EPISODE 10: DERAMLOVER / THAT’S THE WAY WE’RE LIVIN’
「うああああああああ!!」
大きな叫び声を上げながら、オレは寝床から飛び起きた。
まるで野山を全力で走った時みたいに心臓の鼓動は早くて、息は荒いし、全身は汗でぐっしょりと濡れてるし、おまけに身体は冷え切ってる。オレは右手で自分の顔を覆 (おお) った。
──何だよ今のは、あいつ一体何なんだよ!?
背後からオレをつけ狙ってくる、大きな『黒い獣』。夜の闇よりも深い黒い色をしたあんな獣を、オレはこの世界で見た事がない。不安、疑い、恐怖、憎しみなんかの嫌な気持ちを壺の中に全部入れてかき回して、それを頭から一気に浴びた、みたいな感じの『黒い獣』──オレの盟友、<光のピューマ>とは全然違う。
「<眠れる山獅子>、大丈夫!?」
ウィグワムの外幕をめくって、血相を変えた<春の水辺>が転がり込んで来た。オレの叫び声を聞きつけて、となりのウィグワムからすっ飛んで来てくれたんだ。オレは覆った手を顔から離して、その手で<春の水辺>に応えた。
「大丈夫だ、心配かけて悪かった」
大丈夫だって言いながらもオレは酷く怯えた表情をしていたのかもしれない、<春の水辺>は水の入った壺をオレに渡して飲むように勧めてくれて、オレは壺の中の水を一気に飲み干した。自分じゃ気づいてなかったってだけで、喉はからからに乾いてたんだ。
「ありがとう」
オレは礼を言って、空になった壺を<春の水辺>に返した。オレが落ち着きを取り戻したのを見て、<春の水辺>はようやくその表情を崩した。夢の中で『黒い獣』と会うのは、これで一体何度目だろう?
ビジョン・クエストを終えて、<夜の狼の星>の指導の下で呪術師の道を歩み始めてから、オレは不思議な夢をたくさん見る様になった。
初めの頃は夢の内容を全部細かく<夜の狼の星>に伝えてその意味を確認してたけど、ある時からは、もう誰かに聞かなくても今のオレになら理解出来るはずだぞって<夜の狼の星>に言われて、それからは自分で夢の意味を解釈する様になった。
夢の中でオレは『盟友』である<光のピューマ>と何度も顔を合わせて、いつまでも仲良く語らい合った。他にも、集落の中で誰かが失くした物のありかとか、誰かが困ってるぞとか、急に風向きが変わって天気が荒れる日が来るから狩りに行くなら注意しろよって伝言とかを、<光のピューマ>から教えてもらったりもした。
オレは<夜の狼の星>の指示通り、<光のピューマ>からの伝言を自分なりの言葉に置き換えて集落の人間に伝え始めた。最初は訝 (いぶか) しんでた集落の皆んなも、オレの言った通りに探し物が見つかったり、悩みが解決したり、急に天候が変わったりするのを目の当たりにして、少しずつオレの言葉に耳を傾けてくれる様になってった。けどやっぱり<嗤うコヨーテ>を始めとする若い世代の戦士達は、オレの話をまともに聞いてはくれなかった。
『黒い獣』はここ最近になって、ときどきオレの夢の中に現れる様になった。
今日みたいに闇の中から1匹で現れる時もあったし、互いに協力する様子こそ見せないけど、何匹か一緒に現れる時もあった。一番恐ろしかったのは、何匹もの『黒い獣』の中でもひと際大きな身体をした1匹が現れて、オレが<光のピューマ>と一緒になってそいつと死闘を繰り広げる、っていう夢だった。その『黒い獣』は大きく裂けた口先からダラダラと唾液を垂れ流してて、生き物の肉が腐ったみたいな匂いを発してた──思い出すだけでも吐き気がする。
最初に『黒い獣』と出会った後、オレはその時の様子を<夜の狼の星>に伝えた。
オレが夜の闇の色よりも深い『黒い獣』と夢で会ったと聞いて、すると<夜の狼の星>は確かにその表情を変えた。そしてうつむいて、黙り込んでしまった。オレは眉をひそめて、一体どうしたんだと<夜の狼の星>に聞いた。
「<眠れる山獅子>、それは本当に──本当に闇よりも深い『黒い獣』だったんだな?」
<夜の狼の星>はようやく顔を上げて、けど声の調子を落としてそう言った。
<夜の狼の星>の表情はとても暗くて、まるで誰にも聞かれちゃいけない話をしているみたいだった。オレは息を飲みながら無言で頷くと、それを見た<夜の狼の星>は大きなため息と共にまたうつむいてしまった。
「──そうか、やっぱり来たか──」
オレは驚いた。<夜の狼の星>はオレよりも先に『黒い獣』の存在を知ってるんだ!
「<夜の狼の星>、教えてくれ! 『黒い獣』ってのは一体どんなヤツなんだ!? オレの盟友である<光のピューマ>とはまるで違う存在だ、ってオレには思えるんだ!」
オレは興奮して一気にまくし立ててしまった。<夜の狼の星>は猛 (たけ) るオレを片手を挙げて制して、ゆっくりとした動作でパイプにタバコを詰めて火を点けた。<夜の狼の星>はパイプを深く吸い込み、そして息を吐くと、オレ達の周囲を柔らかな煙が包み込んだ。<夜の狼の星>のタバコは、いつもと変わらない良い匂いがする。
「いいか、良く聞け、<眠れる山獅子>。その闇より深い『黒い獣』はな──<ワカンタンカ>の聖なる遣 (つか) いなんだ」
「聖なる遣いだって!? あいつ、オレを殺そうとしたんだぞ!?」
<夜の狼の星>の言葉にオレはますます驚いて、そして怒って、右の眉を吊り上げながら思わず拳で床を叩いた。あんなに禍々 (まがまが) しい生き物が<ワカンタンカ>の聖なる遣いだなんて言われても、そんなの嘘だろ! 絶対に信じられない。
<夜の狼の星>は沈んだ表情のままで話を続けた。
「お前の感じている事は正しいさ。もっともな事だ──けどな、闇より深い『黒い獣』は確かに<ワカンタンカ>の聖なる遣いなんだ。ただヤツは、自分が<ワカンタンカ>に連なる聖なる存在である事、<ワカンタンカ>より与えられた自分の役割を、全部忘れてしまってるだけなんだよ」
「──自分の役割を忘れた獣だなんて、まるで自分の道を失った人間みたいじゃないか」
一度振り上げたオレの拳は行き場を失くして、今やその勢いも削 (そ) がれてしまった。
──何て哀しい生き物だろう。
<夜の狼の星>の言葉を受けて、自分でも気づかないうちにオレの目には涙があふれそうになってて、<夜の狼の星>は力のない笑顔を浮かべて応えた。
「お前はとても心の優しい戦士だ。けどな、同情は禁物だぞ? 闇より深い『黒い獣』は、他人からの同情を心から憎んで、嫌うんだ。もしお前が例えわずかでも同情の心を見せれば、お前の優しい心はかけらすら残さず喰らい尽くされて、それを糧 (かて) にヤツは次の獲物を狙うんだ。これは『黒い獣』自身が自力で乗り越えて、自分自身を思い出さなきゃいけないって事だ」
でも、<夜の狼の星>の言う通りなんだとしても、オレにはまだ納得出来ない。
<夜の狼の星>はさっき『黒い獣』について、「やっぱり来たか」って言ったんだ。じゃあ、オレが出会うよりもずっと前に<夜の狼の星>はあの『黒い獣』と会ってて、何かの言葉を交わして、そしていつかはオレの元へやって来るって事を、あらかじめ知らされてたってのか?
