移ってた。
全身が恐怖で震え出す。
息が苦しい。
喉が狭まる感じがして、息をしようとする度に喉の奥からはヒューッって弱々しい音がする。
オレの顔に<咲き誇る野百合>の手が伸びてくる。
「私の可愛い<眠れる山獅子>、良く聞いてちょうだい」
苦しそうに喘 (あえ) ぐ<咲き誇る野百合>は、今にも消え入りそうにかすれた声で、オレの目を見ながら言った。
「人の気配が消えるまで、あなたは私の陰に隠れていなさい。そして気配が消えたら<夜の狼の星>を訪ねなさい。きっとあなたを導いてくれる──あなたは生きるの。母さんとの約束よ」
オレは<咲き誇る野百合>の手を握り返して、何度も何度も頷 (うなず) いた。泣きたくはないのに次から次へと涙が勝手にあふれてきて、もっと顔を見たいのに<咲き誇る野百合>の顔がにじんで見えなくなる。
「分かった、言う通りにする──だから、だから母さんも一緒に行こう?」
震える声でオレがそう応えると、<咲き誇る野百合>は力なく笑い返し、そして崩れた。
夜が明けて、その後にどれだけの時間が経ったのか分からなかった。
オレの住んでたウィグワムは崩れかけてて、幕の端々は焦げてたけど、奇跡的に大火には飲まれなかった。周りからはあらゆる生き物の気配がなくなってて、耳が痛くなるぐらいに酷く静かだった。
オレは<咲き誇る野百合>の冷たく硬直した身体をどかして、よろけながらウィグワムの外へ出た。辺りには不快な匂いが充満してて、鼻の奥がしびれて痛い。酷い吐き気も覚える。目の前にある崩れ落ちたウィグワムの天幕をめくって中を確認し──ここはもうダメだ──。
そうだ、<伏せる山猫>と<歌う山獅子>は無事なのか!?
急に2人の笑顔を思い出したオレは、ふらついたままの足取りで広場を集落の目指す。
足が重い、身体に力も入らなくて、思ったように自分の足が前に進んでくれない。
「おーい、<伏せる山猫>、<歌う山獅子>、オレだ、<眠れる山獅子>だ、誰かいないのか? いたら誰か返事をしてくれ──あ、<歌う山獅子>! そんなとこで何して──?」
広場にはうず高く、無造作に積み重ねられた人間の山があった──誰も、動かない。
そしてその人間の山にもたれかかりながら地面に座り込んでる、見慣れた<歌う山獅子>の姿をオレは見つけた──けど、動かない。
「おい、<歌う山獅子>? オレだよ、<眠れる山獅子>だ。酷いケガだ、動けるか?」
<歌う山獅子>の顔は傷つけられていなかったけど、立派だった髪の毛が皮ごと剥ぎ取られて、頭の骨が見えている。オレが<歌う山獅子>の肩におそるおそる手をかけると、<歌う山獅子>は大きな音を立てて横に倒れた。
<歌う山獅子>の、炎が消え去った目を見て、彼の魂はもうここにいないのをオレは知った。オレは尻をついて後ろに倒れて、そのまま後ずさった。胃袋の中身が逆流しようとしてくるのを、残されたか細い気力で何とか抑え込む。オレは急いで立ち上がって、広場から逃げる様に走り出した。
何が起きたんだ、どうしてこうなった!?
オレが寝る前に、<歌う山獅子>はオレ達を守ってくれるって格好良く言ってただろ!?
何でだよ──何でだよ!?
気付けばオレは<歌う山獅子>と<伏せる山猫>が暮らすウィグワムの前にいた。
出入口の天幕はボロボロに切り裂かれて、その奥には<伏せる山猫>と、その彼を守る様に<伏せる山猫>の母さんとが折り重なって倒れてた。<伏せる山猫>の下腹から左足を貫いて、長い1本の槍が床へと突き刺さってる。
「おい、<伏せる山猫>、もう朝だぜ? 寝坊助のオレよりも遅いなんて、今日はどうしたよ? けどこうしてオレが起こしに来てやったんだぞ、ありがたく思えよな?」
<伏せる山猫>に向かって語りかけながら、オレはゆっくりと彼に近づいてく。
「今日は皆んなで西に行くんだぞ? 早く一緒に村を出ないと、陽が暮れちゃうだろ? ぼさぼさしてると、ここに置いて行くぞ──だから、オレと一緒に行こうって──な?」
そして力なく跪 (ひざまず) いて、<伏せる山猫>の冷たくなった顔に触れる。その名の通り、<伏せる山猫>は床に低く伏せてて、オレが声をかけたらまたいつもの様に軽く飛び上がって、今すぐにでも元気に動き出すんじゃないかって思えた。けど、<伏せる山猫>は動かない。
──何でだよ?
