EPISODE 02: GREATEST MAN ALIVE / CHECK YO SELF
宵闇 (よいやみ) の空が白み始める頃、遠い東の方角には明けの明星が見える。
東は父なる太陽を表す『黄色』、南は生命力を表す『赤』、西は母なる水を表す『黒』、そして北は忍耐を表す『白』で表すんだぞ、って尊敬する呪術師 (シャーマン、メディスンマンまたはホーリーマン) である<夜の狼の星>から教えてもらった事がある。
もうそろそろ、黄色く輝く父なる太陽が顔を覗かせる時間がやってくる。
もっとも、色に与えられた意味は部族ごとに少しずつ違う事もあって、例えば赤と白の意味が逆になってる場合なんかもあるらしい。けど自分の部族の教えだけが正しくて、違う部族の教えは間違ってる、って訳じゃない。ご先祖様達が1つの方角に1つの神聖さを指し示してくれたからこそ、オレ達はそれぞれの部族において生きる道を迷わずに済んでるんだから。目に見える部分だけに気を取られて本質を見誤ったりでもしたら、それは本末転倒ってヤツだ。
<亀の住まう島>には、今日も朝陽が降り注ぐ。
オレはこの日の為に<夜の狼の星>が作ってくれた、サンダーバードが枝に留まった、つまり雷の落ちた桑の木から作られた弓矢を持って、入念に手入れをしてた。
サンダーバードが留まった木とその枝には強い霊力が宿る──狙いを定めた矢がサンダーバードの力を借りて、雷と同じ速度で、獲物へと一直線に向かって行くんだ。今日はこれから集落の男達が一斉に集まって、狩りに出かける。そしてオレはその狩りに、今日初めて参加する。
「おい、<眠れる山獅子>、準備は出来たか?」
その声と共に、ウィグワムって呼ばれる家の中へ<燃ゆる瞳の赤狼>がのっそりと入ってきた。<燃ゆる瞳の赤狼>はオレより少し歳上で、身体は名前の通りオオカミみたいに筋肉質でデカい。そして同じくオオカミみたいに面倒見が良くて、見かけの怖さとは反対に集落では年少の子供達の世話を任されてる。オオカミは強いだけじゃない、強いからこそ家族や仲間を大切にする。
そして今日の狩りでは、<燃ゆる瞳の赤狼>はオレと組む事になってた。
「今終わった、いつでも行ける」
オレはウィグワムの出入口の方には目もくれずに、弓鉉を強く引いてこちらの準備が終わった事を音でも示した。
「いよいよ今日が初陣だな、緊張してるか?」
「別に。普通」
見かけはデカくて怖くても、<燃ゆる瞳の赤狼>は最初に出会った時からずっとオレに優しい。いつもオレを気遣って、言葉や時機を選んで声をかけてくれる。たまにお節介になり過ぎる所なんて、まるで本当の兄ちゃんみたいだ──でも今のオレに家族はいない。オレはまだ子供だけど、このウィグワムにひとりで気ままに暮らしてる。
「この村に来た時はまだ小さな坊主だったのに、今はこうして一緒に狩りに行けるぐらいに大きくなったんだよな。あれから、あっという間だったな」
<燃ゆる瞳の赤狼>はそう言って笑った。<燃ゆる瞳の赤狼>の赤い、めのう石みたいに光る綺麗な目は、どこか嬉しそうだった。
「そん時は、自分だってまだ子供だったろ?」
オレは右の片眉を吊り上げ、しかめっ面のまま応えた。
こんな風にオレは<燃ゆる瞳の赤狼>に素っ気ない態度を取る事が多かった。彼に対してだけじゃなくて、村の人間全員に対してもそうだった。嫌いとかじゃない、信頼してるし、むしろ大好きだし、話が出来たらいつも嬉しい。けど何となく、いつもどこか居心地が悪い。
集落の人達はひとりで暮らすオレに、食べ物や衣服とかの日用品を優先的に分け与えてくれた。季節ごとに行われる大切な儀式にも、ちゃんと参加させてくれた。子供のいない夫婦や家族を失った寡婦 (かふ) が養子に迎え入れてくれるって申し出もあった。気持ちはありがたかったけど、オレは全部断った。誰かの養子になるには、元の家族の記憶があまりにも生々し過ぎたからだ。