オレの疑問を見透かしたみたいに、<夜の狼の星>は話を続ける。
「俺がもっと若かった頃にな、俺の夢の中にも『黒い獣』が現れたんだ。お前が会った時と同じ様に禍々 (まがまが) しくて、そして気味の悪い笑いを浮かべてこう言ったんだ──『お前がこの世界の真実をその目で見つめ、その耳で聞き、その鼻で嗅ぎ分ける分だけ、お前に近い人間の命を奪ってやる。それは血を分けた者だけじゃない、お前と道を同じくする者にも容赦 (ようしゃ) はしない。お前達はオレから絶対に逃れる事は出来ない』ってな──。
世界のあらゆる出来事の中に<ワカンタンカ>の存在を認めて、その声を聞いて、感じる事は、呪術師としてってだけじゃなく、この<亀の住まう島>の上に生きる人間にとっても正しい道だ。そして俺には、それ以外の道を歩む事が出来ない──俺は俺にしかなれないんだ。
だから俺は集落から離れて、俺の周りの人間に『黒い獣』から危害が加えられない様に、今日までここで1人で暮らしてきたんだ。俺が俺であるがゆえに、『黒い獣』は俺の周りの誰かを傷つけて、殺しに来るかもしれなかったからな──独りは嫌なもんだぞ? この俺でもときどき、頭がおかしくなりそうになるんだ。だからこうしてお前と話していると、安心するよ」
オレは<夜の狼の星>の目を見つめながら、無言で息を飲んだ。
決して誰にも理解されない、想像だって出来ない様な孤独を、悲しみを、<夜の狼の星>はたった1人で抱えながら、今日この日まで生きてきた事を、オレはこの時に初めて知った。
──違うんだ、他人と違って、見えないものに触れ得る才能があったから<夜の狼の星>は呪術師になったんじゃなかったんだ。自分にとっての正しい道を歩み続けたその先に、自分が自分であり続けた結果として、今の呪術師の立場があったってだけだったんだ。
そして呪術師としての役割を最後までやり遂げようとして、人々から時に畏 (おそ) れられたり、時に悪く言われたりしたとしても、救いを求める声に応じて、助言を与えて、そして今もこうして、自分と同じ道を行くオレを導こうとしてくれてる。
──すごいな、<夜の狼の星>は。とても強い男、オレが心から尊敬出来る男だ。
そうして<夜の狼の星>の語りに耳を傾けている時に、不思議な事が起こった。
つらい話をしてくれる<夜の狼の星>の姿が一瞬だけ、まるで白銀色の毛並みを持つオオカミみたいに見えた──そしてその白銀のオオカミは、大粒の涙を流してもいた──夜空に青白く光り輝く<夜の狼の星>の名前が示す通りに、俺の盟友は白銀のオオカミなんだ、って前に本人が語ってくれた事を、オレは急に思い出した。じゃあ、今オレが見たものは──<夜の狼の星>の盟友なのか!?
ウィグワムの中を重苦しい沈黙が支配して、パチパチと燃える焚き火の音が耳の奥に響き渡る。オレはただ床を見つめたまま、顔を上げずに<夜の狼の星>に聞いた。
「オレも──オレもさ、『黒い獣』と会ったって事はさ、<夜の狼の星>みたいにこれからは、1人で生きていった方が良い──のかな?」
幼くして両親、友達、生まれ育った村を失って、どれだけの深い悲しみを味わっても、気づけばオレは歳を重ねて、今の集落での穏やかな暮らしが当たり前になってた。もし今またもう一度全部を失う事になったら、<燃ゆる瞳の赤狼>達と離ればなれになったら、今度こそオレは悲しみに耐え切れなくなって、頭がおかしくなるんじゃないか──不安で胸が押し潰されそうになる。
「──お前の盟友は、<光のピューマ>は何て言ってるんだ?」
<夜の狼の星>は少し間を空けてから応えた。オレはまだ床を見つめたままで首を横に振る。
「分からない、今も聞いてみたけど、何も答えてはくれなかった」
<夜の狼の星>はどこかほっとした表情になって、少しだけ笑顔を見せて言った。
「そうか。それなら、お前のその質問に盟友が返事をくれるまでは、お前は急いで答えを出す必要はないって事だよ」
昔から<亀の住まう島>に暮らしてきた赤い肌の人々は、白い肌の人々と違って『文字』っていう文化を持たなかった。
けど、文字なんかなくたって別に平気だった。だって、各地の部族ごとに違う『音の言葉』と、そして違う部族同士でもほとんど同じ意味で話せる、手とか指とかを使った『身体の言葉』を持ってたから。
『音の言葉』の場合だと、ある1つの意味を持たせた言葉は、集落の距離が近いとだいたい似た様な音だったりするけど、遠く離れた部族になると、それはまるで違う音の響きに変わってる、なんて事が良くある。けど『音の言葉』が全然通じなくても、『身体の言葉』を使えばだいたいの意味は理解出来たりする。
赤い肌の人々は昔から<亀の住まう島>に伝わる物語や伝統を文字で書き残すんじゃなくて、呪術師や集落の年長者達が口伝えと身体の動きによる表現、つまり歌と踊りと祈りの中に込めて、ずっと守ってきた。
音は風に乗って、空気を伝わって世界に広がって、やがて溶け合って、そして消えていく。
この世界にあるものは全部、その位置を変える事で空気を動かして、自分の周囲に小さな風を巻き起こす。そして一度でも動いたものは完全に元と同じ位置に戻る事も出来ないし、完全に同じ道のりを辿ってその動きを再現するって事も出来ない。
音と動きは、いつでも変化の中にだけ存在している。