限界だった。
オレは力の限りに泣き叫んで、大地に突っ伏して、乾いた土塊を手の皮がすりむけるまで拳で何度も叩いた。
オレはナイフを使って、<伏せる山猫>から彼が身につけてた獣の牙の首飾りの1つを取った。その足で村の広場に戻って、<歌う山獅子>から彼が身につけてた獣の牙の首飾りを同じく1つ取って、その2つに細い皮紐を通して自分の首から下げた。
──もう行かなくちゃ。
置き去りにしてごめんな。
オレは母さんの言いつけ通り、<夜の狼の星>の所まで行かなくちゃいけないんだ。
オレは<ワカンタンカ>に祈りを捧げて、2人が持っていたそれぞれの獣の牙を形見にした。そして自分のウィグワムに戻って食糧や必要な道具をかき集め終わると、冷たく動かなくなった<真っ直ぐな樫>と<咲き誇る野百合>に近づいて、身につけている首飾りや腕輪をさっきと同じ様にナイフで外そうとした。
──ん?
ふいに、鼻の奥に強烈に突き刺さる様な痛みを感じて、その後に続いて乾いた土みたいな煙の匂い、甘い樹脂の匂い、動物の肉が焦げる匂いが同時に流れ込んできた。そして耳の奥にはパチパチと何かがかすかに爆ぜる音が響き渡る。
オレは瞬時に状況を理解した──今、このウィグワムは燃えてる、さっきはたまたま酷く燃えなかったってだけで、それは単に時間の問題だったんだ!
オレは大急ぎで荷物を抱えて、天幕をめくり上げて外へと飛び出した。振り返ると、今いたばかりのウィグワムのあちこちから煙が上がってて、赤い小さな炎が見え隠れしてる。やがてウィグワムは、音を立てて崩れ去った。
──家が燃える。
父さんと母さんが燃える。
思い出も何もかもが消えて無くなる。
ごめんなさい、ごめんなさい。
置き去りにしてごめんなさい。
オレは何も出来なかった──。
オレはそのまま<夜の狼の星>の家を目指して1人で村を出た。今まではずっと大人と一緒だったけど、それでも何度も往復した道だったから、幼いオレ1人でも迷わずに歩みを進める事が出来た。
陽が暮れる頃には<夜の狼の星>の住む家に辿り着いた。<夜の狼の星>は無言のまま全部を理解したって顔で、オレを家の中に迎え入れて食事と休息を与えてくれた。オレはしばらく<夜の狼の星>の家に滞在した後、彼に連れられて河を渡り西の集落を目指した。
西の集落は混乱に陥 (おちい) った。
長は事態を重くみて、<夜の狼の星>と長い時間話し合った。兄弟の住まう地の唯一の生き残りであるオレを放っておく事は出来ない。けど生き残りがいるなんてどこかに知られたら、この集落も危ない。養子に引き取ろうと申し出てくれる大人もいたけど、生き残ったオレこそが災いを運ぶ呪われた子なんじゃないか、ってオレを疑う大人もいた。
困り果てた長は<夜の狼の星>に助言を求めた。<夜の狼の星>は、まずはオレ本人の意思と選択を尊重しなければならないぞ、と村の大人達を諭 (さと) して、そしてもしオレが集落で暮らす事を選ぶんであれば村全体で支えて、必要なものは全部揃えるんだ、と指示を出した。
長と村人達は<夜の狼の星>の指示に従った。<亀の住まう島>の住人であれば誰であっても、<ワカンタンカ>の言葉を人間の言葉へと翻訳出来る呪術師を敬 (うやま) って、畏 (おそ) れる。呪術師の言葉は絶対で、<ワカンタンカ>の意思そのものだ。けど結局オレは養子の申し出を断って、西の集落の中、1人で暮らす事を選んだ。
こうしてオレは<夜の狼の星>の口添えで、西の集落の新たな一員となった。
オレより少し歳上で心優しく頼れる<燃ゆる瞳の赤狼>や、となりのウィグワムに住んでる寡婦の<春の水辺>、ときどき村を訪ねてはオレの様子を見に来る<夜の狼の星>、皆んなでオレの面倒を見てくれたおかげで、オレはひとりでも特に不自由なく暮らす事が出来た。
