7 遥、彼方『オムライス』
全てはあの日。
激しい耳鳴りと誰かの叫ぶような声に私は世界が歪んでいくのを感じた。今いる場所がどんどん暗くなっていくのを私は見ていることしかできなかった。
そして私は逃げるように目を、閉じた。
※
私には双子の姉がいた。
姉はいつも私の事を可愛がってくれて、自慢の妹だと私の事を周りに言いふらしていた。
私も姉の事を自慢の姉だと胸を張って言っていた。周りはそんな私たちを見て、本当に仲が良いねと微笑んでいた。
それがいつもの私たちの日常だった。
「ねぇ、彼方」
「なぁに、お姉ちゃん」
本を読んでいる私に姉の一ノ瀬 遥が仰向けになってベッドから上半身だけをだらりと出していた。床に頭がついている。
「彼方はどこの高校に進学するの」
「うーん、適当」
「近場? それとも、全然遠い所?」
頭に血が集まりそうな体勢のまま姉は私に質問を続ける。
「お姉ちゃん、それ怖いからやめて」
「ん、ごめんごめん」
姉は体を起こしてベッドの上に胡座で座り直した。
「それで、彼方はどこに行きたいとかないの?」
「強いて言うなら、お姉ちゃんと同じ所が良いかな」
「え、まって、私も同じこと考えてた。彼方と同じ所が良いなぁって」
「ふーん」
「素っ気ないな!」
姉からは素っ気ないように見えたかも知れないが私は内心とても嬉しくて今にもはしゃぎ出しそうだった。
私は読んでいた本に栞を挟んで本棚にしまい、鞄の中から一つのパンフレットを取り出した。
それを姉に差し出す。
「なにこれ?」
「高校のパンフレット、行きたいとこがないならここにしない?」
そのパンフレットの高校は県内でも有数の進学校だが、私なら行けないこともないと先生に言われた所だった。
私は昔から勉強だけは得意だった。定期テストではいつも一番で先生からは良く褒められた。逆にお姉ちゃんは勉強が苦手だった。それでも、いつも必死に勉強して学年順位は私に次いでの成績だった。そんなお姉ちゃんを私は尊敬しているしライバルだと思っている。
だけど、現実問題私とお姉ちゃんの偏差値は五は離れている。
「お姉ちゃん、勉強して」
「えっちょっ、本気でここにするの!?」
「私と同じ所が良いんでしょ?」
「確かにそうだけどさぁ」
「じゃあ、今から勉強しよっか」
「彼方が教えてくれるなら…」
「最初からそのつもり」
じゃあ、頑張ります!と声を高らかに宣言した姉は早速机に向かった。
私はお姉ちゃんの隣に椅子を持ってきて座る。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「なぁに、彼方」
「絶対、二人で合格しようね」
「そうだね、"二人で"合格しようね」
※
「えー、三年生はもう少しで高校受験となり――」
年に何回あるかなんて誰も知らないだろう全校集会中、校長先生の長い話をお尻を痛くしながら聞き流す。
隣に座っているお姉ちゃんは寝ていた。
卒業まで残りの日数は着々と減ってきている。
お姉ちゃんは私なんかよりも努力家で偏差値もみるみるうちに伸びていった。
いつか、私を超えてしまうかもなんて軽口を言いながら昨日も夜遅くまで机に向かっていた。
「三年生の皆さんは受験を乗り越えてください」
校長先生のお話も締めを言い終わった。拍手と共に降壇した校長先生がパイプ椅子に座って軋んだ音が響く。
「これで、全校集会を終わります」
私は隣で気持ち良さそうに寝ているお姉ちゃんを揺さぶり起こそうとする。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「んん、ワンちゃんもふもふだねぇ~」