だから、文字を持たない赤い肌の人々にとって、『音の言葉』と『身体の言葉』、歌と踊りと祈りは風の精霊の祝福を受けた、とても神聖なものだ。自分が口にした言葉、表現をした動作は全部、<ワカンタンカ>の子供である風の精霊達への捧げ物になって、同時に誓いにもなる。
その誓いを破って嘘をつく事は、風の精霊達と<ワカンタンカ>への裏切り、とても悪い事だ。白い肌の人々が平気で嘘をつくのは、文字を持ってるせいで、風の精霊達への誓いを最初から失ってしまってるからなのかもしれない。
そして今、少し離れた木陰に佇む<燃ゆる瞳の赤狼>が『音の言葉』を使わないで、その大きな身体と大きな動きを使った『身体の言葉』で、自分の思いをオレに伝えてる。
<燃ゆる瞳の赤狼>はまず自分自身の目線の高さまで右の肘と右の前腕を挙げて、五本の指を軽く開いた状態の右の手のひらの地面に向けた。そこから小指側を下にしながら右手で握り拳を作って、そしてその拳と右腕全体を地面に向けて勢い良く振り下ろした。
(ここで休もう)
馬上のオレは握り拳から人差し指だけを伸ばした右腕を空高く上げて、その腕を地面に向けて振り下ろしながら、伸ばしていた人差し指を拳の内側へと閉じて、<燃ゆる瞳の赤狼>の提案に応えた。
(分かった)
オレと<燃ゆる瞳の赤狼>はビジョン・クエストを終えてから、白い肌の男達から買い取った馬に乗って平原のあちこちに出かける様になった。今までは徒歩で集落の周りを見回りしていたのを、馬での移動による見回りに切り替えた。
馬の脚力と体力は本当にすごくて、実際、徒歩なんかとは比べものにならないぐらいに見回りの負担が軽くなった。徒歩だと数日かかる距離も馬で移動すれば半日足らずで済んでしまうから、持っていく水や食糧の量も少なくて大丈夫だし、何よりも異変を発見した時にはすぐに集落へ戻ってあっという間に情報を伝えられる様になった。
けど、他の部族からの襲撃だけじゃなくて白い肌の男達の動きも一緒に警戒して見回るのに、白い肌の男達から買い取った馬を利用する──って、馬達は別に何も悪くないけど、これってあんまり笑えない、面白くない冗談だといつも思う。
オレは馬を降りて、枯れて倒れている大きな木に近寄って、自分の馬を<燃ゆる瞳の赤狼>の馬のとなりに連れて行った。オレ達は人間同士だけじゃなくて、お互いの馬同士だって仲が良い。オレは麻の紐を取り出して自分の馬を木に繋いで、馬の頬から首を優しくなでて、今日の走りに感謝した。2匹の馬達は長い尾を左右に振って、地面の草をそれぞれに食べ始めた。
オレは麻袋の荷物を持って<燃ゆる瞳の赤狼>が胡座 (あぐら) をかいて座ってる木陰へと歩み寄って、<燃ゆる瞳の赤狼>のそばに腰を落ち着けた。
オレが座ったのを見て、<燃ゆる瞳の赤狼>は両手と両足を広げながら地面を背にして倒れて、大きな身体をさらに大きく伸ばした。オレも<燃ゆる瞳の赤狼>の真似をして地面に寝転がった。
地面から見上げる今日の空も、視界の端から端まで青く澄んで晴れ渡ってて、とても綺麗だ。辺りを吹き抜ける乾いた風が、オレの赤い肌を心地良くなでる。
オレは横になったまま身体の横に置いた麻袋の荷物へと手を伸ばして、袋の中から3つの石を取り出した──1つは前に<夜の狼の星>から譲り受けた、呪術師には絶対に必要だとされる『雷の石』、残りの2つは『空の石』と『山獅子目石』だ。
『空の石』は緑がかった青色の中に灰色の細かな線やいくつかの斑点 (はんてん) のある石で、その名前の通りに、今日みたいな美しい青空と流れゆく雲の風景を、そのまま小さなこの石の中に閉じ込めたみたいに見える。
『山獅子目石』は暗い茶色から明るい黄色の、シマ模様がとても綺麗な石だ。一番明るい黄色い部分は、光の加減によっては父なる太陽の色みたいにも見える。そしてそれはまるでピューマ(山獅子)の瞳にそっくりで、じっと心静かにこの石を見つめてると、オレの盟友である<光のピューマ>がこの石を通じてオレを見つめ返してくれているみたいにも感じられる。
オレは3つの石を自分の身体の上に置いた。
『雷の石』は丸っこい球体だから転がり落ちない様にへその上に、残りの2つは平坦な部分を下にすれば安定するから、鳩尾 (みぞおち) と胸の上にそれぞれを置いた。
オレが良く晴れた日にひなたぼっこをすると再び元気を取り戻すのと同じで、石だって父なる太陽の光を浴びると、一気に元気を取り戻す。石の中に元気が満たされてるかどうかは、触れてみれば簡単に分かる。石に戻りつつある温かい力を、オレは自分の赤い素肌を通して感じ取った。
「ではこの少年達が、この集落の次の世代を担う長となる者と、呪術師なのですね」
その問いかけに、長は深く頷いた。問いかけてきたのは近くの別の部族の集落からときどき交易にやって来る使者、顔馴染みの赤い肌の男だ。
ある時、オレと<燃ゆる瞳の赤狼>は長の呼び出しを受けた。
急いで長のウィグワムへ向かうと、そこには長だけじゃなくて数人の年長の戦士達と、この使者の男が同席していた。今までに言葉を交わした事はなかったけど、この男の顔は前にも何度か見かけてたから、オレは<燃ゆる瞳の赤狼>の後に続いて軽く挨拶をしてから長のとなりの床の上に座った。そして使者の男はオレ達が座り終わるのを見届けると、長にそう問いかけた。
「否、オレは<夜の狼の星>の元で修行中なんです。オレはまだ、この集落の呪術師だって名乗る事は出来ません!」
オレは慌ててそう弁解した。
<夜の狼の星>の指示でビジョン・クエストを終えてから、いくつもの季節が過ぎ去った。