オレから<夜の狼の星>の離れた家を1人で訪ねる事も多くて、オレは若くても偉大な呪術師である彼から、この世界についてのたくさんの知恵と知識とを教わった。
それからいくつもの季節が巡って、オレは大人に混じって狩りに参加する様にもなった。
狩りの初陣には<夜の狼の星>がオレの為に作るって約束してくれてた、サンダーバードの霊力が込められた弓矢を持って行った。そしてオレは大人と一緒に立派な角を持つ雄のムースを仕留めて、その初陣を飾った。<燃ゆる瞳の赤狼>はまるで自分の事みたいに大喜びで、<春の水辺>は嬉し涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらオレを抱きしめて、初陣からの帰還を祝ってくれた。
白い肌の男達もときどきこの集落を訪れた。オレは前の村で彼らの持ってくる物にほとんど興味を持つ事がなかったから、オレの顔を覚えている者は誰もいなかった。けど彼らが連れてきた、見たこともない動物にだけはとても興味をかき立てられた。
しなやかな四肢の先には蹄 (ひずめ) があって、その身体はムースみたいに大きくて筋肉質だ。面長の顔のてっぺんからは鹿みたいな角がない代わりに、長い首元にかけて立派な鬣 (たてがみ) が生えてる。つぶらな目は美しくて、すっごく優しそうだ。
白い肌の男達は四つ足の彼らを『馬』って呼んでた。
白い肌の男達は馬の背にまたがって、重い荷物を乗せて、交易の移動手段にしてた。オレはすぐに馬と仲良くなって、その背に乗せてもらう事を覚えた。中でもオレは特に赤毛色の馬に親しみを覚えて、やがてその馬に乗って村の周りを駆け回る様になった。
前の村にいた頃から引き続き、新しい村でもオレは弓矢の練習を毎日続けた。
今は主に、集落一番の狩りの名手である<天翔ける灰色狼>が、そしてときどき<嗤うコヨーテ>が嫌味を言いながらものすごく嫌そうに、オレの弓矢の技術の指南を引き続きしてくれている。<嗤うコヨーテ>はやっぱり今でも、オレを酷く嫌っている様だった──何でだろう。
練習を始めた頃は、オレだけの弓矢を作ってくれるっていう<夜の狼の星>との約束が嬉しくて仕方がなかったし、その聖なる弓矢を手に狩りをする日を夢見て練習を重ねてた。
けど、この村で暮らしている今はもう違う。狩りだけ出来ても仕方がないんだ、大切な人達を守る為にもオレは皆んなと同じ様に、1日でも早くこの弓矢をもっと上手く扱える様にならなきゃいけないんだ。
その日、オレは<燃ゆる瞳の赤狼>と一緒に<夜の狼の星>のウィグワムを訪ねてた。弓矢の製作者である<夜の狼の星>に、オレの初陣の成果の報告に来たって事だ。オレがどうやって雄のムースを仕留めたのかを、狩りの場でオレと組んでた<燃ゆる瞳の赤狼>が証人として、その一部始終を雄弁に語ってくれた。
<夜の狼の星>は目をつむってパイプの煙を口からくゆらせながら、<燃ゆる瞳の赤狼>の語る、熱を帯びた調子の言葉を静かに聞いてる。<夜の狼の星>の吸うタバコの葉はいつも良い香りがした。<燃ゆる瞳の赤狼>の語りを聞き終えた<夜の狼の星>はゆっくりをまぶたを開いて、鋭い眼差しで言った。
「<眠れる山獅子>、そして<燃ゆる瞳の赤狼>、良く聞け。お前達はそろそろ、『ビジョン・クエスト』に挑戦するのに良い頃合いが来たぞ」
驚いてオレと目を合わせた<燃ゆる瞳の赤狼>は、初陣の話をした時以上に興奮した様子で言った。
「本当か!? これで俺達、いよいよ大人の仲間入りだな! 早く長にも知らせないと!」
