Len ─恋─
私の仕事は火星有人探査機の組立だ。地上から送られてくるパーツを組み立てる。やることはKokuで低軌道衛星を組み立てていたのと同じだ。
今回の作業は、宇宙空間へ出て行う。ロボットなので宇宙服は必要ないが、首から上には精密なセンサーが集中している。スペースデブリから守るためにフルヘイスヘルメットを付ける。エアロックが真空になったことを確認して、ドアを開ける。その先には、漆黒の宇宙が広がっている。
ここには弱いけど重力がある。足を踏み外すとそのまま宇宙空間へ放り出される。船外操作用アームを自分に固定し、アームをAIで操作して、作業場所へ移動する。別のアームを操作して、パーツを所定の位置に持ってきて固定する。今、やっているのは、宇宙船の外壁だ。作業はこの繰り返し。パーツに微妙な違いがあるので、まちがえないように固定してゆく。
真っ白なパーツを固定しながら、背後には漆黒の宇宙が広がっている。アームが壊れたら、私は宇宙空間へ放り出され、電源が切れるまで、漂い続ける。100年前はこの作業を、宇宙飛行士が行っていた。危険な作業をロボットが行うようになった。これだけみても工業技術は進歩したな。
仕事を終えて、エアロックから出てくると、カルロスがいた。
「待っていたよ」
「お疲れさまです」
カルロス・マシアス。29歳。男性。メキシコ出身。
ロボットの私を待っていた? どういうことだろう。その場を離れようとしたとき、道をふさがられる。
「なにかごようでしょうか?」
「いや、別に、用って訳じゃないんだが、話をしないか?」
「はい」
「チヒロは素敵な人だな」
「ありがとうございます」
人じゃないけど。
「髪なんて、人間みたいじゃないか」
カルロスはさりげなく、私の髪を触る。なんか、キモい。
「精巧に作られていますので」
そう言いながら、私はさりげなく手を払う。
「顔も、本当に人間みたいだ」
ずいっと、顔を近づける。なんだ、これは、どういう状況?
彼の手が顔に伸びる。
「すいません! 次の仕事があるので失礼します!」
私は仰け反るように彼を避けて逃げた。エアロックをいくつも抜けて、自分の部屋に飛び込んだ。
なんだったんだ、あれは?
私たちロボットに与えられた休憩時間は、充電のための1時間だけだ。それ以外の時間はノンストップで働き続ける。そう設計されているので、休憩時間など無くても壊れることはない。これが人間の労働環境なら、ブラックを通り越して過労死一直線だろう。
メインの仕事は火星有人探査機の組立だが、宇宙飛行士のお世話も含まれている。居住エリアの掃除もそのひとつだ。トレーニングルームに入ると、李がランニングマシンで走っていた。ここの重力は弱いので、腰にベルトを巻き固定している。
李・美蘭。33歳。女性。中国出身。
「お掃除にまいりました」
「お疲れさま」
モニターに映った環境映像を見ながら、黙々と走っている。
人が生活している空間は汚れる。100年後でもそれを自動で洗浄する技術はできていない。そこで私たち、アンドロイドの出番だ。単純作業はロボトットがする。
私が部屋を掃除していると、李が話しかけてきた。
「勤勉ね」
「これが私の仕事ですので」
「まるで日本人みたい」
中の人は日本人なので。
「そういえば、軌道エレベーターを造ったのも日本人だったっけ」
「ホントですか!?」
「知らなかったの? アンドロイドなのに」
「私のデータベースにはありませんでした」
「カーボンナノチューブの量産技術を確立し、軌道エレベーターの設計から建築まで、一貫して指導したのが日本人、八 願恋。子供の頃から飛び抜けた頭脳の持ち主で、世界でも有数の学者達を圧倒したって」
その話は知らなかった。
「軌道エレベーターの名前、知ってるでしょ?」
「いえ」
「『Len』。七福神には恋愛の神様がいないから、自分の名前を冠して八つ目を恋の神様として『Len』と名付けた」
「七福神にも恋愛の神様はいますよ」
「それは後付け。もっとも、神様が叶えてくれる願い事なんて、時代に合わせて創られた後付けだよ」
「たしかに、交通安全とか、合格祈願とか。車とか受験とか無かった時代には考えられませんでしたね」
李は、規定の距離を走り終えると、腰に固定してあったベルトを外し、流れる汗を拭きながら、シャワールームへ入って行った。
「そっちの掃除が終わったら、シャワールームもお願いね」
「了解しました」
期せずして意外な事実を聞いてしまった。軌道エレベーターを造ったのが、八 願恋という日本人だったということ。軌道エレベーターの名前を『Len』ということ。なぜ、私のデータベースになかったのだろう。
トレーニングルームの掃除を終える頃、シャワールームから李が出てきた。入れ替わるようにシャワールームに入り、掃除を始めた。
李がリビングに入ると、コーヒーを飲みながら、モニター越しにシステムのチェックをしているマヌがいた。そして、マヌを熱心に口説いているラファエル。
「こんど一緒に、映画でも観ないか? フランス革命なんてお勧めだ。君主制が終わり、民主主義が誕生する瞬間だ。俺はこの時代が大好きだ」
「フランス革命後も、ナポレオンにずいぶんと混乱させられていたようだけど」
「よく知ってるね」
「アフリカはいろんな国から侵略されましたから、ヨーロッパの歴史は多少学びました」
「それを言われるとつらいなあ。まあ、何百年も前のことだし、今の僕と君の関係にはなんら障害にならないさ」
「今のあなたは私の仕事の障害になっています。休憩なら自室でゆっくり過ごされてはいかがですか?」
「僕は君と話していたいんだ」
「仕事の邪魔だと言っているんです」
「ここの仕事なんて全部AIとロボットがやってくれるよ」
「それをチェックするのが私の仕事なので」
「ミスなんてしないさ。むしろ人間より優秀だ」
ふたりが軽快に話している。不快だ。李はカルロスに話しかけた。
「そんなに暇なら、私とゲームで対戦しない?」
「このあいだの続きか?」
「全戦戦敗ですよね。あなたの」
「バカだなあ。わざと負けてあげてるんだよ」
「今度は私がわざと負けてやるよ」
ニヤリと微笑む。
「わかった。その挑発受けてやる」
シャワールームを掃除していると、誰かの入る気配がした。
「すいません。今、清掃中なので、終わるまでお待ちください」
チヒロの後ろのドアがガチャリとロックされる。不思議に思って振り返ると、カルロスが全裸で立っていた。