<燃ゆる瞳の赤狼>はその儀式の終わりに、歳を重ねた自分自身がこの集落の長を務めているビジョンを見た。<夜の狼の星>は現在の長に<燃ゆる瞳の赤狼>を将来の長を努める者として扱って、そしてしっかりと育て上げろって指示を出して、それ以降<燃ゆる瞳の赤狼>は長の手伝いをしながら、長から集落にまつわるたくさんの行事や伝承を教わり始めた。
つまり将来は、<燃ゆる瞳の赤狼>と呪術師であるオレとのふたりでこの集落を守って、そして導いてくって事だ。けど呪術師としてのオレの修行はまだずっと続いてて、<夜の狼の星>から正式にひとり立ちの許可をもらったって訳じゃない。
使者の男はオレの目を見て応えた。
「事情は分かっています。ですが、例え修行中の身であっても呪術師はやはり呪術師なのです。その力と存在は普通の戦士と異なります。この集落には若くても呪術師がいる、それだけで皆は心強いというものです」
長い間、この集落には呪術師が不在だったのは確かだ。集落から離れてひとり暮らす<夜の狼の星>に時おり儀式の指導を受けたり助言をもらう事はあっても、毎日の暮らしの中で皆んなが気軽に助けを求める事は出来てなかった。
「──これを」
使者の男は、自分の荷物の中から取り出した、3つの物をオレの目の前に置いた。
それが『空の石』、黄色い『山獅子目石』、そしてまるで燃えているみたいに赤い『めのう石』だった。<夜の狼の星>の家で見た石とはちょっと違う形で、そしてちょっと違う輝きだ。オレ達は一瞬にしてその美しさに目を奪われて、息を飲んで互いに目を合わせた。
使者の男はオレ達に軽く頭を下げながら言った。
「これは我々の集落におられる呪術師<七つの踊る星>から、未来の長と未来の呪術師である、お2人への贈り物です──どうか受け取って下さい。赤いめのう石は未来の長が、空の石と黄色い山獅子目石は未来の呪術師がお持ち下さい。未来の長と未来の呪術師が、この集落の赤い肌の人々を正しい道へと導けます様に」
となりで横になってる<燃ゆる瞳の赤狼>はいつの間に自分の荷物の中から取り出したのか、赤いめのう石を右手に持って、その手を父なる太陽の光に向けて真っすぐに伸ばした。赤いめのう石は<燃ゆる瞳の赤狼>の瞳の色にそっくりで、<燃ゆる瞳の赤狼>が持つのにぴったりだなと思った。本人もまんざらでもない様子で、その姿勢のままでオレに笑いかけた。
「心を落ち着けて赤いめのう石に語りかけると、まるで石の向こう側にいるもうひとりの自分が今の俺を見つめ返して、俺に応えてくれる気がするんだ──お前ほどじゃなくても、俺も今からでも呪術師になれるかもしれないよな?」
オレも横になったまま首を傾けて、右眉を上げながら微笑んで<燃ゆる瞳の赤狼>に答えた。
「そうかもな。確かに、可能性はあるかもしれないな──けどその前に、お前は長の道を歩むんだろ? なら先に、自分の仕事をしろよな」
オレは身体の上に置いた空の石と黄色い山獅子目の石を麻の袋にしまってから、へその上の雷の石を握って上半身を起こした。オレは手のひらの上の雷の石を見ながら話を続けた。
「将来の長は<燃ゆる瞳の赤狼>にしか出来ない──他の人間じゃあダメだ、それはお前だけが出来る仕事だ。だからちゃんと、お前だけの役割と責任を果たせよな? この集落での呪術師の仕事はこのオレがやる。これはオレにしか出来ない仕事だ、だからオレに任せろ。その代わり、オレはいつでも<燃ゆる瞳の赤狼>を応援するし、何かあったら必ず助けるからな」
父なる太陽の恵みを受け取った雷の石は、温かさをもう一度その身に取り戻した。
乾いた風がまたオレ達2人の間を走って、周囲に生えてる背の高い黄金色の羽の草が大きく揺れる。オレの言葉を聞いた<燃ゆる瞳の赤狼>は最初だけ少し驚いた様子だったけど、すぐに笑顔を見せて左手で作った握り拳をオレに向けて突き出してきた。
「もちろんだ! いつも頼りにしている」
オレは自分の右手の握り拳を突き出して、<燃ゆる瞳の赤狼>の拳の先と軽く合わせた。
その日の狩りの成果は、ここ最近では一番良いものだった。
馬で見回りをする様になって、周辺の他の部族や白い肌の男達からの乱獲が落ち着いたから、<四つ足の友人>であるムースの群れがオレ達の集落近くにまで戻ってきてくれたんだ。今日の成果を干し肉にして保存しとけば、やがて来る寒さと飢えの季節もきっと乗り越えられる。幼い子供も、年長者も、病気の人やケガをした人の命も、これなら守り切れるはずだ。
父なる太陽が西に傾き始めた頃、集落の中心にある広場では、狩りの成功を祝ってささやかな宴 (うたげ) が開かれた。木と石で作られた簡素な焚き火が、集落を包む闇夜に向かっていくつも燃え上がった。男達はムースの肉と皮を捌 (さば) いて、その間に女達はトウモロコシを挽 (ひ) いた粉に木の実やベリーを混ぜたパンを焼いて、男達が届けたムースの肉とたくさんの種類の香草を使ったスープを作った。
この集落で、動物の肉と皮の処理を一番得意とするのが、若い戦士である<嗤うコヨーテ>だった。狩りの腕だってもちろんすごい、<嗤うコヨーテ>はとても勇敢な戦士であると同時に、石を研いで磨かれたナイフを使う事に誰よりも長けてた。
集落のあちらこちらから漂ってくる良い香りが、狩りで疲れた男達の身体の鼻の奥を刺激する。