『ビジョン・クエスト』ってのは、<亀の住まう島>の様々な部族の間でずっと昔から続いてる伝統儀式の1つだ。人生の節目を迎えた者は、自分の意思や呪術師を始めとする霊的指導者の指示でこのビジョン・クエストに行く。野山の中から本人にとって聖なる地とされる『自分だけの場所』を探し出して、1人その場で飲まず食わずのまま、数日間を特別な時間として過ごすっていう──聞いただけでもちょっと大変そうな儀式だ。
けどその代わりに、ビジョン・クエストの中で人は、自分がどうしてこの星に生まれてきたのか、自分はこれからの人生で一体何をしようとしてるのか、みたいな質問の答えを、その人を愛して慈 (いつく) しんでくれてる霊的な守護存在から受け取る事が出来る。
そしてこの守護存在を、自分が死ぬまで導いて力を貸してくれる自分だけの『盟友』として迎え入れ、『盟友』と一緒にビジョン・クエストから帰還し、そして新たな生活を始める。
それは、元の日常の生活に戻る、みたいな単純な話なんかじゃない。盟友と一緒にビジョン・クエストから戻った人間はその言葉通り、それ以降は『全く新しい人生を生きる』事になる。
遥か遠い地の部族ではビジョン・クエストに行く時に、その地に生えている聖なる植物を霊薬として口に入れて、盟友との出会いと繋がりをより強く、確かなものにする事だってあるぐらいにすごい事なんだぞ、って<夜の狼の星>が教えてくれた。
一度集落に戻ったオレ達は、長に<夜の狼の星>の言葉を伝えた。
長はとても驚いた様子だったけど、オレ達の話を聞きながらしきりに頷いて喜んでくれた。今の集落には伝承を受け継ぐ呪術師が住んでないから、もう何年もの長い間ビジョン・クエストが行なわれてなかった。集落から1人離れて暮らしてはいるけど、この近辺では<夜の狼の星>こそが唯一その指導が出来る存在だった。
けど、集落の若い世代の人間は<夜の狼の星>を畏 (おそ) れながら、その一方で古臭いヤツだと悪口を言って嫌った。彼らは白い肌の男達が持ち込んできた文化にのめり込んで、伝統を捨てて、<亀の住まう島>に昔から続いてきた伝承の糸を断ってしまった。若い世代の中でも<夜の狼の星>と積極的に交流を重ねるオレと<燃ゆる瞳の赤狼>は、集落では例外的な存在だった。
準備を整えて、また2人で連れ立って<夜の狼の星>のウィグワムを訪ねると、まずはオレからビジョン・クエストに行け、って<夜の狼の星>が指示を出した。ビジョン・クエストの全行程は儀式を受ける者が1人きりでやるけど、それには必ず指導者の付き添いが必要だ。今の指導者は<夜の狼の星>1人しかいないから、オレと<燃ゆる瞳の赤狼>が2人同時に儀式を行なう事は出来なかった。
「さぁ、これを見ろ」
ビジョン・クエストの開始に先立って<夜の狼の星>はオレ達2人に、良くしなる木の枝を手のひらぐらいの円形に丸めた輪と、十字に交差させた2本の紐を組み合わせて作られた、簡素な『聖なる輪 (メディスン・ホイール)』を見せた。十字の中央は輪の中心でもあって、2本の紐は輪の中心で交わってから上下左右の4方向に向かって真っすぐに等しく伸びてて、輪の内側に繋がってる。
「2人とも、前に話した、『4つの方角』と『4つの色』を覚えてるか?」
<夜の狼の星>からの問いにオレ達はそれぞれに頷いて、まず<燃ゆる瞳の赤狼>が応えた。
「東は父なる太陽を表す『黄色』、南は生命力を表す『赤』、西は母なる水を表す『黒』、そして北は忍耐を表す『白』、と聞きました」
「その通りだ──この聖なる輪の中にある2本の紐は、東西南北の4つの方角を表してるんだ。外側の輪だけならいつまでも終わる事のない永遠や完全性を意味する。けど、輪に2本の紐を組み入れた途端、そこに時間と空間が出来る。