「ハッハッハ、そうだったな! すっかり忘れてたぞ!」
<燃ゆる瞳の赤狼>はそのデカい身体を獣みたいに揺らして、豪快に笑った。
「おお、おお、随分と勇ましい姿だ、<眠れる山獅子>よ!」
サンダーバードの弓矢を持って<燃ゆる瞳の赤狼>と一緒に村の大きな広場へ行くと、村の長や優しい大人達が次々に声をかけてくれた。<春の水辺>なんかは今にも泣きそうな顔をしてて、オレをきつく抱きしめてきた。
<春の水辺>はオレのとなりのウィグワムに住んでる寡婦 (かふ) だ。いつでもオレを気にかけて、毎日食事を作って持って来てくれたり、時には破れた衣服を直してくれたりもする。彼女からも養子の申し出があって、他と同じく断っちゃったけど、どうせとなりなんだからって何かと世話を焼いてくれる、とってもありがたい存在だ。もし彼女の息子がまだ生きてたなら、きっとオレと同じぐらいの年齢だったのかもしれない。
「ケガせず、無事に帰って来るのよ? 私との約束だからね?」
泣きそうな顔だなと思ってたら、抱きしめ終わって両手を離した<春の水辺>の顔は、すでに涙でぐちゃぐちゃだった。
「分かってるって。けど<春の水辺>ってよりも──これじゃあ<猛 (たけ) る河>だよな?」
「まぁ、上手い事言って!」
<猛る河>は笑って涙を拭いて、いつもの<春の水辺>に戻った。彼女はどんな時でも笑顔を絶やさない強い人だ。けどオレは、その笑顔の奥に彼女の抱える寂しさをずっと見てた。それはきっと彼女も、家族を失うっていうオレと似たような経験をしたからなのかもしれない。だとしたら、他人から見たオレも同じく寂しそうに見えてたりすんのかな?
広場にはオレ達以外にも狩りに出る予定の男達が何人も屯 (たむろ) してたけど、パッと見渡した限り、ちょっと数が足りないんじゃないかと思えた。周りに悟られない様にって横目で広場に集まってる男達の顔触れを確認してると、この集落で一番の狩りの名手で、オレの弓矢の技術の指南役でもある<天翔ける灰色狼>がオレの耳元に顔を近づけて言った。
「<嗤 (わら) うコヨーテ>なら、もう先に出た。あまり周りを気にするな、いつも通り、自分に集中しろ。俺が先頭に立って先発隊の後を追う」
「──分かった、オレ達も行こう」
<嗤うコヨーテ>は<燃ゆる瞳の赤狼>や<天翔ける灰色狼>と同じくらいの年の男で、<燃ゆる瞳の赤狼>ほど大きくはないけど、ムダのない筋肉質な身体で、ちょっと、否、かなり血の気の多い性格をしてる。そして<嗤うコヨーテ>は出会った時からずっと、オレの事を嫌ってた。
なんでオレを嫌うのか、今まで本人に直接聞いた事はない。オレは<嗤うコヨーテ>の本心を知るのが怖かった。彼からすればオレは単なる他所者 (よそもの) なんだろうし、災いを運んでくる子供だって映ったんだろう、ってオレは自分を納得させてた。
今日の狩りの狙いは、北の森の奥に現れるムースだ。
ムースは大型の鹿で、その身体は人間の大人の何倍もある。大人の雄は平べったく横に大きく張った特徴的な角を生やしてるから、ひと目でそいつがムースだって分かる。巨体だから、体重を乗せて角を突き出されたら間違いなく相手は死ぬ。前脚の蹴りの威力だってすごい。ムースには天敵のヒグマさえも返り討ちにした伝説があるぐらいだ。
決して気性が荒いって訳じゃないけど、繁殖期の雄や子連れの雌に遭遇しちゃったり、不用意に雄の縄張りの中に入り込んじゃたりすると人間も攻撃対象として見なされる事があるから、気を抜く事は許されない。
「どうせ長の言いつけなんだろ? 断って良かったんだぜ、オレと組むの」