<嗤うコヨーテ>主導でのムースの処理がひと段落して、料理の様子の見に来たオレの口の端からは、気づけばひと筋の唾液が地面に向けて垂れ落ちそうになってた。その様子をしっかり見ていた<春の川辺>は大笑いして、内緒よ?って言いながら、こっそりとオレと<燃ゆる瞳の赤狼>に焼き立てのパンのかけらを食べさせてくれた。
宴の時間は穏やかに流れて、集落の皆んなが<ワカンタンカ>からの恵みを分かち合える事を喜んで、歌って、そして踊った。この時ばかりは、伝統やしきたりを嫌う若い世代も素直に<ワカンタンカ>に感謝を捧げた。誰も飢えと寒さで死ぬ事なんて望んでない。年齢や立場に関係なく、人間は衣食住が満ち足りてこそ、生きていくのに必要な正しい判断を下す事が出来たり、物事を冷静に見極めて行動を起こせる。
夜も深まって、間もなく宴 (うたげ) も終わりを迎えようとしてる。
オレがいた篝火の周りに集まってた人達は皆んなそれぞれのウィグワムに帰って、<燃ゆる瞳の赤狼>、<天翔ける灰色狼>、そして<嗤うコヨーテ>とオレの4人だけが残った。
<燃ゆる瞳の赤狼>も、<天翔ける灰色狼>も、そして<嗤うコヨーテ>も、狩りが大成功、そして無事に終わって、3人ともすごくご機嫌だった。特に<嗤うコヨーテ>は、オレに対して冷たい態度を取り続ける普段とは違って、今日は珍しくオレにも笑顔を見せた。その笑顔はどこにでもいる若者の、とても好ましいものに見えた。
オレは土器のコップの中に入っていた薬草茶は、いつの間にか空になってた。一日身体を動かした分だけたくさん食べて、たくさん飲んだって事だ。その様子をとなりで見ていた<燃ゆる瞳の赤狼>が立ち上がって、オレに声をかけてくれた。
「新しい薬草茶をもらってこよう、借せ」
そう言って<燃ゆる瞳の赤狼>はオレからコップを奪い取って、薬草茶をもらいにどこかへ歩いて行ってしまった。
オレは<燃ゆる瞳の赤狼>の大きな背中を見送ると、<嗤うコヨーテ>と<天翔ける灰色狼>とこの場で3人きりになった事に気づいた──弓矢の練習の時だったらやる事がはっきりしてるから良いけど、今日みたいな雑談の場は──ちょっと気まずい。<天翔ける灰色狼>がいてくれるだけまだ良いけど、それでも何か話さなきゃいけないのは──やっぱり気まずい。
篝火の炎が3人の横顔を照らし出す。
そう言えばそもそも、<嗤うコヨーテ>はどうしていつもオレを嫌うんだろうな? 今まで本人に面と向かって、ちゃんと聞いた事ってなかったよな──。
オレに対する<嗤うコヨーテ>の様子を周りから見たら、確かに当たりはいつも厳しくて、ずっと機嫌を損ねてるみたいに見えるんだろうな。けど<嗤うコヨーテ>からは不思議と嫌な匂いがしない。それに、悪意を秘めた目つきをしているって訳でもないし──なんでだ?
オレはこれから呪術師になって、集落の皆んなには自分の言葉を今まで以上に伝えてかなきゃいけないんだ。だから<嗤うコヨーテ>とだって、ずっとこのままって訳にはいかないよな──そうだな、今ちゃんと聞いてみよう。オレは、この集落の呪術師なんだからな!
燃え続ける篝火の熱を受けながら、オレは思っている事を素直に<嗤うコヨーテ>に伝えた。
「なぁ、<嗤うコヨーテ>、オレ達最近、あんまり話をしていなかったよな? 嬉しいよ、今日は普段は見かけない<嗤うコヨーテ>の笑顔が見れた。弓矢の稽古をつけてくれる時、<天翔ける灰色狼>はいつもオレに優しいけど、<嗤うコヨーテ>はずっと怒ってて怖くて、オレの事が大嫌いなんだと思ってたけど──」
オレが話している途中で<嗤うコヨーテ>は静かに腰を上げ、オレの方に歩いてきた。
「でも今日の<嗤うコヨーテ>の笑った顔は、すごく良かった。これからはずっと、今日みたいに笑っていてくれたら良いのにって思った──なぁ、<嗤うコヨーテ>、どうしてそんなにオレを嫌うんだ? オレの何が気に入らないんだ? オレはダメな男か? なぁ、本当の事を教えてくれ」
そうオレが言い終わった時、<嗤うコヨーテ>は足音を立てないまま、もうオレの目の前に歩いて来てて、右手には今日のムースを捌いた時も使ったナイフが逆手 (さかて) で握られてた。
そしてオレと目が合った瞬間、<嗤うコヨーテ>は真顔でオレの胸を足裏で蹴り飛ばした。あまりにも突然の出来事だったから、オレは地面にひっくり返って背中を思いっ切り打ちつけた。そのまま<嗤うコヨーテ>はオレの身体の上にのしかかってきて、その顔を今まで見た事がないぐらいに険 (けわ) しい表情に変えてオレに言った。
「勘違いすんなよ? 俺がお前に弓矢を教えんのは、ただ俺が食うのに困りたくないからってだけだ。お前の事を気にしてる訳じゃねえ、俺達が生き残んのに必要だから仕方なくやってんだよ。ガキが、結局自分の事しか考えてねえのかよ──自惚 (うぬぼ) れんじゃねえぞ、呪術師様よ」
そう言って凄 (すご) みを利かせた<嗤うコヨーテ>が手にしているナイフが、オレの首筋に当たる。鋭く研ぎ澄まされた石のナイフは、夜空の月と星々の光を反射して刃を青白く光らせる。
──この男、本気だ──ナイフ越しにこの戦士が本気が伝わってくる。今の<嗤うコヨーテ>は冗談なんか言ってないぞ!
さっきオレ、<嗤うコヨーテ>を怒らせる様な事、何か言ったか!? 笑顔が良いって言ったからダメだったのか!? それともオレが何か喋っただけでも最初から全部がダメだったのか!? あーもう全然分かんねえ!! それに、<嗤うコヨーテ>はこの集落でナイフの一番の使い手だ、一度でも目を閉じたらその瞬間、オレは──ここで死ぬのかよ!?