2本の紐が交差するところは輪の中心だ──この中心は、俺達人間の視点からは自分自身を表してて、<ワカンタンカ>の視点からだと母なる大地や星々を表すんだ」
となりに座る<燃ゆる瞳の赤狼>の喉が、緊張のあまりにごくりと鳴るのがはっきり聞こえる。
「見ての通り、この聖なる輪は、中心を通って交差する2本の紐で、4つに分けられてるだろ? これは4つの季節を表してるんだ──俺達が暮らすこの<亀の住まう島>には季節が4つあるよな? 実はな、俺達人間、そして全ての生き物の一生の中にも同じく4つの季節があって、星々がきらめく宇宙にさえも4つの季節があるんだ、驚くだろ?」
「──オレ達人間の一生の中にも、宇宙にも、4つの季節がある──」
オレは噛みしめるみたいに<夜の狼の星>の言葉を繰り返すと、<夜の狼の星>は深く頷いてから話を続けた。
「覚えておけよ? 季節が移り変わっていく様に、俺達人間の人生も必ず移り変わる。冬の後には春が訪れるだろう? 冬の忍耐の時期を越えた人間には、新たな始まりの季節である春が訪れるんだ。そして成長する夏、実り豊かな秋を経て、人生はやがてまた忍耐の冬を迎える──人はそれを繰り返す。
お前達は最初に小さな子供として生まれたよな? そしてこれから間もなく青年になって、そのうちに若いヤツらを引っ張る立派な壮年の戦士となって、やがては老いて最期には死を迎える。そうやって人間は、それぞれの人生の4つの季節の輪の中を巡って生きていくんだ。
宇宙も同じだ、俺達の住むこの宇宙は今、第8番目の周期を迎えているんだ、ってご先祖様から伝えられてきた。この聖なる輪は、人間の一生を表して、同時に宇宙の周期を表しているんだ」
あまりにも規模の大きな教えではあったけど、オレには妙に納得出来た。
<夜の狼の星>の言葉は、今までオレがこの世界に対してずっと感じてきたけど上手く言葉に出来なかったものを見事に表現してた──同じ風景を見ているつもりでも、季節によって世界はその姿を変える。去っていく命もあれば、生まれてくる命もある──オレだってそうだ、いつまでも子供のままじゃない、この世界で移り変わらないものなんて何もない、オレ達はこの星で、常に変わり続けてく様に定められてる、って事だ。
<夜の狼の星>はオレ達の反応をニコニコしながら眺めて、そして話をまとめた。
「この輪はどこから始まっても良いし、どこで終わっても良いんだ。この輪は単純な円を描いて終わってるものじゃない。常に動いて、回り続けて、同じ場所に留まるって事は絶対にないんだ。季節や方角が一巡したとしても、二度と同じ場所を辿る事がない、決して終わる事のない輪だ。
もし人生の中で、自分の道に迷って、今どこにいて、そしてこれからどこに向かおうとしているのか分からなくなった時は、この聖なる輪を心に思い描いて、俺が今伝えた言葉を思い出せよ」
<夜の狼の星>は<燃ゆる瞳の赤狼>にウィグワムの中で待ってろと指示を出して、オレひとりを連れてウィグワムを出た。そして、出入口から数歩歩いた所で立ち止まってオレに聞いた。
「さて、<眠れる山獅子>、お前だけの場所はどこにあるんだ? 俺に教えてくれよ」
突然の質問にオレは面食らった。
オレだけの場所を探し出さなきゃいけない、って<夜の狼の星>から事前に説明は受けてたけど、でもそれって一体どこにあるものなんだ? 答えに困っていると、<夜の狼の星>はさっきの聖なる輪を懐 (ふところ) から取り出して、オレに握らせて言った。
「目を閉じろ。そうすれば見える」
自分の道に迷って、今どこにいて、そしてこれからどこに向かおうとしているのか分からなくなった時は──そうだったよな!