「ちょっと! 私の頭撫でないで! 起きてるでしょ! お姉ちゃん!」
寝ているにしては妙に力の強い姉にされるがまま私の髪の毛はボサボサになっていった。
「もう! お姉ちゃんなんて知らない!」
「ごめんって!」
全校集会も終わり皆がぞろぞろと教室に帰っていくなか、お姉ちゃんはトイレの手洗い場の鏡を見ながら私の髪を櫛でといていた。
「次本当に寝てても起こしてあげないから」
「許してよぉ、ほら結んであげるからさ」
櫛が優しく私の髪を撫でた。
後ろ髪を持ち上げてお姉ちゃんがゴムで私の髪を一つに纏めた。
「ほら、可愛い」
「ん、ありがと」
「おやおやぁ? 顔が紅いぞぉ?」
「…はやく、教室戻るよ!」
私がトイレから出ていくとお姉ちゃんが待ってよぉと後ろから私の手を握った。
私はその手を握り返して、二人で教室に戻った。
「一ノ瀬姉妹はほんとに仲がいいね」
昼休み一つ下の学年の渡辺 美喜ちゃんが私達のクラスに来ていた。
美喜ちゃんとは幼馴染みで何度か家に遊びに来たこともある。
「いいでしょぉ~」
お姉ちゃんが私と肩を組んで美喜ちゃんに満面の笑みを見せた。
「本当に羨ましいよ、私のお姉ちゃんなんて年が離れてるから話が全く通じなくてさぁ」
弁当を食べながら私は美喜ちゃんの話に相槌を打つ。
そんな私を横目にお姉ちゃんは美喜ちゃんの隣に寄った。
「美喜ちゃん。私の妹ちょっと…いや、だいぶスパルタだから美喜ちゃんのお姉ちゃんと一日だけ交換とか…」
「何言ってんの」
私はお姉ちゃんの頭にチョップした。
「あーあ、彼方のチョップで今朝覚えた英単語三つくらい頭から抜けた」
私は続けてお姉ちゃんにチョップする。
「ほんと、仲良いね」
「それほどでも~あったり?」
嬉しそうに頬を綻ばせているお姉ちゃんを他所に美喜ちゃんは話を変える。
「そう言えば、二人はどこの高校行くの?」
「私はここかな」
お姉ちゃんにも見せたパンフレットを美喜ちゃんにも見せた。
「え、すご! 超進学校じゃん! 彼方ちゃんは凄いなぁ」
「そうそう! 私の妹は凄いのです!」
お姉ちゃんが自慢気に胸を張る。
「遥ちゃんは、どこの高校行くの?」
「私もここだよ」
一瞬、間が出来た。
「……で、本当は?」
「だから、彼方と一緒だって」
美喜ちゃんは目を白黒させて私の方を見た。
「ほんとだよ」
私が追い討ちをかけたことで美喜ちゃんは完全に動きを止めてしまった。
「そんなに驚く?」
「まぁ、お姉ちゃんいつもお馬鹿そうだもんね」
「んな!?」
これでも学年二位なんだけどなぁとお姉ちゃんは拗ねて机に突っ伏した。
「おーい、美喜ちゃん甦って~」
私は未だ動かない美喜ちゃんの顔の前で手を振る。
美喜ちゃんは瞬きをして、息を吸った。
「そっか、二人とも凄いね…」
「美喜ちゃんも二年生の中で結構頭良いんでしょ?」
「そうだけど、二人には遠く及ばないよ…でも、そっか。遥ちゃんはここに行くんだ…」
美喜ちゃんは私も頑張らなきゃと気合いを入れて次の授業が始まる前に二年生の教室へ戻っていった。
私もお姉ちゃんの席から自分の席に戻って次の授業の用意を始める。
鞄の中を漁ると何かが人差し指に当たった。
ツルツルしていて固い。手繰るようにそれを掴み取り出す。
「なにこれ」
思わず声が出た。それは淡い青色をした綺麗なガラス玉だった。
いつこんなものを鞄に入れただろうか。
そもそも、こんなガラス玉持っていたっけ?