オレは前を見ながら、両足の歩みを止めないまま<燃ゆる瞳の赤狼>に言った。オレの歩調に合わせて首元で、2本の獣の牙に細い革紐を通した首飾りが上下に揺れる。
「まさか、これは俺自身の意思だぞ? 長や<夜の狼の星>の言いつけじゃないぞ?」
オレのすぐ後ろから<燃ゆる瞳の赤狼>が応えた。
後発隊が村を出てから、父なる太陽はオレ達一行の真上へとその位置を変えた。冷静沈着な狩りの名手ってだけじゃなくて、優秀な追跡者 (トラッカー) でもある<天翔ける灰色狼>が後発隊の斥候 (せっこう) を務めてくれてるから、オレ達は道に迷わずに先発隊の足跡を追って、北の森の奥の狩場へと向かう事が出来た。
ふいに背中に視線を感じて後ろを振り返ると、ニヤッと笑う<燃ゆる瞳の赤狼>と目が合った。
「けど、お前はいっつも無鉄砲で危なっかしいからな。お前を無事に家に帰さないと、<春の水辺>に怒られるのはこの俺だって事を忘れるなよ?」
「何だよ、じゃあ<春の水辺>の言いつけなのか? それこそ大きなお世話だ」
オレはムッとして視線をまた前へ戻した。
「違うって、そう拗 (す) ねるなよ。子供は子供らしく、背伸びせずに周りの大人から守ってもらえば良いって事だ」
「オレはもう子供じゃない、だから今日こうしてここにいるんだ!」
<燃ゆる瞳の赤狼>が笑いを我慢してるのを、後ろを振り返らなくても分かった。オレは心の奥の恥ずかしさを打ち消したくて、自分の歩調をさらに早めた。
日常の平穏は、ある日突然崩れ去るものだ。
破滅の予兆があってもほとんどの人間は気づかないままだし、もし気づいても見て見ぬ振りをして、皆んな普段通りの生活を送り続けようとする。オレが生まれた村もそうだった。
破滅の予兆を運ぶ使者は、この<亀の住まう島>では今まで見た事のない、白い肌をした男達だった。
白い肌の男達はオレ達の赤い肌と違って、村の大人の男達より縦にも横にもずっと大きかった。そして<四つ足の人>、つまり『言葉を捨てた友人』であるオオカミやコヨーテみたいに全身が毛むくじゃらだった。違うのは肌の色だけじゃない、目の色もオレ達とは違って薄い青や薄い黄色をしてる。
白い肌の男達は親しげに村の大人達に近づいてきた。その中の1人は、オレ達の言葉が少しだけ分かるみたいで、長や大人達の間に入って話を始めた。彼らは見た事もない様な不思議な品々を持ってて、<四つ足の人>の毛皮や肉と、それらを交換したいと言ってきた。
長が言うには、オレ達が生きる<亀の住まう島>よりも遠い場所から、交易の為にここまでやって来たらしい。
「飢えて食べ物が欲しいのであれば、干し肉とトウモロコシのパンと水を差し出そう。身体を冷やしているのならこの村で温めてからこの先の道を行かれると良い。ここには必要なもの全てが揃っている。ありあまるほどの毛皮はないが、四つ足の友人達を殺 (あや) める必要はない」
長のその返事に白い肌の男達は不思議そうな顔をした。彼らは村の施 (ほどこ) しを受けて、長は強く断ったけど、施しの見返りに、って良く分からない品々を置き土産として置いて去って行った。破滅の予兆はその置き土産の中にあった。
それは琥珀 (こはく) 色に光る液体だった。
白い肌の男達はその液体を『蒸留酒 (ウイスキー)』と呼んでた。その言葉の意味は『命の水』で、これは貴重な飲み物なんだ、って誰かが言ってた。顔を近づけると鼻につく刺激臭がして、目と鼻の奥が熱くなった──これはオレの好きな匂いじゃない。
白い肌の男達は村に滞在してる間、この『命の水』を何杯も飲んでた。彼らは『命の水』を飲むと目つきが変わって、大きな声で笑った。オレは『命の水』の匂いだけじゃなくて、彼らのその目つきも好きになれなかった。大きな笑い声も耳の奥まで響いて不快だった。