オレは聖なる輪を握りしめて目をつむって、ゆっくりと呼吸を整えた。
目を閉じればまぶたに覆われて、今まで自分を取り囲んでた世界が暗闇に包まれる。やがてその暗闇の中にいくつもの小さな光の粒が現れて、集まったりばらばらになったりを繰り返す。それらが複雑に重なり合うと、不思議な模様が形作られ始める。その不思議な模様は一瞬だけでも同じ所に止まるって事がなくて、常に動いてて、そして必ずどこかが変わり続けて──まるでヘビみたいに、オレのまぶたの裏を自由気ままに這いずり回った。
しばらくの間オレはその、暗闇に潜む光のヘビの動きを観察した。光のヘビは向きやその形と大きさを変えながら、まぶたの裏のある特定の点でとぐろを巻く様に回転して、そこに居座った。
「──あっちだ」
オレは目を開けて、まぶたの中で光のヘビが居座った方向に向かって歩き出した。<夜の狼の星>は静かにオレの後ろを追った。光のヘビの気配が弱くなるともう一度聖なる輪を握りしめて、目を閉じてヘビがとぐろを巻く方向を確かめた。
何度かそれを繰り返すうちに、オレ達は小高い丘に四方を囲まれた平地に出た。平地の中央には背の高い草や灌木 (かんぼく) に囲まれた小さな岩山があって、穏やかな風がその周りを吹き抜けてく。
<夜の狼の星>がオレの前に出て言った。
「良くやったぞ、<眠れる山獅子>! ここがお前だけの聖なる場所なんだな」
<夜の狼の星>は小さな岩山に近い、木の根や石がなくて柔らかそうな土が見えている場所を見つけて、ここに手で穴を掘れとオレに指示を出した。
オレが両手を泥だらけにして穴を掘り続けている間、<夜の狼の星>は周囲から枯れ葉や枯れ枝を集めてきた。ようやく穴を掘り終えると、穴の中を指差して<夜の狼の星>が言った。
「さぁ<眠れる山獅子>、この穴に入るんだ。お前はこれからの4日間をこの穴の中で過ごす。その間は何も食べちゃダメだ。水を飲んでもダメだ。この場所、この穴から離れてもダメだ。俺はこの岩山の反対側にいる。例え穴の中からは見えなくても俺は常にお前の近くにいて、お前が俺との約束を守っているかどうかを確認するからな──分かったか?」
オレは無言で深く頷いて、ゆっくりと穴の中に入ってうずくまった──まるで赤ん坊みたいだ。<夜の狼の星>はオレの頭の上から、集めていた枯れ葉や枯れ枝をオレの全身が見えなくなるまでばさばさと振りかけた。オレは穴の中に1人、世界から隠された。
こうして、オレだけのビジョン・クエストが始まった。
始めのうちは興奮が勝ってた。
心が落ち着きを取り戻し始めると、言いようのない不安が押し寄せて来た。穴の外からはワシの鳴き声が右から左、左から右へと位置を変えて聞こえてくる──たぶん、オレの遥か頭上をゆっくり旋回しながら鳴いてんだろうな。
周りを土の壁に囲まれて、視界は枯れ葉と枯れ枝で遮 (さえぎ) られてて、これだと風の運ぶ匂いだって良く分からない。穴から出られないから手足も自由に動かせないし、飲まず食わずってなると舌はパサパサに乾いて縮こまる。視覚、嗅覚、触覚、味覚が使えなくなると、残った聴覚と自分の意識、この2つの感覚がオレの意思とは関係なしにはっきりとし始める。
ワシがオレの頭上を旋回してるって事は、オレの近くにワシにとっての食べ物──つまりウサギ、ネズミ、リスなんかがいるはずだ。それらはワシにとっての獲物であると同時に、オオカミやコヨーテ、ピューマ(山獅子)にとっての獲物でもある。最悪の場合、それを横取りしに森の奥深くからクマが出てきている可能性だってあるぞ?
もしオオカミやコヨーテの家族、血の気の多い若いピューマやクマなんかが現れたら、いくら<夜の狼の星>が火を起こして近くにいてくれてても、たった2人きりじゃどうする事も出来ないよ──サンダーバードの弓矢は<夜の狼の星>の指示でウィグワムに置いてきちゃったし、オレ穴の中で今こんなんだし、しかも儀式が終わるまでここから絶対逃げられないんだぞ!?
ふと気づくと、いつの間にかワシの声が消えてた。周囲からはコオロギやフクロウの鳴く声が聴こえ始めてて、この地に夜が訪れたんだと分かった。
夜が深まるにつれて、何度も何度も悪い考えが頭の中に浮かんで、そしてまた夜の闇の中へと消えてった。ほんの微かにコヨーテ達の甲高い遠吠えが聴こえる。コヨーテの声はオオカミと違って、あんまり遠くには響かない。まずいぞ、つまり彼らは今、この近くにいるって事だ──かすかな声でも油断なんて出来ない。
意識しなくても勝手に身体が震える──寒いんじゃない、落ち着かないんだ! 身体のどこかを揺らしてないと落ち着かないんだ! だって、穴の周りは動物の気配だらけなんだぞ!?
ゆっくり呼吸をして自分を落ち着かせようとしても、腹は減るし喉は乾いてしょうがないし、次々と心の中に浮かんでくる不安や恐怖を完全に抑え込む事なんて出来なかった。不安や恐怖の代わりに心の中に<夜の狼の星>から教わった聖なる輪を思い描こうとしても、輪の形になる前に、まるで霧や湯気みたいに消えてしまう──何でだよ、オレ全然上手く出来ないじゃん!