見覚えのないガラス玉を誰にも見えないように眺める。
「綺麗だしいっか」
ガラス玉には傷一つなくおそらく拾ったものではない。となればいつかにお祭りかなにかで手に入れたものを鞄に入れっぱなしにしていたのを私が忘れていたとかそんなところだろう。
取り敢えずガラス玉を鞄に戻して私は教科書を机の上に並べた。
「っはー終わったー!」
「お姉ちゃんもうちょっと声抑えて」
全ての授業を終えて放課後を報せるチャイムが学校全体に響き渡る。
お姉ちゃんに倣って私も背伸びをする。
「彼方、帰ろう」
「うん」
私達は荷物をまとめて教室を出た。
外の景色はお昼の時窓から見た時と変わりなく晴天である。しかし、晴天とは裏腹に風は冷たい。
「いやー、寒いね」
お姉ちゃんが白い息を吐く。その息が雲一つない空に溶けるように薄れていった。
私もふっと息を吐く。
「あと、四日後には冬休みだね」
「そっか! もうそんなに経ってたのか…」
私達の通う中学は十二月二十六日からが冬休みだった。
私も昨日その事を知って時間が経つのは早いなとカレンダーに終業式の日に丸を付けた。
「冬休みなにしよっかなー」
「お姉ちゃんは勉強だよ」
「うっ、ほら、息抜きでさどこかに遊びに行ったりくらいは良くない?」
お姉ちゃんは歩きながら手振り身振りで私を説得しようと必死に休みの重要性を説明してくれた。
その必死さに免じてお姉ちゃんと冬休みの間にどこかで遊ぶ約束をした。
具体的な事は何一つ決めないでどこに行きたいかを二人であーだこーだ話している内に家に着いたので、私達は一度話を切りあげた。
「ただいま」
「誰もいないのに律儀だよね、彼方って」
靴を脱いで急ぎ足で自分の部屋へ向かった。
私達の親は共働きで帰ってくるのはいつも夜中で、家を出るのも朝早くなので私達と両親は殆ど顔を合わすことがない。
両親の顔を思い出そうと思ってもぼんやりと浮かび上がるのは輪郭だけで声や顔のパーツの一つ一つは思い出せなかった。
「そう言えば、お姉ちゃんこれ見てよ」
私は今朝鞄の中で見つけたガラス玉をお姉ちゃんに見せびらかすように掲げた。
「なにそれ」
「多分、ガラス玉」
「ガラス玉?」
私がガラス玉をお姉ちゃんに差し出すと、お姉ちゃんはそれを受け取ってベテランの鑑定師のように目を細めた。
「どこから持ってきたの?」
「持ってきたと言うか、鞄の中に入ってたから多分だけど何かの景品とかお祭りに行ったときとかに鞄の中に入れっぱなしにしてたのかなって」
お姉ちゃんはふーんと言ってガラス玉を見つめる。
「なんか、ラムネ瓶に入ってるやつみたい」
「確かに」
それだけ言うとお姉ちゃんは私にガラス玉を返した。
「晩御飯作ってくる」
「私も手伝うよ」
ガラス玉を机の上に置いて、二人で部屋から出て台所に立つ。今日は何にしようかと話してオムライスにしようと言うことに決まった。
思えば、両親と一緒にご飯を食べたのは私達が中学に上がった時以来ない。
寂しくないのかと聞かれれば勿論寂しいと答えるだろうけど、心のどこかではもうどうでも良いとさえ思っている。どうせ、両親は私達の事など気にかけていないのだから。
私達の誕生日もクリスマスも一緒に過ごしていない。
「今年のクリスマスはお母さん達一緒に過ごしてくれるかな」
オムライスを一口食べてからお姉ちゃんがそんなことを呟いた。
「どうだろ」
私には解らなかった。どうして、お姉ちゃんはそんなに期待できるのだろう。
黙々とまだ熱いオムライスを食べて完食し私は部屋に戻って、お風呂に入る用意をする。
ふと、私の机に置かれたガラス玉が目に入った。
自然と足が前に出る。ガラス玉は月光に照らされて怪しげに光っている。
淡い青色が私の心に染みるようにじんわりと広がって行く感覚があった。
「彼方?」
あと、一センチ。一センチ指を動かせばガラス玉に触れる時、部屋の扉をお姉ちゃんが開けた。
「どうかした?」
「……いや、なんでもないよ」
お姉ちゃんは先にお風呂入って良いよと言って自分のベッドにダイブした。
私はカーテンを閉め、バスタオルを持って部屋から出た。
※
私は彼方が部屋から出たのを見計らって彼方の机に置かれたガラス玉に手を伸ばす。
部屋の明かりに照されたガラス玉は光を反射して輝いているように見えた。
このガラス玉はなんだか不思議な感じがした。
見つめているうちに私を惑わしてしまいそうなその輝きに私は目を逸らしてしまった。
私は息を吐いてもう一度、ガラス玉に視線を向ける。