村の大人達は白い肌の男達に勧められて、その内の何人かが『命の水』を口にした。するとそれを飲んだ大人達は、白い肌の男達と同じ目つきと笑い方になって、足元がおぼつかなくなったり、突然泣き出したり、理由もないのに怒り出してケンカを始める者まで現れた。
村は恐怖と混乱に陥 (おちい) った。
『命の水』なんて名ばかりで、飲んだ人間の心をおかしくさせてしまう。いくら施しの返礼品だなんて言ったって、こんな恐ろしいものを村に置いていたら絶対に危険だ。
けど一度飲んだ人間はしばらく時間が経つと我に帰って、また『命の水』を欲しがった。
これは悪いものじゃない、むしろ気分がとても良くなるものだ、一度飲んでみれば分かるさ。また飲みたい、それならまたあの白い肌の男達から次の『命の水』を分けてもらおう。彼らは毛皮や干し肉を欲しがっていたんだ、それならもっと毛皮を獲ろう、もっと干し肉を作ろう。
──かくして村は二分された。今まで通りの赤い肌の道を進みたいと願う者達と、白い肌の人間に従う道を望む者達に別れて、昨日まで仲が良かった者達同士、やがて互いにいがみ合う様になってしまった。
白い肌の男達はまた何食わぬ顔でやって来た。『命の水』に取り憑かれた村の大人達は白い肌の男達を歓迎した。そして、村のもともとの予定になかった狩りに出かけては、四つ足の友人達の毛皮や肉を次々に獲って来た。
それは質素な村の生活には不釣り合いなぐらいの量の毛皮と肉だった。これだけあればたくさんの『命の水』と交換出来るに違いない。もうすでにありあまるぐらいの量があるっていうのに、大人達は競い合って何度も狩りに行って、そして自分達の獲物の量と質を自慢し合った。
オレは白い肌の男達からも、『命の水』を欲しがる大人達からも距離を置いてた。出来るだけ関わろうとしなかった。もし彼らに近づけば、決まって胸騒ぎがしたり、鳩尾 (みぞおち) や下腹の辺りが締めつけられて、気持ち悪くなった。オレの心と身体とが、懸命に危険を教えてくれた。
けどオレはまだ幼かったから、その事をどう表現すれば良いのかまでは分からなかった。オレの父さん、<真っ直ぐな樫 (かし)>が『命の水』を飲んではウィグワムの中で暴れる様になった時も、幼いオレは自分がどうすれば良いのか分からなかった。
父さんは、村の中で誰よりも優しい男だった。
親切で、気が利いて、おまけに顔立ちも整ってたから、周りの女達は<真っ直ぐな樫>を放っておかなかった──オレの母さんである<咲き誇る野百合 (のゆり)>が、いつもそう言ってた。つまり母さん自身が、父さんの取り巻きの中の1人だったって事だ。母さんは名前の通り、夏に咲く百合みたいに明るくて、誰もが振り向く美人だったから、村一番の美男美女が結ばれたって結婚当時はちょっとした騒ぎになったらしい──オレの自慢の父さんと母さんだ。
<真っ直ぐな樫>は確かに親切で気が利く男だけど、同時に好奇心も旺盛な男だった。だからいつも狩りから帰ると、食べ物や毛皮とは別に、面白い形をした石ころや美しい鳥の羽、動物の骨なんかも一緒に持ち帰ってきては「どうだこれ、いいだろう!」とオレや母さんに見せびらかして、皆んなで腹を抱えて笑ってた。オレ達家族はいつも幸福だった。
けど、その好奇心が仇 (あだ) になった。<真っ直ぐな樫>は白い肌の男達が持ち込んできた珍しい品々に興味津々 (きょうみしんしん) だった。もちろん『命の水』もその例外じゃなくて、父さんは初めてそれを飲んだ村の人間の1人になった。
それから──父さんは変わった。
