ジャスは恋、恋はジャズ
私は低軌道衛星組立工場に来た。札が書かれた人形を探す。
目的の物はすぐに見つかった。組立工場の最深部。衛星を放出する場所だ。日本人は物に神が宿るという信仰がある。作った衛星が健在であるとの願いをこめたのかも知れない。
大黒天の人形に札が貼ってある。札には崩し字でなにか書かれているが、意味は分からない。手を伸ばして人形に触れた。しかし、なにもおこらない。柏手を打って目を閉じる。しばらくして目を開けたが、同じ場所だ。
「宇宙飛行士の恋を紡ぎましたが、なにも起こりませんよ。大黒天様」
返事はない。これから、どうしろというのだろう?
ふたりの関係は、音楽をきっかけに深まっている。会話の中心には音楽があり、ビートルズからヴァン・ヘイレン。モーツアルトからツァラトゥストラ。インドの民族音楽から、インディアンの民族音楽まで。楽しく話している。
なんだ、なにが足りない? ふたりをじっと観察する。楽しく話している。話してはいるが、それだけだ。もっとお互いを知ろうとしないものなのだろうか?
その時、閃いた。
「せっかくなら、踊ってみませんか?」
「踊る?」
「ダンスなんてしたことないわ」
「いいんですよ、アドリブで」
私は『美しく青きドナウ』をかける。ワルツならこれでしょう。宇宙の旅だし。
ダミアンの手を取り、適当な振り付けでワルツを舞う。
「ワルツなんて踊ったことないな」
「私もありません」
しかし、なぜか踊れている。AIのせい?
私は、アラダの手を取る。
「待って、私も踊ったことなんてないわ」
「いいから、私に任せてください」
エスコートもAIのせいだろう。ステップを踏んで、回って、手を取る。ここに重力はあるが月面よりもずっと弱い。ちょっとしたステップで体が宙を舞う。舞った体を受け止める。再び手を取って回る。取った手を、ダミアンに手渡す。
「ちょっと待って」
「恥ずかしいな」
「ふたりで踊ってみてください」
ふたりはまるで高校生のように、顔を紅くして、初々しく恋を育てている。目と目が合い、お互いの息が重なり、ステップをまちがえてアダラがダミアンの足を踏む。
「痛っ!」
「ごめんなさい」
「だいじょうぶ」
ダミアンはニコッと微笑む。アラダは照れ笑う。くるっと回って、音楽が終わる。お互い、潤んだ瞳を交わしながら、礼をする。
その時、誰かが私を呼ぶ声がした。その声に呼ばれるまま、私は工場へ向かった。大黒天に貼られた札が光っている、私は手を触れた。雷に打たれたような衝撃があって、札は弾け飛び、四散すると空間が歪んだ。
気がつくと、見覚えのある神域にいた。最初に来たときとまったく同じだ。和の静寂の中に荘厳さが漂う神々しい雰囲気。
見覚えのある女性が立っていた。褐色の肌に流れる長く黒い髪。でかい胸。くびれたウエスト。張りのあるヒップ。長い足にヒール。
「大黒天だ。はじめまして、芦立千尋さん」
「封印は解けたんですね?」
「おかげさまでね」
「おめでとうございます」
「お主の魂も一時的に肉体とつながった」
「生き返られるということですか?」
「一時的にだがな」
「一時的ですか」
私は急に眠くなってきた。
目を覚ましたとき、最初に目に映ったのは、白い天井と、カーテンと、腕に刺さっている点滴だった。ベッドに寝ていて、頭には包帯が巻かれている。身体を起こそうとしたが、思うように力が入らなかった。ここは、病院?
ぼーっとしていると、カーテンが開いて、看護師さんと目が合った。
「芦立さーん! 芦立千尋さーん!」
「はい」
「聞こえてます?」
「はい」
「お名前、言えますか?」
「芦立千尋です」
「誕生日は?」
「6月7日です」
「今日が何月何日か、わかりますか?」
「9月の祭りがあった日?」
「そうですね。ちょっと待っていてください」
知らせを受けたとーちゃんが駆けつけ、私を抱きしめ泣きながら喜んだ。
千住本氷川神社の鳥居をくぐり、大黒天様の社を詣でる。柏手を打って、目をつぶり、宇宙での出来事を思い出した。目を開けると、そこは神域だった。
目の前に、あいかわらずエロい姿の大黒天様がいた。
「お努めご苦労」
「出所じゃないんだから」
「封印を解いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「しばらくの間、現代を楽しんでこい」
「ご褒美ですか?」
「そんなものだ」
「次はいつ、100年後へ?」
「その時が来たら呼びに行く」
「いきなり来ないでくださいよ。せめて三日前に連絡ください」
「善処しよう」
私はお祭りの日、バランスを崩した神輿の下敷きになったらしい。身体はすり傷や打撲程度で済んだが、三日ほど目を覚まさなかったそうだ。精密検査をしても特に異常は見られないが、様子見で数日入院した。ふと、思った。宇宙ステーションでの経験って、全部、夢だったのだろうか?
自宅のドアを開け、久しぶりに自分の部屋に入る。祭りの時に部屋を出た時のまま、散らかっている。ここって私の部屋だっけ? 夢の中でも一週間ぐらいしか過ごしていないのに、まるで異世界に来たような感覚だ。本当の私は100年後の宇宙ステーションのアンドロイドで、現代に転生したのかも知れない。
玄関から呼び鈴が鳴り、聞き慣れた声が轟いた。
「ち~ひ~ろ~!」
遊か。
玄関を開けると、突然、薔薇の花束がぬっと私を突いた。
「退院のおめでとう」
「ちーちゃん。退院おめでとう」
「ありがとう」
花束を受け取ると、遊が私を怪訝な顔で私を見ている。
「花束ありがとう」
「…」
「どうかした?」
「ちーちゃん、心配したよ。三日も目を覚まさないんだもん」
「心配かけてごめんね」
「今日は退院祝い」
笑美は手元にケーキの入った箱を持っている。
「ありがとう。あがって。みんなで食べよう」
「おじゃまします」
いつもなら、千尋にウザ絡みする遊だが、険しい表情の遊。
「どうしたの? あがりなよ」
「おじゃまします」
なんだ? おとなしい。病み上がりの私に気を使っているのかな。
三人でケーキを食べながら、私が入院していた間に起こった騒動を話した。自分でいうのもなんだけど、私自身、千住の街では有名人だ。家族はもとより、街中の人達と深い仲だ。皆には心配かけちゃったな。後で挨拶に行こう。
「ホント、たいへんだったんだから」
「あれは誰のせいでもない事故だったんだから、しょうがない」
「退院祝いに、どっか遊びに行こう? どこがいい?」
「そーだなぁ。音楽が聴きたいし、Birdlandのおっさんに会いに行こう」
「ちーちゃん、ジャズ好きだったっけ?」
「牛すじカレーが目当てだろ」
「両方」
千住にあるJazz Live Bar Birdland。雰囲気のある店内でジャズを聴きながらランチやコーヒー、お酒を楽しむことができる。ドアを開け、私を見たマスターが開口一番、
「おお! ちーちゃん。だいじょうぶだったのか?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「今日は三人で、カレーか?」
「あと、コーヒーください。ブラックで」
「ブラックだって!? やっぱり、打ち所が悪かったんだな」
私はジャズを聴きながら、看板メニューの牛すじカレーを食べ、コーヒーを飲みながら、奏者の奏でるジャンに耳を傾けた。100年後も同じ音色だったな。
遊はひと言も発することなく、千尋を見ていた。