なんの変哲もないガラス玉。その筈なのに私はいつの間にか光に翳してガラス玉の向こう側を覗いていた。
無意識だったと思う。
だけど、私は目の前の光景に必然的に言葉を失った。
体に力が入る。
「熱っ!」
突然ガラス玉に電気が走ったような痛みが私の指に熱をもたらした。
刹那、先程の光景に吐き気が遅れてやって来た。私は急いでトイレへと駆け込んで胃のなかにあったオムライスだったものを全て吐き出した。
吐いている間も私の頭の中はガラス玉の中にあった光景でいっぱいだった。
私の本能が直感的にあれはフィクションでは無いと言っていた。
現実離れしたことを言っているのは解ってる。
でも、どうしてか私は彼方が大型トラックに引かれて轢殺されそうな光景が妙に現実味があるように見えた。
「はは、私って意外と中二病だったりして…」
自室に戻って床に落ちたガラス玉を拾い上げる。
意を決してもう一度ガラス玉の向こう側を覗く。だが、この先に見えたのは眩しい明かりだけでさっきと同じような光景は何一つ見えなかった。
「気のせい…な訳ないか」
もしかしたら、という期待もあったが、私の指はまだヒリヒリと痛みを帯びている。
私はガラス玉をもとあった位置に戻してから枕に顔をうずくめた。
「お姉ちゃん、次お風呂良いよ」
暫くして彼方がお風呂から上がって私を呼びに来た。
彼方の顔を見て少し安心した。
仮にあれが未来だとして、具体的な日時も解らないし、どこで彼方がああなるのかも解らない。
「お姉ちゃん?」
「あ、うん。お風呂入ってくる」
それでも私はガラス玉に映った未来が本当にあるのなら変えてみせる。まあ、私の中二病が今さら現れて全てが私の妄想で颯爽と妹を助けるためのシナリオだったらそれはそれでありがたいんだけどね。
翌日の朝は、とても冷え込んでいた。
「お姉ちゃん! 遅刻するよ!」
「うーん、あと少しだけ…げふっ!」
お腹の上に何か重たく柔らかいものが乗っかった。目を開くと私のお腹の上に彼方がどんと乗っかっている。
「はーやーくー」
「わかった! わかったから!」
お腹の上に乗っかっていた彼方を退けてから私は重たい体を起こす。
クローゼットから制服を取り出して私の特技の一つであるはや着替えを彼方に披露して、洗面所で顔を洗い歯磨きを済ませる。
彼方が作ってくれていた朝食を食べて美味しさに頬を緩ませてから靴を履く。
この間約十五分である。
「ねぇ、後三十分後にはホームルーム始まっちゃうよ!」
「まあまあ、彼方よ落ち着きなさい」
「逆にお姉ちゃんはなんで、そんなに落ち着いてるの!」
私はまだ、あれが妄想だと思っているところがあった。
確かに昨日の夜は未来を変えてみせるなんて少々恥ずかしい事を決意したが、ちょっと考えてもみて欲しい。
現実にそんなことが起こるだろうか、あまりにも現実離れしている。
でも、もし仮に、ガラス玉で見えたものが本当に未来だとして私は彼方を助けることを躊躇らわないだろうか。
「お姉ちゃん! 急いでって!」
…きっと、私なら躊躇わないな。何せこんなにも可愛い妹を私が助けない訳がないのだから。
私は、彼方を追うように駆け出した。
「ぐへぇ~」
駆け出したは良いものの体力はからっきしなのでスタート早々に私はエンジンを止めた。
「お姉ちゃん、相変わらず体力ないよね…」
彼方が半ば呆れたように私を見ていた。
私は昔からスタミナの値がゼロに等しい。
別に運動音痴と言う訳ではない。球技はそこそこ出来るし、五十メートル走も全国的に見て早い部類だ。
なのに、体力だけがない。百メートル走でギリギリ息が上がり、バスケやサッカーなんてしようものなら開始三分程で私は敢えなく退場だ。
「彼方、おんぶしてぇ」
「無理無理! ほら、早くしないと遅刻するって! アイス帰りに奢ってあげるから立って!」
「……本当に?」
「何が?」
「本当に、アイス帰りに奢ってくれる?」
「本当だから!」
「マジ?」
「マジ!」
「女に二言はない?」
「ないっ!」
その言葉に私は自分を奮い立たせる。
ついさっきまで今にも挫けてしまいそうな心と足だったのに、今やこんなにも強固で揺るがない。
「ほら! 彼方行くよ!」
こんなにも平穏で何の変哲もない日常があるせいで私は気が緩んでいたのかも知れない。
あるいは、どちらかが欠けるなんて想像もしていなかったのかも。
多分、どっちも。
私はこれからの人生であの日を忘れることは決してない。
ここまで読んで下さり感謝します。
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