あんなに親切で優しかったのに、一度『命の水』を飲むとまるで別人になったみたいに怒りっぽくなって、泣く様になった。酷い時にはウィグワムの中で暴れたり、他の人のウィグワムの内外で粗相 (そそう) をする事もあった。
大人達が狩りに行っても、父さんだけはウィグワムに残って何もしないで、ただ『命の水』を飲んで過ごしてる事が多くなった。母さんはずっと泣いてた。家族や友人、父さんの幼馴染 (おさななじみ) である<歌う山獅子>がどれだけ心配をしても、父さんは『命の水』を優先した。そしてついには年輩者や村の長の言葉にさえも耳を貸さなくなって、晴れた日であってもウィグワムから1歩も出歩かなくなった。
そのうちに季節は巡って、やがて村の周りからは、実り多い季節であっても四つ足の友人達の気配が消えてしまった。その冬の生活は、とても厳しいものになった。
大人達が白い肌の男達との交易の為にたくさん狩りをしたせいで、村近辺の狩場からはあらゆる動物達がその姿を消した。そうすると大人達はさらに遠くの狩場に出かけて、そこで近くに暮らす他の部族と鉢合わせになった。他の部族も白い肌の男達との交易の為に、自分達周辺の狩場を食い尽くした後で、同じ様に遠い狩場にやって来るしかなかったって事だ。
そうして獲物の奪い合い、部族同士の争いが始まった。
昨日まで交流の合った部族、友達や親戚のいる部族とさえも戦った。武器を手に取るのをためらう者はいても、誰も争いを止める事は出来なかった。それぞれの村に残された者達はどうする事も出来ない自分達の無力さを嘆 (なげ) いて、呪って、そして泣いた。
そんな時にその男は現れた。
白い肌をした男達の中に、まるで宵闇 (よいやみ) みたいな真っ黒い色で、足元までを覆 (おお) う長い衣服をまとった男が混じって、たびたび村を訪れる様になった。そいつはオレの村だけじゃなくて交易の一行と一緒に各地の部族の集落を渡り歩いてて、周りからは『神父様』と呼ばれてた。男達の態度からは、彼がとても尊敬されてるのが分かった。神父様は『ジーザス』っていう、オレ達の知らない神について雄弁に語った。
「その『ジーザス』って神様は、この世界でただ1人の神様なんだってさ!」
村で一番の仲良しであるオレの幼馴染、親友の<伏せる山猫>が村の広場の焚き火に当たりながらそうオレに教えてくれた。どうやら大人達にまぎれて神父様ってヤツの話を聞いてきたらしい。
「あ"あ”!? ただ1人の神様だって!? それじゃあ<ワカンタンカ>は!? 動物や、植物や、雨や、風は!? オレ達の神様じゃないってのか!? <ワカンタンカ>と話せる<夜の狼の星>の言葉は、インチキだって言うのかよ!?」
オレは右の片眉を吊り上げて<伏せる山猫>をにらみつけながら、息継ぎするのさえも忘れて一気にまくし立てた。
「そう怒んないでよ! ジーザスなんて名前の神様の存在を今さっき知ったばかりなんだ、俺だって驚いてるんだよ?」
<伏せる山猫>は慌ててオレに応えた。その慌てた素振りと目つきから、彼が嘘をついてないってすぐに分かった。それよりもオレは急に自分が恥ずかしくなって、出来るだけ自然に<伏せる山猫>から目線を外した。いつも陽だまりみたいに温かい笑顔とその優しさで受け止めてくれる<伏せる山猫>の度量に甘えて、湧き上がる怒りを全部一気にぶつけてしまった自分の未熟さに気づいたからだ。
けど──この世界で神様がただ1人だけだなんて、オレにはそんなの信じられなかった。
だって、<ワカンタンカ>はそこら中に存在してるだろ? 1匹のオオカミの中に、1羽のチョウの中に、1枚の枯葉の中に、暑い夏の日差しの中に、寒い冬に吹く風の中に、そして道端に転がる小石の中にだって、<ワカンタンカ>の気配を感じられるだろ? だから神様がたった1人って訳ないじゃないか?