ああ、でも、あの時に比べたらオレ、まだそんなに怖くないのかもしんない──最近はもう思い出す事も少なくなった懐かしい故郷の風景が、オレの頭に浮かび上がる。オレの生まれた村が滅ぼされたあの時に比べたら、今のこんな夜の怖さなんて──頭の中には<伏せる山猫>や<歌う山獅子>の最期の姿が次々と浮かび上がる。やっぱりこんなの、比べる事自体、間違ってるのかもしれない。
けど、オオカミ、コヨーテ、ピューマ、クマ──動物達の方が、白い肌の男達に狂わされた人間の行動なんかよりもずっと理解出来る。動物達は<ワカンタンカ>が決めた生き方からは外れないけど、白い肌の男達の言葉を飲み込んだ人間は<ワカンタンカ>との約束を平気で破る様になる。人間のする事に比べたら、動物の方がまだ怖くないって思える。だから、オレは比べた。
オレは頭を何度も横に振って、頭の中から余計な考えを必死に追い出そうとした。恐怖のあまりに歯を食いしばって、全身を揺らし続けた。
けど比べたからって、動物達が巣穴に帰ってくれる訳ないだろ? オレはそんな事も分からないぐらいにバカなのか? けどじゃあ、どうすれば良いんだ? 今オレはどうすれば良いんだよ!?
ふと、首元の獣の牙の首飾りが肌とこすれる感触に気づく──<伏せる山猫>と<歌う山獅子>の形見だ。
オレはハッとした──そうだ、獣だ!
今ここはオレだけの聖なる場所、つまりオレの縄張りって事だろ? そして今、このオレの縄張りを動物達が囲んでる──動物達は自分の縄張りを主張する為に何をするんだ? ──鳴くんだよ! オレも「ここはオレの縄張りだ!」って鳴いて、動物達にここから離れてもらうんだよ!
まずはオオカミの鳴き声の真似からだ。太く低い声で短く鳴いて、少し高い声で伸ばす。
「アォーン、ウォッウォッ、グルルフ、アォーーーン」
次はコヨーテだ。オオカミと同じく伸びる声だけど、全体的に高く細い声を出す。
「キャォーン、ヤップヤップ、キャォーーーン」
最後にピューマの鳴き声だ。低いけど柔らかくて、そして短い声を繰り返す。
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ」
普段から聴き慣れてたからか、どれもひと通り鳴き真似は出来る。けど今の自分に一番しっくりくるのは、やっぱりオレの名前の由来であるピューマの真似だった。
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ!」
オレはピューマの鳴き声を真似るのに意識を集中させた。
オレの名前は<眠れる山獅子>だ! オレはピューマだ! ここはオレの縄張りだ! オレがこの巣穴にいる間は、他の誰にも近づかせやしないぞ! ここから離れろ、さもないと噛みつくぞ!
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ!」
そうやって鳴き声を出し続けてると、いつの間にか穴の周囲から動物達の気配が消えてた事に気づいた。嬉しくなったオレは、ピューマになり切ってますます鳴いた。そのうちに気持ちも落ち着いてきた。そうすると心の中で、聖なる輪の姿をはっきりと思い描ける様になった。
聖なる輪が指し示すのは人生の4つの季節、だよな? じゃあオレは一体何の為に生まれてきて、今どうしてここにいて、これから先に何をやろうとしていて、そして最期にはどんな風に死んでいくんだ? 本当にオレ、今どうしてここでこんな事──ビジョン・クエストなんかやってんだ?
<夜の狼の星>は『盟友』がその問いに答えてくれるって言ってた。なら、このビジョン・クエストの終わりには、オレと盟友は心を通わせる事が出来てるんだろうか──否、そもそもオレの盟友ってのは、一体どんなヤツなんだ?
そんな事をぼんやりと考えていると、再び周りにたくさんの動物の気配が集まってきた。
しまった、オレはいつの間にか鳴くのを止めてたんだ! オレのバカ野郎、今のオレはピューマなんだぞ、ピューマはそんな事を頭で考えながら生きてないだろ!? 今この状況でそんな事考えてたら、オレは死ぬかもしれないんだぞ!? 鳴け、鳴け、この夜を越えて、生きるんだ!!
