青い地球に恋をした
千尋は、大黒天の神域にいた。
神域は、和の静寂の中に荘厳さが漂う、神々しい雰囲気だ。神社の中ってこんな感じなのだろうか。
「私、死んだのか。まだ17年しか生きてないのに。異世界に転生するんですね?」
「おまえは今、肉体は生きているが、魂が遊離した状態だ。このまま放置すると、本当に死ぬ。転生もしない」
「マジですか?」
「千寿七福神全ての封印を解けば、魂は肉体へ戻って生き返る」
「どうやったら封印を解くことができるんですか?」
「肉体に魂を戻すには、千寿七福神全ての封印を解く必要がある。そのためには100年後に完成する、軌道エレベーターに建設された宇宙ステーションへ行く必要がある」
「突拍子もなくて、よくわからないんですが」
「千寿七福神は今、俺を含めた七柱がとある力で封印されている。その封印が100年後の宇宙ステーションにある。それを解いて欲しい」
「そうすることで、私の魂も肉体に戻って生き返るんですね?」
「そうだ」
「ところで、100年後に封印されているはずの大黒天様はどうやって現代の私の前に現れたんですか?」
「封印の弱った間隙を突いて顕現している。あまり長い時間はもたない」
「簡潔に話を進めましょう」
「助かる」
「軌道エレベーターは知っているか?」
「理屈程度には」
大黒天は●を描き、その上に○を描く。
「●が地球で、○が人工衛星だ。地上から見て、常におなじ位置に見える人工衛星を静止衛星という。地球の自転と人工衛星の公転が一致しているから、そう見える。ならば…」
○から●に直線を描く。
「静止衛星と地上をエレベーターで結べば、理論上、地上と静止衛星を行き来できる。これを軌道エレベーターという。ロケットで打ち上げていた人や資材をエレベーターで宇宙まで運ぶ。費用が圧倒的に安くなり、安全性が向上して、新しい宇宙開発の主軸になっている。頭の良いおまえならわかるだろう」
「はい」
「この理論は古くからあったが、ケーブルの強度に足る素材がなかった。それが最近、発明された。カーボンナノチューブだ。現在ではカーボンナノチューブを量産する技術がない。しかし、100年後には可能になる。静止衛星が周回する高度36,000km。静止軌道上に宇宙ステーションを建設する。しかし、これだけだとケーブルの重さに耐えきれず宇宙ステーションが落下してしまう。そこで、ケーブルや宇宙ステーションの重量を遠心力で支えるアンカーを高度96,000kmに造る」
●から○を通った直線上に■を描く。
「■がアンカーだ。わかったかな?」
「だいたい」
「七柱の封印は、軌道エレベーターに付随して造られた軌道上に散らばっている。一気に解くことは難しい。まずは、低軌道衛星投入ステーションにある俺『大黒天』の封印を解いて欲しい」
「それを解けば、私は生きられるんですね?」
「さっきも言ったが、完全に生き返るには、七柱全ての封印を解くことが必要だ」
「大黒天様だけだと?」
「一時的にだが命をつなぐことはできるだろう」
はあああああ、と。千尋は深いため息をついた。
「わかりました。やりましょう」
「ありがとう」
「封印はどうやって解くんですか?」
「恋を成就しろ」
「はい?」
「封印は、軌道エレベーター上に造られた各宇宙ステーションにある。それを解くには、宇宙飛行士の恋を叶える必要がある。叶えなければ封印は解けない」
「恋愛経験ゼロの私に、宇宙飛行士の恋仲を紡げというんですね?」
「おまえならできる。行く気になったなら、精神を未来へ送ろう」
「よろしくお願いします!」
「もういいのか?」
「はい」
「それでは、さっそく送ってやろう。目をつむれ」
千尋は目をつむった。額に冷たい何かが触れた。
目をつむったまま、数分がたった。
なんか、静かすぎる。なにも聞こえない。さっきまで太陽に射られ汗を拭きだしていたのに、すっかり汗は引いてる。暑くもなく寒くもない。つーか、匂いもしないし、さっきまで乾いていた喉が、すっかり収まっている。さすがに目を開けて良いよね?
「大黒天様。目、開けて良いですか?」
返事はない。恐る恐る目を開けると、白い部屋だった。あれ? これはいったい、どういう事態?。
突然、脳の中に直接、情報が流れ込んでくる。それは、100年後の宇宙ステーションで活動するロボットの情報だった。
私の名前は『チヒロ』。軌道エレベーターで働くために特化して作られた、汎用型アンドロイドだ。
身体中を見回すと、白い競泳用水着を着たような感じ。髪の毛あるし、胸もあるし、手の指も自由に動かせる。ロボットの装甲なのだろうけど、もうちょっと可愛くして欲しかったな。完全に人型で、意識を共有できるほど高度なAIを搭載している。アンドロイドに魂を転送したのか。神様すげーと思ったのと同時に、人の魂を受容できる人工のアンドロイドまで作れてしまう100年後すげーと思った。それと、人の魂がAIに収まってしまうことに、さみしさを感じた。
私は収納されていたカプセルから歩み出た。私以外にも何体か、同時に起動したアンドロイドがカプセルから出てきた。私はドアを開けた。そこは、潮の香りが流れる船の甲板。真上から痛いくらい強い日差しが輝いている。空には青空に雲が風に流れて、私の髪もなびかせる。熱く乾いた風になびく長い髪に手を通す。子供の頃からずっと短かったら、長いのは新鮮だな。
青い空から、蜘蛛の糸のように白く細い線が一筋、落ちて、海の碧い水平線を切り、出島のように突き出た宇宙港につながっている。糸の上を、チカチカと光る眩しい点が、昇って行ったり、下って来たりしている。その正体が分かるのは、もうちょっと後のことだった。
宇宙港と反対側。湾岸には高層ビルが建ち並び、空港が隣接し造られている。宇宙へ届ける全ての人材と資材が集まっている。赤道直下。大西洋に面したアフリカ大陸の都市に、突然、誕生した宇宙都市。
100年後の人口は60億。私の生きていた時代より減っている。世界中で紛争や戦争が続き、地球環境の変化で水平線も変わり、多くの島や都市が水没した。一方、アフリカは新しい技術による産業革命と農業革命が起こり発展した。軌道エレベーターは性質上、赤道直下に造る必要がある。それがアフリカの発展によって成されたのは、ある意味必然だったのかもしれない。
私たちアンドロイドは、宇宙港から軌道エレベーターに乗り込んだ。静止衛星軌道まで36,000km。八日間の道のりだ。私の目的地、静止衛星投入軌道ゲートまでも23,750kmあって五日間。私たちは、キャビンアテンドとなって、軌道エレベーターに乗っているお客様の世話をする。それが最初の仕事だ。エレベーターとはいえ、数日間生活するから施設は客船に近い。
エレベーターが動き出すと、あっという間に雲を越えて宇宙へ。軌道エレベーターでチカチカ光っていたのはこれだったんだ。気がつけば、窓の外は真っ暗で、地球の輪郭が弧を描き、青く輝きだした。
地球は、青く美しい。