<ワカンタンカ>の気配を感じ取って、それを自分達の言葉に変える事が出来る者を、<亀の住まう島>では『呪術師 (シャーマン)』と呼ぶ。<夜の狼の星>はオレの集落からは少し離れた場所に1人で暮らしてる、オレが尊敬してる若い呪術師だ。今度<夜の狼の星>に会ったら、『ジーザス』について詳しく話を聞かないといけないぞ。こんなの、全然納得出来ない。
「けど──」
<伏せる山猫>は決まりの悪そうな表情をして、言葉を続けるのをためらった。
「何だよ、ただ1人の神様って以外に、まだ他に何かあるのかよ?」
オレは一度深く呼吸をして自分の身体と気持ちを落ち着かせてから、<伏せる山猫>に話の続きを促した。それを受けて<伏せる山猫>はとても心苦しそうに、自分の心の中だけにしまってはおけないってばかりに、続きの言葉を一気に口にした。
「ジーザスを尊敬しない人間には悪い事が降りかかるんだって。けどジーザスの言う通りにすれば、俺達皆んなが幸せになれるんだって。オレ達を導く<ワカンタンカ>は幻で、ジーザスこそが皆んなを導いてくれる本当の存在なんだ、って──神父様ってヤツはそう言ってたんだ」
あまりの衝撃に、オレは言葉を失った。いつまでも続く沈黙の中、焚き火の炎が爆 (は) ぜる音だけが耳に残った。
気温は一段と冷え込んで冬の寒さが厳しいある日、村の勇猛な戦士で、オレと同じピューマの名を持つ<歌う山獅子>が息を切らして村の広場へ戻って来た。
<歌う山獅子>は父さんの幼馴染、そしてオレの親友である<伏せる山猫>の父さんだ。
オレと<伏せる山猫>は、家族ぐるみのつきあいだ。<歌う山獅子>はオレが生まれた時から、まるでもう1人の父さんみたいに、オレのそばにいてくれた。父さんも気安い人だけれど<歌う山獅子>も同じ様に気安くて、そして父さん以上に豪快で、頼りになる人だった。
もともと彼の名は<勇敢な山獅子>だった。けど<勇敢な山獅子>は、オレが生まれた時にその名をオレに分け与えて、それから自身は<歌う山獅子>と名乗って、赤ん坊のオレは<眠れる山獅子>になった。親友に子供が出来たら自分の名を分け与える、それが幼馴染である<真っ直ぐな樫>に対する<勇敢な山獅子>の神聖なる誓い、友情の証だった。
分け与えられた同じ名前を持つ者同士、オレと<歌う山獅子>はとても仲が良くて息も合った。お互いに何を考えているのか良く分かったし、物の見方、考え方も良く似てた。時には息が合い過ぎて、<歌う山獅子>は父さんから嫌味を言われるほどだった。
けど<伏せる山猫>はオレの父さんとは逆で、オレと<歌う山獅子>の仲が良ければ良いほど嬉しがった。オレは<伏せる山猫>とも同じぐらい息が合ったから、オレ達は互いに兄弟同然、家族同然の存在だった。
<歌う山獅子>はその名の通り、とても良い声をしてた。集落の儀式で長や呪術師から名指しで指名されるぐらい、祈りの歌を歌う中心となる役目を任されてた。集落の男達の中でも<歌う山獅子>はとても身体が大きかったから、腹の奥底からその歌声を響かせる時に、まるでその全身を大きく震わせて吼 (ほ) える、本物の山獅子みたいにオレには見えた。
もちろん歌だけじゃなくて戦士としての勇気もあって、なおかつ弓矢の扱いにも長けてたから、狩りや仕事のない日は普段から進んで村の周辺を見回ってくれてもいる。とても頼りになる男だ。
「戦争だ! 遂に、戦争が始まったぞ! 皆んな集まれ!」
そんな<歌う山獅子>が大きな、良く通る声で、村の広場の中心で叫んだ。村の皆んなが彼の声を聞いた。
村の長はすぐに会議を開いた。<歌う山獅子>によると、彼の兄弟が暮らしていた東の集落が襲われて、女子供を中心にたくさんの死者が出たらしかった。その集落は焼き払われて、生き残った数人がケガの治療の為に<歌う山獅子>の家に運ばれた。彼の兄弟も酷いケガを負ったけど、どうにか一命は取り留めた。
「兄弟の話では、東の集落から更に南へ進んだ土地からやって来た部族に襲われたらしい。しかもその部族は、黒い服を着た白い肌の男の指示で来たと言っていたそうだ」
「なんだって! それって、あの神父じゃないのか!? 彼は一体どういうつもりなんだ!?」
<歌う山獅子>は興奮する大人達を片手で制しながら、さらに話を続けた。
「話はそれだけじゃない。南の部族のヤツらは東の兄弟の集落の人間の首や、髪の毛を頭の皮ごと切って、その神父の元へ持ち帰って行ったそうだ──戦士だろうが女子供だろうが関係なく。次は間違いなく、ここも襲われるだろうな」
村の大人達は言葉を失った。この間まで親しげにこの村で彼らの神について話をしていた者が、どうして突然我々の首や髪の毛を欲しがるんだ? しかも戦士じゃない女や子供の首や毛を、彼らは一体何に使うっていうんだ? そしてどうして、南の部族は白い肌の神父に従っているんだ?