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ!!」
そうして最初の夜が明けていった。
陽が昇って、また沈んで、再び陽が昇って、そしてまた沈んだ。
疲れと空腹と緊張はもう限界に達してた。陽が昇ってる間に睡眠を取ったけど、身体も心も緊張したままじゃぐっすり眠るなんて出来なくて、短くて浅い眠りを何度も繰り返した。意識はずっとぼんやりしてて、頭の中の考えははっきりとした形にならない。
周りに何かの気配を感じたら反射的に鳴き声を上げて、すぐにオレの縄張りだ!入って来んなよ!って主張した。最初の日から一滴の水も飲んでないから、鳴き声はかすれた声しか出なくなった。それでもオレは周りから気配が消えるまで、声なき声で鳴き続けた。オレは1匹の獣、ただのピューマとしてここにいた。
夜の訪れがオレの身体と心を硬くする──また長い夜が始まる。
けど、夜に寝たら危ないって頭では分かってるのに、疲れと空腹と緊張とが重なったオレの身体は全くのあべこべで、自分じゃどうにも出来ないぐらいに強烈な睡魔を受け入れようとする。おい、しゃんとしろよ、ここで死ぬかもしれないんだぞ──そういくら自分に言い聞かせても、意識は急速に閉じていく。
眠い。
死にたくない。
眠ったらダメだぞ。
何の為にオレは、ここに来たんだよ──?
暗闇の中で点いたり消えたりを繰り返す、いくつもの小さな光の粒が見える。
夜空に輝く美しい星々みたいだ、ってオレは思った。そのいくつもの小さな光の粒は暗闇の中で、集まったりばらばらになったりを繰り返す。それらが複雑に重なり合うと、不思議な模様が形作られ始める。その不思議な模様は一瞬だけでも同じ所に止まるって事がなくて、常に動いてて、そして必ずどこかが変わり続けて──やがて最後にはひとつの大きな姿へと変わった。
オレの目の前に現れたのは、その毛並みの色を薄い黄色から白へと自在に変化させながら光輝く、1匹のピューマだった。
──何だこいつは!?
こいつ、普通のピューマとはちょっと違うぞ!? 顔の横から下顎にかけと頭のてっぺんにちょっと長い毛が生えてる。普通、ピューマの毛並みってのは全身が短くて、茶色や灰色をしてる。薄茶色や赤みがった茶色とか、明るい色をしたヤツもたまに見た事はあるけど、今までにこんな明るい色をして毛並みも違うヤツなんて見た事ない──まるで太陽みたいだな──。
それに、大きな背や立派な四つ足、そして長い尾に、不思議な縦じまの薄い模様がいくつも浮かび上がってる──何だこの模様は? やっぱりどう考えても、普通のピューマじゃない。何て言えば良いんだろう、うーん、<光のピューマ>、って感じか?
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ」
<光のピューマ>の鳴き声は厚みがあって良く通る声で、そして柔らかかった。そして<光のピューマ>は長い尾をピンと真上に立たせてオレに近づいて、その大きな頭の額や身体をオレに擦りつけて、尾を絡ませてきた。
声の調子からしても、威嚇 (いかく) はされてないみたいだな──否、それどころかこれは、友愛を示す動きだよな? こいつ、オレを仲間だと思ってくれてんのか? よーし、それなら。
「アーオ、ナーオ、グルル、アァーオ?」
オレも鳴きながら額で擦り返す。すると<光のピューマ>は目を細めて、その大きな身体で背後からオレを包むみたいにして伏せた。そして威厳 (いげん) があって、頭のてっぺんから腹の奥底まで貫くぐらいに低くて太い、はっきりとした声で、<光のピューマ>はオレの耳元で言った。
「目覚めよ、山獅子の子よ」
その声はまるで呪術みたいで、声を聞いた相手の心の奥底にまで働きかける力を持ってた。そして数え切れないぐらいのたくさんの風景が、オレの意識の中に一気に流れ込んでくる。
それは、今ではない時、ここではない場所。
弓の様に細くしなる島に生きる、黄色い肌の少年と、影に生きる若き戦士。
太陽が照りつける砂の大地に生きる、若き黒い肌の男。
薄桃色の河縁を前に静かに佇む、白い獣。
どれも今とは違う姿形をした様々な自分の人生を、オレは見た。それらはどれもが今のオレじゃないはずなのに、けどどれもが確かにこのオレだった。
意識がさらに遠くなる。
気づけばオレは1人、空高く夜空を飛んでた。星々が美しく輝き続ける夜空の中をオレは漂い続けて、その最果てまで辿り着いたオレの意識は、そこで途切れた。