オレの頭の中は恐怖と混乱でいっぱいになって、唾を飲み込んだオレの喉がごくりと鳴る。
「そこまでだ」
宵闇 (よいやみ) の空気を切り裂く一瞬の音が鳴って、<嗤うコヨーテ>の足元の地面に1本の矢が突き刺さった。
<嗤うコヨーテ>が驚いた表情で地面の矢を見て、そして声のする方向へ振り返ると、そこには弓矢を構えて立つ、篝火に照らし出された鋭い眼差しの<天翔ける灰色狼>の姿があった。<天翔ける灰色狼>の持つ弓の弦はぎりぎりまで張り詰められてて、さらに2本目の矢も充てがわれてる。
──おい、嘘だろ!? あの人、仲間に向かって撃ったのかよ!? <天翔ける灰色狼>は<嗤うコヨーテ>と兄弟みたいに仲が良かったはずだよな!? けどもう2射目とか、本気かよ!?
「今のは警告だ。次はお前の心臓を確実に射抜く。ナイフを地面に置いて、<眠れる山獅子>から10歩離れろ」
さっきの<嗤うコヨーテ>も本気だったけど、今の<天翔ける灰色狼>も本気だ、これはまずい事になったぞ──だって<天翔ける灰色狼>はこの集落で一番の狩りの名手だ。弓矢の正確性と速さで、<天翔ける灰色狼>に勝てる戦士はこの集落にはいない。心臓を射抜くって宣言したら、この闇夜の中でも本当にそうするだけの技術と勇気を<天翔ける灰色狼>は持ってる。それにもし<嗤うコヨーテ>が逃げたって、優秀な追跡者でもある<天翔ける灰色狼>は逃げる<嗤うコヨーテ>の足跡を辿ってどこまでも追いかけるはずだ。
今の状況じゃあ<嗤うコヨーテ>に勝ち目はない。
「──チッ、分かったよ」
<嗤うコヨーテ>は舌打ちをしてから左手を頭上より高く挙げて、右手で握っていたナイフを地面の上に静かに置いた。そしてゆっくりと立ち上がって、空いた右手も左手と同じ様に頭より高く挙げて、敵意がないって事を示してから、<天翔ける灰色狼>の指示通りに10歩後ずさりをしてオレから離れた。
<天翔ける灰色狼>は弓矢を<嗤うコヨーテ>に向けて構えたまま、オレの目の前に置かれたナイフの地点にまで歩いて、オレに背を向けたまま振り返る事なくオレに声をかけた。
「<眠れる山獅子>、ナイフを拾ってここから後ろに10歩離れた場所に置け」
オレは頷いて<天翔ける灰色狼>の言う通りにナイフを拾い上げて、<嗤うコヨーテ>とは逆の方向に10歩歩いてから静かにその場にナイフを置いた。<天翔ける灰色狼>はオレがナイフを地面に置いた音を聞き届けてから、ようやく弓矢の構えを解いた。
「ケガはないか、<眠れる山獅子>」
<天翔ける灰色狼>がそう言って心配してくれたけど、自分で手を当ててみても首筋から血は出てなかった。強く打ちつけたはずの背中も、今のところは痛みを感じない。
「大丈夫だ、心配してくれてありがとう」
「安心しろ、<眠れる山獅子>。<嗤うコヨーテ>は、本当はお前の事が心配でたまらないんだ。俺はその事を良く知っている」
いつもならあまり表情を大きく変えない<天翔ける灰色狼>が珍しくにやりと笑って、オレの肩に手を置きながらそう言った。
──どういう事だよ? <天翔ける灰色狼>の言う事が本当なら、心配してる相手に対してナイフの刃を向けるってのは──それは一体どんな気持ちなんだ? オレにはちょっと想像出来ない。
「黙れ、<天翔ける灰色狼>! 余計な事を言うな!」
そう言って怒鳴った<嗤うコヨーテ>の表情は夜のせいではっきりとは分からなかったけど、<嗤うコヨーテ>の口調は珍しくどこか焦ってるみたいにも聞こえた。
一方の<天翔ける灰色狼>は胸を張って、堂々とした態度と口調で言葉を返した。
「否、俺は黙らない──良く聞け、<眠れる山獅子>。お前がこの集落にやって来る前、<嗤うコヨーテ>には弟がいたんだ。お前にそっくりな顔立ちの子供だった。だがある時、その弟は病に倒れた。大人の男達は皆んな狩りに出かけていていなかった、まるで今日みたいにな。
幼い<嗤うコヨーテ>は弟を背負って独断で集落を抜け出して、助けを求めて<夜の狼の星>を訪ねた。だが間に合わなかった。<夜の狼の星>の呪術と懸命な治療をもってしても、<嗤うコヨーテ>の弟をこの世界に繋ぎ止めておく事は出来なかった。それ以来、<嗤うコヨーテ>は呪術師や、呪術師が伝える伝承、しきたりの全部を否定して、嫌う様になったんだ」
それは初めて耳にした話だった。
<嗤うコヨーテ>がこれまで生きてきた人生について、オレは何も知らなかった──余計な事をあれこれ聞くのはきっと失礼だろうなって思って、<嗤うコヨーテ>自身の生い立ちや交友に関わる人生の物語を、オレの方から聞いた事は今まで一度もなかった。
けどそれって、オレが自分の人生を生き抜く事に必死になり過ぎてたのか、それとも、両親、親友、生まれた集落を一度に全部失った自分自身が、誰よりも世界で一番かわいそうだって思ってたからなのか──どっちにしたって自分の立場に甘えて、自分以外の大変な誰かを気遣ったり、優しくしたりするのを、オレは後回しにしてただけって事なのかもしれないよな?
