100年後の恋事情
むわっと蒸し暑く、肌にねっとりとへばり付く空気。大な樹が背を高くそびえ、枝を広げ、緑色の葉で天を覆うほど生やしている。地は赤黒く湿っていて、樹の根元に苔、茸、蔦の葉が道のわきを生きている。葉脈の間隙から差し込むわずかな日差しでさえ熱く痛い。アンドロイドなのに、わずか数分で汗が噴き出した。
鳥のさえずり。獣の鳴き声。虫の囁き。静かなジャングルを騒がしくかき乱し、樹と土の匂いが深く香り、一ミリも吹かない風が恋しくなった。
父が戦闘服に銃を携えてやって来た。
「どうだ? このフィールドは?」
「むせます」
母が弓と矢を肩にかけ凛々しく立つ。それ水着じゃね? 防御力0だよね? と、突っ込みたくなる露出の多い戦闘服は、ゲームではよくあることだ。
「プレイしたことは?」
「ありません」
長男が父と同様の戦闘服にライトサーベルを光らせてやって来る。
「それじゃあ、初心者コースだな。俺がナビゲートするから、ついて来て」
「妹さんは?」
「適役で待機してる」
「四対一?」
「だいじょうぶ。妹にはそれでもハンデにはならない」
ジャングルを見下ろす崖の先端に、母に負けず劣らず、水着のように露出の多い戦闘服を着た妹がいた。遠く、ジャングルの先に目線を送って、四人の存在を把握する。
「チュートリアルの始まりですよ。チヒロさん」
身長の数倍はある、長大なレールガンを構え、深く充電すると、地平線に向かって一撃を放った。
「来るぞ!」
父の合図でジャングルへ突進する。
足元から虫が飛び立ち、トカゲやネズミが逃げる。
リアルだ。これが仮想空間、メタバースか。私の時代では構想で終わってたけど、量子コンピューターによりる高速演算と大容量サーバーに高速伝送。そして精度が増すAI。さすが100年後。
「お父さん。このゲームはよくやるんですか?」
「もちろん。母さんとのデートもここだったよ」
「メタバースでデートですか?」
「そうだよ」
「実際に会って?」
「実際に会ったのは、結婚式の時だ」
「え~と。なれそめは?」
「なれそめ? なんだそれは」
「奥様との出会いです」
「出会い? 妙なことを言うな。国のAIだよ」
「国のAI?」
「汎用型アンドロイドなのにそんなことも知らないのか? DNAを登録すれば、自分に合ったDNAの伴侶をマッチングしてくれる」
「それを国が運営しているんですか?」
「そうだが?」
父は不思議そうな顔をしている。私は唖然としている。それはつまり、アッチングアプリをDNAレベルで国が運営しているっていうこと?
「おかげで最高の伴侶と出会えた。昔は離婚率90%なんて時代もあったらしいが、今はほぼ0%だ。このシステムは良いぞ」
なんだろう。この沸き出でる違和感。
突然、左側で大きな爆発があって、爆風が私たちを襲った。
「娘の攻撃だ」
「散会しましょう」
「了解!」
私たちは三方へ散った。
私は弟に付いて行った。
「妹さんってどんな娘?」
「超気が強い」
「お兄ちゃんとしては面目がたもてないね」
「俺の面目なんてどうでもいい。お互いどう生きるかが大切なんだ」
「妹のこと好き?」
「もちろん」
仲の良い兄妹なんだね。ちょっと、意地の悪い質問をしてみよう。
「彼女よりも?」
「彼女? なにそれ」
え、ちょっと待て。
「あなたぐらいの年齢なら、彼女や好きな人ぐらい、いるでしょう?」
「いない」
「同級生とか、部活とか、いない?」
「男子校なんで、それはないです」
なん、だと?
私はAIを検索した。この時代の学校は男女別。完全に男子校と女子校に別れている。
「そうは言っても街中で女の子と会うでしょう? ナンパしない?」
「ナンパってなに?」
「好きな娘を誘う」
「知らない」
これは言いたくなかったが、あえて言おう。
「えっちなことは、どーしてるのかな~なんて」
「教科書程度に」
教科書? なんだそれ。私はAIを検索した。
この時代の教育は、男女が完全に別れている。性教育は理科的なレベルだ。
私の中で、ひとつの結論が導き出されようとしている。両親は現実での出会いを省略してAIで結ばれた。学校は完全に男女別。性教育は理科止まり。弟もまた、父と同じように、AIでカップリングされた伴侶と結ばれるのだろう。つまり、甘酸っぱい恋愛という経験を完全にスキップしている。
さっき感じた違和感の正体はこれだ。
これが100年後の恋? ありえない。自由な恋愛が許されない社会なんて不毛だ。恋い焦がれる感情も、告白する勇気も、全てを省略した社会なんて、気持悪い。
ゲームは私の勝利で終わった。
「どうでしたか? チヒロ」
「勝たせてくれて、ありがとうございます」
「今回はチュートリアルだからね。次回からは手加減しないよ」
「よろしくお願いします」
「宇宙ステーション『Ebisu』まで一週間あるから、それまでには、あたしと対等に戦えるようレベルアップしてね」
Ebisu? 静止軌道にある宇宙ステーションか。
「申し訳ありませんが、私は低軌道衛星投入ゲート『Koku』で降りますので、五日のお付き合いになります」
「そうなんだ残念」
「それまでどうぞよろしくお願いいたします」
五日後。エレベーターが低軌道投入ゲート『Koku』に着いた。
「みなさん、お世話になりました」
「じゃねー!」
「またね、チヒロ」
私は皆と別れて、ロボットでは私一体と、ここで降ろす貨物と一緒に、エレベーターを降りて、皆は静止軌道へ向けてさらに高く昇って行った。
名残惜しいが、私の仕事は、ここに封印されている大黒様を解放することだ。
ゲートの中は、わずかだが重力がある。遠心力より地球の重力が勝っているからだ。ドアは、SF映画にあるような、プシュっと音がして自動で開くようにはなっていない。全てのドアは、大きなドアノブを下げて開ける。部屋のひとつひとつがエアロックになっているからだ。
私は、ここに常駐している二人の宇宙飛行士に挨拶をするため、リビングへ入った。
「こんにちは」
だれもいない? リビングの窓から地球が観える。だいぶ小さくなって、大きさは野球のボールの2倍ぐらい? サッカーボールの半分ぐらい? ちょうどいい大きさに例えられないな。
「おい!」
「はい?」
宇宙飛行士だ。初めて会う。名前は、ダミアン・クラーク。32歳。男性。アメリカ出身。独身。青い瞳にブロンドの髪。白い服は宇宙飛行士の決まりか。
「ロボットは組み立て工場担当じゃなかったか? どうしてこんなところにいる?」
「今日からお世話になります、汎用型アンドロイド『チヒロ』です。宇宙飛行士の方に挨拶をしたくて、お待ちしていました」
「ロボットが挨拶?」
「はい」
「あっはっはっはっはっは! ロボットが挨拶とは、ずいぶんと高性能のAIを搭載しているようだな。よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」
「ここにはもうひとり、宇宙飛行士が常駐している。インド出身の、アラダ・ラーイという女性だ。ここでひとつ、お願いなんだが…」
「なんでしょう?」
「彼女と親しくなりたいんだが、どうしたらいい?」
なるほど。ミッションスタートですね。