考えれば考えるほど、戦士達は恐ろしさのあまりに身震いした。白い肌と対照的な黒い服が、神父の不気味さをなおさら引き立たせてるみたいだった。
オレはまだ幼くて戦士の年齢じゃなかったけど、幼馴染の<伏せる山猫>と一緒に会議の場のすみっこに身を寄せ合って、大人達の話を黙って聞いてた。
この冬の間に、オレは弓矢の練習を始めた。
たくさん練習して狩りに参加出来る年齢になったら、<ワカンタンカ>の力を込めた弓矢を作ってやろう、って<夜の狼の星>がオレに約束してくれたんだ。本当は父さんに弓矢を教わりたかったけど、狩りにも出かけないで毎日『命の水』を飲んで過ごしてる父さんに頼む事なんて出来なかった。その代わりに、見かねた<歌う山獅子>が狩りのない時にオレに教えてくれた。
オレだってこの弓矢を使えば、きっと皆んなの役に立てる。
「何はともあれ、何としても我々が女子供達を守らねばならない」
長や戦士達は、会議の場にまぎれ込んでるオレ達子供や大人の女達を暖かい目で見回した。大人達はこれからどうするのか、何度も何度も話し合った。
「こちらにはケガ人もいる。西の河を越えた一帯の集落と合流して、まず女子供の安全を確保するのが最優先だろう。あそこには私の兄弟もいる。きっと力になってくれるだろう」
長のひと言に皆が賛成した。けどすでに夜は更けてて、辺りは夜のしじまに包まれてた。明日の朝一番、太陽が昇り出すと同時に村を出発する予定になって、大人達はその準備に取りかかり始めた。
オレは<伏せる山猫>と別れの挨拶をしてから自分のウィグワムに戻ろうとすると、オレ達の後ろから<歌う山獅子>が声をかけてきた。
「<眠れる山獅子>、今夜は家まで送ろう──心配するな、俺が必ずお前達を守る」
こうして幼いオレ達に声をかけて不安を取り除こうとしてくれる<歌う山獅子>は、オレにとってはまるで本当にもう1人の父さんみたいだった。オレは一度立ち止まって、頷いて応えた。<歌う山獅子>と<伏せる山猫>はゆっくり歩きながら、オレのウィグワムまで送ってくれた。ウィグワムの中で母さんはもう旅の支度を始めてて、オレの荷物もまとめてくれてた。
「わざわざ顔を見せてくれてありがとう、<歌う山獅子>に<伏せる山猫>。けど見ての通り<真っ直ぐな樫>はもう寝てしまったの、ごめんなさいね。明日の朝は早いわ。それにきっと大変な旅になる。旅には元気が必要よ──だからあなた達子供は明日に備えて、今夜はもう寝ておきなさいね」
母さんは<咲き誇る野百合>の名前にぴったりの、精一杯の優しさと笑顔でオレ抱きしめてくれた。父さんは『命の水』が入った壺を抱えたまま、とっくに寝息を立てていた。<歌う山獅子>は複雑な表情をした後に軽く頷いて母さんに応えた。<伏せる山猫>はオレとおやすみの挨拶を交わしてから、<歌う山獅子>に連れられて自分達のウィグワムへと帰って行った。
──これからどうなるんだろう。
いくら考えてみても答えは出なかった。闇夜に潜み、篝火 (かがりび) の炎の中にときどき見え隠れする<ワカンタンカ>に心の中で問いかけてみても、何も返事はなかった。オレは<真っ直ぐな樫>の寝息と、<咲き誇る野百合>がせわしなく支度をする音を聞きながら、いつの間にか眠りに落ちてた。