すぐそばにいる人間が抱え続けてきた悲しみに、オレは気づく事すら出来てなかったって事だよな? だったらこんなんじゃ、人々を正しい道へと導く呪術師を名乗る資格なんて、今のオレにある訳ないよな? オレって何て最低なヤツなんだよ──。
<天翔ける灰色狼>が続ける。
「お前が<夜の狼の星>に連れられてこの集落に初めて来たあの日、お前の顔をひと目見て、死んだ弟にそっくりだと分かった<嗤うコヨーテ>は、お前とは距離を取って見守ると心に決めて誓いを立てた。もし弟にそっくりなお前と親しくなって、そしていつかお前を失う事になったら、弟を助けられなかった時の悲しみを、もう一度味わう事になる。
だから<嗤うコヨーテ>は、いつもお前を自分から遠ざけていたんだ。俺は<嗤うコヨーテ>の友であり、その誓いの証人だ──だが、さすがに今回はやり過ぎだぞ、<嗤うコヨーテ>よ」
じゃあ、<嗤うコヨーテ>は本気でオレを嫌ってたって訳じゃなかったのか? それどころか、すごく不器用なやり方だけど、<嗤うコヨーテ>は自分の立てた誓いの通りに、ずっとオレを見守ってくれてたってのか?
何だよ、そうだったのか──その事を理解した途端、オレの目からは自然と大粒の涙が次々と頬を伝ってこぼれ落ちていった。
そうだよ、<嗤うコヨーテ>の言う通りだ、オレは自分の事しか考えてなかったんだ──自分以外には何も見えてなくて、ある日突然オレに与えられた呪術師って役割に、いつの間にか自分でも気づかないうちに、自分を認めようとする気持ちばっかり大きく膨れ上がって、自分じゃどうにも出来なくなってて──そうだよ、オレは自惚 (うぬぼ) れてたんだ──。
<嗤うコヨーテ>は気まずそうに片手で頭をかいて、オレ達とは目線を合わせようとはしなかった。オレは<嗤うコヨーテ>の近くまで歩み寄った。<嗤うコヨーテ>は近づく足音とオレの姿に驚いて顔を上げた。オレは立ち止まって、格好悪い泣き顔のままで、<嗤うコヨーテ>と目を合わせながら言った。
「<嗤うコヨーテ>の言う通りだ、オレは自惚 (うぬぼ) れてた。自分の事ばっかで、<嗤うコヨーテ>の気持ちを自分から知ろうとしなかったんだ。ゆるしてくれなんて言ったら怒られるってのも分かってる。けど、ちゃんと謝らせて欲しいんだ──ごめんなさい」
オレは深く頭を下げて、そしてゆっくりと頭を上げた。
<嗤うコヨーテ>が頭をかきながら大きくため息をついて、何かを言おうとして一度大きく息を吸ったところに、湯気が立ち上がる2人分の薬草茶を持った<燃ゆる瞳の赤狼>が、<嗤うコヨーテ>の後ろから驚いた様子でやって来た。
「お、おい、お前ら一体何やってんだ! <眠れる山獅子>、どうした、大丈夫か!?」
険 (けわ) しい顔をした<燃ゆる瞳の赤狼>がその太い両腕を組みながら、オレ達3人を目の前に見下ろしてる。
対するオレ達3人、オレと<天翔ける灰色狼>、そして<嗤うコヨーテ>は地べたで胡座 (あぐら) をかいて、頭を深くうなだれてる。<天翔ける灰色狼>は普段と変わらずに堂々としてるけど、<嗤うコヨーテ>はあちこち身体を揺すってどうにも落ち着かないみたいだった。
「──なるほどな、話は大体理解した」
オレ達3人それぞれの言い分を聞いて、<燃ゆる瞳の赤狼>は大きくため息をついて言った。
「だがな、<嗤うコヨーテ>に<天翔ける灰色狼>よ、どんな理由であっても、お前達は自分の兄弟にそれぞれの牙を向けたんだぞ? これは赤い肌の人々が歩むべき正しい道から、その足を踏み外したって事だ。それならどうすれば良いかは、もう分かっているよな?」
<燃ゆる瞳の赤狼>は諭 (さと) す様な口調で問いかけると、オレと<天翔ける灰色狼>は真面目な顔で頷いて、<嗤うコヨーテ>は片手で頭の後ろをかきながら何度も頷いて応えた。
最初に動いたのは<天翔ける灰色狼>だった。<天翔ける灰色狼>は右手を口の高さに挙げて、手のひらを<燃ゆる瞳の赤狼>に向けてからこう言った。
「俺は大切な友人である<嗤うコヨーテ>に弓矢を向けた。そして<嗤うコヨーテ>の誓いの証人でありながら、<眠れる山獅子>を守る為であったとしても、<嗤うコヨーテ>本人の許可なくその誓いの内容を他人に話してしまった──とても申し訳ない事をしてしまった。
だから今日から俺は、<嗤うコヨーテ>と<眠れる山獅子>、そしてここに同席してくれた<燃ゆる瞳の赤狼>を守る為なら、喜んで自分の命を捧げる、とこの弓矢に誓う」
<天翔ける灰色狼>の誓いの言葉が終わると、次に同じく右手を挙げて口を開いたのは<嗤うコヨーテ>だった。<嗤うコヨーテ>は急に背筋を伸ばして、さっきまでとはまるで違ってとても大人びた口調、真面目な表情で自身の誓いの言葉を口にした。
「俺は死んだ弟にそっくりな<眠れる山獅子>に暴力を振るって、ナイフの刃を向けてしまった。死んだ弟をもう一度失うのが怖くて、<眠れる山獅子>に冷たい態度をとって、わざと嫌われる様にしてきた。
けど、これからはそんな子供みたいなやり方はもう止める。俺はこいつと正面から向き合う。この<眠れる山獅子>と、前の誓いの証人になってくれた大切な友人である<天翔ける灰色狼>、そして今日、新しい誓いの証人のひとりになってくれた<燃ゆる瞳の赤狼>を、人生をかけて守り抜くって、このナイフに誓う」
<嗤うコヨーテ>の力強い誓いの言葉を聞き届けて、オレは心を決めて右手を挙げた。姿勢を正して、腹に力を入れて、身体の奥底から声を出した。まるで本当に山獅子が、気高く咆えるみたいに。
「オレは自分の立場に甘えて、自分の事ばっか考えてて、<嗤うコヨーテ>の気持ちを自分から知ろうとしなかった。呪術師になるんだって事に心を奪われて、いつの間にか自分でも気づかないうちに自惚 (うぬぼ) れてたんだ。
そうやってオレは<嗤うコヨーテ>の心を傷つけて、<天翔ける灰色狼>にも迷惑をかけてしまった。今はそんな自分を情けなくて、恥ずかしいって思う。だからこれからは自分の事ばかりじゃなくて、ちゃんと相手の気持ちを考える様にする。
そしてオレの持つ力を、<嗤うコヨーテ>と<天翔ける灰色狼>、そして今日この場を一緒に見届けてくれた<燃ゆる瞳の赤狼>を一生守る為に使ってくって、この雷の石に誓う」
オレ達の誓いを全部聞き終えると、<燃ゆる瞳の赤狼>も右手を挙げて、その手のひらをオレ達3人に向けてこう言った。
「3人の誓いは確かに聞いた、この俺が証人だ。この3人の誓いがきちんと守られているか、これからもオレがお前達のそばでちゃんと見届けていくからな。その為にこれからの俺は、<眠れる山獅子>、<嗤うコヨーテ>、<天翔ける灰色狼>、この3人の命を、この身に代えてでも必ず守ると、この赤いめのう石に誓う。お前達3人が証人だ」
オレ達は互いに目を合わせて頷き合った。こうしてオレ達4人はそれぞれに自分の誓いを立てて、皆んなでこの場を分かち合って、そしてそれぞれの誓いの証人になった。これがオレ達の、赤い肌の人々の仲直りの方法だ。こうやって風の精霊の力を借りる事で、オレ達は前よりもっと仲良く出来る様になる。
誓いが終わると緊張が解けて、急に腹から力が抜けて、オレは胡座 (あぐら) をかいて座っていられなくなってしまった。オレは両手両足を大きく広げながら、頭を南に、足を北に向けて、そのままその場に寝転がった。その様子を見た<燃ゆる瞳の赤狼>が心配して、オレに声をかけてくれる。
「おい、大丈夫か?」
「ああ、うん、大丈夫だ、ちょっと疲れただけだよ──今夜も星が綺麗だな」
横になったオレの視界いっぱいに、大小に光り輝く満天の星空が散りばめられている。毎晩見ている景色のはずなのに、不思議と今夜は特に綺麗だなぁと感じる。
「そうだな、とても綺麗だ」
<天翔る灰色狼>は穏やかな口調でそう言ってから、お互いの頭のてっぺんを境にしてオレと反対の姿勢になる様に、頭を北に、足を南に向けて横になった。オレと<天翔ける灰色狼>の2人の身体で、1本の真っすぐな線が出来上がった。
「ま、こうしてお前らと夜空を眺めるのも悪くないな。今夜ぐらいはつき合ってやるよ」
<嗤うコヨーテ>の口調がいつもの調子に戻った。誓いが終わって、少し元気になったのかもしれない。<嗤うコヨーテ>はオレと<天翔ける灰色狼>の縦に並んだ頭ととなり合わせにして、自分の頭を東に、そして足を西に向けて横になった。そして頭の後ろに手を組んで、立てた左膝の上に右足を乗せてくつろいでる。
「相変わらず口が減らないヤツだな。お前、本当に誓う気あるのか? まったく──俺も参加させてもらうぞ」
そう言って<燃ゆる瞳の赤狼>は<嗤うコヨーテ>とお互いの頭のてっぺんを境にして反対の姿勢になる様に、頭を西に、足を東に向けて横になった。<嗤うコヨーテ>と<燃ゆる瞳の赤狼>の2人の身体で、2本目の真っすぐな線が出来上がった。
2本の真っ直ぐな線は、オレ達4人の頭を交わる点にして、十字を描いている──そう、オレ達は4つの方角に自分達の誓いを捧げて、4人の身体で『聖なる輪』を大地の上に作り上げた。
そして今、オレ達4人の真上にはどこまでも広がる天の河が流れてて、その流れの中にはひと際大きく輝く星々で形作られた、細長い三角形が見えてる。
天の河は別名『魂の道』と呼ばれてる。赤い肌の人々は病気やケガ、寿命でその身体が動かなくなると、肉体を脱ぎ捨てて魂になって、夜空へと駆け上がって、そして北の風に吹かれて『魂の道』を通って南へと流れていくんだ、って、前に<夜の狼の星>が教えてくれた。
オレにそっくりだったっていう<嗤うコヨーテ>の弟も、<伏せる山猫>や<歌う山獅子>も、父さんも母さんも、皆んなこの道を通って、新しい旅に出たんだよな──オレも死んだら、この美しい河を流れて新しい旅に出ていくのかな? けどオレ、次はいつ死ぬんだろう──あ? 次? 次って一体何だ? 何でオレは今、そんな風に思ったんだ?
オレ、自分で思ってる以上に疲れてんのかな──今日1日、色んな事があったもんな。
疲れてるとしてもオレの心は今、満ち足りた気持ちでいっぱいだ。
オレ達4人、お互いに誓いを立てて、お互いが証人になったんだ、やっぱり仲間って最高だよな。どうせなら、<夜の狼の星>も今すぐここに来れば良いのになぁ。今の<嗤うコヨーテ>とだったら、きっと仲直り出来る。
それに、もう二度と会えなくなっちゃった<伏せる山猫>や<歌う山獅子>もこの場にいてくれたなら、今の<燃ゆる瞳の赤狼>、<天翔る灰色狼>、<嗤うコヨーテ>とだったら、皆んな絶対に仲良くなれただろうなぁって思う。
けど──おかしいな、満ち足りたと思ったばっかなのに、何かが心の片隅に引っかかる。
何かが足りない──あ? 何だよそれ、一体何がだよ?
誰か、だよ──誰かがもっとオレのそばにいたはずじゃないのか?
父さんや母さんの事じゃない、<伏せる山猫>や<歌う山獅子>の事でもない、もっと違う誰かの匂いがしない──何だよそれ? そんなの、じゃあ一体、誰がいないってんだよ?
ふと急に、今頃になってようやく身体が疲労を実感し始めて、やがて強い眠気がやって来た。オレの意思とは関係なく、まぶたがゆっくりと落ちていく。ダメだ、眠い、今日はこれ以上、まともに考えられそうにないや。
オレは喉の奥で低い唸り声を上げながら、ひとつ大きくあくびをしてから言った。
「何かすっげえ疲れた──でもこうして皆んなで星空が見られて、オレは嬉しいよ。皆んな、今日は、ありがとう──」
言い終わったどうか定かではない内にオレは寝入ってしまった。
いつの日か、オレ達皆んなが天の河、『魂の道』に抱かれて、新しい旅に出る時を想いながら。
TO BE CONTINUED TO VOLUME 2.
(続く)